2話 マリッジブラック

文字数 14,749文字


 その女は男物のTシャツを着て、無防備な寝顔でソファーに転がっていた。
 短期間で色々ありすぎ、ネガティブに考える事を放棄したノエルは幸せそうな表情で寝息を立てている。借りた毛布を丸め、抱きつくように寝返りを打つ。
「コ、コイツ……人様ん家とは思えない程のくつろぎっぷりだな……」
 起きていたサーバインは引きつった表情でノエルの寝顔をしばらく眺めている。
 正体が女だと知られたノエルは、ついに開き直って自分の家にいるような感覚で気を許し始めていたのだった。
 リリカルステッキを握り締めたサーバインは、思いつめた様子で寝ているノエルの前をうろうろし始める。
「俺の経験と知識が確かならコイツはアレなんだよな……」
 時折ずり落ちてもいない眼鏡の位置を直し、何か良からぬ事を悶々と悩み始める。
 一人生活が長すぎた男は、いつまでも慣れない現象に戸惑いを隠せない。
「…………仕事人としてはいい加減スイッチを切り替えてだな。いや、しかし……何だこの罪悪感? 俺の感覚が錆び付いて……」
 自問自答の独り言を繰り返し、ついにはノエルから少し離れた床に座り込んで深刻な顔で頭を抱える。サーバインは悩み始めていた。
「見つけた以上はさっさと始末しちまわないと……」黒い表情。
 意外と物騒な事を考えている。
「やべえ、何百年と奴に遭遇してなかったから、すっかり感覚が鈍ってるのか……?」
 チラッとノエルの方を一瞥する。
 寝返りで彼女の体の向きがソファーの背の方へ向いた。
 もう一度、チラッと見ると……。
「…………パ、パンチラッ?」
 件のノエルはTシャツの下はズボンを履いておらず、ピンクの縞パンを僅かに見せた状態で、無防備状態を維持していた。
「どうしよう……アレ、今までに遭遇した事の無い最大の敵だよ……。どうしよう……パンチラとかで攻撃……。どうしよう……ぶち殺せない……」
 俗世にすっかり染まっている魔法使いは、リリカルステッキを持ったまま頭を抱えて怯え続けて夜を明かした。





 住宅街を外れた辺りに、子供が建てた秘密基地と見紛うばかりの変な外装の掘っ建て小屋がある。前衛的な芸術を全面に意識しているのか、妙なオブジェが幾つも屋根に並んでいる。
「お父さーん、ただいまー」
 ノエルはペンキで塗られた激しい装飾の派手なドアを引っ張る。立て付けがあまり良く無さそうで、結構な力を入れて開けている。
「とりあえず、すげえ家だな……」
 ノエルを連れてきたサーバインは、変な小屋の装飾に若干引いている。
 どんな家主が住んでいるのかと、ノエルが先に入って行った小屋の中を覗いてみる。
「うそぉ……何にもねえ……」
 見渡せば一間しかない部屋に、目立つ家具はちゃぶ台とタンスしか置いていない。本当に秘密基地みたいな家に驚きを隠せない。家主は相当の変人なのだろうか?
 家主は部屋にいない様子だが……。
「お父さん、いるの?」床の収納スペースにあたるような位置にある扉を引っ張る。
 ノエルは収納スペースに躊躇無く飛び込む。
「ノエルゥゥゥゥゥゥゥ!」オッサンの叫び声。
 直後、収納スペースの中からオッサンのむせび泣く声が聞こえてきた。
「……えーと、おじゃまします」
 サーバインは収納スペースの中が妙に気になり、家主の了承を得ぬままノエルの家に上がり込んだ。
 収納スペースを覗き込むと、そこは地下室になっており、外にあったオブジェのような物の原型や何かの金属のパーツ、画材が沢山転がっていた。家主のアトリエだろうか。
 そのアトリエの中で、独特のセンスを持った服装の親父がノエルを抱きしめて再会を猛烈に喜んでいる。
「ノエル、ずっと飯が来ないからどうしてるかと思ったぞぉぉ! 腹が減ったぞ、飯だ。飯」心配の仕方が自分の娘よりも、食事の方が大きいらしい。
 ノエルの父親は家や服装のような変わり者に違いなかった。

 親父はノエルの作った大盛りのチャーハンを一心不乱にスプーンで掻き込み、豪快に租借している。
 芸術家然とした親父は、独特な感覚でしばらく訪問者を気にも掛けていなかった。
「ところでノエルよ、お前と一緒にくっ付いて来たモヤシみたいな兄ちゃんは何だ?」
 大盛りチャーハンに満足した親父は、やっとノエルに付き添ってきたサーバインの存在を指摘する。
「えっと……この人は……」どうやって説明しようか迷う。
「僕はサーバイン・オスカーという魔法使いです。先日、娘さんが苛められているらしき所を保護しました。連れて来るのが遅くなってしまいまして申し訳ありません」
 サーバインのまともな挨拶に、ノエルはギョッとしてしまう。第一印象やその他諸々の性格が最悪な男でも、会話能力は常識的らしい。
「この子が娘だとよくわかったな。そうか、アレか、もうエッチしたのか?」
「はあ?」
 さすがのサーバインもこの変わり者の親父に太刀打ちできなかった。
「ちょっと! お父さん!」ノエルが赤面して怒鳴る。
「ハハハ、んな訳無いな。おっと、俺はギャラル・ザルハイシトだ」
 ギャラルは挨拶ついでに独特な色彩と素材の名刺をサーバインに渡した。
 サーバインの方もギャラルに名刺を渡す。こちらは普通の紙製だ。
「……ほう。伝説の勇者様と綴りがまったく同じとな。氷の勇者様と縁がある方で?」
「まあ、そんな感じですね」まさに本人なので否定しない。
 勇者関連の伝説は時代によって淘汰され、現在詳しい者は魔法関連の研究職の者か歴史愛好家位しかいない。ギャラルは歴史好きなのだろうか?
