#顔面クライシス 〜我が名はアダム〜

文字数 23,094文字


 ある朝、大学一年生の平野は洗面所の鏡で自分の顔を眺めている時に、胸の奥から妙な嫌悪感が湧き上がってきていることに気がついた。

 彼はドライヤーの電源を切り、手を止めた。彼は朝の沈黙の中で、じっと鏡の中の自分を見つめた。

 それは「生理的に受けつけない」という、他人の容姿に対する厳しめな言葉の意味を、自分の顔を通して理解した瞬間だった。


        ◇


 なんの前触れもなく、鏡の向こう側から真実を突き付けられていた。まるで鈍い刃物を首元に脅迫的に押し付けられるように。すぐさま皮膚を割かれるほど鋭利ではなかったが、確実に首元に圧力をかけられていた。

 それは頭の中で順序立てて理解したと言うよりは、体感に近いものだった。

 彼の心臓は不規則に脈打ち、皮膚の下を不穏なざわめきが駆け抜けていった。

 続けて、動揺と目眩が押し寄せてきた。それはまるで氷点下の寒さの中で誰かに背中を押され、冷たい水の中に落とされたようなものだった。

 いつも鏡に向かう時に自然に表出していた、上目遣いの余裕そうな表情は消えていた。

 どう頑張って見ても、その顔は美化されてはいなかった。


        ◇


 彼は、沈黙と混乱の中で意識がねじ曲がったまま、我が事ながらボンヤリと事の成り行きを見守った。

――ひとまず、髪型が決まるとかどうとかは、もう、どうでもいいだろう。

 彼は再びドライヤーの電源を入れて髪を乾かした。その間、なるべく鏡の向こうの人物とは顔を合わせないようにつとめた。

 ドライヤーを戻すと、髪型のセットも気にせずに、部屋に戻った。

 大学の入学と同時に引っ越してきたワンルームのアパートの、自分のベッドに腰掛けた。自然と両手の指を組んでいた。

――嘘だろ?

