100年ロボット

文字数 4,505文字

そのロボットは100年はたらいています。主を失った家で今もまだはたらき続けています。家の主は10年前にこの世を去りました。遺言により主なき後も家とロボットはそのままになりました。主がいなくなった後は、主が飼っていた犬とロボットの1匹1台の暮らしとなりました。その犬も5年前にロボットの手の中で息を引き取りました。それからこの家はロボット1台だけになりました。それでもロボットは毎日はたらきます。主と暮らしていた時と全く同じようにはたらきます。

でもロボットの体はもうボロボロでした。ネジは何箇所も外れています。樹脂の部品はひび割れています。金属の部品は錆びています。それでもロボットははたらき続けました。

ある日のことです。季節は秋で枯れ葉がたくさん落ちていました。ロボットはいつものように門の前を箒で掃いていました。いつものように両手でしっかりと箒を持っていました。しかし次の瞬間、左手がスルリと外れてしまいました。

「あれ?おかしいな」

ロボットは左手を動かそうとしました。でもピクリとも動きません。まるで紐のように肩から垂れ下がっています。右手で動かしてみても駄目です。左手が動いているという感覚がありません。
他にも色々なことを試しましたが結局、左手は動きませんでした。

「そうか、壊れちゃったんだ」

その時ロボットの眼の奥にあの日の記憶が浮かびました。この家の主が亡くなった日のことです。

主はベッドの上で病にうなされていました。亡き妻の名前を呼びながら縋るように左手で虚空を仰ぎます。その手を取ったのはロボットの左手でした。ロボットの手の感触を感じた主はハッと何かに気付いたようにロボットの方を見ました。そしてロボットの顔を見た主は微笑みながらロボットに言いました。

先にサビーナに会いに行くよ。お前ももう少ししたらラッシュと一緒においで。ゆっくりでいいさ。待ってるから

主の左手はロボットの左手を固く握りしめました。そしてそれ以後、その手が他のものを握りしめることはなくなりました。

「あの左手の感覚が主との最後の記憶なんだ。この左手があったから、主と最後のお別れができたんだ」

「ありがとう。今までずっと僕の左手であってくれてありがとう」

それからロボットの左手はずっと垂れ下がったままです。








ある日のことです。季節は冬で大雪が降った日のことでした。

買い物帰りのロボットは雪道を転ばないように慎重に歩いていました。左足を軸にして右足を前に出そうとした次の瞬間です。前に出したはずの右足は地面を踏みしめることなく、ロボットはそのまま前のめりに倒れてしまいました。
ロボットの身体は雪道にズッポリとハマってしまいました。大雪のせいで辺りには誰もおらず、助けてくれる人はいませんでした。ロボットはまだ動く右手を使って身体を起こします。そして右足を前に出して立ち上がろうとしました。けれど右足が動きませんでした。

「あれ?おかしいな」

ロボットは何度も右足を動かそうとします。でもピクリとも動きません。右手で動かしてみても駄目です。右足が動いているという感覚がありません。

「そうか、壊れちゃったんだ」

その時、ロボットの眼の奥にあの日の記憶が浮かびました。ラッシュと散歩にでかけた日のことです。ラッシュが家に来てから、初めて雪が降った日のことでした。ラッシュは大はしゃぎで道を駆けていきます。リードを持っていたロボットはラッシュに引っ張られながら、ラッシュと同じように思い切り走りました。
でもラッシュに任せて走り続けたせいで迷子になってしまいました。雪はどんどんひどくなっていきます。ロボットは凍えるラッシュを抱きかかえてあてもなく歩き続けました。
やがて交番を見つけて、主に迎えに来てもらいました。その日は主にきつく叱られました。でもその日からロボットとラッシュは本当の友達になったのです。

「この右足があったからラッシュと走ることができたんだ。ラッシュと迷子になるほど遠い所まで行けたんだ」

「ありがとう。今までずっと僕の右足であってくれてありがとう」

ロボットは近くにあった棒を支えにしてヨロヨロと家に帰り着きました。







ある日のことです。季節は春で桜が見頃の時期でした。

ロボットは家の中で主の好きだったレコードをかけようとしていました。レコードプレーヤーにセットして再生します。そしていつものように心地よいリズムを奏で始めました。そしてロボットが次の仕事に移ろうとした瞬間です。レコード音がパタリとやみました。

「あれ?おかしいな」

ロボットはレコードプレーヤーを見ました。でもレコードはちゃんと回転しています。スピーカーがおかしいのかと思い、色々な操作をしました。でも全然音は聞こえません。もっと詳細に調べるためにレコードプレーヤーを引き寄せようとした次の瞬間です。ロボットはバランスを崩して右側に倒れてしまいました。ガシャンという音が。ドシンという音が。そういう音が聞こえるはずでした。でもロボットには何も聞こえませんでした。ロボットは右手を床について起き上がりました。そして回転し続けるレコードを見て気づきました。

”そうか、僕の耳が聞こえなくなったんだ”
”僕の耳が壊れちゃったんだ”

ロボットは椅子に座って回転し続けるレコードをぼおっと眺めていました。そしてロボットの眼の奥にあの時の記憶が浮かびました。ロボットが幼き日の主の世話をしていた時のことです。