 サーバインの名前も、一般人ならば歴史好きの親が名付けたと思うのが普通だ。
「……なるほどな。で、うちの魔王を倒しに来たという訳ですな?」
 冗談にしては機転が効き過ぎている。
 変わり者のギャラルに、サーバインは凍りつく。
「それにしても勇者様、魔王が何もしないで側にいる間に倒す機会はあっただろうに」
「…………あなたは何者ですか?」
「見りゃわかるだろ、魔王の父親やってる奴だ」ギャラルは真顔だ。
 笑えない冗談を言われ、すっかり出鼻を挫かれてしまった。
「この子の格好を見ただけじゃ安易に娘とは言わん筈だ。ノエルの性別が判ったのなら、当然こいつの秘密の方も見たんだろ?」
 サーバインが重々しく頷く。
「ノエルが外にいる間は制服を無理やり着せて外部の者に感知されないようにしていたのだけどな。やはり管理が甘かったようだ。家の中にいる分には何を着ていても結界の力で何とも無かったが……、迂闊だった」
 しかし、ギャラルは落ち着いている。相手が自分の娘に危害を与えて来ない情況を読んでいるからだ。変てこな芸術家を装っているが、なかなか侮れない人物らしい。
「で、魔王を発見した都合、倒しますか? 勇者様」
「それは……」
「四勇者が揃わねば倒せない事は俺も勉強して知っている。おいそれと倒せないよな?」
 ……先手を打たれた。
 手強い相手にサーバインの眉間に皺が寄る。
「お父さん! 私が魔王ってどういう事?」やっとノエルが口を挟む。
 覚悟はしていたが、困惑を全面に出しているノエルは二人の重苦しい空気を打ち破った。
「そのまんまだ。機会があったら話そうと思っていた。丁度良かったろ」
「丁度良くないよ! どうしてもっと早く話してくれなかったの?」
「ああ、アレだ。お前が感づいて話し掛けて来るんじゃないかと思っててな」
「作品作りに没頭し過ぎてすっかり忘れていたんでしょう?」
「……うむ。そうとも言うなぁ」
「お父さんの馬鹿ぁ! 私が魔王って事は、勇者に殺されちゃうって事でしょ? 何で早く言ってくれないのぉ……?」
 ノエルが黙っているサーバインを一瞥して、困惑に表情を歪める。
「要はこの男が勇者を全員召集しなきゃお前の命は無事だって事だ。魔王といっても、俺ぁお前を人間として育てたのだから、普通の人を装い続けてりゃ平気だ」
「……でも、普通じゃないよ。そもそも、私は人間なの?」
「魔王だな。まあ、死んだ母さんの腹から産まれているだろうが……」
 衝撃的事実に、ノエルの顔色が悪くなる。
「サ、サーバインさんは魔王の私を殺すんですか?」
「……ま、まあ、そういう事になる」サーバインの顔色も悪い。
 気まずい空気を共有する二人は、スプーンの柄の部分を楊枝代わりにして使うギャラルの余裕の表情を見つめる。
「氷の勇者の兄ちゃん、うちの娘は魔王だが、世の中に危害加える奴じゃ無いぞ。手塩に掛けて普通の子と同じように育ててきたつもりだ」
「そ、そうです! 私は普通の子として育ってきてるんです」父親の言葉に便乗して必死にアピールする。
 殺されたくない。それよりも今すぐ死にたくない。そんな気持ちがノエルの感情を支配している。
 涙目でサーバインを震えながら見つめる。ノエルは必死で「死にたくない」と瞳で訴えている。
「娘は俺が目の黒いうちは悪ささせたりはしないさ。封呪の紋が刻んである場所から出さなければ大丈夫なんだ」
