文字数 3,451文字

 出会い系での相手とやり取りというのは、なんとなく相手との空気感ってのがあって、24時間がんがんメールをやりとりするって場合もあるし、一日一回しかやりとりしないってのもある。僕は日中は仕事をしていて、学生みたいにがんがんメールを返すこともできないので、基本的には夜にやりとりする。お互いにも趣向ってものがあるので、そのリズムが合わなければ、徐々にやりとりがなくなっていくのだ。美香は21歳だった。僕は26なので割と年下だと思ったけど、聞くと仕事をしていると云ったから、そういう意味で生活リズムは似ていた。昔1時間に一回メールをしてくる大学生の子が居たけれど、それは流石に疲れて途中で止めてしまった。
 美香とやりとりを始めてから1ヶ月程は、日々の出来事や仕事の事をなんだかんだと話していたけど、或る日突然メールがこなくなった。最初は、どうしたんだろうなんて頭の片隅で思っていたのだけれど、その内美香のことを考える事もなくなった。僕はその時、他にも2人ほどやりとりをした相手が居たし、こうい関係は途中でやりとりが途切れるなんてことはしょっちゅうだったからだ。美香からのメールが来なくなった時も、僕とのやりとりに飽きてしまったのか、或いはやりとりする中で何か気に障るような事があったのか、いずれにせよ途切れる何等かの理由があったのだろうと漠然と考えていた。
 出会い系で相手とやりとりが破綻してしまった場合は、固執せず次を探し始めるのが基本だ。そう意味で、出会い系で相手を探すのは街でナンパする時の思考と似ていると思う。
 それから美香の事なんてすっかり忘れてしまって2週間ほど経った時、また彼女からメールが届いた。メールを読んでみると、パソコンが壊れてしまって買い換えたのだそうだ。それが本当なのか嘘なのかなんてどうでも良いことだが、ともあれ、一つ分かった事はこの子は僕とやりとりを継続したいのだと云う事だった。
 だけれど、僕はここまでして僕に執着してくる彼女の真意が分からなかった。そして、そこからは地雷の匂いしかしなかった。過去に同じような感じでやたらと食い気味にアプローチしてくる年上の女の人が居たが、写メ交換をすると岩のような顔が画面いっぱいに映っていたのでそっと携帯を閉じてフェードアウトした事があった。
 そういう風に食い気味に来る人々は、そういうアプローチをせざるを得ない何かしらの個人的な理由があるのかもしれない。メールを出すタイミングや、メッセージの内容、幾ら通信機器が発達したとしても、人間の起こす行動というものは、その端々に相手の感情が垣間見える。そして、僕はそういう美香の食い気味のメールを見ながら、やり方がヘタな人だなぁと思っていた。
 僕の中で事態が急変したのは一昨日だった。一昨日の写メを交換した日からだ。美香が唐突に写メを交換したいと云い出した。それくらいになると、僕たちはサイトを通さず本アド交換していた。
 美香から受け取った写メを見て、僕は自宅の椅子からひっくり返った。そこには、びっくりするほど可愛い女の子が口元をピースで隠しながら映っていたのだった。セミロングの黒髪を伸ばして、大きな眼をきらきらさせている。
 『どう?』
 どう?と云うのは私の顔を見てどう思いますか、という感想を、美香が率直に求めているということだ。だとすれば、それは椅子からひっくり返ったこのもののあわれな有様を見て頂ければ一目瞭然なのである。
 『可愛くてびびった。びびって、椅子から落ちた』
 『うける。圭太ってこんな顔してるん。眼鏡かけてる』
 『イケメンじゃない事、大変申し訳なく思っている』
 『なんで。眼鏡良いやん』
 地雷だと思っていた子が実は可愛かったという事実は、これまでのやりとりからの予想を遥かに超えていたという気持ちの落差もあって、僕の心にがつんと衝撃を与えた。でも、それと同時に、だとしたら、この子はなぜこんなにも地雷めいた感じなんだろう。メールの端々に感じる不安定さや、自信のなさみたいなもの。杓子定規な見方しか僕には出来ないが、美香のような身形をもっていれば、周辺には男が寄ってくるだろうし、いろんな局面でも助けてくれる人は居るのではないか。美香ほどの可愛さがあれば、世の中なんてきっと容易いはずなのに。
それから二日後、僕らは海の見える駅で待ち合わせをした。