主の両親は多忙でした。そのためロボットはいつも主の世話をしていました。主はまだ1歳になりたてで、まだ言葉を話すことはできませんでした。

その日も主はロボットといつものように遊んでいました。ただ、この日はロボットの定期点検の日でした。そのため家には主の両親もいました。それでも主はロボットの傍を離れたがりません。
ロボットが定期点検に向かうために家を出ようとしていた時のことです。主がヨタヨタと門の方まで這っていってロボットに向かってその名を呼びかけました。

”ルカ”

もちろんはっきりとした発音ではありません。でもその場にいた誰もがロボットの名前を呼んでいることを理解しました。その日、主は初めて意味を持つ言葉を話しました。そしてその時に呼ばれた名の響きはロボットの記憶にずっと残り続けました。

”ありがとう。ずっと僕に世界を聴かせてくれてありがとう”

ロボットは静かにレコードを止めました。






ある日のことです。季節は夏で街中で子どもたちが元気に遊んでいました。

ロボットは外の景色を眺めながら窓を拭いていました。家中の窓を順番に丁寧に拭いていきます。窓の外に遊んでいる兄妹が見えました。二人は元気いっぱいで道を駆けていきます。あまりに勢いよく駆けていくので、ロボットは二人が転ばないか心配になりながら見ていました。次の瞬間です。視界に変なものが映りました。それを見ようとした時にはすでに消えてしまいました。そしてまた別の場所に現れました。そしてまた消えました。次から次へと何かが視界に現れて、次々に消えていきます。やがてロボットの視界はその何かでほとんど埋め尽くされるようになりました。その何かのせいで先程まで見えていた景色はほとんど何も見えなくなりました。でもまだかろうじて2人の子供の姿をとらえることはできました。

”そうか、もう壊れちゃうんだ”

ロボットはノイズだらけの視界をぼんやりと眺めていました。するとロボットの眼の奥にあの日の記憶が浮かびました。初めて目覚めた日の記憶です。

そこは博士の実験室でした。
眼を開けたロボットの前に博士は立っていました。そして博士はロボットに告げました。博士がロボットを造った理由、ロボットの任務。それからロボットはたくさんのことを博士から教わりました。人間の生活、人間の社会、人間の歴史、そして人間の未来。ロボットはたくさんのことを学びました。

そしてあの日、あの夏の日。ロボットは初めて外に出ました。初めて外の世界を見ました。天高く積まれた白。その奥に広がる原色のような青。その下に輝く無数の緑。また青、藍、灰、茶。世界のあらゆる色彩がロボットの眼に映りました。

その日、ロボットは世界の美しさをとらえました。

”ありがとう。僕に世界を見せてくれてありがとう”
”でもあともう少しだけ、最後の日までお願い”

ノイズだらけの視界でロボットは窓を拭き続けました。







ある日のことです。

いつものように門の前を箒で掃除している時のことでした。一人の男の子が走ってきてロボットの左手を掴みました。そしてロボットに向かって泣きながら助けを求めました。でも、ロボットはもう耳が聞こえないので男の子が何を言っているか分かりません。

ロボットが困惑していると、男の子はロボットの左手を引いて橋の方向を指さします。ロボットは橋の方向で何かがあったということを理解しました。そして男の子の誘導に従って橋の方向へ向かいました。橋に辿り着くと男の子は橋の下を指さします。

ロボットは男の子が指差す方向を見ましたが、ロボットの両目はノイズだらけでほとんど見えません。でもかすかに赤い何かが橋の支柱に引っかかっているのが見えました。よおく眼を凝らして見るとそれが女の子であることが分かりました。小さな女の子が溺れそうになりながら橋の支柱に捕まっているのです。

そのことに気付いたロボットは橋の柵を右手を使ってよじ登ります。そしてその勢いのまま橋から真っ逆さまに落ちました。衝撃の後に白い泡がロボットの視界に広がります。視界の中に女の子の姿を捉えると、ロボットは右手と左足を動かして女の子のいる方向へ泳ごうとしました。

でもロボットの身体はほとんど金属でできているので水に浮きません。いくら右手と左足を動かしてもどんどん沈んでいきます。

”どうしよう、これじゃあ助けられない”

ロボットがそう思ったその時です。ロボットの視界の右側からすごいスピードで何かがやってきました。それはロボットとは別のロボットでした。そのロボットの身体は沈むことなくスムーズに女の子の所まで辿り着きました。そして女の子を丁寧に抱きかかえます。そしてそのロボットは沈みゆくロボットを一瞥すると、岸の方へ泳ぎ去りました。

”よかった、女の子はきっと大丈夫だ、よかった”

泳ぐことをやめたロボットの身体はゆっくりゆっくりと沈んでいきます。
やがてロボットのコンピュータメモリーにも浸水し、あちこちの回路がショートしました。
そのせいでロボットの眼の奥にたくさんの記憶が映ります。

主が生まれた日
ラッシュが息を引きとった日
主が妻を家に連れてきた日
初めて外に出た日
主に名前を呼ばれた日
博士と話した日
主の妻が亡くなった日
ラッシュがやってきた日
主が亡くなった日

あらゆる記憶がロボットの眼の奥に現れては消えていきました。
そして、最後は全てが混ざり合って真っ白になりました。

真っ白な世界。過ごしてきた日々の残像。ロボットはそれらに対して告げました。

”この100年をありがとう”



ロボットのコンピュータは動作を停止しました。
メモリーも何もかも全て水に侵されて消えました。



終わり
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