 ギャラルの瞳はまっすぐで、嘘があるようには見えない。
 実際、ノエルを魔王としてではなく、純粋な人間として育ててきたのだから偽りなどは微塵も感じられない。
「……そう言われては成す術もありません」
 サーバインは眼鏡のブリッジを上げて立ち上がった。
 ギャラルやノエルに表情を見せずに、玄関の方に向かう。
「一旦、退かせていただきます」
 ドアに手を掛け、普通に押して開けようとするが、軽い力では開かない。建て付けの悪さにも苛立ちを覚えながら、もう一度手の平でドア板の部分を押す。
「待って! 待って下さい!」ノエルが慌てて立ち上がる。
 サーバインを引き止めようと後を追う。
「私、あなたと敵同士になるなんて嫌です! 折角好きになっていたのに!」服の裾を掴む。
「……は?」
 サーバインが動きを止められ、ノエルに怪訝な表情で振り返る。
「今なんつっ……?」
 ノエルが背伸びをしてサーバインに抱きつき、頬にキスをする。
 周囲の時間が少し止まったような気がする。
 目撃していたギャラルが目を剥きつつ、弄んでいたスプーンを落とした。
「娘さんを僕に下さい!」
 迷いをかなぐり捨て、開き直ったサーバインが勝算を見つけたのか、ノエルの父親であるギャラルと向き合う。
「誰がお前なんかに娘をやれるか!」すっかりやり返された親父が唾を飛ばす。
 二人の攻防を見守るノエルは、おろおろしつつも内心嬉しそうだ。
 女性としての喜びを実感するあまり、真剣に睨み合う二人の間に入って行けない。
「ノエル、お前、こんな男とデキていたなんて、父さんは許さんからな!」
「悪いようにはしない、俺と一緒に来てくれ!」
 二人に気迫で迫られたノエルは、頬を染めながらどうしようかと悩む。
「え……えーとぉ……」
「幾ら知的でイケメンでも、コイツだけは絶対に駄目だ!」
 間接的に結婚を迫られているノエルを取られたくない父親の表情は本気で怒っている。
 感情をむき出しにして怒るギャラルがちゃぶ台を殴りつけ、並べていたコップを全部ひっくり返した。
「駄目だよぅ、お父さんったら本気で怒っちゃ……」
 どうしたらいいのか解らないノエルは、とりあえずちゃぶ台にこぼれた水を甲斐甲斐しく布巾で拭いた。空になったコップを片付ける。
 斜め隣には、勇者の皮を被った鬼畜が熱い視線でノエルを見つめている。
「お前、俺の事好きだよな?」
 否定できないノエルは、頬を桜色に染め、潤みかけた視線で見つめ返す。
「……あの、つまり、私に結婚してくれっていう事ですか?」
「お前じゃなきゃ、俺は駄目なんだ」
 サーバインの熱視線とノエルの視線がぶつかる。互いに見詰め合った。
「ノエルゥゥゥ! そんな奴に付いて行ったらイカーン!」
 絶叫するギャラルの声は全く二人の耳には届かない様子だった。
「お前の秘密を知っているのはこの俺と、あそこのいけ好かないクソ親父だけだ。重大な秘密を知った以上、お前を放って置けないんだ」
「私、魔王ですけど、大丈夫ですか? そんな私で……いいの?」
「お前は俺の運命の人だ。構わないよ」
 まっすぐな瞳で見つめられ、ノエルは視線を逸らせない。
 駄目な男が常套句として使う口説き文句に、うぶなノエルは完璧に落とされた。
「…………嬉しい。私、お嫁に行きます!」
「一緒に来てくれるのか?」
「勿論です! 幸せにしてくれますか?」
「ああ、努力するよ」
 サーバインの言葉は果たして本当なのか?
