空っぽの灰皿

文字数 6,828文字

 中学受験を終え、晴れて学校に入学してから、二週間程度が経った。クラスには友達の輪が形成されつつあり、僕は一人取り残されることとなった。友達は勝手になるもんだとよく言われてきたが、その法則は僕には当てはまらないらしい。
 小学生の時は何人かで楽しく会話していた下校時間。僕は一人寂しく帰路につく。ワイヤレスイヤホンから、音楽だけが虚しく僕の耳に届く。
 前からスマホをつつきながら、一人の男性がこちらへと向かってくる。ぶつからないように、と僕は彼の横に避けた。彼はスマホをじーっと見つめ、僕なんか視界の隅にすら入っていない様子だ。
 大きなため息をつく。このまま家に帰る気になれなかった僕は、近場の山にある公園へと行くことにした。
 コンクリートで舗装された長い階段を上りきると、少し開けた場所に出る。イヤホンをしまって、僕は奥に見える展望台に登った。
 登って外の景色を見ようと展望台を囲う柵に近づくと、僕はとんでもない光景を目にした。
 柵に、一人の女の子が寄っかかって座っていた。とても小さく華奢な女の子だった。
 しかしそんな見た目とは裏腹に、彼女は手にタバコを持って煙を吐いていた。彼女の横には、灰皿とストロングゼロが一缶置かれていた。
 そんな異様な光景に唖然としてしまう。
 そして彼女の顔を見た瞬間、僕は更に驚いた。
「あれ、君・・・・・・」
 思わず彼女も目を見開いてこちらをじっと見つめてきた。そして震える唇を動かして言葉を発する。
「・・・・・・うちのクラスの、波多野君?」
 その言葉に確信を持った。僕は彼女の顔に見覚えがある。
「・・・・・・藤原さん?」
 ゆっくり、だけどはっきりと彼女の名前を口に出す。
 彼女は、僕のクラスメートなのだ。
 立ち上がる煙を尻目に、僕らは互いを数分見つめ合った。


「・・・・・・ねえ、本当に誰にも言わないよね?」
「うん。大丈夫だよ」
 そう言って僕は彼女の持つタバコに目を向ける。勢いで誰にも言わないなんて言ってしまったが、本当にいいのだろうか。未成年喫煙なんて、到底許されないことだし、学校にバレたら一発でアウトなはずだ。
 でも僕はこのことを誰かにチクるのが正解なのか、わからなかった。だって彼女は、ほほえみながらタバコを吸っていたから。楽しそうに、幸せそうに。
「私、好きなのよ。これが」
 タバコを指で挟んで上下にゆさゆさと動かす。タバコの火先を見つめる彼女は、どこか寂しそうだった。
 藤原さんは足を伸ばして、大きく煙を吐く。
「なんていう銘柄なの?」
「セブンスター」
 ズボンのポケットからモノクロの箱を取り出す。箱には「Seven Stars」の名とタバコに関する注意事項が書かれている。
「なんで好きなの?」
 なんでかぁ、と藤原さんは足をバタつかせながら数秒考えて、思い出したかのように答えた。
「美味しいから!」
 そんな素っ頓狂な言葉に、思わず唖然としてしまう。藤原さんが、いったいなにがおかしいのか、といった眼差しで僕を見つめてくる。
「・・・・・・かっこいいから、とかじゃなくて?」
「うん」
 真顔でそう言い切る藤原さん。僕はぷっと小さく吹き出す。
「な、なによ。バカにしてるの?」
「いや、バカになんてしてないよ!ただなんか、変わってるなーって」
「もう、それをバカにしてるっていうの!」
 藤原さんは頬を膨らませて僕を小突いてくる。そんな藤原さんの顔がかわいいなあ、とか思いながら、僕はあははと笑うのだった。


 次の日学校に行って自分の席につくと、背中からポンっと誰かに手を置かれた。
「にへへ、おはよ〜」
 振り返ると、破顔した藤原さんがそこに居た。
「おはよう、藤原さん」
 僕もニコッとほほ笑み返す。こうしてみると藤原さんはただの女の子で、とても喫煙という反社会的行為をやっているようには見えなかった。
「ねえねえ、波多野くんってアニメ好き?」
 唐突にそう聞いてくる。アニメは数年前からずっと好きである。しかし、僕はそれにすぐ頷くことはできなかった。
 数秒藤原さんの顔を見つめた後、僕は小さく頷いた。
「じゃあさ、昨日の『氷結の騎士』の最新話見た?」
