7. bae

文字数 3,877文字

「認める所は認めねえとなァ」

 幾らか包帯の取れたスタンピードの親父は、カウンターに肘を付いて言った。

「お陰様で財布だ何だは一式戻ったし、ウィボットの病院の奴らに不手際を訴えたら、治療費も割引される事になった。おれとしちゃァ万々歳よ」

 それに同意するのは、杖をつき腰を曲げた老人だ。

「あぁ、私もこうして出歩ける様になったしね」
「そりゃ良かった!」

 ルーフラスさんはニコリと笑いかけると、俺達にレジ横のホットスナックをひとつずつ買い与えてくれた。
 怪我の療養がひと段落した俺とフーゴがスタンピードを訪ねると、偶然そこにルーフラスさんがやってきていたのだ。酷い暴行を受けてはいたが、命には全く別状がなかったらしい。
 親父は目を細めて、俺と、それから隣に立つフーゴを見やった。

「お前らが仕留めた奴らは、FBIが追う程、各地で罪を重ねてきたらしいな。妙な宗教団体だと聞いたが、よくもまあ無事だったもんだぜ」
「無事……では無いけどな?」

 俺の頭に巻かれた包帯を指差すが、親父は「死んでなけりゃ全部無事だろ」とざっくり返してくる。

「ま、この功績を讃えて、今後お前らの場所代は2人で1日50セントにまけてやるよ」
「うげ、場所代制度変えねーのかよ?」
「毎日入り浸る奴から金取んねーのは勿体ねぇなと、気付いちまったんでな」

 全く無駄に正直な親父である。
 
「まぁ、1日25セントずつならそこまで痛くは無いか」

 俺がそう呟くと、それまで黙りこくっていたフーゴが初めて口を開いた。

「何で毎日オレとくる事前提なんだ」
「えっ?来ないの?」

 折角俺達の快適な遊び場を取り戻したのに?と目を瞬かせる。すると、フーゴは途端に苦い顔をして、ふいと顔を背けてしまった。

「じゃ、これ25セント!奥借りるぜ!ルーフラスさん、またな!」

 フーゴの態度は疑問だが、今の俺はもう新しいボードゲームの事で頭がいっぱいだ。ウキウキしながら店の奥に足を向け、俺はいつも通りの席を陣取った。

 *

「……まだ怒っているのかい?」

 カウンター前で呆然とレオの背を見送るフーゴに、ルーフラスは問いかけた。
 店に入ってきた時から、彼の様子がおかしい事に老人も店主も気が付いていたのだ。唯一気づいていないのは隣にいるレオだけのようで、それはそれはご機嫌に奥の部屋へと飛び込んで行ってしまった。

「いえ、別に……。ちょっと疲れただけです」

 ぽつりと零れた言葉を聞いて、老人と店主は顔を見合わせる。

「何かあったのか?」
「いや、何も。……まぁ、何もなさ過ぎて、腹立つというか」

 幸い骨も折れていなかったレオは、あの事件から数日後にあっけらかんと戻ってきた。あまりに何事もないかのようにふるまうせいで、フーゴの心労は募るばかりだ。

「アイツは何もわかってない。あの調子じゃ、きっとまた同じことをやらかす。……そしたら、今度こそ……」

 今度こそ間に合わないかもしれない。いつかフーゴの手の届かないどこかで無茶をして、ふっといなくなってしまうかもしれない。想像するだけで怖気の立つ光景に苛まれ、フーゴはほとほと嫌気が差していた。
 俯くフーゴの肩に、老人の手が乗る。

「君は、本当に彼の事を大切に思っているんだね」
「たいっ……、べ、別にそういう訳じゃ……」
 
 ただ放っておけないだけだと、フーゴはそっぽを向いた。ルーフラスはふふとほほえみ、また言葉を続ける。

「ちゃんと言葉にして伝えておいで。彼なら、ちゃんと受け取ってくれるだろう?」
「それは……そうかもしれませんが」

 言葉を濁すフーゴに、店主は「ははぁ」肩を竦めた。

「呑気で鈍感な『ベイ』を持つと大変だねぇ」
「……『ベイ』?」
「ん?今どきの奴はそういうんじゃねえのか?」
「何の話だ」
 
 聞きなれない単語に、フーゴは首を傾ぐ。店主は何かに気付いた顔をすると、あくどい笑みを浮かべて見せた。

「レオに訊いてみろよ」
「どうせろくなことじゃないな……」

 フーゴはため息を禁じ得ない。

「行っておいで」
 
 肩から手を離した老人に、頷きを返す。そうして店主と老人に見送られ、レオを追いかけるように奥のイートインスペースへと足を運んだ。

「お、やっと来たな!」

 薄暗い部屋にいくつか置かれた大きなテーブル。そのうちの一つを陣取って、レオは新しいボードゲームをいっぱいに広げていた。わくわくと説明書を読んでいる様はまるで子供のようだ。
 フーゴはその対面に腰を下ろすと、頬杖をついてそんな彼をぼうっと眺める。