 舞い上がってしまったノエルには疑う事すら不可能だ。
「お父さん! 婚姻届の保護者承諾欄に今すぐサインして。私、この人を逃したら一生結婚出来ない気がするの!」
 魔王という障害を背負った娘の取った行動は鬼気迫るものがあった。




 その場の勢いで決めてしまった人生を、人は転がるように進み続けるのだろうか。
 ダイニングテーブルに広げた薄い紙切れ一枚でこの先の未来が決まってしまう。
 ポールペンを握り締めたまま、一人の夫となる男は紙切れを見つめたまま無言で葛藤を続けている。
「何を躊躇する必要があるんですか? 後はあなたが記入すれば完了ですよ」
 妻となる女は既に覚悟を決めている。むしろ、この先に見える明るい未来を夢見て希望に満ち溢れている。
「……お前、俺との結婚に何も疑問が沸かないのか?」
 サーバインは未だ婚姻届にサインをしないまま、まっすぐな瞳で待ち続けるノエルを懐疑的な表情で何度もチラ見する。数時間前に取った行動を今更ながら、どうやって打開しようか考えている最中だ。
「だって、あなたは私を強引にここまでさらって来たじゃないですか。今更悩んでも仕方ありませんよ」
 妻になるノエルは落ち着いている。自分の人生は既に夫になるサーバインに一存してやろうと、全部を任せた後だった。
「俺がどんな奴だとか、知りもしないのによく決断したな」
「顔は私好みの凄いイケメンなので、将来生まれる子供のルックスを心配する必要が無いと思いました。まあ、性格は最悪ですけど、多分これ以上幻滅する必要は無さそうなので、多少は目を瞑りますよ」
 歯に衣着せぬノエルの言葉に、サーバインが打ちのめされる。
 この女は結婚したら強くなると確信出来る。
「うわぁ……俺に対する印象最悪なのによくぞご決心を……はぁ……」
「さあ、ウジウジしないで書いて下さい。男らしくない」
「……俺と結婚したら絶対に後悔するぞ?」
「結婚しないうちからどうしてそんな事がわかるんです? 魔王の私に怖気づいて結婚を解消しようとしてるんですか?」
「お前の命を狙う男と結婚して大丈夫なのか? 俺、間違いなくお前を殺そうとしてるんだぞ……」
 物騒な話に、ノエルの表情が一瞬曇りかける。
 だが、首を左右に振って気持ちを切り替える。
「他の勇者様と手を組まなければ大丈夫です。当然、お嫁さんの私を守ってくれますよね?」
「…………コイツ…………、計算済みか……」
 ノエルは流石、初対面で不意打ちをかけて来たギャラルの娘である。
 食えない相手だと判るや、手強い相手だ。
「書くよ……。書きゃいいんだろ……」
 サーバインは観念して、震える手を押さえながら婚姻届にサインする。
 薄い紙切れを妻になったノエルに差し出す。
「リアム・ヨコヤマ二世……? おもいっくそ名前が間違ってるんですけど。サーバインのサの字も出てきませんけど? しかも外見サバ読んでて二十四歳……意外と年寄りなんですね。いたいけな私を騙したんですか?」
「今の俺の戸籍だ。何百年と同じ姿で生きてたら周辺住民に怪しまれるだろう。何年かに一回は戸籍を変えてるんだ」
 今度はノエルが打ちのめされる番だった。
 名前詐称に年齢詐称。全部が嘘だらけの男はもう開き直っていた。
「私の旦那様は何処の犯罪者でしょうねぇ? …………あなた、一体どれ位生きているんですか? 本当の年は幾つなんですか?」
「誕生日を数えるのはもう面倒だから、……えーと、ざっと千近くか? なにせ俺は他の勇者の一族を見守る役目もある初代勇者だからな」
「千っ……………………せ、仙人? いや、化け物?」
「今更、怖気づいたか? 魔王様?」
「いいえ、そんな事はありません」
「ま、俺の長くて孤独で退屈で苦痛で永遠に終わる事の無い人生の中では物凄く短い間だろうが、仲良くしようか。暇つぶし位にはなる」
「ううっ、あなたも私と似たような可哀想な人だったんですね」
 今まで本人の口から語らなかったサーバインの境遇を知ったノエルは複雑な心境になった。不老不死とは魅力的と見せかけて相当大変な事らしい。
「さあて、提出しますか」
 サーバインはおもむろにリリカルステッキを婚姻届に向かってかざした。
「待って! それも魔法で解決ですか?」
「ああ、そうだが。役所まで行くの面倒だし」
「待ちなさい! それは妻である私が許しません」
「何でだよ? 遠隔操作で一発だぜ? んな楽な作業あるまいよ?」
「人生の一大イベントである結婚までも、そんな悲しいチート技使うだなんて! この行事は最初の夫婦の共同作業でしょうが!」
「そうカリカリするなよ。これ以上面倒な手順踏まなくていいんだぜ?」
「感動が無くなります! そもそも私がそんな方法嫌だって言ってるんです!」婚姻届を引っ手繰る。
