ちょっと落ち着け

文字数 1,834文字

「好きです、付き合わないでください!」
 姫子は迸音《ほんね》から差し出された右手と添えられた言葉に困惑した。
 すっと背筋の伸びたお辞儀のポーズからは真剣な気持ちが伝わっては、来る。
「えっと、ごめんなさい?」
 付き合わないのだから、了承の方が良かったかと警戒しながら頭を下げる姫子。
「えっと、どっちの意味で?」
 今度は迸音が困惑している。
「男女交際は致しません」
 姫子は舌打ちの代わりに、口角を上げた。
「それじゃ、好きでいることは構わないんだね、ありがとう。姫子さん」
 迸音が嬉しそうに姫子の手を取って振り回す。
「どういたしまして?」
 姫子は釈然としない気持ちで踵を返した。迸音の無邪気さは嫌いではなかったのに、今回の行動をどう解釈したらいいんだろう。モヤモヤを連れ、赤々とした空に向かって家を目指した。

 翌朝、教室に入るなり姫子はクラスメイトに取り囲まれた。
「迸音くんに告白されたんだって?」
 そう聞く女子の瞳には嫉妬の色が浮かぶ。迸音の無邪気さを気に入っている女子は多い。
「今のお気持ちをどうぞ」
 クラスで一番お調子者がグーを差し出してきた。マイクのつもりだろう。
 姫子は気分の悪さを隠して微笑み、首をかしげて眉尻を下げ、クラスメイトに魅せる。5秒も経てば飽きて解散するだろうと計算して。
 大人だって、ゴシップに群がる。義務教育真っ盛りの未熟さを抱える身であれば無遠慮に行動してもおかしくはない。だけど、心を遊び半分ではやし立てる様は醜くて嫌い。

 解散の空気が流れ始めた時、迸音が教室に入ってきた。クラスメイトが小魚の群れみたいに流れていく。

「迸音。姫子さんに告った?」
 意地の悪そうな声でお調子者が言う。迸音が答える。
「必要なことだったからね」
「正気かい?」
 お調子者が憐れむような声に変えて質問を重ねる。
「どういう意味?」
 迸音くんはきょとんとしている。
「お前と姫子さんじゃ月とスッポンだろう?」
 お調子者が嫌味に言葉尻を上げる。
「お月様はスッポンを馬鹿にするだろうか?」
 迸音が答え、お調子者の神経を逆なでした。
「振られたくせに随分と余裕だな」
「僕は姫子さんが好き。理想を実現するために努力できる人だからね。疲れてても上手に隠してて、いつも笑顔。姫子さんがいると空気が和らぐのは、受け入れられると安心できるから。そんな姫子さんを好きな僕は気持ちが態度に出やすい。僕の感情が姫子さんの邪魔になったらどうしようかと不安で。僕が姫子さんを独り占めするなんてとんでもない」
 流れるような口説き文句に場を離れ逃した姫子が固まる。
 まっすぐに表現された感情にクラスメイトも返す言葉を失っているようだった。
 仕方なく、姫子は迸音の傍へと近づいた。
「ねぇ、それってとんでもないネタバレだと思わない?」
 迸音はピンと来てない様子で首をかしげるばかり。
「陰ながらの努力って、公言された私は作戦の練り直しが必須なんですけど?」
 チクリと刺す姫子。
「あ、ごめん」
 ようやく思い至ったのか、迸音が頭を下げた。
「許さないよ」
 姫子は腕を組んで迸音を睨んだ。
「え、許してください。反省しますから」
 迸音の目が申し訳なさそうに揺れ、半歩後ろに下がる。
「新しい作戦考えるの、すっごく大変だろうなぁ。完璧に過ごしてたのに」
 姫子が迸音に一歩近づく。
「いや、本当それは、ごめんなさい。僕にできることがあるなら……」
 迸音の言葉を最後まで待たずに姫子が宣言する。
「付き合ってもらうからね」
「えっと」
 一瞬、迸音の瞳が期待に満ち、すぐに陰る。
「作戦考えるのを、付き合えばいいですか?」
「もちろん、そこにも付き合ってもらう」
 姫子は頷き、もう一歩迸音に近づく。迸音の背中がドアにぶつかった。
「無期限でね」
 まるでカツアゲでもするように追い詰めて、姫子が締めくくった。

 ヒューと、お調子者が細く口笛を吹いた。
 魔法が解けたようにクラスメイトがざわつき始める。
 遅れて我に返った姫子があいまいに笑っていると、迸音がクラス中に響く声で姫子を呼んだ。
「僕と付き合ってくださいますか?」
 差し出された手と、言葉が始業のチャイムに重なる。
 いつの間にか教壇で待ち構えていた先生が大きく咳払いをして、クラスメイトは慌てて席に着く。
 姫子と迸音もそれに倣い、自席へと踏み出した。
 迸音が姫子にだけ届く声で、何事か呟く。
 聞いた姫子は一瞬目を丸くして、許すように笑顔を見せた。

 二人の頬が、昨日の空よりも赤く染まっている。











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