 氷結の騎士とは、絶賛放送中の割とマイナーなファンタジーアニメである。アニオタくらいしか、知らないだろう。これを知っていてなおかつリアタイで追っかけてるのは相当コアなファンのはずだ。
「うん、見たよ」
 コクリと頷く。
「えーほんとに!よかったよね〜昨日の話は!特にサッシャが可愛かったよね〜いつもはあんなにツンツンしてるのに昨日だけはデレデレしちゃって。可愛すぎて変な声出ちゃったよ〜!あと昨日の最後のバトルもよかった!マックスがあんなに真剣な表情で敵に切り込んでいくのはアニメでは初めて────」
 キンコンカンコン、と始業のチャイムが鳴った。
「・・・・・・自分の席に戻りなさい」
 僕は苦笑して藤原さんにそう言う。藤原さんはシュンとした顔で自分の席に戻っていった。
 そしてまた一日が始まる。
 その後は何事もなく普段通りの授業が進んだ。
 昼休みの間は、藤原さんは藤原さんの友達とご飯を楽しそうに食べていた。僕は一人で食べる。いつもよりも、少しばかり寂しかった。
 午後の授業も無事に終え、終礼も終わり帰宅しようとバッグを肩に背負う。
 すると藤原さんが声をかけてきた。
「ねえねえ、一緒に帰ろうよ」
「あ、うん。いいよ」
 僕は二つ返事で了承した。久々の誰かとの下校に、少しドキドキする。
 僕らは二人で一緒に歩き始めた。
「波多野くん、今日ずっと一人だったね」
「・・・・・・耳が痛いです」
 ひどいなあ、と思いながら苦笑する。いやいやいや、と藤原さんが手をぶんぶんと横に振る。
「ごめんね、悪気はなかったの」
「あはは、いいの。僕がぼっちなのは事実なわけだし」
「でも、やっぱり意外だな〜」
「何が?」
「君がぼっちなの」
「そうかな」
 逆に、僕がぼっちなのが意外であるということに心底驚いた。
「僕陰キャだからさ。新しいクラスで友達を作るのって相当難しいんだよ」
 ははは、と苦笑する。小学一年生とか、幼い頃はよかったのだが、塾に入り始めた頃から人見知り陰キャを発動してしまい、なかなか友達ができなかった。友達はできたはできたものの、今は別の学校にいる。そして中学生になった今、新しく友達を作ろうなんて行動は、ほとんどしなかった。
 結局のところ、僕に友達は居ない。
「え〜でもさ、波多野くんってアニメオタクでしょ?」
「うん、そうだね。アニメは好きだよ」
「だったら、私の友達のアニメオタクを紹介してあげる!あの子小学生の時からいろんなアニメ見ててさ、話してて面白いんだよね、しかもめちゃくちゃいい子」
 そんな藤原さんの提案に、僕は心から喜んだ。
「ほんとに?!ありがとう、嬉しいよ」
「いえいえ。今度お昼誘ってみるよ」
 藤原さんはそう言ってウィンクしながら親指を立ててきた。
「うっ、眩しい」
「そういうところだぞオタクくん〜」
 ニヤニヤしながら藤原さんが僕を小突きながら言ってきた。その後二人で少し見つめ合い、ぷっと吹き出してしまう。
 その後少し無言で歩く。そういえば、と思い出して僕は藤原さんに聞いてみる。
「最寄り、どこなの?弘明寺?」
「話変わるね・・・・・・うん、そうなの。私の家は弘明寺。駅から弘明寺公園とは反対方向にあるんだけどね」
「僕も弘明寺だよ。家は弘明寺公園のすぐ近くにあるんだ」
「じゃあ、前に弘明寺公園に来たのは、帰りに寄っただけなんだ」
「そういうこと。すごい偶然だよね」
 ふふふ、と二人で笑い合う。十二年生きてきたが、よく行く公園に行ったらクラスメイトがタバコを吸っているのに出くわすなんて、とんだ偶然だ。
 昇降口で靴に履き替え、正門を抜けて学校の外に出る。そよ風が辺り一帯に吹いており、彼女の結んだ髪を揺らす。
 学校の周りは下校中の生徒と少々の車しか居ない。高校生の話し声とハイブリッド車の静かなエンジン音だけが街に響く。
「ほんとに、誰にも言わなかったんだね」
「え?何を」
 なんのことだろうと思っていると、彼女がブレザーの胸ポケットから一つの箱を取り出した。箱には、『Seven Stars』の文字。
「・・・・・・いつも、持ち歩いてるんだね」
「うん、好きなときに吸いたいからね」
 流石に学校では吸わないけど、と藤原さんは付け加える。
「言わないよ。誰にも。だって」
「だって?」
「約束だもん」
 できるだけの笑顔を作って藤原さんにそう答える。