 彼は小さく首を横に振った。心臓はまだ小さく速く脈打っていた。

 心はすでに自分の容姿という狭い場所に監禁されてしまっているような気分だった。そこから一生離れることも、抜け出すことも許されない。

 そして少しばかりの息苦しさに襲われた。実際に息苦しいわけではなかったが、吸い込む息はサラサラとして薄く、吐く息は粘り気があり喉に引っ掛かるように感じた。

 彼は部屋の時計を見た。時刻は午前8時20分。

 それからその日の授業を休むという決断を下した。

 どうせ今日は教養の科目が2コマ。一日休んだところで単位取得には影響はないだろう。

 そもそも誰にも会いたくない。

 彼はベッドの上に寝そべると、静かに息を吐いた。

 それから短い眠りについた。

――どうして、今のいままで、気づかなかったんだろう……。


        ◇


 再び目が醒めてからも、現実はその続きだった。

 彼は再び洗面所の鏡の前に立っていた。

 もちろん、容姿は美化されることなく、元の冴えない顔のままだった。

 おそるおそる顔を観察してみたが、どこがどう良くない、という話でもなかった。

 パーツの一つ一つ、そして組み合わされた全体が、漠然と自分の抱える自己イメージとはかけ離れたものになっている。

――なんだか魔法が解けたみたいだ。

 彼は自分の顔を眺めながら、その理想との落差に、むしろ不思議な感情を抱いた。

 それから妄想を振り払うように、首を小さく横に振った。

――そうだとしたら、じゃあ、いままで一体なんの魔法がかかっていたんだ……。

 これは逃れようもない事実だったが、彼はいままで、自分の顔を――世間的に見て――そこそこマシなほうだと認識していた。


        ◇


 それからしばらくの間、平野は自らの行動のすべてに自信が持てなくなった。

 気持ちを奮い立たせて、かろうじて外出することはできたものの、もはや以前のような気分ではいられなかった。

 周りの人とすれ違う度に、胸の奥から申し訳なさが押し寄せてきた。

 誰からも好い印象を持たれていないような、殺伐とした空気を感じていた。

 自分なんかが誰かと関わってはいけないような気がする。

 彼が街中で目にするものすべてが、不親切で威圧的な気配を帯びていた。

 突如訪れた新しい現実に身体を馴染ませるためには、それを受け入れるにせよ、受け入れないにせよ、それなりの時間の経過が必要であるようだった。


        ◇


 真実の対面から2日ほど経って、ようやく彼は少しだけ気持ちを落ち着けることができた。

 その間、買い物にも行かず、食事もほとんど摂らなかった。

 口にしたのは、炊飯器に残っていた白米で作った塩むすびを一つ。彼は涙をこらえながら、それを咀嚼し飲み込んだ。

 あとの時間は、じっとベッドに腰掛けたまま、ひたすらに頭の中で情報の食い違いを処理していった。

 部屋の中にいることの息苦しさに耐えられなくなると、誰もいない暗い夜の道をひたすらに歩いた。そうすることで混乱する頭を少しだけ落ち着かせることができた。外の空気を吸えたせいかもしれない。

 ぼんやりと歩きながら、過去を振り返り、新たな現実との齟齬を見極めて受け入れていった。

 平野は取り急ぎ、自分の評価を下方修正するとともに、それまで漠然と思い描いていた人生設計も見直すことにした。


        ◇


 新築の広い一軒家。車寄せには新車のボルボ。リビングにはゆったりと座れる北欧デザインのソファーと、温かみも与えてくれる照明器具。

 そこに居合わせる自分の奥さんは、モデルのように笑顔が美しく、休日の昼時には美味しいお茶を淹れてくれる。それが彼女のこだわり。彼女は可愛らしさと美しさを兼ね備えている、とても素敵な人だ。

 それから自分のもとに無邪気に駆け寄ってくるのは毛並みの整ったゴールデンレトリーバー。かまってほしいのか近くにいたいだけのか、ソファーのそばでしっぽを振っている。愛嬌もあるがとてもお利口な犬だ。

 大きな窓に掛かったレースのカーテンが柔らかな日差しを受けとめ、そよ風に優しく揺れている。

 平野はそこで明るい幸せに身を包まれている。

 何もかもがうまく行っている。

 そんな将来を迎えることを、漠然と考えていたものの、そんなイメージは自分の顔を中心にしてひび割れ、粉々に崩れ落ちていった。


        ◇


 どう考えても、いまの自分には似つかわしくない縁遠い風景だった。

 そんな幸せを手に入れてどうする? この顔で?

 そう思うと、平野は大きな夢から追放されたような気持ちになった。

 かと言って、自分の身の丈に合った幸せな姿をイメージすることもできなかった。

 ニッコリと微笑む自分の姿を想像するだけで、どこからともなく憎悪の念が湧いた。

 そんな自分自身に怒りをぶつけたくなった。

――お前はなぜ笑っていられるのか?