                    *

 潮風が駅の構内を通り抜ける。南側の出口に近づくにつれて夕日に照らされた海辺が見えてくる。眼の前は背の低いコンクリートの塀になっていて、おじいさんがその上にワンカップを置きながら、繰り返す波の満ち引きをいつまでも飽きもせず眺めている。みんなきっと、広大な海を見ながら、それぞれなんらかのなにかしらにもんもんと思いを馳せているのだ。おじいさんが美味そうに酒を飲んでいるのを見て、僕もビールが飲みたいなと思った。
 階段を下りて砂浜を踏むと、さくっと音がした。美香が嬉しそうに眉毛を上げる。それから顔を上げて、辺りを見渡して深呼吸。
「潮の匂い、すごいする」
「生物の死骸とフンが混ざった匂いな」
「云い方」
「だって、漫画で云っててんもん」
「それでも良いの!」
 僕は二人分のてりやきのセットを持っている。開いている左腕に掴まりながら美香が歩く。
 美香には、懇意にしている人が2人居る。簡単に言えば、所謂セフレと云う奴だ。
 二人とも、僕と同じように掲示板の募集で出会った人らしく、僕より年上だそうだ。
「やっぱり、良い人だよ」
 美香は電話口でそう云っていた。一人は既婚者の30代会社員だった。もう一人は40代の男で、職業は知らないらしい。
「出会いが特殊やからこういう付き合い方になってるけど、そんなにおかしいとは思わへんなぁ。」
 美香の二人の相手は、美香の事を気遣って、時には美香が経済的に困っていると金銭的な手助けをしてあげるとか、心配毎があれば親身になって相談に乗り解決に導いたりする。美香は金銭的な支援は最後まで拒否したらしいが、相手は頑として受け入れなかったらしい。
 そんな、友達でもなく恋人でもなく、だけれども他人ではない関係。その関係は、一体何と呼べば良いんだろう。セフレ、って響きはどこか現金な気がする。馴染み?懇意にしている人… …妾。二号さん、とか。それぞれには、それぞれの事情で守るべき人たちや生活範囲があって、それをお互いは了解しつつも、懇意な関係。ただの友達とは違うと思うケドね。と、つぶやくような声が電話口から聞こえた。
 吹いた潮風は、11月終盤にも関わらず、そこまで冷たくない。
 僕らの後ろからたまに拭く強い追い風が背中を押すと、ふわりとした感触がして足が一歩出る。美香が面白がって、腕を引っ張って波打ち際まで行こうとする。
「靴が濡れるから、嫌や」
「今日は、私の要望で来てるねんで」
「そうやけど」
「大丈夫やって、ほら」
 美香のパンプスが、濡れた砂利に埋もれる。何が可笑しいのか、僕の腕を引っ張りながら何度も砂利の上を歩いていると、向こうの方から波が来るのが見えて、僕は咄嗟に美香の手を引いて逃げた。それからすぐ割と大きな波が返ってきて、僕らは少なからず水しぶきの犠牲となった。
「服濡れるってば、もう」
「あははは」
「マクド、早よ食べんと、冷めてしまう。えーっと、」
「どこいくん」
「あっちの防波堤が良いわ。あの、釣りしてる人が居るところ」
「良いねー。… …なぁなぁ」
 美香が僕の手を引っ張ってこっちを向けと指図するので、僕は防波堤を見ていた視線を美香へ向けた。
「圭太ってさ、お兄ちゃんでしょ。」
「そうやで。そういうキミこそ、末っ子でしょ」
「すごーい、なんで分かるん」
「こちらこそ」
「妹のわがままに、渋々付き合ってる姿が目に浮かぶなぁ」
「それじゃ、もうちょっと協力的になって頂けると、こちらも助かるんですケドね」
「んじゃ、おんぶして」
「聞いてましたかね、僕のハナシ」
 美香の人の話を聞いていないところとか、この感覚は僕が生まれてから何度も体験していたものだ。兄である僕は、妹に対してそういう振る舞いを決められていた。
 僕らは生まれた時から境遇や決められた役割を与えられている。そして、生きていくにつれてその役割は更に増えていく。僕らは知らない内に、いつの間にか取返しのつかないところまで歩いてきているのだ。その優しい繋がりは、その優しさのせいで簡単には捨て去ることなんてできない。
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