「・・・・・・約束。そっか」
 寂しそうな笑みを浮かべる藤原さん。強い風が一瞬吹いて彼女の髪を大きく揺らした。
「そっかそっか。約束だもんね」
 すると少し目が赤くなる藤原さん。
「ど、どうしたの?」
 心配になって聞くと彼女は首を振った。
「ううん。いいの」
 その言葉以降、僕たちの最寄りである弘明寺駅までほとんど会話はなかった。あったとしても、ほんの少しだけ。
「・・・・・・今日も行こ。公園にさ」
 駅につくと、彼女はそう言った。僕は黙って頷く。
 昨日と同じ展望台に行くと、彼女はタバコに火をつけて吸い始める。
 何回かタバコを吸って煙を吐くのを繰り返す。僕はそんな彼女の横顔をまじまじと見つめる。やはり、寂しそうな横顔をしている。
「私ね、昔友達に約束をしたの。『好きな男の子を二人だけの秘密にする』っていうね。私は当時仲が少しづつ良くなってきたクラスきってのイケメンに恋をしちゃってたからさ、それは秘密にしてね、ってさ、親友ちゃんに話したのよ」
 大きく煙を吐いて、藤原さんは唐突に話し始めた。
「でも、親友ちゃんはそれを破ってさ。私の好きな人をクラスメイトにばらまいちゃったのよ。そしたらすごくてさ〜」
 あはは〜と笑って彼女は伸ばした足をぷらぷら動かす。
「次の日からイジメみたいなことが起きてさ。なにせ片思いの相手がクラス一のイケメンだからさ〜、一軍気取りの女子たちが私に詰め寄ってくる理由よ。あなた一体何様、彼は私の物よって。最近彼にいいよってさ、調子乗り過ぎなんて言われて、バケツで水をかけてきた」
 藤原さんは一度タバコを吸って煙を小さく吐いてから続けた。
「そんな感じが数日間続いた後さ。一人の子が救いの手を差し伸べてくれたのよ。誰だと思う?」
「さあ・・・・・・正義感のある男の子とか、学級委員とか・・・・・・先生?」
 チッチッチ、と藤原さんはタバコを横に振る。
「正解はツカサくん。・・・・・・私の、好きだった人」
 予想外の答えに、思わず「えっ」という声が出てしまう。
「彼、すごいかっこよかったの。私があんな目にあっていると知ったその日にいじめてきた子たちのところに行ってさ。ものすごい剣幕で怒ってたよ。調子に乗ってるのはお前らだってね」
 彼女はグリグリと灰皿にタバコを押し付ける。火が完全に消え、灰が灰皿の上に落ちきったことを確認して、彼女は吸い殻を柵の隙間から外に投げた。
「それでいじめてきた女の子たち泣いちゃってさ。すごくすっきりした」
 藤原さんは立ち上がって柵の上から外の景色を見つめた。僕もそれに続く。目の前には、美しい夕焼けが広がっている。見慣れた景色だが、いつ見ても綺麗だと感じる。
 暖かい風が一本吹き抜ける。木の枝がすこしざわめいた。
「結局そのあと振られちゃったけど、彼は本当にイケメンだったよ。卒業して離れ離れになった今でも、たまに彼が夢に出てくる」
 藤原さんはおもむろに髪を下ろした。今までの印象がガラッと変わり、大人びた様相に見えた。そんな彼女の横顔に、少しドキッとする。
「・・・・・・でも。彼がイジメを解決した後、私は殻に閉じこもった。誰にも私と深く関わらせようとはしなかった」
「え、どうしてなの」
「怖かったのよ。裏切られるのが。仲良くなったって、いつかは裏切るってずっと怯えていた」
 今もそうなのよ、と彼女はタバコに火をつける。
「でも今日、その考えがちょっと変わった」
「え?」
「あんな純粋に、約束だからなんて私のこと黙ってくれるなんて。あんなことされちゃ、波多野くんは裏切らないんだろうなって思っちゃうよ」
 藤原さんはそう言って僕に微笑みかける。その瞳に射抜かれて、心臓の鼓動が増していくのを感じた。
「・・・・・・当たり前だと思うよ」
「その当たり前を、平気で壊してくる人だっているのよ」
 藤原さんが空に向かって煙を登らせる。
 その後沈黙が続き、風だけが音を鳴らす中、静かに太陽が沈んであたり一面が暗くなった。
 日没と同時に藤原さんはタバコを吸い終え、灰皿に灰を落とす。
「帰ろっか」
 優しい笑顔で、僕にそう言ってきた。
 僕は、黙って頷く。一匹の鳥の鳴き声が、公園に木霊した。


