第7話

文字数 4,201文字

 テレビ通話画面に映ったアベの顔は暗がりでもわかるほど紅潮していた。
 普段から身だしなみにそう気を使っている男ではないが、明らかに髪の毛も乱れている。
「こっちで男性1名、確保しました。と言ってもまだ子供ですが」
 肩で息をしながら、アベが報告する。
「今、警察の方で取り押さえてもらってますが…」
 須藤は隼也に取り押さえた少年の様子を見るのを任せ、車の方へやってきて、画面を覗き込んだ。
「アベくん、ご苦労さま。もう1人も確保できてよかったよ」
「あ、須藤さん。そちらも確保済みですか。いや、それが…ですね、こっちの子、翼の確認、できてないんです。このままだと、夜間に子供だけで外出してたことを注意して帰すしか出来ないそうです」
「それにしては随分大立ち回りした後の雰囲気ね」
 あかりの言葉にアベがむうっと眉間にしわを寄せる。
「すばしっこいやつでしてね!走り回るのに大変でしたよ。翼がなくてあれなら、翼を出したらどうなるのやら…」
 大げさにため息をついてみせるが、決して誇張したわけではないのだろう。
「こっちがカメラ、構えてるのに気づいてたみたいでしてね、しっぽ、というか、翼、出しやしません」
 本人は気の利いたシャレを言ったつもりのようだが、誰も笑わない。

 基本的に翼保有者を保護する場合には、当然翼の発現を確認することが必要であり、その為に最も確実な証拠とされるのがビデオ撮影である。
 同時に複数人に目撃された場合も有効な保護理由となるが、その場合もトレーニングセンターへ送る前に翼が発現することを改めて確認される。
 翼の発現を完全にコントロールできている場合、本人が隠し通したいと思えば確認は困難になる。ある種の麻酔薬の投与で強制的に翼を発現させられることはだいぶ前からわかっているが、少なからず副作用があること、本人の意に反して薬物投与を行うことに倫理的問題があることなどから一般的にはなっていない。
 翼が最初に発現する年齢は10歳から18歳の未成年期に集中している。
 当然確認が必要なのはこの子供達がほとんどな訳で、子供への薬物投与となれば、より慎重に行わなければならない。
 状況証拠その他から翼を保有しているのがほぼ確実とされ、かつ保護者の同意が得られた場合にしか許可は与えられない。

「んー、そうだね…」
 須藤は数秒、空を見上げて考えた後に言った。
「じゃあ、その子にこう言って…」

「須藤さん、気がついたみたいです」
 隼也は呻き声をあげて目を開いた少年から、思わず少し離れながら須藤を呼んだ。
 ゲホゲホっと咳き込んだ少年は身体を捻り、それから派手に嘔吐した。
「お、おい大丈夫か?」
 1、2歩近づき、覗き込むように少年の顔を見る。ギラギラした憎しみの眼差しと目が合った。
 飛び起きようとして、手足が手錠で拘束されていることに気がついたらしく、
「ああ!くそっ!」
 悪態をついて上半身だけ起こし、両足で地面を蹴った。外灯の光の中、砂埃がわずかに舞う。
 また咳き込んで、痛みを感じたのか、顔をしかめて身体を折った。
「手加減はしたつもりだけど。でも、君、本気で僕を殺そうと思ってただろ」
 そばに来た須藤が、しゃがみ込んで少年に語りかける。
「くそ野郎」
 淀みない日本語で、まっすぐ須藤を見据えて少年はそう言った。
「あはは、大丈夫そうだね。日本語もできるみたいだし」
 屈託無く笑う須藤に、少年はギリッとはぎしりをし、自分の体の脇にツバを吐き出した。シャツの肩口で口元を拭う。少年の嘔吐したもののすえた臭いに我慢できず、隼也はまた数歩、後ずさった。
「オレは日本人だ。日本で生まれている」
「なるほど。でも、日本で生まれたからと言って日本人になるわけじゃないんだよ」
 大きな黒い瞳が須藤を睨みつけている。
 余裕の笑みを浮かべたまま、諭すように話す須藤の言葉も神経を逆なでするだけのようだ。
「誠次さん!アベくんが」
 あかりに呼ばれて、須藤は車の方へ戻った。
 通話画面の奥から怒号が聞こえる。何を言ってるかは聞き取れないが、何が起こっているのか、須藤には予想はついた。
「ちゃんと用意整えてからやったのかな?」
 呟く須藤の前の画面に、アベが現れた。先程に増して、髪も着衣もぐちゃぐちゃだ。
(まるで、コントだな…)
 内心、笑いそうになりながら、須藤はアベの報告を聞いた。
「翼、確認しました。撮影もしてあります!」
「りょーかい!」
 ニッコリといつものさわやかな笑みを浮かべて、須藤はパソコンを持ち上げた。
「その子に画面、見せてあげて」
 アベにそう言うと、須藤はパソコンを持って、拘束されている少年に近づいてきた。

