第5話

文字数 1,851文字

 その日、久我は駅前にある航空会社系列のホテルに宿を取った。

 N県警捜査一課に姫野と共に顔を出した際に「せっかくだから、飲みに行きますか」と数人の刑事から半ば義理で誘われたが、久我は下戸であるという理由をつけて断った。
 本当は下戸ではなかったが、歓迎会をされる覚えもなかった。まだ事件は解決してはいないのだ。

 ホテルに行くと告げた久我に対して、当直の責任者である警部補が姫野にホテルまで車で送っていくように命令をした。
 久我はタクシーで行けるからと断ったが、姫野がその要望を聞き入れてはくれなかった。

「久我さん、乗ってください」
 N県警本部の地下駐車場で姫野が運転してきたのは、年代物のフォルクスワーゲンだった。
「わたしも、今日はあがりなので」
 そういった姫野は自家用車の助手席に久我を乗せると、ホテルに向かって車を走らせた。

 雪は降り積もる一方だった。
 姫野の車はすでにスタッドレスタイヤを装着しているようで問題なく道を走っている。

 車の中では、ふたりとも無言だった。
 久我は少し疲れを感じていた。残留思念を読み取ったあとはいつもそうだ。

「どこかで食事をして行きませんか」
 姫野が提案してきた。
 久我は少し考えたが、ホテルに行ったところで食事があるわけではなかったため、その提案に乗ることにした。

「肉、嫌いじゃないですよね」
「ああ。大丈夫だ」
「よかった」
 そういって姫野は国道沿いにあるステーキハウスの駐車場に車を入れた。

 このステーキハウスは良心的な値段でN県の特産牛のステーキを出す店だった。
 地元では有名店らしく、店内はそこそこ混んでいた。

 姫野はN牛のステーキを200g、久我は300g注文した。
 飲み物にアルコールを勧められたが、下戸だという理由を述べて久我は断った。
 本当の理由は一緒にいる人間が飲めないのに、自分だけ飲むというのはどこか気が引けたからだ。

 ふたりは炭酸水で乾杯をして、N牛のステーキを堪能した。
 ミディアムレアのステーキはほどよい厚さで、弾力があるもののナイフを入れるとすっと切ることができた。周りはこんがりと焼けており、中はレアという状態の肉を噛みしめるとなんともいえない濃い味が口の中に広がった。

「これは500gぐらいにしておけばよかったかな」
 そんな冗談が久我の口から出るほど、久我はこのステーキを気に入った。

 食事中、ふたりは仕事の話はしなかった。
 基本的に警察官は職場以外で職務についての話をすることは禁じられている。
 それは迂闊(うかつ)な発言が情報漏洩や事件に影響を与えかねないからであった。

 満足の行く食事を取ることができたふたりは会計を済ませると、駐車場の車の中で少し今後の捜査について話をした。

「本当に久我さんには見えるんですか」
「ああ」
「どんな感じなんですか」
「難しい質問だな。難しいが、どこか映画を見ているような感覚に近いかもしれない」
「もし、わたしに触ったとしたら、何が見えますか」
「それはわからない。見えるのはモノの記憶であって、人の記憶ではない。ただ、人の強い思念などがモノに移って見える時もある。今回見たのはそれに近かった」

 久我の言葉を聞いた姫野は小さくため息をついた。
 まだ、姫野は久我の能力を信じてはいないようだった。

「じゃあ、このネックレスはどうですか」
 姫野は首から下げていたネックレスを外すと久我に手渡した。
 あまり、こういうことは好きではなかった。どこか試されているようで、気が乗らなかった。
「悪いができない」
 久我はそれだけいうと、姫野にネックレスを返した。
 残留思念を読み取るということは、知りたくもないことを知ることにもなる。
 例えば、身に着けていた人間の隠したい過去の出来事などもわかってしまうのだ。
 モノの記憶というのは人間の記憶と違って、何か別の物に置き換えたりすることはできない。あったことをそのまま記憶しているだけなのだ。

「そうですか、わかりました。すいません、興味本位で聞いてしまって。それじゃあ、ホテルまで送りますね」
 一緒に食事をしたことで少しは仲が深まったと思ったが、その距離がまた開いてしまったように思えた。

 ホテルに着くまでの間、ふたりは無言のままだった。

「では明日の8時に迎えに来ますね」
「ありがとう」
 久我が礼を言って降りると、姫野はすぐに車を出してホテルの敷地内から去っていった。

 ホテルの部屋に入ると熱いシャワーを浴びて、すぐにベッドに入った。
 疲れていたせいもあってか、久我はすぐに眠りに落ちた。
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