 ノエルは婚姻届を大事そうに畳んで懐に仕舞った。
「さあ、一緒に役所に行きましょう」
 希望に満ちた瞳で立ち上がったノエルは、テーブルに頬杖をついている死んだ魚のような目をしているサーバインに手を差し出す。
「お前、役所にもそんな格好で出掛けるのか?」
 ノエルはサーバインの家に来てもずっと学ランのままでいる。
 魔王の力を抑える機能のある衣服を着続けている習慣のある彼女は、今のところ何も疑問も浮かんでいない。寧ろ実家以外では学ランでいる事が当たり前なのである。
「ほえ? どうしたんですか?」
「…………頼むから、今回だけはその格好で出かけるのはよそうな。俺が色々誤解されそうで困る。普段着は無いのか?」
「……体操着でいいなら、着ますけど。勿論、封呪の紋は刻んであります」
「まさか、服がそれだけしか持ってないとか言わないよな?」
「そんな事無いですよぉ。学校用なら替えが沢山ありますから」
「…………なんて女だ。持っている服が全部学校指定のアイテムだけだなんて」
 年頃の娘なのに、お洒落に無頓着な妻に早くも幻滅しそうだ。
「色々と裏地に細工するのって重労働で凄い手間なんですよね。ほら、女の子の服ってかなりの数があるし。女子の制服は夏冬で全部違うから無理ですね」
 ノエルが男子の方の制服を着ている理由を知ったサーバインは魂が抜けそうだ。
「じゃあ、体操着の方を着ますね」
「ちょっと待てよ。頼むから、体操着の上に普通の服を着て出かけてくれ」
「…………なるほど。その手がありましたね!」
「ちょ、……今、お洒落する手段が理解出来たのかよ?」
「でも、私、普通の洋服を持っていませんよ」
「俺が貸してやるから……。しょうがない奴だ」
 ノエルとの会話に疲れたサーバインは、眼鏡を押さえてため息をつきながら立ち上がった。クローゼットまでとぼとぼと向かう。
 収納していた服を漁り、ノエルに丁度良さそうな服を見繕った。
 女物の可愛らしいジャケットとフレアスカート。
「あの……サーバインさん、これは? 昔の彼女の持ち物だったりします?」
「いや、全部俺の持ち物だが」
「こんな小さい服、男のあなたがよく着れますね?」
「ああ、それはだな、女の体に変身した時に結構使ってるんだ」
 ノエルに戦慄が走る。夫の衝撃的事実をまた知り、やはり幻滅する。
 お互いの嫌な部分を結婚して数刻もしないうちに早速発見してしまった新婚夫婦であった。
 二人の結婚生活はこの先どうなるのか、お互い全く予測がつかない



 無計画の結婚だった為に、挙式の予定は今のところ無い。
 用事を済ませて家に帰って来たところで突然ノエルが気が付いた。
「あ! そういえば」
「どうした? 変な声出して」
「私、婚約指輪も結婚指輪も貰ってません」
「そんな形式上の物が欲しいのか?」
 意外と冷めた感覚を持っているサーバインは別に契約の証の指輪など必要無いと思っている。
「だって、夫婦の証ですよ。欲しいに決まってるじゃありませんか」
「ったく……困った奴だな」腰を上げる。
 顔をしかめながらサーバインがノエルに渡したのは、指に丁度嵌まりそうな短い長さの輪ゴムの詰まったの箱……。
「どれか好きなの選んでいいぞ」
 お徳用の輪ゴムの束の中から一本選べという事。
 ノエルの表情が悲惨に凍りつく。
「…………今は指輪を買うお金が無い。そういう解釈でいいですよね?」
「計画性の無い結婚に同意したなら文句言うなよ」
「ううっ、貧乏反対です……」
「後で金が溜まったら好きなの買ってやるから。それまでコレで我慢しろよな」
「むぅー……、わかりましたよぉ」納得がいかない様子。
 それでもノエルは真剣に、輪ゴムの中から丈夫そうな物を吟味する。
 輪ゴムを二本選んだ。
「じゃあ、指輪交換しましょうか」
「えー? 面倒臭えよ。輪ゴムだろ、それ」
 乗り気ではないサーバインに、ノエルは左手を突き出す。
「私の指に嵌めてくれます? 今日結婚したんだから、今指輪交換しなきゃ意味がありませんよ」幸せの絶頂にいるような至福の表情。
「ま、いいけど……」
 ノエルの気迫に負け、サーバインはノエルの左手の薬指に輪ゴムを嵌めてやった。
「左手出して下さい」
「えー? 俺もかよ?」文句を言いつつも左手を差し出す。
 大人しくしているサーバインの左手の薬指に、ノエルは真剣な表情で輪ゴムを嵌める。
「男の人って結構指が太いんですね……」
「鬱血しそうだから外していいかな?」
「もう少し待って下さい」
 何かを決心したノエルがいきなり目を瞑った。
「どうしたんだ? 目なんて瞑って」
「誓いのキスです」
「はー? それもすんの?」
 さも面倒臭そうに答えているが、サーバインは目の前で目を閉じたノエルを見て狼狽し始める。いきなり激しい緊張感が伝わってきた。
