第1話

文字数 1,972文字

走っていた電車が、どうやら終点に着いたらしく止まった気配で、行介は目を覚ました。
連れも居ない孤独な旅ゆえ、しばらくの間、眠ってしまっていたようだ。
荷物を持って電車を降りると、そこは、絵に描いたような夏だった。ホームは高い位置にあって、周囲を見渡せるのだが、どこまでも青い空の下、溢れんばかりの緑が視界を埋め尽くしている。蝉が喧しく鳴き、車内のエアコンで止まっていた汗が、再び流れ出る。乗ってきた電車は、早々に去って行ってしまった。人の気配は、まるで無い。
えらい所に来てしまったな、と思いながら、行介はホームを出た。
貴重な休日に、行介が何故、こんな場所に来たのかというと、それは偏に横暴で融通の利かない上司のせいである。この上司は、いわゆるコネ入社なのだが、部下は自分の使いっ走りだと勘違いしており、やたらと私用で行介を呼びつけてくる。当然、行介としては憤懣やるかたない。けれど、会社を辞めない限り、上司に盾突くわけにはいかない。
そうして今回、行介が命じられたのが、この日帰り旅行だった。
「今、ハマってる携帯ゲームで隠しイベントがあってさ、それが―県のN駅なんだ。行ったら、レアアイテムが手に入るってヤツ。休みの日に、ちゃちゃっと行ってきてよ。アイテムゲットしたら、俺にくれればいいから。あ、もちろん、電車代は出すよ」
そのゲームは、マップに示された位置まで現実世界を移動してアイテムを拾っていくものらしく、上司は、これまでにかなりの額を課金しているそうだ。
むりやりインストールされたゲームのアイコンを眺めていると、苛立たしい気持ちが湧き上がってくる。
何が「電車代は出す」だ。当たり前の事を、偉そうに。
炎天下、道なき道を行きながら、行介は上司を呪った。

駅からアイテムの表示された場所までは、そう遠くなかったが、上司と同じく、このゲームの開発者も性格が悪いに違いない。藪を漕ぎ、足まで川に浸かって、ようやく行介は目的地に辿り着いた。
そこに居たのは―。
「タヌキ?」
茶色い毛玉のような物体が、岩の上に鎮座している。どこからどう見ても、紛うことなきタヌキだ。山なので、タヌキが居ても別におかしくはない。だが、このタヌキ、人が来てもまるで逃げないし、ふてぶてしい。まるで、今にも言葉を話し出しそうな……。
「タヌキとは失礼な。わしは、この山を司るヌシであるぞ」
「うわっ、タヌキが喋った!?」
「だから、わしはタヌキではないと―まぁ、いいわ。人間が来る度に、このやり取りをするのにも疲れた。人間、おぬしもゲームのレアアイテムを取りに来たのだな?どれ、画面を見せてみよ」
「は?―はあ?」
ダメだ、疲れているのかもしれない。タヌキが人の言葉を話すなんて。
もしかして、自分はまだ眠っていて、これは夢なのだろうか。
「言葉の通じぬヤツじゃな。ええから、はよう携帯を出せ。話が進まぬじゃろうが」
確かに、ここでこうしていても仕方ないし、夢ならば構わないだろうと、行介は携帯を差し出した。
「うん?やはり、これは。おぬし、レベル1ではないか。わしは、レベルの高い者だけを選んで呼び寄せたのに。この場所を見つけたのは、おぬしではないな?」
「あ、ええと、上司が。何か、まずかった……ですか?」
思わず敬語を使おうとして、妙な具合になってしまった。そもそも、上司の意味が分かるのかと思ったが、タヌキは気にしていないようだった。
「わしら一族は、この地で長年、暮らしてきた。わしは、その中でも特に古い、いわばヌシじゃ。わしは定期的に、人の魂を食わねばならん。以前は、旅人や迷い込んできた者の魂を食っておった。じゃが、時と共に、この場所は寂れ、人が居なくなってしまった。困り果てたわしらは、一族の内、人に同化して人里へ下りている者達に、携帯ゲームを開発させた。罪なき者の魂を食らうのは気が引けるから、悪意ある者を引き寄せるゲームをな。その中でも、他人を陥れたりして高得点を取る卑怯な者だけを選んで、隠しイベントを表示させ、ここに誘い込んでおったのじゃが……。おぬしは、違うようじゃな。ふぅむ、どうしたものか」
なるほど、それに引っかかったのが上司だったのか。行介は深く納得した。
「魂を食われたら、どうなるんです?」
「魂を食われると、食われた魂の分だけ、世界に空白が生じる。世界は、それを埋めようとする。食われた者の存在は、はじめから無かった事にされ、辻褄が合わされる。ま、存在まるごとの消去じゃな」
行介は考え込んだ。夢にしては、設定が出来過ぎている。もしや、これは現実なのか。
だとしたら―。
「あの、お願いがあるんですが。一度、戻って、必ず上司を―当人を―連れてくるので、ぜひとも食べて頂けませんか?」

それから数か月後。理不尽な使いっ走りから解放されて、いきいきと働く行介の姿が、オフィスにあった……。
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