「でな、デッキを構築しながら、カードの効果で盤面の陣地を広げていくんだけど」

 ボードゲームの説明を繰り広げるレオ。
 その頭にも、顔にも、手にも、数日前の名残は残っている。
 もしもあの時、フーゴの到着が少しでも遅れていたら、一体どうなっていたのだろう。内部で起こっていたことはほとんど分からないが、取り返しのつかない何かが行われようとしていたのは確かだった。レオを見つけた時のあの胸が蝕まれる感覚は、もう金輪際味わいたくはない。

「……どうしたんだ?フーゴ」

 ふと、レオが説明書から顔を上げ、その青い瞳がフーゴを映した。フーゴは思わず顔を背け、「なんでもねえよ」と吐き捨てる。

「何でもないことないだろ。……つか、怒ってない?」
「お前ホント……、聡いのか鈍いのかどっちかにしろよ」

 分かってほしい時にはとぼける癖に、こういう時ばかり鋭くて嫌になる。言い当てられたフーゴは、無表情のままジロリとレオを睨みつけた。

「この前の事、お前本当に反省してんのか」
「し、してるよ!ちょっと無茶しすぎたなとは……」
「ちょっと?」
「あ、いや、だ、だいぶ?」
「相当だ、バカ」

 ごめん、とレオは身を縮こまらせた。

「俺のせいでフーゴの事巻き込んだわけだし、ルーフラスさんも助けたかったし、……つい」
「その『つい』でどんだけオレが心配したか分かってんのかよ」
「うん。……ごめん」
「もう二度とすんなよ。自己犠牲なんてクソくらえだ」
「……分かった」
「……ならいい」
 
 完全にしょぼくれたレオの頭に溜息を吐きかけ、フーゴは首をゆるゆると振った。

――オレも大概だな。
 
 大概、レオに甘い。
 ついさっきまで腹をくすぶらせていた怒りが、こんな簡単に薄らぐのかと拍子抜けする。
 こうなったレオが、フーゴの言葉を蔑ろにすることはないだろう。それが分かってしまうのも、それで許してしまうのも、あまりにもばかばかしく、フーゴは自嘲することしかできない。
 そんなフーゴに向けて、レオは気を取り直したようにニコリと笑った。
 
「でも、心配してくれてありがとうな」
「そういうとこがむかつくんだよ」
 
 ガツ、と音を立てて、テーブル下のレオの右足を踏んづけてやる。

「いってえ!?酷くない!?」
「で、ルールの続きはなんだ」
「無視ね!!」

 ガックリと首を垂れるレオを見て、フーゴは軽く笑った。
 胸の内に巣食っていた蟠りはゆるりと解け、先程よりはずっと楽だ。

「……そういや、レオ。お前『ベイ』って何か知ってるか?」
 
 ふと、先程の店主の言葉が気に掛かり、何とはなしに問いかけた。テーブルに顎を投げ出した状態のレオは、パチクリと目を瞬かせる。

「『ベイ』?綴りは?」
「知らん」
「ええ……?」
「さっきオヤジに言われたんだよ。『呑気で鈍感なベイを持つと大変だ』って」

 恐らくはスラングなのだろうが、フーゴに聞き馴染みはない。が、レオは何かにピンと来たようで、「あぁ!」と声を上げる。

「『ベイ』ってbaeで『ベイ』ね!」
「何だ、分かるのか?」
「分かるけど……え、何?それ俺の事?俺らそう言う感じで見られてんの?いやまぁ、フーゴなら全然歓迎だけど」
「おい、どう言う意味だ」

 若干不穏な気配を覚え、フーゴはレオの言葉を手で制する。レオはニヤリと笑いながら答えた。

「“before anyone else”《誰より先に》の略さ。大切な人って意味」
「……親友ってニュアンスだよな?」
「いいや?恋仲って感じ」
「なっ……」
 
 彼の足をもう一度踏みつけてやろうとしたが、学習したレオはさっさと椅子の下に足を引っ込めてしまう。

――before anyone else

 確かに、そのままの意味ならそうだけれど。

「まぁ、いいじゃん。結局お互い彼女の1人もできてないしさ。このままどうにもならなかったら、もう俺らで籍入れようぜ」
「はぁ!?ふざけんな、誰がお前と!」
「なんでだよー、そんな嫌がるなって」
「絶ッ対に嫌だわ!!つか、そもそもオレは異性愛者だ!」
「えー、まぁ多分俺も異性愛者だけど、フーゴなら全然問題ないよ?」
「だからオレが嫌だってつってんだろ!話聞け!」

 拒否すればするほど、ケラケラと楽しそうな笑い声をあげるレオ。
 どこからどう見ても冗談なのは分かるが、それがフーゴとしては気に食わない。
 レオの持っていたボードゲームの説明書を奪い取り、フーゴは顔を隠すようにしてそれを読み耽った。

 断固として認めてはならないのだ。
 レオの発言で、ほんの一瞬心臓が大きくなってしまった事も、そのせいで顔が熱くなった事も。バレて揶揄われるのが嫌なのは確かだ。が、それだけではなく、決定的な何かが失われる気がして、フーゴはそれを酷く恐れた。
 こんなバカをやれて、たまに喧嘩をして。そんな関係のままでいい。日常の一部でありさえすれば、それで。その先など別に望んでいない。そう自分に言い聞かせ、フーゴは胸の内に蓋をする。
 小さなため息はレオの笑い声に掻き消され、フーゴはそんな彼の顔面に自分の鞄を力一杯投げつけたのだった。
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