 手の平に変な汗が滲む。
 ノエルに悟られないようにサーバインは息を呑んだ。
 彼女の華奢な両肩に手を掛け、真正面から接吻する。
 唇を重ね続け、互いに気持ちが高まっていく二人……。
 だが、悲劇は突然に訪れる。
 サーバインがいきなり床にくずおれた。
「きゃあ! サーバインさん?」
「うっ…………お前に魔力から何からメッチャ吸われた。オーバーキルだ……」
 自ら進んでオーバーキルをを叩き込まれたサーバインは簡単に死に掛けていた。ここでいうオーバーキルとは、必要以上のダメージの他に想定外のものも持って行かれたに過ぎず、本来の持つ意味とは少し違う。
「ううっ……ぐすっ……、私、結婚してすぐに未亡人になっちゃうの?」
「…………俺は不死身だから……それは…………ない……」
「嫌ぁ、サーバインさん! 死なないで!」




 ベッドの上に布団で出来たでかい蓑虫が横たわっている。
 小刻みに震え続けるそれは、忘れかけていた死の恐怖を思い出し、真っ暗な現実に絶望して発狂してしまいそうだった。
「俺、今度の回こそ確実にあの世に逝っちまいそうだ……」
 蓑虫に扮したサーバインは、死にかけ状態から大量の薬品摂取で体力や魔力を回復したものの、精神の消耗は未だに回復の兆しは見せていなかった。
 眼鏡を外して就寝しようとしているのだが、眠気よりも恐怖が勝ってちっとも寝付けない。このまま眠りに落ちてしまったらとても恐ろしい夢を見てしまいそうだ。
「今までのやもめのドブ色人生が、女と結婚して薔薇色に変わろうとしていたのに……、トドメ色で終了じゃねえか…………」
 普通の人らしく結婚人生を謳歌しようとするとかえって死の危険が近づくとは、婚姻届にサインをする前の自分は知らなかったのだ。契約が完了して、後は幸せが待っているのだと信じて止まなかったのに、期待を大幅に裏切られた。
 安易な気持ちで魔王となんか結婚するんじゃなかった。
 結婚した相手は可愛らしい天女みたいな外見と性格を持ち合わせているのに、中身はとんでもなく恐ろしい凶悪な存在だと触れてみて自覚してしまった。
「このままでは……千年生き続けてきた寿命が尽きてしまう……。俺が死んでしまったら暗黒の世界が蘇ってしまって…………。あいつらと続いた約束が守れない…………」
 ネガティブな独り言の癖が悪化していた。
「情が完全に移る前に何とか…………」
 ヒタヒタと足音が近づいてくる。
 絶望の化身が…………。
「サーバインさん……」頬を染めた嫁が近づいてくる。
 風呂上りのノエルはバスタオル一枚を素肌に巻いただけで物凄く恥ずかしそうにしながらベッドの側に来た。
「私……初めてだから……あの……、優しくして下さいね」
 意外と積極的なノエルは、初夜を完遂しようと夫に近づく。
 手を伸ばすと、目当ての夫はカブトムシの幼虫のように身を丸めて防御した。
「処女は嫌いですか?」布団の端を引っ張る。
「や、やめてくれ……俺に近づくな……」
「あなたに教わらないと色々な事が出来ませんよ。ねえ、お願いだからこっちを見て」
 物凄い力が込められて布団が引っ張られる。
 封呪の紋が刻まれた衣服を纏っていないノエルは、魔王の力で布団を引っ剥がした。
「ギャアアアアアアアアアアア!」
 断末魔の悲鳴を上げたサーバインは、布団を引き剥がされた反動で一度天井に叩きつけられ、ベッドにバウンドしてからもんどりうって床に投げ出された。
 幾ら死ねない男でも、パジャマ姿の生身でダメージを受けては、大怪我は免れない。
 衝撃で穴の開いた天井からは外壁の破片が激しく降ってくる。
 サーバインが落下した衝撃を和らげようとしていたベッドは、もはや寝具の原型を留めないほど破壊されていた。
「うそ……?」
 積極的に夫に迫ったノエルは自分の怪力に驚きを隠せない。
 初めて結ばれようとする相手である夫は、口から血を流しながら部屋の隅っこまで逃げて、虐待に怯える仔犬のように震えている。
「……私、どうしたらいいの?」
 惨劇に動揺したノエルが仰け反り、卒倒しそうになって尻餅をついた。
 ついでに、巻いていたバスタオルが解けて床に落ちた。

 惨劇の後に恐怖で慄いたサーバインが魔法で修理したベッドで一人、一夜を明かしたノエルの目の下は真っ赤だった。
 一晩中泣き、仕舞いには泣き疲れて寝てしまった。初夜を夫に拒絶された悲しみは大きく、目を覚ました後でも涙が湧いてくる。
 ソファーに避難して寝ていたサーバインはノエルより先に起きていて、既に朝食の支度を済ませていた。

「おはよう。朝飯出来てるぜ」なぜかつとめて明るい。
「どっちが嫁なのか分からなくなってきました……」
 魔王ノエルに敗北した勇者サーバインは絶対服従してしまったのだろうか?
