第1話

文字数 2,381文字

 “育ててもらった親を大事にする”
とても道徳的で、健全で、正しい。
「親の面倒って、なんで見なきゃならないの?」
なんて言えば世間には“ひどい子”と評価される。

言葉ではっきり評価を口にはしないが
「育ててもらったんだから恩返ししないとね」
と、正しいことばを笑顔で並び立て、 親に対してそういう感情をもってしまう私を不憫がる。

その酷い発言に至る過程も知らないくせに。

どんなに親をがっかりさせないように、不幸だと思わないでと願ってあらゆる努力をして疲弊し、体調を崩してきたしんどさも知らないくせに。

一生懸命やっているのに、一生懸命にならないと親孝行も出来ない自分を恥じる。
自己嫌悪に苛まれる私の心の中など知らないくせに。

時々耐えられなくなり
「早く無事に死んでね」
そう願ってしまう自分を偽りながら生きていることも知らないくせに。
 
いつからそうなってしまったのか。
「私がいま欲しいもの、新しいえんぴつ、いい匂いがする消しゴム」
と書いてお母さんに見せたら
「こんなものも買ってあげられない親でごめんね」
とおいおいと泣かれ、二度と言えなくなったあの幼い日のかすかな思い出。

でも、その他で特別貧乏だと感じさせられる生活をしていた訳ではなかった。
事情はわからない。母には母の辛い思いがあったのだと思って胸にしまって生きている。
それが、特別苦痛だった訳でもない。

しかし、それから五十年近くが経過しているであろう人生で、同じような母の姿を幾度となく見た。
そのたびに、あの幼い日の重い空気感が私の心をよぎり、悲しさと不安感に包まれてしまう。

「なんとかして母に幸せと感じてもらえるようにしなければ」
という魔法にかかり、 母をいつも気にして生きてしまう大人に育ってしまった。

それはゴールのない奉仕だ。

どんなに時間を割いてそばにいても。
あれが欲しいという母の呟きをどうやって実現したらいいのかと一日の多くの時間を費やしたとしても。
友達と旅行に行くお金がないと言われ、 自分が買いたいものを我慢し夫にもっともらしい言い訳をしながらお金を渡しても。

そうやって母の不幸感に振り回され結果を手渡しても、母は満足することはない。
自分の人生を不幸と呪う言葉を発することを決してやめない。

そして落ち込み、不幸を嘆く母に
「こんな残業終わりに毎日顔を見に来る娘がいても不幸なの?」
と作り笑顔で聞けば、
「どうかな?」
と投げやりな言い方をして鼻で笑う・・・。
母の身勝手さ、我儘さを感じているのに、私はどうしてもそばにいて傷つくことをやめられない。
 
悪気はないのだろう、母の性質だ。
母の育った人生の背景にあるものが因果となり、いまここにこういう人間として存在している。
きっと誰もがそうだ。私も母に受けた因果を自分の性質基盤としてここに存在している。
 
その因果から形成された性質が人生の多くを作る。
不幸を語る人には不幸しか寄って来ないのに、母は自分の不幸を周りに語り「可哀想な人」になりたがる。
時には事実に編集を加えても不幸で可哀想な人になりたがる。
可哀想な人になれば、誰かが助けてくれる予定だった。
実際に母の味方だった年の離れた姉たちが健在の頃にはその手法は案外有効だったのだから、そう思うことも仕方ないと思う。
きっとそれが自分を守る唯一の術と生きて来たのだろう。

親の育て方で苦労するのは子供自身だ。
世間は多めには見てはくれない。
そして、見落とされがちであるが、孫は大きな被害を被る。
育て方を間違えられた子は社会で苦労し、自分の子にそのしわ寄せが行く。
人生を親に尽くしてしまう人も多く、その結果悲しい結末となるニュースが世の中に溢れかえっている。
この負のループは、恐ろしいほど続く。
 
コロナ禍で私は母との関係で更に大きなストレスを負い、今までで一番大きく体調を壊した。
体調を崩し泣いている私に対して母は
「50も過ぎて気色悪い!!」
と言った。
「私にはもうお母さんはいないんだな」
と思った。

あまりの体調不良で通い始めた心療内科のカウンセリングで、
「あなたはまず間違いなくHSPですね」
と言われた。
HSPについて調べて、自分の過去の全てに腑に落ちるという感覚を持てた。

妹は母を心配しているようだけど、それ以上は絶対踏み込んでこない。
弟は空き部屋もあり、母を引き取るべき条件が揃っているものの、音信不通になってしまう。
それは母が生きてきた人生の背景に原因がある。
それが苦であると感じれば、みんな無意識に自己を防衛するのは当然だ。

「親は大切にしないとね」
とても道徳的で、健全な世の中の常識な言葉だ。
しかし、この言葉の影に潜んでいる凶器によって心に傷を負っている人は少なくない。

自己犠牲をしても親に尽くすことを、子に望まない世の中であって欲しい。

そして、親に嫌悪感や憎しみを持ち
「できるだけ面倒なくこの世を去って欲しい」
と願う自分がいても決して自分を責めないでほしい。

親に負の気持ちを抱いてしまう、あなたの知人を正論で追い詰めないでほしい。
言葉では表せない、人生の背景があるのだと静かにわかる人であって欲しい。

親子関係十人十色。
同じ親元で育ったきょうだいですら違いがあって当然だから。

親も子も別人格であり、親の人生がうまく行かないのは、あなたのせいではない。
「あなたのせいだ」
と親は言うかもしれないが、上手くやれなかった親のとばっちりに反応して心を痛める必要なんかない。

自分の人生を生きよう!!
ゆとりがあったら、親を大切にしよう。

もしそばにいて心が悲鳴をあげるなら、心が楽になる距離を常に保とう。
それでこそ、正しくて、健全だ。  
 
「私達のことは気にしないで自分の人生を生きなさい。」
子供はいないけれど、もし私が親であったなら、それを体現出来る親になりたい。

これが、私が親から学んだ大切な事です。
ありがとう、お母さん。
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