第1話 【エッセイ賞】

文字数 5,647文字

私は占いが好きだ。占いだけでなく、見えない世界も信じるし引き寄せの法則などと言うものにも興味がある。
私が9歳、弟6歳、妹3歳、姉が17歳、兄が20歳の時に母が亡くなった。
父親は頼りなく、兄は大学生で家を離れていたので私たち弟妹は年の離れた姉と親戚の人たちに育てられた。
父親は頼りないくせにちょっとキレイ目だけど、超ヒステリーなおばさんを連れてきた、そのおばさんが私たちの家に侵食してきて悲惨な日々となり、私たち子供は怯えながら生きてきた。
そんな過去もあってか、とかくひねくれているなんて言われて大人になった。
その後も自身のことで後悔と自己嫌悪に苛まれ、劣等感に押しつぶされながら長い間生きてきた。自分が大嫌いだった。
そんな私だけど、子供のころから本が大好きで学校の図書室で手当たり次第に読んでいた。本と向き合っている時が唯一心穏やかにいられる時間だった。
数学より国語が好き、でも日記は続かない、三日坊主だ。

大人になってからも本好きは変わらなかった。
自分が大嫌いなまま5~6年前からはスピリチュアル系の本を読むようになり、スピリチュアル仲間もできて、話し合う機会も増えた。
話を聞いてその時は納得したかに思うけど簡単には自分のことを認めることはできない。長い間の自己否定ぐせは簡単にはとれない。
何度も何度も話を聞いて、自己否定しているうちは絶対に救われないということが徐々にわかってきた。
自分を受け入れ自分を好きにならないことには道は開けないということに遅ればせながら気がついた。
(助けてください)と声をあげないことには助けは来ないことも分かった。
徐々に心の澱が取れていくのが自分でも感じられる。
それまでは、なんでこんなにうまくいかないのだろう、どうして私はこんなに運が悪いのだろう、なんでお金に困っているのだろうと悲観ばかりしていた、更にどうしてあんな決断をしたのだろうと自分を責めてばかりいた。
でもスピリチュアルの先輩に「それは失敗ではなくてあなたにとって必要な経験だった、決して無駄なことではなかったよ」と言われて目から鱗のように霧が晴れてきた。
「いろんな出来事はすべて自分で決めたことだよ。自分の人生はすべて思い通り、良いことも悪いこともね。悪い方へ思考が行けばその通りになる、この人はこの悪いことが希望なのだなと天は解釈する」
はぁ~それで私は悪い方へ悪い方へと考えては何でうまくいかないのかと嘆いていたわけだ。
 私が悪いことばかり考えていたからこれでもかこれでもかと悪いことの望みが叶っていたわけだ。負のスパイラルだ。
何年かかかってやっと気がついて前向きになれたし、素直に「ありがとうございます」「頑張りますからフォローをお願いします、助けてください」等々言えるようになった。これらの言葉を口癖にしているうち、長年の苦労の種だったことが解決してしまった。
この言葉と言うのは誰かに対してというのではない、ハイヤーセルフ(自分の中の神さま、もう一人の自分、潜在意識)とか宇宙意識に対しての言葉、結局は自分に対しての言葉なのである。
最近では毎晩「今日もよく頑張ったね」と自分を褒めて一日が終わる。