 下僕と化した眼鏡の男はノエルの茶碗にご飯をよそっている。
 普通のご飯と味噌汁、卵焼きと海苔といたってシンプルだが……。
「サーバインさんは食べないんですか?」
 素朴な疑問は、朝食はノエルの分しか食卓に上がっていない事だ。
「……さっき食べたんだ」回答がいかにも怪しい。
 さすがにノエルが怪しむ。
 疑惑の表情でサーバインを厳しく見つめる。
「な、何だよ? いつも朝飯食わない俺がお前の為に作ってやった訳じゃ……。そんなに俺の行動怪しいのかよ?」視線を合わせない。
「むぅ~……」
 いかにも怪しいサーバインの行動にノエルは彼の顔を覗き込む。
 ほんの少しだが、照れて顔が赤い事に気が付く。ノエルは間違いなく愛されているようだ。
「わかりました。そんなにまでしてくれたのなら、食べない訳にはいきませんね」
「……おう」
 静かに食卓に着くノエルを、サーバインはじいっと見つめ続ける。
「サーバインさんって嘘が付けない性格ですよね?」
 味噌汁に手をつけようとしていたが、手を止める。ノエルはまだ疑っていた。
「いいからさっさと飲めよ。毒なんて入ってない」
 とてつもなく怪しくてしょうがない。
 が、ノエルはサーバインに惚れた弱みで味噌汁を飲む。
「あれ? 普通に美味しい」
 なんと毒は入っておらず、ダシの効いた普通の味噌汁だった。
「失礼な。俺を好きになった相手に毒なんて盛れるか」
 疑われた本人はムッとしながら眼鏡の位置を上げてノエルを見ている。
「そうか。私って愛されてるんだ」
 今まで気が付かなかったが、夫には重要な属性があるみたいだった。
「そうだよ。もっと食え」
「嬉しいです! 私、あなたと結婚して良かったかも」
 朝食を食べていたノエルが突然倒れた。
 サーバインはただの鬼畜だという事…………。
「やっぱり……ちゃんと毒盛ってるじゃないですか……」
 涙目になったノエルが食卓から転げ落ちる。
 サーバインの眼鏡が光り、
「毒じゃなくて薬の間違いだ馬鹿」邪悪な笑みと共にリリカルステッキを構えた。
 昨夜の惨劇を根に持っていたらしく、復讐心に溢れた氷のような相貌でノエルを睨む。
「な……何す……」全身が痺れてまともに動けない。
 リリカルステッキに不吉な紫電が走る。
「くたばりやがれ!」
 ノエルの身体が突然宙に浮いた。
「…………!」
 ノエルは薬の痺れで喋れなくて反発的な視線を返すだけで精一杯だ。涙と涎が渾然一体になり、ひどい不細工な表情に歪む。
 紫電が禍々しい冷気を伴ってノエルの全身を駆け巡るが……。
 サーバインの魔法の力が突然弱まる。
「ぐ……お前は作用した魔法も吸収するのか……」意外と強い魔力の吸引力に驚く。
 急にノエルの身体は床にドンと投げ出された。
「即死魔法が効かないとは……。ただの俺じゃなくて、もょもとじゃなきゃ駄目だったって事か」意味不明な事をつぶやき、膝を突く。
 今まで気が付かなかったが、妻には重要な属性があるみたいだった。
 しばらくしてノエルが復活する。
「もー、酷いじゃないですかぁ!」ポコポコ怒っている。
 ノエルはただのドMだという事…………。
「私が魔王じゃなかったら今の魔法は死んでましたよ」
 サーバインの突然の奇襲攻撃にも動じず、いたずらをした子供を叱るように寛大に怒っている。
「ラスボスの癖に完全回復の魔法を発動させるなんて、今時のヌルゲーに慣れた小学生がプレイしたら絶望するぜ……。全滅したら復活の呪文も長くて厳しいのに……」
「いつの時代のハードの話ですか?」
 サーバインの凶悪な魔法を受けてもノエルは死ななかった。寧ろ、それが彼なりの愛情表現だと受け止めてしまっている。
「朝から殺したい位愛情を示してくれるだなんて、困った人ですね」
「お前、恐ろしい奴だな……」
 魔王に果敢に挑もうとする勇者は、彼女の強大な特殊能力に怯む。
「私、今日は学校があるんですから、そんなにイチャイチャできませんよ」
 勇者サーバインにはコンティニューが必要な気がした。



 学校に復帰したノエルは授業を終えて教室を出る。
 やはり、いつもの学校生活ように不良に呼び止められた。現実は甘くはないようだ。
「おい、お前、しばらく学校来ないから心配してたんだぜ?」
 ノエルは露骨に嫌な顔で対応する。
「友達になんて顔しやがんだ。まあいい、ちょっと面貸せよ」
 いきなり不良は殴りかかって来ずに、ノエルの細い肩を組みだす。
「嫌ですよ。私はもうあなた達と関係ないんですから……。やめて下さい」
「こっちは話があるんだ」
 やはりズルズルと体育館裏に連行される羽目に。
 下っ端に体育館裏へ連れて行かれると、いつものリーダーが腕を組んで待っていた。
「よく来たなァ。お前が帰ってくるの待ってたんだぜぇ」
 意外に優しいのは、女っぽい外見(本当に女だが)のノエルに気があるからだ。
 ノエルはこの前のように性的嫌がらせを受けないか怯えながら身構えている。
「そう構えるな、今回は何もしない」
 リーダーの言葉にノエルはキッと睨む。
 学校を休んだ間に色々な事があり過ぎて、もう暴力の覚悟は出来ている。
「何だよその面はよ?」
 下っ端がイライラし始めている。
「やっぱコイツ絞めましょうぜ」喧嘩っ早い下っ端。
 ノエルの横っ面を引っ叩こうとすると、下っ端が竜巻に巻き込まれて吹っ飛んだ。
 魔法が発動したのか?
