びゃーと鳴くねこ

文字数 1,909文字

ちょびを拾ったのは私が成人式に参加した次の年の正月だった。

家族で初詣に行って、どこかで呑んで、良い心地で家に向かっていた。私は振袖など着てほろほろ歩いていた。

近所のバカ犬・ペコが、アパートのゴミ捨て場のゴミ袋の山に向かって吠えたくっていた。ペコは散歩に連れていってもらえない犬なのだが、脱走が得意だった。

エサがもらえない日で、腹をすかしているのかと様子を見に行くと、ゴミ袋の隙間から子猫がいるのが見えた。

あ、だめだ、ペコは食う気だ。

私が振袖を振り回してペコを脅している間に、妹が子猫を抱き上げるという連携プレーはうまくいき、ペコは田んぼの方に逃げていった。

子猫は目も開いていなかった。連れ帰り、ミルクを与えた。

うちはペット禁止の集合住宅だったので、母の会社で飼うことになった。母がミルクをやり、妹が猫可愛がりし、姉が猫に溺愛され、私と猫は互いに無関心だった。

私は元来、動物に嫌われる。粗暴で愛がないことが臭いでわかるのだと思う。ちょびは愛らしい子猫だったのでいじめたりはしなかったが、愛しもしなかった。

ちょびはすくすくと育ち、美猫になった。大人になったなら少しくらい意地悪しても大丈夫だろうと、私はちょびのことを追いかけ回した。当然、嫌われた。私がエサをやるとき以外、ちょびはめったに近づいてこなかった。

その関係が変化したのはちょびが10歳くらいのとき。私が変な病気になった。

慢性疲労症候群という、原因も治療法も確立していない病気。ただただ疲労に襲われるだけ。内臓も外傷もなにごともなく、肉体労働したわけでも、無理なダイエットをして筋肉が減ったわけでも、本当になんでもなく疲労するという変な病気。

仕事ができなくなり、内科で点滴してもらいつつ鬱病を疑われ精神科に通い、なぜか精神科で漢方治療を受け、あとは寝るだけの生活。

寝ると言っても、疲労がひどすぎて不眠気味で、ただ寝そべっているような状態。

そんな生活を半年おくり、漢方で冷え性が楽になったり、むくみがとれたりして、点滴が必要ないくらいまで立ち直り。

それでも100メートルも連続して歩くと倒れそうな疲労感ではあったのだが、これは寝ている場合じゃないぞ。リハビリがいるぞ。と思い詰め、元気な時なら徒歩10分の母の会社へ日参することにした。

5メートル歩いては立ち止まり、10メートル歩いてはガードレールに寄りかかり。倉庫の二階にある事務所にいたる階段を一段上っては1分休み、また一段。そうやってたどり着いたときにはエネルギーなど残っておらず、来客用のソファに横になり、ただ呼吸した。

そのソファはちょびの定位置で、占領したら怒るかと思っていたが、ちょびは寝込んでいる私の腹の上に座り込むことにしたらしく。私が毎朝、事務所に行く時間にはソファは空いていた。

猫というものは非常に暖かい。そして柔らかい。私の腹の上にこうばこ座りと呼ばれる、足を体の下に畳み込む格好でちょびが座ると、やわやわゆるゆるの湯タンポがのっているような感じがする。

呼吸すると、そのやわらか湯タンポが持ち上がったり下がったりする。ちょびは小柄で軽かったので呼吸のさまたげにもならなかった。

上がって下がって、上がって下がって、上がって下がって、上がって下がって。

疲労のせいで浅くなっていた呼吸が、ちょびの体重で深く吐けるようになった。

暖かい呼気、吐いたぶんだけの吸気。私は少しずつ息を吹き返した。

それから、まあ、いろいろあった。漢方と精神科薬がうまくあったのか病状が安定し、冷え性が完治し、短時間のバイトから始めてフルタイム勤務もできるようになったり、エトセトラだ。

その間に、ちょびはどんどん老いた。私がまたちょびをいじめられるくらい回復したときには、おばあちゃんになっていた。

ちょびが死んだのは20年くらい生きた時だった。正確に何歳だったのか家族に聞いたことがないのでわからない。

ちょびが腎臓病だと聞いて「ふうん」と言ってから何年か生きていたと思う。私は見舞いにも行かなかった。死んだと聞いて姿を見に行くこともなかった。母の会社にも、もう5年ほど行っていない。

今でも時おり、母の服にちょびの白い毛がついていることがある。猫毛はしつこい。掃除してもしても取れない。どこに隠れているのかいつまでも出てくる。

私は錯覚する。ちょびは今もあのソファでこうばこを組んでゴロゴロ喉を鳴らしているのではないか。大好きなチュールをねだって「おかあさん」と鳴いているのではないか。

次に会ったら、ちょびの後ろ足を二本まとめて握って、「いやあん」と鳴かせよう。

そして私の救世主のために、チュールをお土産に買っていこう。

いつか、また。
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