第三夜 珊瑚の姫

文字数 970文字

 こんな姫がいた。

 海神(わだつみ)の娘たちの中に、それはそれは美しい珊瑚(さんご)の姫がおりました。

 海中の生き物たちに愛された彼女はしかし、自由な地上の世界に輝くような憧れを抱いておりました。それで満月の夜になりますと、血潮(ちしお)のような朱い髪を揺らして、こっそりと浅瀬の海まで散歩に出ていたのでした。

 ある夜、丸い月の影が落ちる海辺で珊瑚の姫は人間の男と出会いました。男の方は姫の姿を見てひどく驚きましたが、すぐに笑って姫と仲良くなりました。

 初めてできた地上の知り合いに、姫は飛びあがるほど喜びました。男は月が海へと沈むまで、姫の知らない遠い異国の話を楽しげに話して聞かせました。

 満月のたびに、珊瑚の姫は浅瀬で男を待つようになりました。男は姫に会いにくると、胸がどきどきするような地上の話を彼女に話してくれました。

 ある夜ふと、姫は男に向かって心の奥底にあった願いを口にしました。

「私も海から出て、遠い異国の地を眺めてみたい」

 それを聞いた男はにこりと笑いました。

「連れ出してあげましょうか?」
「本当に?」
「ええ。目を閉じてください」

 珊瑚の姫はわくわくとしながら目を閉じました。男の手が、長くて朱い姫の髪に触れます。

 その時です。海神の遣いである(シャチ)(サメ)がやってきて男を取り押さえました。二人の逢瀬(おうせ)は海の主である海神の耳にとっくに伝わっており、見張りの衛士(えじ)がついていたのです。

 珊瑚の姫が目を開くと、男は惜しそうな顔で手にしたナイフから手を離しました。砂浜に落ちた銀色の刃が、月明かりを反射して鈍くぎらりと輝きました。

 海月(クラゲ)の侍女たちに連れられて海へと帰る珊瑚の姫に向かって、鯱と鮫に囲まれた男は小さな声で言いました。

「また、いつか」

 それ以来、満月の夜になっても男が浅瀬に姿を見せることはありませんでした。それでも珊瑚の姫は、彼が遺した言葉を信じて待ち続けました。

 全てを見ていた貝は、ただ黙っていました。

 人間の男が、地上で高く売れる珊瑚を奪うために姫の髪を切り落とそうとしたことも。それに怒った父神が、男の身を千切って深海にばらまいてしまったことも。
 騙されたことにも気づいていない無垢な姫に教えるのがはばかられて、ただただ黙っているのでした。

 また満月の夜になると、何も知らない珊瑚の姫は浅瀬を訪れ、朱い髪を揺らしながら男が来るのを待っているのです。
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