 そう問い詰めたくなった。


        ◇


 さらには、誰とも会わずに、急に自分と向き合いすぎたせいかもしれない。

 いまや彼にとって不都合になった過去が、記憶の奥底から次々と思い出されてきた。

 考えないようにすればするほど、回想を止めることはできなくなった。

 放課後の夕暮れ時、内面がカッコ良かった中学時代の平野は、仲のいい友人に向かって恋心について語っていた。そして真面目にこう言っていた。

「あいつさ、おれのことちょっと好きだと思うんだよね……」


        ◇


 平野は部屋の中でひとり身悶えしていた。恥ずかしい過去が止めどなく押し寄せてくる。あれもこれも、できることなら過去に戻って訂正したい。

 中学時代の自分の胸ぐらをつかみ、こう言いたかった。

「もっと謙虚に生きろ。他に努力をしろ。フィクションを真に受けるな。少なくともお前はその器じゃない」

 そんな叶わぬ願いは、なおさら平野を悲しい気持ちにさせた。


        ◇


 様々な現実と過去との格闘の末、心がこれ以上なく乾ききったところで、平野はようやく立ち上がることができた。

 それは彼の人生における、ひとつの試練を乗り越えた瞬間でもあった。

 闘いを終えた彼の目は、ドンヨリと濁り、口元には気味の悪いうすら笑いが浮かんでいた。

 彼は心に誓った。

――おれはとにかく謙虚に生きる。

 それが、彼が導き出した今のところの答えだった。


        ◇


 再び街を歩けるようになった平野は、手洗い用の石鹸と歯ブラシの替えを買うために駅前のドラッグストアに出向いた。

 美形だろうがブサイクだろうが、腹は減るし、石鹸も必要だ。もちろん歯も磨く。そのためにドラッグストアは豊富に品を揃えていてくれる。

 明るい店内を巡り、手洗い用の石鹸と歯ブラシ、ついでに洗濯用洗剤の替えも買うことにした。

 謙虚であろうと心に決めた平野は、人が居る通路は避けて、なるべく邪魔にならないように進んだ。

 店内は狭く、他の客はあちこちに居た。おかげで目的の品を手に入れるまでに非常に複雑な経路を選択することになった。

 レジに向かう途中で、平野は誰かの強い視線を感じ、内心ビクつきながら、そちらを振り向いた。

 それは人ではなく、化粧品売り場にある商品の宣伝用のポスターだった。

 モデルが振り向くような角度で顎を傾けながら、挑戦的な目つきで平野のほうを見ていた。ナチュラルな雰囲気を振りまきながらも、目元のメイクがばっちりと決まっている。

 容姿にコンプレックスを抱いたばかりの平野は、通りすがりの不良に喧嘩腰で睨まれるのと同じ戦慄を感じて、思わずその場から立ち去った。

 その視線を感じた瞬間、呪いのように皮膚の下に一瞬のざわめきが駆け抜けた。

 レジで代金を支払い、商品を受け取った。店員に「ありがとうございます」と礼を言って立ち去った。

 謙虚な平野は思った。

――常に感謝を忘れずにいよう。だっておれの容姿は、横柄な醜い態度に耐えられるほど美しくはないのだから。


        ◇


 帰りがけに駅の中を通る時に、ドラッグストアで見かけたポスターと同じ広告に出くわした。それは幅が3メートルを超える巨大な掲示物だった。

 鋭く自信たっぷりな美しいモデルの顔は、先ほどと同じように正面に立った平野を睨みつけていた。

 彼は思わずその場に立ちすくみ、その広告を眺めた。

 モデルの顔の大きさは1メートルを越えていた。そこから身体のサイズを推測すると、全長が8メートルを超える巨人になる。

 平野はその美しき巨人に見入った。その顔の横にはキャッチコピーが印字されていた。

『あなたらしく美しく――』

 化粧をしない姿のほうが本来の自分なのでは? と平野は一瞬思ったが、すぐにその考えを振り払った。

――おれごときが矛盾を指摘していいわけがない。自分らしくいるには

化粧をするのが必要なんだ。

 それから、逆らった罰として美しき巨人によって、ハエのように呆気なく潰される自分の姿が目に浮かんだ。

 自分の無力さを再確認したところで、彼はその場を立ち去った。

 ついでに誰にも見られていないか周囲を確認した。

 幸い、誰も広告の前で立ち止まる平野を睨んではいなかった。

 彼はなるべく通路の隅のほうを歩いた。


        ◇


 部屋につくと、帰りがけにコンビニで買ったおにぎりを食べた。コンビニの店員にもきちんと「ありがとうございます」と伝えた。

 いつの間にか空腹になっていたのか、腹に食べ物が収まることで、いくぶん安心した気持ちになった。

 それから、静かに涙が流れてきた。

――謙虚に生きていくと決めたけど。それにしても、ずっとこの顔で生きていくのかな。

 それは逃れようのない事実だった。

 部屋の隅を見ると、2人の人物が突っ立っており、こちらをジロジロと見ていた。


        ◇


 それは平野の中にある強迫的な美醜の価値観が擬人化された姿だった。

 平野にとってその2人は、女性の姿をとっていた。品定めをするように厳しい目つきで眺めた後に、何事かをコソコソと2人で話し合っている。平野に対して良い印象はまるで持っていないようだった。

