第1話

文字数 1,999文字

私の生まれ育った町は、十数年前の津波で流されかつての面影はもうない

実家の父にそう聞いた

海が見える小さな町
かつて栄えた商店街
まばらな人影、澄んだ空気
川沿いの桜並木
中学のマラソンで走った小道
校庭の大きなポプラの樹
友達と通った通学路
冬に白鳥が降り立つ大きな川
トンネルを抜けると広がる田んぼと小川
初夏の夜に飛び交う蛍

幸い実家は大きな被害を免れ
両親はそれまでと変わらぬ生活を送れた

「心配ない、帰ってこなくていい」
という父の言葉を真に受け
私は津波のあとのでさえ実家に帰らなかった

家の被害が少なかったとはいえ
周りではたくさんの人が苦しみ嘆いていただろう
私は助けを差し伸べなかった薄情な自分をどこかで許せなかった


それ以来十数年、実家から 足が遠のいている
別に帰りたくないわけではなかった

ただ子供達も成長し
忙しさが増す中、それぞれの事情の調整や費用の工面に頭を巡らすのが億劫になっていた

その町で過ごした時間の倍の時間が
この街で過ぎた
時は過ぎる、またたく間に

この街は忙しい
自転車で急いで移動するたくさんの人々
大きな道路、大きなマンション
クラクションを鳴らすトラック
夜も明るい空

何に疲れているんだろう
いったい何に焦っているのだろう
私は


実家の母の調子がよくないと父からメールが入った
数日の入院で心配はいらないと

「まあ、でも行こうか?
随分ご無沙汰しているしな、
オレも休みとるよ」

夫の計らいで夫婦での久々の帰省になった


「じゃあもう、蛍見れないの?」
夫にお酒を勧めながら少し饒舌になった父は私の問に答えた

「あの辺りは流されたり崩れたりで
田んぼも小川もなくなった
蛍が生息できるきれいな水がもうないんだよ
トンネルも崩れて
通れるかどうか…」

「そっかぁ、残念
あの辺りはもともと過疎だしね、
トンネルとか田んぼの復興って、
そもそも需要ないかぁ」

「まあ明日、明るいうちに
見に行こうか、散歩がてら」
という夫の提案で

懐かしい道を夫と散歩
すこし照れる

この辺りにあった古い家はなくなっていた
以前は
広い敷地に昔ながらの瓦屋根の家が
ぽつぽつ建っていた覚えがある

田んぼ道を歩いたり
小川で裸足で遊んだり
暗いトンネルが怖かったり
友だちとせーので駆け抜けたり
それを抜けた小川で見た光の舞に
心がじわーっとなったり

ぼんやりとその時の感情とともに
記憶が蘇る

初めて見る新しいマンションや商用施設
整った歩道と街路樹

「変わったなぁ」
私はつぶやいた

一方で反対側には手つかずの自然が青々と茂っていた
津波のあとの状態を知らない私には
ずっとそこにあった自然が
今も息づいているように見えた
生命は力強いなと思った

でもここに住み続けている人達にとっては
ぜんぜん違う景色に見えるのだろう

これは
何も知らないよそ者の思いなのだろうと、申し訳ない気持ちにもなった

「ああ…トンネル…」
もともと広くはなかったが
数人で並んで走り抜けた記憶はある

今は入口がだいぶ岩で覆われていて
かがんで一人 入れるかどうか…

「なんとか入れそうだぞ」
夫が先に入り、手が差し伸べられた
その手をつかみ頭を下げ、中へ入った

雫がぽたり

ふと、別世界に来たようななんともいえない感覚
アリスが鏡に吸い込まれるような…

昨日から早朝まで降った雨で
地面は水たまり
ぽたぽた落ちる水滴の音か小さく響いた

「ねぇなんか、ちょっと変な感じしない?」

「ふふっ」
夫が少し笑った
自分だけ何かを知っているかのように
お前は何も知らないんだな、と言うかのように

出口に向かうにつれ、空間は少し広がっているように思えた

その割には暗く、出口の光も一向に近づいては来なかった

「ん…ん…?
光がなんか光がみえるの、
え、あれぇ…?」
私の周りには無数の光が舞っている
蛍だ

「ふふっ」
夫がまた笑った

「なに?なんであなたは笑ってるのよ
夢?これ、なんなの
あ、わかった、
これあなたがどっかで仕入れて来て
ここに放したとか?」

「ははっ、んなわけないだろ」

「えぇ…じゃやっぱ夢なの?」

「オスの蛍は メスにアピールするために
こうやって光りながら飛ぶんだね」

夫はなぜ冷静なんだ…
まだ現実を把握できない私

「メスは葉っぱの上で光りながら待つんだ」
夫の目は輝いているような気がした
よく見えないけれど…

「結ばれるといいよねみんな」
時々見せる無邪気な姿の夫

「ああ、うん、そうだね
なんか生々しいけど」

「え?そうか?どこがだよ
おまえちょっと心が歪んでるぞ
そういうのはロマンチックだって言うんだよ
メスと出会うために十日間だけ光って
飛びかうんだよ
すごいよなあ」

「すごい…すごいって…、
どうすごいのよぅ、
メスに会う事だけが生きる意味なのがすごいってことぉ?
だめだわ私
心が、もう、純粋じゃなくなってるかも」

「何言ってんだよ
オレのロマンを壊すなよ
もっとこう…高潔なんだよ、清いんだよ
究極なんだよ愛は…、だろ?」

「ふぅん、そうなんだ」

なんでか心がじーんとした

この光のように降り注ぐ幸せを
ちゃんとつかもうと
私は夫の手を握り直した






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