やっぱり本が好きだ、最近では「本屋大賞」だの「本屋大賞ノミネート」とかのうたい文句にやたら弱い。読んでみたら面白いと思うようになった。
 推しの俳優さんが出版したエッセイ本を読む。
 何故か自分でも書いてみたいという気持ちになってきた。
 若くはない、相当若くない、でも始めるに遅きはない。
 そしてここで占いに行ってみる。何か月に一度は行くコンピューター占い、手相やら四柱推命やら、いろいろ組み合わせてみてくれる。
 あまり嫌なことは言われない、というかマイナス思考のくせに、マイナスのことは頭から離れる、良いことを励みにそれを覚えている、便利に脳内変換ができるみたいだ、いや悪いことに目を背けていただけかもしれない。
 まあ、毎回同じように言われるのは生命線の立派さ「病気はしません、110歳くらいまでの寿命があります」ということ。
 確かに、薬は全く飲んでいないし、病院には長いこと近づかない、至って元気だ。腰や膝は痛いけど少々の痛みは無視する、長年続けているヨガに支障はない。階段もトントンと上り下りできる。短時間ではあるが老人施設でパート看護師として仕事をしているので一年に一度の健診はしてもらえる。
老眼はだいぶ進んでいると思うけど20年以上前の老眼鏡で本が読めるしパソコンにもちゃんと向き合う。少々度があわないなという自覚はあるけど、気にしない。耳も20年以上前から耳鳴りがして高音が聞き取りにくいといえば聞き取りにくいけど、会話は全く不自由ない。
 その時受診した耳鼻科で「耳鳴りがする」と言ったら「年齢的なものでしょう、とりあえず漢方薬を出しておきましょう」といって2週間分の漢方薬を処方してくれた。
・・・えっ?とりあえず? 2週間飲んだところでとりあえずの物では効き目はないでしょう。そんなもの飲めんわ・・・折角もらったけど一包も飲まずに即捨てた、キッパリだ。それに顆粒は苦手なのだ。
 その時は現役の看護師だったけど薬を飲むのは嫌いだし。
 仕事の時は「このお薬はきちんと飲んでくださいね」と猫なで声で心にもないことを言っていたような気がする。
 以来、耳鳴りとは長い付き合いですっかり慣れてしまった。
 歳をとるとセミやら蚊やら仲良くせざるをえなくなるのかな。
セミって言うのはね、耳鳴りは私の場合はジージー、アブラゼミだな。
幸い私は飛蚊症はないから目の前に蚊が飛ぶことはない。それら以外は至って元気である。
早寝早起き、疲れたら午後7時からでも8時からでも寝る。夜更かしの友にとっては昼寝の時間帯かもしれない。朝は5時前からうろうろする、かといって歩くのは好きじゃないから、ウォーキングもなし、お出かけはほぼ車。
たまには歩けばというような距離でも車に乗る。結構なタイダズボラ菌の増殖である。
お昼に食べ過ぎてお腹が空かなかったら夜はお茶飲むくらい、それに美味しいなって思って食べないと栄養にはならないからと思い込んでいるので、健康のためだからといって嫌いなものは食べない。「私は好き嫌いは無いよ」と言ったものの、いや~そうでもないか。
 納豆は食べられんことはないけど好んでは食べん、どっちかと言うと嫌いの部類。ズルズルしたものが嫌い、生卵がダメなので卵かけご飯は食べられない。にょろにょろしたものもダメ、なのでウナギも嫌い。ウナギ屋さんに行っても私だけ鶏のから揚げなんぞを食べる。
ウニもイクラも嫌い、貝も嫌いだからお寿司屋さんではヒラソとかブリとか・・・マグロもどうでもいい。安上がりにできている。貝類全般ダメ、匂いと食感がいやなのだ、カキの生?ぞ~っとする。磯の香というのも苦手の部類。

 どんだけ好き嫌いがあるんじゃい!こうやって書き出してみて自分でもびっくりだよ。
 山の中で生まれ育ったせいかな。私は何が大好きなんだろうって思うと、さあ?なんでしょうって自分でも思う。でもランチとか行くの大好きですよ。今は自粛自制の日々であまり行けないのは残念ですが。
あ~そうか肉類と野菜類が好きなのかと自覚する。スイーツも好きだけど一個で充分だ。
お酒は飲まないので夜出歩くこともない、海外旅行全く興味なし、国内の観光地だって行ってみたいと全然思わない、ステイホーム、まったく苦にならない。
あっいや、ただ推しの歌手のコンサートやライブ、ファンクラブイベントやらディナーシヨーなど行くのは大好きでこれまでだいぶ行った。ライブが終われば私はさっさと帰りたい、でも一緒に行った友は「せっかくここまで来たのだからちょっと観光して帰ろう」というので仕方なく付き合う。今のコロナ過それもなくなった。
オンラインでの有料配信ライブがあったけど、パソコンのせいか私の操作がちゃんとできていなかったのか、料金を払い込んだのに観られなかった。
そこでまあいいやということになって、それ以来挑戦していない。徐々にフェードアウト、まあそんなものだったのだな~。
 今は推しの俳優さんの出ているドラマの録画を繰り返し観て同じ場面でその都度ケラケラ笑う。それで幸せなのである。

至って元気な私ではあるが、いくら私だけが元気で長生きしても周りがドンドン死んでいったのではあまり面白くはないけど仕方ない。今でも友達は大体だいぶ年下の人ばかりだからまあ関係ないか。この先寿命まではやりたいことをやって生きると決めた。
延命治療もしなくていいし、何なら骨も拾ってくれなくていい、焼き場でちょっと窯の温度を高温にしてもらって、灰にしてもらいたい。拾いたくても拾えないようにしてくれ。そんなことができるかどうかなんて知ったことじゃないが、息子によく頼んでおこう。散骨というのもめんどくさそうだし。
 だいたい、人間死んだらただの抜け殻、魂は死んだと同時に抜けて行ってあちらの世界に戻って、次はどんな衣をまとってどんな人生を送ろうかいつどのような経験しようかとワクワクしているのだから、抜け殻はさっさと灰にした方がいい、これは私がそう思うだけだから参考にしないでもらいたい。