 2人はその一連の流れを、飽きることもなく繰り返している。

 いつの間に部屋に入り込んだのかも分からなかったが、ずっとストーカーのように彼の後ろをついてきたのだろう。

――頼むから、消えてくれないかな。

 平野は涙を拭いながら、静かに願った。

 一度目を閉じて、首を横に振ると、その2人の影は跡形もなく消えていた。


        ◇


 彼はベッドから起き上がると、ゆっくりと息を吐いた。

 いつの間にか横になって眠っていたのだろう。

 外からは夕暮れ時の光が差し込んできている。

 彼は何もする気にもなれず、部屋の中にいても悲しさが込み上げてくるだけだった。

 日が陰ると、彼は再び外に出て歩くことにした。

 暗闇に身を任せることが唯一の慰めであるかのように。


        ◇


 平野は目的もなく、人のいない道を選んで歩いた。

 進行方向から人が来たときには、すれ違わないように脇道に逸れて歩いた。

 彼は過去を変えたかった。

 それからすべてを誰かのせいにしたかった。

 そもそも世界にこんな価値観がなければ、自分と同じように人生に落胆する人も出ないのに。

 そもそもの最初から全部やり直したい。

 平野は強く思いを抱き、それからアダムとイブについてボンヤリと考えていた。

 知恵の実なんて食べなければよかったんだ、と。


        ◇


 ずっと昔のある日、エデンの園でヘビはイブを見つけて誘う。

「なあ、イブ。野球やろうぜっ」ヘビの声は幼児向けのアニメに出てくるような鼻声だった。

「野球?」イブは純朴な声で聞き返す。

「丸い木の実がたくさんあるでしょ? あれを棒でスカーンと打つのさ」ヘビは説明した。

「なにそれ! 面白そう!」イブはすぐに乗り気になった。「アダムも呼んでくるね!」

「いいね!」ヘビは楽しそうに言った。

 イブに誘われたアダムもノリノリで参加した。

 それから彼らは、野球を始めた。

 アダムは来る途中に大きな木の棒を見つけて拾い、それを全力で振り回した。

 イブが放り投げた木の実を、アダムが棒で全力で打った。

 木の実はエデンの園の端まで届くくらい勢いよく放物線を描いて飛んだ。その様子をヘビや動物たちは驚きの表情で眺めた。

 木の実が飛ばされる度に観客のあちこちから歓声があがった。

 その頃のアダムは、知恵の実を食べていなかったので頭の方は純粋に馬鹿だったが、全身がやたらに筋肉質で力だけはあった。

「いいなあ! いいなあ! わたしもアダムみたいに打てたらなあ」イブはアダムの筋力を羨ましがった。アダムの前にイブも挑戦したが、木の実はあまり飛ばずホームランにはならなかったのだ。

「きっとイブにもできるよ!」アダムは棒を振り回しながら、にこやかに答える。

 そうして彼らは知恵の実を含め、あらゆる木の実を鮮やかに打ち込んでいった。そのたびに木の実は鮮やかな曲線を描いていった。

 その時、遠くから急いで駆け寄ってくる声がする。

「コラあああ! お前ら何やっとるんじゃああ!」それは神様の声だった。神様が急いでこちらに走ってきていた。

「あ、管理人さん!」イブは振り返ると明るく呼びかけ、手を振った。

「違あああう! わしゃ神様じゃ。楽園の管理はしとるが、管理人なんかじゃあない!」

「ふーん」イブは神様の生き生きとした様子に感心しながら、詳しい違いはよく分かっていなさそうに頷いた。

「まったくお前らときたら……」神様はみんなの様子を見て絶句した。

「次おれの番! おれの番!」ウサギがアダムに催促していた。アダムは楽しそうに動物たちに打ち方をレクチャーしていた。

 ああそうだった。よくよく考えたら、こいつら知恵がないから恥も外聞もなく馬鹿なんだったな……。神様は呆然とアダムたちを眺めながら、そう反省した。

「木の実をボール代わりに遊びおって! 食べ物で遊んではいかんのだよ」神様はアダムたちに諭すように言った。

「でもさ、食べちゃいけないんでしょ?」すぐさまイブが反論した。それから楽しい事実を発見したのか、目をきらめかせた。「食べちゃいけない食べものってなあに? あれれ? なんだかおもしろーい!」

