第1話

文字数 2,805文字

 
  同士だ、と友は言う。
  同士か?と我は問う。
  同士ではない、と我は答える。
  同士ではない、と友も答える。
  いずれも腹の底で。

 肯定は根を張って生まれるものではない。むしろ投げ出された球を掴んだ際に舞う砂塵の粒であり、投げる側も捕る側もそれを当然と捉え目にも留めない。しかし、肯定は生まれなければならない。種は蒔かれなければそののちの生涯も存在し得ないが、肯定は異なる。肯定はこんもりと耕された田畑や、刺すように照る日差しが無くとも、そこに植えつけられるものである。脅迫されているのか。いや、僕が自分でしているだけだ。それでいい。肯定は甘く赤い果実をその枝先からぶら下げる。昼下がりでも闇夜でも果実は輝いて見える。手に取ると少しやわらかい。一つ頬張ると破れた場所から堰を切って黄色い水が流れる。驚いたことにその水まで光り輝いている。学生服に身を包んでいた頃、秋になると、持ち主の名も知らぬ果樹園の熟れた林檎をぷつりと引き取って、ひび割れたコンクリの田舎道を歩きながらむしゃぶりついて帰っていた。果樹園の真ん中を突き抜ける田舎道は、ある所から両側に田んぼを従え、道によりかかるように垂れ下がった果樹の葉に隠れた、遠くの山を眼前に示す。黒く、動くことの無い山に溶けていく夕日は手元の半分だけ残した林檎に反射して、輝いて見えた。長くなった、また自分を卑しく思う。肯定の光る果実は誰でも食したことはあるだろう。だがこの果実はどうやら植えた本人では決して口に運ぶことができない。小作農のように命じられて作られたものではない。自分勝手に植えて自分勝手に他人に渡すだけだ。そして渡す相手も自分で決めようと思えば自分で決められる。渡された方が果物嫌いでも肉しか食べないイヌイットでも知ったこっちゃない。渡すことが「義務」なのだ。本当のことを言おう、僕は赤子の時分から手に余るほどの肯定の果実を受け取っていた。それこそ固めた泥を投げつけられるよりも、この果実を下から掬って優しく投げ渡されたことの方がはるかに多い。そうだ、そうとも、僕は甘く清らかな蜜を持つこの果実を主食に今まで暮らしてきたのだ。頼むからそう罵ってくれ。僕は食い飽きた。途中で気づいたのだ。僕はその果実に副作用があることを。何時の間にか指をくわえてねだる自分がいた。得るために生きている。もらって、食いかけで放り投げて、また新しい実をもらいに行く。その時にはなんだってする。ステージで女の服を着ようが、裸で土下座しようが僕にはどうでもよいのだ。止めよう。な。僕はまだちゃんと伝えきれてないだろう。肯定の果実を目の前の消費者に渡すとフィードバックはすぐに得ることができる。大概は良い反応だ。生産者はその反応を見て次に生み出す果実の味やら形やらを工夫する。その生産と消費のサイクルを幾度も繰り返すことができれば、そのうち両者の関係は依存的なものに変容していく。それは受け取る側からすると、相手が生産を繰り返すことは当然の行為であり、自身が掲示する肯定への要望に対し素直に答えてくれることもまた当然だと感じているからである。一方で生産する者は、自らの「肯定を手渡す」行為が美徳のように感じられ、目の前の人物をぼろぼろになった麻の薄布で体をくるむ貧困者とでも捉え、必死に救済を試みるようになる。このサイクルは一種の完成形であり、皺だらけの老夫婦のような関係になるまで続けるのも良いだろう。分かっているさ。僕は否定的だ。でも肯定しなければならない。誰にも強いられていない。そうだ、虚構だ。こんな完成形は上っ面だけだ。どうせどっちかが気づくんだ。僕は気付いているんだ。畜生。神の喪失に勘づいたものは捕縛され、断罪される。それは内的世界でも同じだ。八人の僕は空を覆うほど巨大で、いつも真中の僕を見ている。それも一つ目だ。たまったもんじゃない。ちょっと待ってくれ。今薬を飲むから。そんなに心配しなくていい。僕はその顔だって怖いんだ。顔は全てを写すのかもしれないが、僕にはみんなへこんで見えるんだ。みんな同じさ。みんな同じ顔だ。笑っていやがる。そうだ。君もそう見えるのさ。でも僕は君の目を見てそう言えない。僕は深海に体を思いきり引っ張られ、痛みに悶えながら、同じように笑うんだ。
 さあ、薬も効いてきた頃だ。話を続けよう。肯定は行い続けると、一つの「型」を形成する。まあこれは肯定だけの話ではないが。肯定を含む他者の行動、思考、出来事などを無条件で、善悪の二元で見るところの「善」に当てはめるという行為は、私という物体を穏健だの柔和だの、いわゆる「優しい人」という他者視点の自己像にする。この「優しい人」といった自己像ははっきり言って都合が良い。人は近寄りやすいし、会話も容易になっていく。会話の中で、肯定なんかをまた与えてやれば、表情は崩れて意図的に隠されていた情報を他者は自ずと漏出させる。それにまた肯定、新情報、肯定、新情報、肯定…..。肯定のサイクルは肯定を行えば行うほど、その方法の効率化と機会の増加が生じる。このサイクルを幾度も繰り返し順応していくことで、社会は、少なくとも日本社会は君を熱く手を握って歓迎するようになるだろう。
 しかし、人はごまんといるんだ。一人は僕のように「優しい人」という「型」や肯定のサイクルの構造を捉え、浅薄さに気づいてこれを拒否する他者も現れることだろう。こういった他者は君に攻撃を与えるか、もしくは後ずさって離れていく。対処は簡単だ。こちらも離れてしまえばいい。わざわざ回路をつなぐ必要はない。懐に入って君に刺すような一撃を与えようとする他者に対しても君はただ持ち前の甘い笑みを浮かべながら、数歩後ろに下がればよい。その後は肯定の受給者達が王国を守る十字を掲げた騎士団となり、背信者を徹底的に攻撃する。君はその真中でまた笑みを浮かべる。なあ、頭がくらくらしてきたよ。薬の副作用らしい。医者には三錠って言われたのさ。でもそれだけじゃ効きやしない。どうもだめだ。この前の夜なんか心臓から百足やら蝮やらが飛び出してきて頸動脈を滑って僕の脳を食べるんだ。みんな口が小さいから、小さく、小さく噛んでいくんだ。中も外も前も後ろも関係なく旨そうに。怖くてもう三錠飲んだのさ。そしたら心地よく眠れたよ。あのヤブ医者め。いつも僕の目を通して僕の頭の後ろを見るような顔しやがって。僕はあの目を見るとどうも腹の底で打ちあがった魚がぴちぴち跳ねている感じがして吐きそうになる。おや、労ってくれるのかい。有難う。仕合せだよ。でも君もたまにそんな目をする時があるんだ。君も僕の生き方を道化とするんだろう。まあいいさ。そんなの僕が一番わかっている。いや、これも含めて道化というのかな?君はこんな僕を見て、時折首を縦に振る。さて、君はこれまで何回「肯定」をした?
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み