第1話

文字数 4,130文字

10年ほど前、あるボクシングジムの会長から久しぶりの電話。

「コブシ君、ちょっと頼みがあるんだ・・・」

その会長に私は大変な恩義があった。

だから、自分にできる事だったら何でも引き受けようと思った。

ただし、モチロン犯罪行為を除いて。

「リングドクターがな・・・」

数日後に迫った、ジムの興行のリングドクターが調整がつかず、困っているとのことだった。

「コブシ君、やってくれないか・・・?」

リングドクターがいないという事は興行がうてないということだ。

会長の困りようをみると、何とかしてあげたかった。

しかし、先程、書いたように犯罪行為を除いての話だった。

モチロン、私は医者ではナイ。

これは・・・かぎりなく黒に近いグレーだった。いや、黒だろう。

「わ、わかりました。」

私は断りきれず、引き受けることになった。

白衣や備品は用意してくれるとのことだった。

「アンタ、大丈夫・・・?」

妻は不安そうに、電話を切った私に言った。

当日は、妻と二人で行くことになった。

前日計量と試合当日と二日。

乗り切れるだろうか・・・・?

前日計量の前の晩。

自分の試合の前日の不安とは違う、何か大変な事をやらかしてしまうんじゃないかという、経験した事のない緊張感につつまれた。

そして、前日計量の日。

妻と二人でジムに行った。

「おー、コブシ君!スマンのー!」

会長は、白衣と聴診器、水銀式の血圧計など備品を用意して待っていた。

それと、驚いたことに名刺も用意されていた。

名刺には、こう書かれていた。

「コブシ整形外科クリニック」

住所は私の家。

モチロン、そんな病院などナイ。

「会長、これは・・・」

「あー、ちょっとコミッショナーの人に挨拶せないかんからな。」

「え、だ、大丈夫ですか・・・?」

「大丈夫、大丈夫!形だけやから!」

私は改めて、とんでもない事をしてるんじゃないかと恐怖感を感じた。

前日計量の会場であるホテルに着いた。

ロビーには、試合に出場する選手、ジムの関係者で溢れていた。

会長と妻と私の3人は、選手たちの間を通り抜け、計量会場に入っていった。

会場に入るとコミッショナーの人間が数人いた。

「〓〓さん、今回のリングドクターのコブシ先生です。」

私はコミッショナーの人間を見たことがあった。

むこうも、もしかしたら私に見覚えがあるかもしれないと思い、ヒョットコほどではないけど、バレたらまずいと顔を少し変える努力をした。

「あーこれはこれは先生!ヨロシクお願いします!」

どうやら、覚えてなさそうだった。

無事に名刺交換も終わり、いよいよ前日計量が始まった。

【夢のつづき・・・】

「じゃあ、選手入ってー!」

コミッショナーの先程、名刺交換した偉いさんだろう方の掛け声で計量が始まった。

先に体重を測定し、それから妻が体温計を渡して、体温計が終わった選手からドクターによる検診が始まった。

自分は今まで、受ける方の立場だったので、わからなかったんだけれど、選手一人一人の今までの試合のデータを書いたモノがあった。

それに、今回の試合の欄に、体温、血圧、あと「NP」と記入され続けている欄があった。

(NP?何だろう?ナチュラル・パーソンっていう意味かな?つまり、異常ナシっていう意味かな?)