「乗っちゃいけない車!」ヘビもすぐに思いついたのか便乗した。

 みんなはそれを聞いて笑った。

「走っちゃいけない廊下!」アダムも思いついたのか言った。

「それは普通にダメなやつじゃん」イブが笑いながら言った。

「あれ? あ、ほんとだ!」アダムは照れ隠しに頭を掻いた。

「もう、アダムったらー」イブも楽しそうに笑った。

 周りの動物たちも可笑しそうに笑っていた。


        ◇


 平野は自分でも何を考えているのか分からなくなってきたため、部屋に戻ることにした。

 とぼとぼと歩きながら、ため息をついていた。

 部屋に戻り、再びベッドに腰掛けた。

 歩きてきたにも関わらず、身体が冷えているような実感があった。手足がじんわりと冷たい。

 それから思い立ち、彼はシャワーを浴びることにした。


        ◇


 平野は服を脱ぎ、全裸の身体を鏡に写した。

 おそるおそる鏡を見たが、顔は変わっていなかった。

 股間を見ると、彼のアダムは恐ろしく縮こまっていた。

 まるで職を失ってションボリと落ち込んでいる人のように見える。

 平野は顔を眺めたときとは別の驚きを感じた。

 あわてて指でつまんで軽く振ってみたが、ゴムのように震えるだけで、たいした生気は感じられなかった。

 彼は仕方無しにそのまま風呂場に入ってシャワーを浴び、身体を温めた。


        ◇


 シャワーを浴びて、いくぶん身体が温まったおかげか、平野のアダムも縮れはとれたようだったが、それでもぐったりとしており、以前ほどの元気は感じられなかった。

 平野はその様子を自身の心模様を反映しているものとしてとらえ、納得した。

 バスタオルで頭を拭きながら、平野は考え事を続けていた。

――イブの言う通りだ。

 そもそも食べちゃいけないものが、食べ物の形をしているのがおかしい。

 アダムたちは禁じられたレンガブロックを無理に食べようとしたわけじゃない。もともと食べられないものが禁止されていれば、誰だって納得していたはずだ。

 いまでもそうだ。

 手に入れられないもの、手に入れてはいけないもののまで、欲しくなるようにできている。

 平野は元気のない自分を見つめるように、アダムを見つめた。

 おれは明るい夢を諦めた。欲しいという気持ちはそのままに。

 それに、このままずっと、自分は誰からも好かれず、コイツも誰からも求められることもないかもしれない。

――でも、ここにいる。ここに、現実に付いている。

 パーティー会場で誰からも挨拶をされないみたいに、学校の教室に入っても誰にも気づかれないみたいに、いるけどいないことにされていくんだろうな。

 そう思うと、再び平野は深い悲しみに満たされた。

 平野は鏡越しに自分の姿を眺めながら、自分自身に同情していた。

 それから彼は何も考えないようにしながら、ドライヤーで髪を乾かした。


        ◇


――自分が今ごろになってこんな屈辱を受けるとは。

 着替えを終えた平野は思った。

 理不尽に窮屈な場所に押し込まれ、今後の人生の楽しみをことごとく奪われたような気分だった。

 これまでの平野は、自分も年頃になり、暇な時間と相手さえいれば、恋人も自然と出来るだろうと何となく思っていた。

 きっと出会った2人は色んな場所に出かけ、楽しそうに笑い合う。

 もちろん、そんな情景を想像する時の自分と恋人は、程よく美男美女になっていたが。

 彼の反省意識は過去の恥ずかしい思い出を検証し終えると、それから次に、心の内に漠然と抱いてきた願望を分析し始めた。

――自分の願望の一体何がいけなかったのか?

――そんなに身の丈に合っていなかったのか?

――おれはこれから、顔を隠すようにコソコソと、狭い場所で一人孤独に生活していくしかないのか?

 冗談じゃない!

 平野の落胆は徐々に怒りに変わってきていた。

 彼は部屋の隅に放り出されていた握力を鍛えるためのハンドグリップを拾い上げると、ぐっと力を込めて握りしめた。

 自分の容姿は自分で決めたわけじゃない。努力してどうなるものでもない。

 それで人としての優劣をつけるだって?

 冗談じゃない!

 そんな価値観なんてまっぴらゴメンだ!

 命をかけて闘ってやろうじゃないか! ええ?

 そんな不平等な価値観なんてぶっ壊してくれるわ!

 でも、いや……待てよ?

 いや、待て。

 無理だ。

 普通に考えて、おれ一人でどうにかなる問題じゃない……。

 徒党を組むって言ったって、不細工が集まるわけでしょ?

