第1話

文字数 1,143文字

◆これから話す物語は、呉の発展と、呉の医学の為に命を捧げた一人の医者の物語である。

「我思い、後の者に託す」
豊田郡郷士(加藤(護命)清照)の物語

私の名前は、加藤(護命もりな)清照と言う。
安政元年、幕末の正月6日に生まれた。
安芸の国、豊田郡の16の村を統治する、郷族の次男だ。

私は、学問が好きで、いつも頭の中は、学問の事でいっぱいだった。
特に蘭医学が大好きだった。

郷族で、殿様の息子に値する私が、医学に興味を持つのは、実は祖父と父の影響だった。
加藤家は、代々学問と医学を得意としており、広島藩主5代吉長公の時代は、御殿医をしていたこともあった。

それ以来、代々学者としても長けていた。
祖父(雲平)元敦は、広島藩主、浅野斉賢公の命により、安芸の国と備後国の境の紛争の鎮圧を任された。

祖父は、統治する16村の中の頭が良いお年寄りを4人選び、名字帯刀の許可を得ると、力でなく話し合いで円満の解決をしたのだった。

これには、藩主、斉賢公も大変喜び、漢学塾「高明館」の設立を許し、広島藩儒学者、岩本氏を迎えて、豊田郡の学問の向上に勤めた。

その後、祖父は妻に他界を期に、父、(他我之助)清白に家督を譲り、佐伯郡で学問所を開き、生涯を学問に捧げた。

父、(他我之助)清白は、衛生学を学んでいた。

豊田郡16村も、やはり飢饉で死者が後を
経たず、その死体を焼くにも、間に合わず、埋めるしかなかった。

死体は腐乱し、それがもとで疫病が流行った。
飢饉と疫病で、村の一揆が絶えず、父はやはり力ではなく、「医学」と「衛生学」が国を救うと考えた。

そんなわけで、若い私は学問に夢を見た。
いつか、この豊田郡に新しい医学をもたらしたい。
幸い、私は次男。
私は医者となり、この豊田郡に病院を作りたいと。

若い私は、馬に乗り、国(16村)を駆け回る。
呉の海から、山の田畑に。
農民にも話しかける。
「今日も、せいが出るな。」
すると、農民の馬吉はひれ伏して答える。
「これは、清照様、勿体のうございます」
「今日は、父親の姿が見えぬが…」
すると、馬吉は額を地面に擦りつけたまま答えた。
「ははぁ、それが手足が痛んで、良くなく…。申し訳ございません。」

「それはいかん、私が診てやる、家に案内しろ」
私は、戸惑う馬吉に構わず、馬吉の父を診た。
介抱をし、帰ろうとすると、馬吉は、大根を差し出した。
「殿様のご子息に、大根なんて失礼かもですが…」

私は、喜んで受け取った。
実は、「無償で治療をする、ご子息様」と国で噂になるほど、私は医学と、何よりこの豊田郡の国の民を愛した。

きっと、このまま私は医者となり、この国と国の民を守り抜くと、その時は思っていた。

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