 隼也はどうしたらいいか分からず、須藤の動きを伺っていた。
 少年の方は反抗的な様子のままだが、逃げられないと悟ったのかじっとしている。とりあえず、万が一に備え、目は離さずにいた。
 近づいてきた須藤が、かがみこんで少年に画面を見せる。隼也も一緒に覗き込んだ。
 映っていたのは目の前の少年と同じ年頃の、やはり彫りの深い顔立ちの少年。両手両足どころか、体まで何人もの大人に押さえつけられ、叫び続けている。
 背中には、白い羽。
「ほら、ちゃんと見ろよ!」
 アベが怒鳴りつける声が聞こえた。
 須藤が差し出す画面を見ると、
「ニック!」
 そう叫び、拘束された手足を物ともせず、少年は立ち上がった。両足で飛び跳ねて画面に近づく。
 画面の向こうの少年が叫ぶことも、暴れるのもピタリとやめた。同時に闇に解けるように翼も消える。
 体を押さえていた大人たちがゆっくりと、様子を見ながら離れる。両腕は掴まれたままだ。
「アディ、お前、生きてた…」
 画面の向こうの少年が、掠れた声で言った。それから、キッと斜め上を見上げて
「騙したのかよ」
「仕方ないだろ!」
 応じるアベの声だけが聞こえた。
 須藤が画面を覗き込む。
「君の翼を確認したかったんでね。この子が…」
 後ろの手錠の少年をふりかえる。
「捕まる時に撃たれて殺された、とでも聞けば逆上して翼を見せてくれるんじゃないかと思ったんだ」
「きったねーな」
 こちらの少年より冷静そうだが、怒りに満ちた目つきは同じだ。
「君達だって、翼のこと周りに隠して騙してきたんだろ。ルールに従わない人間に正攻法で挑んだりしないよ」
 須藤はきっぱり言い放つと、パソコンをあかりに渡して立ち上がった。
「一緒に来てもらうよ。暴れたりしなければ、手荒な真似はしない。あのぐらい暴れれば、しばらく翼は使えないだろうけど」
 須藤はそう言いながら、隼也に小さなカギを放ってよこした。手錠のカギだ。
 少年の足の方を顎で示し、自分は少年の両腕を後ろから抑える。
 用心しながら、隼也は足枷になっていた手錠を外した。
 須藤に右腕を、隼也に左腕を掴まれた少年は黙って抵抗もせず、車に乗り込んだ。
 運転はあかりだ。

 名前や両親のことを聞いても、黙りこくって答えようとしない。
 無理に答えさせる気はないらしく、何度か聞いてダメだと分かると、須藤もそれ以上質問はやめた。
 車は絵洲駅付近に差し掛かっていた。夜でも明かりに満ちた街並みだ。こんな時間でも車通りも多い。
 学生らしい一団が信号待ちしながら笑い声をあげている。アルコールが入っているのか、少々周りに迷惑なほどの盛り上がりだ。
「平和だねー」
 須藤が窓の外に目をやり、苦笑する。
「ああいうの、平和ボケっていうんだろ」
 少年がぼそりと言った。
 また、車内に沈黙が満ちる。少年はぼんやり前を見たまま。須藤は窓の外に顔を向けたきり、少年の方は見ない。隼也はそんな2人をちらちらと交互に眺めつつ、神経を張り詰めていた。
「向こうの彼はともかく、君はなかなか翼のコントロールが難しいみたいだね」
 しばらくして、須藤が口を開いた。少年は答えない。
「あの周辺で倉庫が荒らされたり、公園の木が抜かれたりするようになって1ヶ月近くなるけど、その前からちょいちょい民家の生垣が壊されたり、道路のポールが倒されたりしてるんだよね。それから考えると、翼が生えてから半年近く経ってるんじゃないかな?出し入れはきちんと管理出来ないと、周囲に被害を巻き起こすだけだよ、翼は」
 須藤は窓の外に目を向けたまま続けた。
「倉庫の扉壊したり、木を抜いたり。力を試したいのは分かるけど、ちょっとやり過ぎだ。泥棒までしてるし」
「力を試す?」
 思わず隼也は口を挟んだ。
「うん、僕も経験者だから分かるんだけどね。いきなり足が速くなったり、力が強くなったりしたら、どこまでできるのか試してみたくなるじゃない?」
 試してみたく、と言われてももちろん隼也にはわからない。が、
「新しいモデルガン手に入れたら、試し撃ちしたくなるでしょう。そんな感じだよ」
 そう言われれば、よくわかる。ただ、須藤にその趣味の話をしたことはなかったはずだが。
「力試しであの倉庫の扉…タチ悪いな」
 2つ折になったアルミの扉を思い出し、ゾッとする。だが、この生意気な少年にびびっているとは思われたくない。
 少年の大きな瞳がギロリと隼也を睨んだ。
「ああ、あれ、何でやったの?なんか、鉄パイプみたいな物で押した?」
 須藤の口調は軽い。その口調に乗せられたのか
「ハシゴだよ。金属の。倉庫の脇にあった」
 あっさりと少年が答える。
 隼也たちが訪れた時にはハシゴは見た記憶がないが、ほかに片付けられたのかもしれない。
「横に持って、押し付けたんだ。ちゃっちい扉だった」
 少年はふん、と鼻を鳴らした。得意げな様子が隼也をまた苛立たせた。
 ー須藤はあの扉を見た時も、自分ならできると思ったのだろうか。この男はどこまで人間離れした能力を持っているのだろう?
 隼也がそんなことを考えていると、
「…あんたも天使なのに、なんで仲間捕まえるんだよ?」
 不意に少年が聞いた。
 須藤が視線を少年へ向ける。
「僕らの仕事は天使を保護することなんだ。捕まえるわけじゃない。今日だって、君たちが逃げたり暴れたりしなけりゃ、ゆっくり話をすることから始められたんだよ。まあ、窃盗だの器物損壊だのの疑いがあるから、警察沙汰にはなっただろうけどね」
 須藤は真っ直ぐに少年を見つめて続けた。
「さっきも言ったけど、きちんとコントロールできなきゃ、周りに害を与えるだけなんだよ、翼っていうのはね。僕も翼があるからこそ、それははっきり言える」
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