 そうして僕たちの生活は平和なまま進んでいく。僕は藤原さんつながりで友達が増えた。アニメオタクの友達だってできた。一学期の中間考査も終え、次第に生活は楽しくなっていき、僕の悩みはなくなっていった。
 そして、今。僕と藤原さんの仲はもっと深くなり、絆も強くなっていた。
 いつものように、僕は藤原さんと下校する。
「最近、波多野くんの笑顔が増えてきたよね」
「そう?」
「うん。ちょっと前はいつも一人で机に座ってシュン、としてたのに、今は友達と楽しそうに話してる。それも、笑いながら」
「あはは、でも藤原さんのおかげだよ」
 心からの感謝を藤原さんに伝える。あの後、藤原さんは本当にオタク友達を紹介してくれた。僕とそのオタクさんはとても話が合い、今も仲良くしてもらってる。
「うふふ、恩に着なさい」
「うん、いつかこの借りは返すよ」
 僕は笑ってそう答えた。
「・・・・・・ほんっと、君って真面目だよね」
「そう?」
「うん。まっすぐでお馬鹿さん」
「バカってなによ」
 笑いながら藤原さんを小突く。
「ちょっと、痛いよ」
 彼女は笑いながら小突かれたところをさする。
「ほんとに?」
 できるだけ心配に言った。
「そういうとこ」
 ニヤニヤしながら藤原さんがそう返してくる。そのあと二人で見つめ合って、ぷっと吹き出した。
「ねえねえ」
「なーに」
「もう仲良くなって一ヶ月くらい経ったじゃん?」
「そうだね」
「なのにお互いに名字呼びってさ、なんか変じゃない?」
 だから、さ。と藤原さんはすこし恥ずかしそうに提案してくる。
「下の名前で呼び合ってみない?」
 急な提案に心臓が飛び跳ねる。下の名前で呼び合う?女の子を下の名前で呼ぶ?それって
「・・・・・・あはは、なんだか恋人みたいだよね」
 藤原さんが顔を赤くして言ってくる。口に出されるとよけいに恥ずかしくなってしまい、思わず顔を背けてしまう。
「・・・・・・いいの?ほんとに。また変な噂流れちゃうかもよ?」
「いいよ、君となら」
 優しい声音でそう言ってくる。思わず振り返って彼女の顔を見る。彼女の頬は、赤く染まっていた。
 童貞の僕には、少々刺激が強すぎて、なんて言えばいいかわからなかった。
「弥生」
「え?」
「私、藤原弥生だよ」
 その一言に大きく心が揺れる。彼女が上目遣いでこちらを見てくる。
 僕は腹をくくった。
「・・・・・・弥生」
 彼女の目をまっすぐ見つめてそう言った。彼女は足を止め、僕のことを見つめ返してくる。僕も足を止めて彼女をじっと見つめ続ける。数秒後彼女の顔はボッと爆発して、僕から顔を背けた。
「・・・・・・ずるいよ」
「提案したのはそっちでしょ」
「んもう!バカバカ」
 急に振り返って僕のことをぽかぽか叩いてくる。小動物みたいで愛らしい。
 目の前の信号が青になったため、僕たちはあるき出す。
「・・・・・・──」
 彼女が口を開いたその瞬間だった。
 一つのクラクションが大きく鳴き声を上げた。
 横を見ると、一台の乗用車がこちらへ猛然と迫っていた。
 藤原さんはあっけにとられ、その場で動けなくなってしまった。とっさの判断で、僕は彼女を抱いて思いっきり前にジャンプした。
 そのおかげか、間一髪で車は僕たちの後ろを通り過ぎ、僕たちは地面に少し強くぶつかったものの、ほとんど傷を負わずにすんだ。
「大丈夫?藤原さん」
「うん・・・・・・」
 藤原さんの声は震えている。後ろから一人の女の子が駆け寄ってきた。家の学校の生徒のようだ。
「大丈夫ですか・・・・・・って、え」
 そして彼女が僕たちを見つめた次の瞬間、彼女は目を見張った。なにかを目を見開いて凝視している。どうしたんだろう、と彼女の視線の先に目をやる。
「え」
 そこには、一箱のセブンスターが落ちていた。
 藤原さんが、それが落ちているのに気づいた。彼女の顔は、よく見えなかった。
 一匹の鳩が、僕たちの真上を通っていった。


 その後藤原さんは学校側に何もかもバレることになった。飲酒喫煙はもちろん、なんとパパ活までやっていたらしくそれもバレることとなった。
「パパ活とか初耳だよ〜」
 いつもの展望台で寝転びながら愚痴る。僕の隣には、一つの灰皿。中身は空っぽだ。
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