初恋に溺れて

文字数 2,000文字

 合否の判定を待っていた時なんて比にならない緊張に(さいな)まれながら、連絡を待つ。望んでいるのはあの時と真逆の結果だけど。

 季節外れの海には人気(ひとけ)どころか生き物の気配もない。どんよりした空は今にも雨が降り出しそうな不穏を(たた)えている。灰色の空・灰色の海・灰色の砂浜――こんなキャッチフレーズじゃ、捕まるのは私ぐらいだよね。ビーチを独占しておきながら胸を占めるのは虚しさばかりだ。
 誰もいない海なんて歌い出す懐メロの、冒頭のフレーズだけが頭の中で延々とリピートし続けている。愛を(うた)うポップスを思い浮かべてしまうのは、未練たらしく可能性に(すが)っている証だろうか。
 いつの間にか、通知ランプが赤く点滅していた。おぼつかない手を(ふる)わせて、スマホの画面を操作する。
 薄目で確認したにも関わらず、「成功した」という一言と、添えられた写真がいやにはっきりと目に入った。

 そっか。そうなんだ。
 おめでとう。

 ああ――ここまでかぁ。
 二人の未来の始まりが、一人の過去に終わりを告げる。

 駄目だなぁ、覚悟していたはずなのに。視界も感情もぐちゃぐちゃだ。とめどなく涙が(あふ)れてきて、心の枯れかけた体にこんなにも水分があったのかと驚いてしまう。

 いつだって私を大切にしてくれて、気遣ってくれたあなた。付き合ってるみたいだなんてからかわれたりしても笑顔だった。だからあの瞬間まで、あなたが他の誰かを選ぶなんて考えたこともなかった。

 一目見ただけで脳裏に焼き付いてしまった、ツーショットで写る笑顔の二人の写真。彼に寄り添う見知らぬ女性(ひと)の姿は、前世(まえ)の私にそっくりだった。


 出会って、結ばれて、来世でも必ず一緒になろうと誓い合った。
 再び巡り逢いたいという願いも、誰よりも傍にいたいという望みも、こうして生まれ変わって確かに叶ったのに。


 運命を信じるかって聞かれたあの日。とうとうこの時が来たんだと胸が高鳴った。信じるよって答えた私に、出会った途端に運命を感じた人がいるんだと、照れくさそうに教えてくれたあなた。希望は瞬く間に絶望へ。繋がっていると信じていた赤い糸は、いつの間に切れていたんだろう。

 共にいられるのなら双子の妹という立場だって構わなかった。あなたに記憶が無いのが分かっても、改めて私を特別(いちばん)に選んでくれるならそれでよかった。血を分けあって、心を分けあって、末永く二人寄り添って生きていく。そんな幸せを夢見たりもした。甘く、儚い夢。

 ごめんね、訂正するね。運命なんて、ないよ。もう信じられないよ。
 何度生まれ変わっても、どこにいても、どんな姿になっても、必ず君を見つけだして誰よりも幸せにしてみせるだなんて――嘘ばっかり。今のあなたの最愛(いちばん)は私じゃない。心変わりしないのは私だけ。生まれた時からずっと傍にいたのに、結局私を見つけてはくれなかったね。

 いっそ別人になってくれたらよかったのに。見た目や立場は変わってもあなたはどこまでも「あなた」で、「私」に向けていたのと同じ眼差しで彼女(あのひと)を想っていた。それがこんなにも苦しくて、息が詰まる。言動に、仕草に、表情に、面影を見つけるたびに、針で刺されるかのように胸が痛んで仕方ない。
 覚えていないあなたを(ずる)いと、(うらや)ましいと感じたとたんに、宝石のように輝いていた記憶は見る影もなく色()せて、宝箱はガラクタの詰まった重荷へと変わった。あれほど執着した想いを今は手放したくて仕方がない。こんなもの、引き継ぐべきじゃなかった。
 馬鹿だね、せっかくの今生(こんじょう)を台無しにして。私が覚えていなければ、理想的な兄妹(ふたご)でいられたはずなのに。

 きっと私の前々世は人魚だったんじゃないかな。交われるはずのない相手に焦がれてしまう宿縁。実らない愛を抱えて、泡となって消えてゆくの。

 感覚のなくなった足をゆるやかに進める。冬の海の冷たさを感じないほどに心は冷えきっていた。
 きっと私は地獄に落ちるね。でも、いいよ。そこにあなたがいないなら。
 二度と浮き上がってこないように、全部ぜんぶ海の底へ。(いかり)のような未練の重みだけで、どこまでも深く沈んでいける気がする。私が「私」だった記憶も、「私」が私である記憶も、藻屑(もくず)となって跡形(あとかた)もなくなってしまえ。
 今度こそ、ちゃんと明け渡すよ。
 次に生まれてくる『私』のことは、この想いから解放してあげなくちゃ。まっさらな思い出を彩っていくからこそ、人生は尊いものなんだ。「私」でも私でもない『誰か』には、押しつけられた価値観じゃなくて、自分自身が愛しいと感じられるものを見つけてほしい。
 この荷は残さず私が持って逝く。負債の無いよう(あがな)うから――。

 幸せになってね。

 神様、ごめんなさい。せっかく願いを叶えてくださったのに。でも、あと一度だけ、私のわがままを聞き届けて頂けるのなら、どうか――。
 もう永久に、私達が出遭うことがありませんように。

 虚無のような海へすべてを託して、それだけを祈った。
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