 今回の占いはとってもワクワクするようないいことが書いてあるし言ってくれた。「あなたには長い頭脳線が平行に二本あります。才能が人の二倍あり、器用で天才かもしれません。自分の才能を意識したときから運勢が好転していきます。etc」
頭脳線が二本あるなんてこと初めて言われた、それまでは言われたことはない。手相は変わるってこういうことか。私賢くなったのかな?改めて自分の掌を見てみる、ほんとだ!ちゃんと二本ある。
 そこで考えた、私の才能って何? 私に何ができる?
 そうだ書くことだ。日記は三日坊主だけど、ブログ複数個、書き連ねている。
 小説を書こうと思い至った。
 とは言っても全くの素人、そこで小説を書くにあたって基本のルールや、プロットの書き方とかの本を何冊か読んで勉強した。まずプロットってなんだ? から。
 これまでなんとなく本を読んでいたけどそれらを踏まえて読んでみたら、いや~ルール通りに書いてある、これも目からうろこ、知らないことばかり。そうして読んでみるとまた違った思いになる。
 俄然やる気が出る。私の辞書に無謀という言葉は無い。
 そこで前から書いて放置していたものを見直し書き足し、膨らませ、やっとのことで400字詰め原稿用紙152枚に仕上げた。私にとっては大作だ。
 ある小説誌の新人賞に応募した。
 とっても無謀なことは分かっている、高いハードルだしとっても狭き門ということは承知している、でも挑戦することに意義がある。
 後は天にお任せの心境である。
 それから、32枚のもので別小説誌の新人賞に応募した。
 次に400字詰め原稿用紙5枚以内の童話賞の募集を見つけた、応募数自由ということで4篇応募、他に原稿用紙10枚までの「童話賞」に応募し「看護・介護エピソードコンテスト」 等々短編に挑戦中。これからもドンドン書いていきたいと思っている。
 具体的にこういうのが書きたいけど何にも思い浮かばないな~と思いながら寝ると、夜中とか朝方にふっと思いつく、頭の中を絵や言葉がスクロールしてくる。忘れないように傍に置いているノートに書く。そして朝パソコンに向かうことでなんだか書けてくる。出来栄えの良し悪しはともかくであるが。
 ちゃんとフォローされていると実感できる昨今である。自分の奥の声を聞けるようになったのか? 小説を書こうと思いたって約4ヶ月、突っ走るな~私。

 つくづく思う。占いの好きな人嫌いな人それぞれいるけど、これっていかに自分に都合よく取り入れるかってことでもあると思う。私はこの占いで背中を押されなかったら、こんなにものを書こうとは思わなかったかな、のんべんだらりと生きていただろうか。背中を押されてやる気を出して突き進む、自分ながら素晴らしいねと褒めてあげようか。

いやいやそうでもないか、マヤ暦で私は「黄色い戦士」と言われた。「戦士は戦うでしょ、死ぬまで戦うという本質なのよ、自分と戦うことが多いと思うけど」 ということは占いで背中を押されなくても私はずっと戦っていたのかもしれない。
今のパートもあと数ヶ月で終わりになる。パートが無くなったらその先どうしよう、何かやらないとッて私の中の何かに火がついた。まあ、自宅でアロマ、整体のお客様をぽつぽつとお受けしているので何もすることが無くなるわけではないが、暇になるとなんか落ち着かん。ということでこうやって文章を書いては挑戦を続ける。これも戦士の性分かもしれない。

 何年か前から私はマヤ暦の勉強をしている、去年11月にアドバイザー試験にも無事合格した。  なんでこの年になってこんなに勉強しないといけないんだよ~と自分に突っ込みながら、覚えないといけないことを書きだしてトイレの壁一面に貼りまくる「まるで受験生みたい」「そうだよこの年でも受験生だよ」覚えるのが早いか忘れるのが早いかの競争、ひたすら繰り返すしかない。
 〇×式でもマークシート方式でもない、記述式だからただただ覚えるしかない。
 なんで私はこんなに戦っているんだと思いながらとにかく頭に詰め込んだ。
 脳みそパーンってなるかと思った。でもいい頭の体操にはなったな。
 頑張れば結果はちゃんとついてくる、裏切らない。
 ちなみにマヤ暦は占いではない。
「自分の本質を知ることで、本来の役割に生きること」本質に添えば楽に生きることができますよということを学ぶのである。
 のんびりと生きたいと思うけど本質が戦うことになっているのだから仕方ない、私はその戦うことを楽しむしかないようだ。
                                 完結
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