 きっと集まった瞬間から、自分たちが日頃抱えている深い悲しみと向き合わなくてはならなくなる。

 平野は手の力を緩め、ハンドグリップをベッドの上に放り出した。

『そんなことより、自分だけでいいから、いますぐこの不毛な優劣争いから降りてしまいたい!』

 彼はベッドに倒れ込み、うつ伏せの姿勢のままうずくまった。


        ◇


 そうだ。

 闘ったって不毛なだけだ。自分の顔を晒したって惨めになるだけだ。

 それよりも、そんな価値観とは関係のない場所で生きていこう。

 争いのない平和な世界を目指そう。

――そもそも、なんでみんな顔の良さにこだわる?

 もちろん、人は見た目が大事だ。

 それを美男美女が言うなら分かる。

 自分たちが得をするからだ。

 いわゆるポジショントークってやつだ。

 しかしなんで、顔がよくない人たちまで、その考えを支持する必要がある?

 鏡を見るたびに、惨めな気持ちになるだけじゃないのか?

 平野は仰向けになり、天井を見上げた。

 そして、そこに一筋の光のようなものを認めた。

 おれは違う……。

 おれは自分が得をしないような価値観に縛られたりはしない。

 もちろん恥ずかしい過去は数え切れないほどある。

 小学生の頃から、クラスの女子たちは自分のことを好きなはずだと的外れに思い込んでいた。理由は分からない。

 でも、その頃のおれは自信に満ち溢れていた気がする。

 人よりも少し足が速かったからかもしれない。

 それはそれで、過去の出来事として笑ってもらえればいい。

 でも、いまのおれは違う。


        ◇


 おれには分かっている。

 勝ち目のない土俵に立ち続けることが、どれほどその人の人生を消耗させるか。

 だったら、勝てる見込みのない勝負に挑み続ける必要なんて、まったくないんじゃないか?

 そう思う。

 美男美女に勝てずに惨めな気持ちを味わうくらいなら、違う土俵に立てばいい。

 そこでもダメなら、また違う土俵を探せばいい。なければ、あとはもう自分たちで土俵を作るしかない。

 最終的に、争いのない場所に、争いの必要のない価値観を手にして、のんびり温泉にでもつかって温もりを感じればいい。焚き火でもゆっくり眺めていればいい。

 それだ!

 おれはそれでいく。

 彼は、急にひらけた場所に飛び出たような感覚に襲われた。

 そうか、おれは平和主義者だったんだ。そもそも競争が好きじゃないのかもしれない。特に、自分が負けを見るような競争が。

 そして世界はこんなにも広い。

 生きていく場所ならいくらでもある。

 それにしても不思議だ。

 負けが込んでいるのにずっと同じ土俵に立ち続ける人たちは一体何なのだろう?

 美醜の判断にこだわる不細工は、一体何の得があるんだ?

 いや……違うな。得するわけじゃない。

 ああ、そうか。分かっていないだけだ。

 それこそが負け組の、負け組たる所以だ!

 その人たちは惨めな気持ちから逃れる方法を知らないのかもしれない。

 別の土俵に立てばいいだけなのに。

 もしくは土俵から降りて、別の平穏なことを考えていればいいだけだ。

 てことは、つまり、おれは負け組なんかじゃない!

 負け組でも、負け犬でもない!


