第1話
文字数 966文字
退屈だ。
でもその退屈は本当に退屈だから感じるのではない。自分がしたいことをできないから退屈だった。
自分にはしたいことをするだけの気力がない。だから他のことをして時間を潰す。まさに退屈になるためのサイクルが出来上がっていた。
たぶん人間がセックスやオナニーを嫌悪するのは、この退屈サイクルにハマりやすくなるからだろう。快感がデカいものほど依存性が高い。
逆にもう、それらをしやすくするために行動を起こしていくほうが卑しくはあるが、成功しやすいのかもしれない。
わたしもそういう時期があった。ところ構わず男を引っ掛けてはセックスをした時期があった。たぶんモテたいという感情はこのためにあるのかも知れないと感じた。退屈な人生を快感で満たす手取り早い方法だ。
でもそれももう飽きてしまった。本当に「愛あるセックス」というのは必要で、ドラッグで人間が荒んでいくようにセックスだけでは荒んでしまう。穴の空いたコップにいくら快感を入れたところで何も満たされることはない。
たぶんもう私の人生が満たされることはないんだろう。多くの大人たちが感じているように、自分の人生に「春」はもう来ないのだ。来つづけるのは耐えられるが何かが欠けてしまった日々だけだ。
友達と一緒に遊ぶ時間、仕事終わりに楽しみにしていたことをする時間、美味しいものを食べるとき…。どれも素晴らしい時間であることは疑いはない。でもそこに「春」はないのだ。
ふと思う。私が欲張りなだけでそういった普通のことで満たされないのはおかしいのじゃないか? でもそんなことはない。みんな薄々感じているのだ。自分の人生はこうではない! と。
だがこういったところで「理想」と「現実」の乖離があることにいつも気づく。多分、人生というのは満たさられることはない。
だから皆、仏教の教えを少し聞くと興味を持つんだろう。要するにあれは「今ある現状で満足できる」方法だからだ。あれはそういう身近な宗教なのだ。
諦めるということ。悪い言い方をすれば仏教ではそれを学べる。わたしも私の人生が満たされないための原因を諦めるべきなのかもしれない。でも一体何を求めていたのか、そもそも本当にそれを求めていたのかも分からない。じゃあ何を諦めるべきなのか?
「満たされない」ことを諦めるべきだ。
私はここまでかんがえてみて、些か人生に絶望した。
でもその退屈は本当に退屈だから感じるのではない。自分がしたいことをできないから退屈だった。
自分にはしたいことをするだけの気力がない。だから他のことをして時間を潰す。まさに退屈になるためのサイクルが出来上がっていた。
たぶん人間がセックスやオナニーを嫌悪するのは、この退屈サイクルにハマりやすくなるからだろう。快感がデカいものほど依存性が高い。
逆にもう、それらをしやすくするために行動を起こしていくほうが卑しくはあるが、成功しやすいのかもしれない。
わたしもそういう時期があった。ところ構わず男を引っ掛けてはセックスをした時期があった。たぶんモテたいという感情はこのためにあるのかも知れないと感じた。退屈な人生を快感で満たす手取り早い方法だ。
でもそれももう飽きてしまった。本当に「愛あるセックス」というのは必要で、ドラッグで人間が荒んでいくようにセックスだけでは荒んでしまう。穴の空いたコップにいくら快感を入れたところで何も満たされることはない。
たぶんもう私の人生が満たされることはないんだろう。多くの大人たちが感じているように、自分の人生に「春」はもう来ないのだ。来つづけるのは耐えられるが何かが欠けてしまった日々だけだ。
友達と一緒に遊ぶ時間、仕事終わりに楽しみにしていたことをする時間、美味しいものを食べるとき…。どれも素晴らしい時間であることは疑いはない。でもそこに「春」はないのだ。
ふと思う。私が欲張りなだけでそういった普通のことで満たされないのはおかしいのじゃないか? でもそんなことはない。みんな薄々感じているのだ。自分の人生はこうではない! と。
だがこういったところで「理想」と「現実」の乖離があることにいつも気づく。多分、人生というのは満たさられることはない。
だから皆、仏教の教えを少し聞くと興味を持つんだろう。要するにあれは「今ある現状で満足できる」方法だからだ。あれはそういう身近な宗教なのだ。
諦めるということ。悪い言い方をすれば仏教ではそれを学べる。わたしも私の人生が満たされないための原因を諦めるべきなのかもしれない。でも一体何を求めていたのか、そもそも本当にそれを求めていたのかも分からない。じゃあ何を諦めるべきなのか?
「満たされない」ことを諦めるべきだ。
私はここまでかんがえてみて、些か人生に絶望した。