文字数 1,989文字

 磁石がくっつくか、くっつかないか、あのブルブルとした瞬間が苦手だ。どうせくっつくのだと分かっている。人はいつか必ず死ぬという事と同じくらいそれは当たり前であるし、逃れようのない引力だった。だけど、私はギリギリまで足掻こうとする。素直に受け入れるだけの余裕などないのだ。だから苦手だった。


 私はコンビニでホットのカフェラテを注文すると、空の紙コップを受け取り支払いを済ませた。あいにく先人がおり、コーヒーメーカーの前で順番を待つことになる。先人にプレッシャーを与えぬよう、大して物珍しくない外の景色に目をやる。
 頭の中で忙しなく考えてしまう。疲れているのだけど、そうしていないと落ち着かなかった。

「・・すいません。」

 その声と同時に先人は去っていき、私はコーヒーメーカーの扉を開けて、カップを入れた。
 何も悪いことはしていないのに先人は謝り、プレッシャーを与えてしまっていたのかと私は自己嫌悪になる。たった数分の出来事に思考が詰まってきた。

 空の紙コップにミルクやコーヒーが注ぎ込まれ、満たされていく。私はそれを待ちきれず、扉を開けようとして、コーヒーメーカー全体が揺れて拒んだ。いつだったかあの日も、同じことをしたんだ。そして、それを見ていた香織に

「まだよ!」

 と言われたんだった。
 香織はそんな私に呆れて外に出ると、コンビニの前に置かれた灰皿置き場に行き、煙草を吸っていたっけ。いつかもわからないくせに、つい先日のように感じる。
 私はそんなことを思い出すと、コーヒーメーカーの【出来上がりました】の文字を確認して扉を開ける。カフェラテの入った紙コップを慎重に移動させ、蓋をした。それが終わると、すぐにコンビニを出ていく。

 ふと、灰皿置き場を見た。相変わらず香織はいなかった。私はなんとなしに灰皿置き場まで歩く。そこでカフェラテを飲もうと、唇にカップの飲み口を当てた。唇の表面で熱を感じて、少しイライラしながら、啜るように飲んだ。空気だけが無駄に口に含まれる。それは、必死に日々をこなしていく私の中に溜まるものと大差なかった。

 香織は、観葉植物が好きだった。部屋のカーテンレールに沢山吊るして育てていた。ある日、重さに耐えきれずカーテンレールが折れたことがあった。散らばった土や植木鉢の後片付けを手伝いに香織宅に行くと、片付けが予定より長引いた帰り際、

「育てるのが簡単よ、これ」

と言われて、一つ観葉植物を譲り受けた。

 香織の家で吊るされていた時も、床に散らばった時でさえ、緑が美しく茂っていたその植物は、うちに来て1ヶ月も経たずに枯れ果てた。香織にも植物にも、申し訳なくて、持ち帰った事を後悔した。

 何一つとして取り戻せるものはもうないのに、私は毎日のようにこんな事を思い出している。

 私は思い出の残像を振り切るように、灰皿置き場から離れて家に帰ることにした。

 コンビニから徒歩5分。あっという間に私のボロアパートは現れ、錆びついた階段の手すりの真下に属する102号室に入っていく。寒いから暖房はつけっぱなし。居間にある小さめのテーブルの上にカフェラテが半分以上残る紙コップを置いて、着ているジャケットを脱いだ。
 その時だった。
 勢いよく脱いだせいで、ポケットの小銭が床に落ちて散らばった。私はその様にため息をつくと、またイライラがぶり返したが、小銭を拾い集める。視界の端で食器棚と冷蔵庫の間に100円玉が入ってくのが見えた。私は土下座をするような体勢で、食器棚と冷蔵庫の間にある、わずかな隙間の方に顔を向けた。暗くて何も見えない。仕方なく立ち上がると、反対側にスペースのある冷蔵庫の方をずらす。食材なんてそんなに入っていないのに、割と重くて声がでた。

「よっ、、」

 冷蔵庫と食器棚の間の隙間を大きくして、私はしゃがみ込み、100円玉を探す。

「え?!」

 ゴキブリ?!
 一瞬そう思って後ずさったが、それは黒く、しわしわになった何かだった。私は、100円玉よりもその不気味な物体が気になる。隙間に顔を可能な限り近づけて、その物体が安全そうだと思うと、拾って手に取った。

「あ、、」

 何なのかわかった。
 これは、葉だ。枯れて変色し、埃をかぶって産毛が生えたようになっている葉だ。そういえば、あの植物を冷蔵庫の上に置いて育てていた。枯れていく過程でその葉が冷蔵庫と食器棚の隙間に落ちたのだろう。

「植物って、育てる人の疲れとかそういうのを吸い取って、代わりに枯れるんよ。あんた、よほど疲れてたんやね。」
 
 枯れた植物を見て、怒るわけでも責めるわけでもなく、私を労わるようにそう言った香織の顔はどんなだったかと思う。

 持ち帰ってよかった、、、

 手のひらの葉を私はずっとみつめている。
 そのうち、感情が磁石みたいにブルブル震えてきた。足掻く事なく吸い込まれていく私を香織が見送っている気がした。
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