        ◇


 その日の夜は、彼は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。

 朝に目覚めると、胸の内側は爽やかな気分で満たされていた。

 ベッドから出ると、カーテンを開け放ち、窓を開け、新鮮な外の空気を取り込んだ。それから彼は両手を大きく広げると、存分に呼吸した。

 外からはスズメたちのリズミカルな鳴き声が聞こえてくる。

 平野は洗面所の鏡の前に立ち、自分の顔を眺めた。

 もちろん、顔に変化はなかったが、その眼差しの奥には、彼がまだ少年だった頃の自信に満ちた光が宿っていた。


        ◇


 平野は一週間ぶりに大学の授業に赴いた。

 相変わらず道行く他人の目線はジリジリと感じられたが、それを跳ね除けるだけの勢いが彼の内にはあった。

 教室に入ると、空いている前方の席を見つけると、迷うことなくそこに座った。

 集中して講義を聞いていると、新たな知識がどんどんと流れ込んできた。そうして平野は、学問の素晴らしさをしみじみと噛み締めた。

――人は見た目だけで判断されるわけじゃない。学ぶべきことはいくらでもあるんだ。

 昼休みの時間をむかえると、平野は学部の友人である大森に連絡を入れた。

 それから2人は近くの定食屋で待ち合わせをして、昼食を食べることになった。


        ◇


 定食屋の小さなテーブルには、既に大森がぼんやりとした表情をしながら待っていた。

 平野は対面に座った。

 それから店員に日替わり定食を2つ注文し、コップに水を注いだ。

 大森はあいかわらず眠そうな目をしていた。

 これまでの平野は、自分のほうが大森よりも快活でカッコいいだろうと評価していたが、新たな視点で見ると、大森のほうがアクのない顔つきをしていて、自分よりも魅力的な姿をしているような気がしてきた。

 大森は動きの一つ一つがゆったりとして落ち着きがあり、周囲に流されない自分を持っているように見える。

「平野、久しぶりじゃない?」大森は挨拶代わりに言った。

「ねえ、授業におれが居なくて心配した?」平野は開口一番そう言うと、水を一口飲んだ。

「いや……ぜんぜん」大森は一瞬の沈黙の後、首を振りながら冷静に答えた。


        ◇


「最近、ちょっとした事件に巻き込まれてね……」平野は厨房のほうを見やり、自分たちの定食がまだ来ないことを確認してから言った。平野の実感としては、その言葉は一応嘘ではなかった。

「へえ……そうなんだ」大森は水を飲みながら、久しぶりに会った友人にいつも通りの相槌を打った。興味が無いのか声のトーンは低い。

「おれが急に居なくなって本当に心配しなかった?」平野は再度尋ねた。

「別に。平野は一人で何かやってるんだろうな、くらいに思ってたよ」

「ああ、そうなの」平野は少し落胆したものの、それも友人からの信頼の一つの証だと思うことにした。

 2人の注文した定食はすぐにテーブルに届いた。


        ◇


 2人は定食を食べながら、しばらく黙った。

 頃合いを見て、平野は率直に思っていたことを口にした。

「なあ、聞いてくれよ」

 大森は定食から顔を上げた。

「おれってさ、自分の顔を多少マシな部類だと思っていたけど、全然違ったのな」

 平野はなるべく自分が傷つかないように言葉を選んだ。

 箸でアジフライを持ち上げていた大森は黙って平野のほうを見ていた。それからゆっくりと頷いた。

「うん、そうだよ」

 彼はあっさりと事実を認めると、アジフライを口に運び、ゆっくりと美味しそうに咀嚼した。

 それから、アジフライが感動するほど美味しかったのか、もしくは平野の急な自白が面白かったのか、静かに肩を震わせて笑い出した。

大森は咀嚼したアジフライを飲み込むと言った。「なんで急にそんなことを聞くわけ?」

「自分で自分の顔なんて見えないからさ。最近気がついたわけ。その誤解をさ、もっと早めに誰かが指摘してくれても良かったんじゃないかな?」平野は不満に思う点を指摘した。

「いや無理でしょ。他人がそれ言ったらただの悪口だもの」大森は口元に笑みを浮かべながら水を一口飲んだ。


        ◇


 平野は大森の言う通りに、自分の容姿を指摘してくれる人のことを想像した。

――あなたの顔は、あなたが思っているよりも美しくないので、気をつけて生活したほうがいいですよ?