おそらく、合っていないであろう結論を出し、私はそう理解して同じように「NP」と記入しようと思った。

そして、一人目の選手がやってきた。

「お願いします・・・」

調子が悪いのか、減量がキツかったのか、顔色も悪く、肌ツヤも悪かった。

一目で「NP」じゃなさそうだった。

しかし、そんな人の事を心配していられない、重大な事に気がついた。

水銀式の血圧計は見たことはあったが、使ったことがなく、数値の見方もわからなかった。

改めて、自分の間抜けさを恨んだ。

でも、もう立ち止まることは出来ない。

例えるなら、30キロの重いリュックを背負い、45度・・・いや、60度くらいの坂をかけ降りるような感覚だった。

血圧計の腕に巻くヤツを巻き、シュポシュポするヤツで水銀計を上げていった。

腕の部分か゛パンパンになり、その限界の数値を書いた。

ここまでは、なんとなくわかったんだけれど、プシューって空気を抜いて、下がっていく水銀のどこら辺の数値を見たらいいのか、わからなかった。

私は過去のデータを参考にして、数字を+-5くらいにして書いた。

そして、脚気を調べる、膝の下を叩く用具で膝の下辺りを叩いた。

あと、聴診器で胸の辺りを3ヶ所ほど医者っぽくやってみた。

そして、血圧を記入する、なんと呼ぶかわからない器具で膝の下辺りを叩く、聴診器を医者っぽくあてる、「NP」と記入する、という一連の動作を繰り返していた私。

思いのほか忙しい。

すると、妻が私の耳元で囁いた。

「あんた!耳!耳!」

「え?何?俺、やる事いっぱいあんねん!」

私はテンパって、苛立ちながら妻の耳元に囁いた。

「だから、耳!耳!」

あまりにも妻が言うものだから、耳を触ろうとした瞬間、気が遠くなりそうだった。

なんと、聴診器の耳あてをせずに胸に押しあてていた。

だから、何人目からかわからないが、数人はただ金属を胸に押し当ててるだけという状態だった。

選手、ジムの関係者も、「え?コイツ、大丈夫?」と、思ってただろう。

私のテンパリ度は急加速した。

かけ降りてる坂の角度が60度から90度になった。

尋常じゃないくらい、汗だくになり、なんとか全員やり終えた。

本当に、生きた心地がしなかった。

前日計量も無事ではなかったけれど、終わった。

その日の夜は、不安でほぼ一睡もできなかった。

そして、迎えた試合当日。

そこでも、私をテンパらす出来事が待ち受けていた。

【まだまだ、夢の中・・・】

試合は昼の1時半開始だった。

会場に入る前に、初めて用意されていた白衣をスーツの上に着た。

白衣を着るのは、実は2度目だった。

小学生の頃、学芸会で「みこみなし病院」という手術している患者の腹から、バケツや本などありえない物を出すという、しょーもない劇で院長役をした時以来だ。

妻も同じように白衣を着た。

看護婦姿の妻を見た。

ん?ちょっと、なんか、エエな・・・いかん、いかん、こんな時にコスプレ気分を味わっている場合ではない。

会場に入って、会長から座る席に案内された。

昨日、名刺交換した偉いさんの隣だった。

「これは、これは、先生!お願い致します!」

腹から思ってないだろう挨拶をされて、私の心拍数も上がってきた。

椅子に座り、試合開始までの間、その人からイロイロ話しかけられた。

「先生はいつ、ボクシングやられてたんですか?」

会長が昨日、偉いさんに紹介する時に、「このコブシ先生も、昔、プロだったんですよ!」と、変に本当の事を話していたのを思い出した。

「え、あ、いや、じゅ、19歳の頃です・・・。」

「あ、そうですか。お医者さんになられたのは・・・。」

心の準備が出来ていなかった私は、シドロモドロになった。

つじつまを合わすのが、大変だった。

もしかしたら、昨日の私の手際を見て、疑っていたのかもしれない。

それも、なんとかやりすごし、いよいよ試合が始まった。

私が危惧していたのは、試合中、選手がカットしてドクターがレフリーに呼ばれ、リングサイドに立つ場面だった。

そうなった場合、傷を見ても、完全に私のさじ加減で、「ん~いける!」という判断になってしまう。

なんとか選手みんな、血をなるべく流すことなく、判定、もしくは早めのレフリーストップで終わらないかな・・・なんて、勝手な事を思っていた。

そうこうしているうちに、試合が始まった。

幸い、どの試合もカットすることなく、判定が多かった。

私の出番もほとんどなかった。

ところが、終盤の試合でとうとうKOがあった。

その試合は、一発良いのが入って、そのままカウントアウトされた。

KOされた選手はふらつきながら、トレーナーに支えられ控え室に戻っていった。

コミッショナーの関係者から、選手の控え室に行って、診察をお願いしますと言われた。

控え室に行き、KOされた選手に見よう見まねで、ペンライトを目に近づけて、ぽくやってみた。

「吐き気とか異変を感じたら、病院で診察してもらってね。」

医者じゃなく、誰でも言える普通のアドバイスを言って、控え室を後にしようとした。

「あれ~!コブシさんじゃないっすか~!」

見ると、たちの悪いボクサーのMくんが、缶ビール片手に近づいてきた。

Mくんとは、私が最後の試合をしたジムで少しだけ一緒だった。

Mくんは、試合中に野次などを飛ばしたりして、よく注意されたりしていた。

(ヤバイな・・・)

少し酔っぱらっているみたいで、声が大きい。

控え室にいたジムの関係者たちの視線が突き刺さる。

私はMくんの肩を抱き、会場の隅っこに連れていった。

「Mくん、バレたらマジでヤバイから頼むで!」

私は語気を強めて、Mくんに言った。

「は、は、はい。」

Mくんも私のあまりの気迫に圧倒されたのか、わかってくれたみたいだ。

私もバレたらマズいので、必死だった。

結局、私の願い通り、KO試合は1試合だけですんだ。

私が危惧していた、リングサイドに立つ場面もなかった。

なんとか、無事に終わった・・・。

やっぱり、こんな事は選手の安全の事を考えたら、絶対にやるべきではナイと強く思った。

と、ここでいろんな意味で目が覚めた。(笑)

以上、200%夢の話。
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