「あれ?」叩かれなかったノエルが驚く。
 下っ端の不良は風の力で服をずたずたにされていた。
「畜生、何だコイツ……」
 不良が薄く血を滲ませて倒れる。
 ノエルは口を押さえてぽかんとしながら様子を見る。
 リーダーが驚いて言葉を失っている隙を見つけ、
「ハハッ、ざまあ見ろよ。今まで散々苛めてくれた仕返しだよ」ノエルは自ら驚きながら思ってもいない言葉を放つ。
 そんな時に後頭部にコーヒーの空き缶が投げつけられる。
「あ痛っ!」
 頭を押さえて振り返ると、出席簿を片手に持ったサーバインがやけにニコニコしながらこちらに手を振っている。
「ちょっとやりすぎじゃない? お前」
 苛めてきた相手を吹き飛ばしたのはサーバインの仕業だろうか。
「げ、新しい先公……?」
不良のリーダーがびくっとなって一人だけで逃げ出そうとする。
「おいおい、慌てて逃げなくていいぞ。今の特別大サービスで見なかった事にしてやるから」
「サ、サーバインさん……?」
 ノエルはサーバインの教師っぽい格好に動揺している。
 サーバインはまた、魔法という高等詐称技術を使って教師の職を手に入れたのだろう。
「気安くファーストネームで呼ばないでくれる? ここでは一応先生なんだからさ」
「どうして私の学校にまで付いて来るんです?」
「妙な力があるお前の暮らしぶりを監視してやらんと思ってな」
 置いてきぼりにされた不良のリーダーが驚きながら二人のやり取りを見ている。
「先生、さっきのノエルの不可解な行動、見てたのか?」
「一部始終とはいかないが、お友達が吹っ飛ぶところはちゃんと」
「コイツを一体何者か知っているみたいだが、教えてくれよ」
「教えて下さいだろ。……そうだなぁ、ノエルをこれ以上泣かしてやらなければ教えてやってもいいかな」
「苛めねえ! 得体の知れないおっかねえ奴をこれ以上苛められるか」
「魔王だよ」あっさりと答えた。
 ギャグみたいな答えに、リーダーが凍りつく。無論、ノエルもだ。
「ハハハ、何だそりゃ?」乾いた笑い。
「見ただろ? さっきの。こいつを怒らせれば世界が崩壊しかねないぞ」
「……え? マジかよ」
「解ったならさ、ふざけて相手にしない事だぞ」
「……カッコイイ!」不良の反応がおかしい。
 ノエルを見る視線がキラキラしたものに変わる。強いという印象を一瞬で擦り付けてしまった彼女の手を強く取る。
「お前がその気になれば、世界を壊滅させる事だって出来るんだな?」
 不良は熱い視線をノエルに送り続ける。
「是非、オイラを仲間に入れてくれ! ムシャクシャする世の中をぶっ壊してやろうぜ」
「コラ」
 呆れたサーバインがリーダーの頭を出席簿で叩いた。
 始業の鐘が鳴る。
「授業に遅れるぞー。単位危うくなっても知らないからな」
「やっべ!」
 リーダーは慌てて、二人を置いて校舎へ走っていく。
「私が魔王って言わなくても良かったのに」
「苛められない保険みたいなものだ。損はしないぞ」
「……むぅ~。私は普通の子でいたいのに、サーバインさんの意地悪」
 今の事件をきっかけに、ノエルは学校でも苛められない強い子に生まれ変わった。












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