 平野は自分の顔については納得できていたつもりだったが、改めて他人から言われると、相手のことを思い切り蹴飛ばしたくなった。

 どうやら人間は親切の中にたっぷりと悪意を詰め込むこともできるらしい。ちょうどチョコレートの中にブランデーを詰め込んだお菓子があるように。

「そりゃそうか」

 平野は大森の言い分に納得した。

 容姿を指摘してくれた想像上の

人物は、平野の渾身の蹴りによって想像上の断崖絶壁から蹴り落とされた。


        ◇


 昼食を食べ終えた2人は、店の外に出た。

 平野と大森は腹ごなしにトボトボと歩きながら、昼時の人通りに交ざった。

 天気は良く、暖かな日差しが地表を照らしていた。

「それでだ。おれは違う路線で生きていくことにしたわけ」平野は大森に説明していた。

 大森は頷きながら、平野の一方的な話を聞いていた。

「ちなみに、おれの良さって、何かある? 大森から見て」平野は尋ねた。

「良さ?」大森は、奥歯に挟まったものを確かめるように顔をしかめた。

「何でもいいから。顔以外で」

「なんだろ……」大森は少し考えた。「平野は面白いというか、オカシイというか、変っていうか。いつも忙しそうというか――」

「なるほどね。面白い、か」平野はすぐに確信した。大森は分かってくれている。

「考え過ぎじゃない?」大森は平野の良さを考えるのを諦めながら言った。

「いや、いいんだ。おれはそれでいこうと思う。平和でいて、面白く」言葉を口にしてみると、確信と決意が胸の内側に広がっていくのを平野は感じた。


        ◇


 しかし、人通りを眺めていると平野の自信はすぐに揺らいだ。

 面白さを認めてもらうために、何をすればいいのかが分からない。人と関わる以上、顔を見せ合うことにはなる。

――顔が面白いってことか?

 平野は自分の評価を上げていく具体的な道筋を、すぐには思い描けなかった。

 その時、向かい側から背の高い女が長い髪をなびかせるようにリズムよく歩いてきて、歩いている2人の脇を通り過ぎた。見た目の年齢と、着ている服がカジュアルなことから、おそらく同じ大学の学生だろうと思われる。そして人目を引くほどの美人だった。

 平野と大森はその女とすれ違う時に、チラッと彼女の姿を見た。

 平野は目に写った美しいシルエットを記憶した証として、深く頷いた。

「なあ、大森。どうして人は見た目で他人を評価したがる?」平野は自分を面白いと認めてくれている友人のほうを振り返り、素朴に尋ねた。

「見た目で?」ちょうど同じようなことを考えていたのか、大森は何を聞かれたのかすぐに理解できたようだった。「やっぱり、分かりやすいからじゃないかな?」

「分かりやすい?」

「見た目が良いか悪いかは、馬鹿でも分かる」大森はそう言いながら美女の姿をもう一度視界に収めようと、後ろを振り返った。すれ違った美女は既に人混みの中に姿を消していた。

「ほう……」平野は自分も馬鹿の一員になったような気持ちで頷いた。

「逆に、じゃあ、科学の研究で実績をつくった人がもらえる賞を言える? ノーベル賞以外で」

「さあ……知らんね」平野はすぐに考えるのを諦めた。知らないものは知らない。

「そういう頭が良いとか、性格がいいとかって、分かってもらうのにすごく時間がかかるんだと思う。知識も必要だし。顔が良いなら、見せるだけですぐに分かってもらえる。説明も必要ない」

「じゃあ、おれの顔は分かりづらいってことか」平野は納得した。

「たぶん……。まあ、そういうこと」大森は平野が真剣な顔をして頷いていたので、訂正せずにそのまま肯定した。

「いやあ……そういうことか」平野は友人の大森に感心していた。大森は分かってくれている。

 大学の構内に戻ると、2人は別れた。

 午後に何も予定がなかった平野は、そのまま自分の家に帰った。


        ◇


 一人になると、怒ったフグのように膨らんでいた平野の自信は、いつの間にか小さく萎んでいった。

 もともと根拠もない自信であったから、そうなるのは必然だったのかもしれない。

 平野はベッドに突っ伏して、ため息をついた。

 なんだか疲れるな。

 見た目を気にしないように意識すると、見た目を気にする以上に疲れる。

 顔を中心に判断する以上、結局は同じことなのかもしれない。

 平野は部屋の景色を眺めながら、自分がみすぼらしさに包まれているのに気がついた。

――全然、思っていたのと違う。

 なぜだか、身の回りの何もかもが、ぼんやりとして分かりづらいもののように感じられてくる。

 大森が言っていた通りかもしれない。

 人は分かりやすいもので物事を判断して、分かりやすく心を落ち着かせる。

 何でもかんでも判断を保留ばかりしていたら、何もかもが分からなくなってくる。

 人の顔を見かけるたびに何かを考えていたら、それだけで途方もない時間が掛かってしまう。

 大森が言うように、おれは考え過ぎなのかもしれない。

 あれこれ考えていたって、それは誰にも伝わらないかもしれない。

 そう考えると、性格だって、分かりやすい人のほうが好かれるような気もしてくる。

 複雑で難しいことを考えているよりも、一緒にいてシンプルに楽しんで笑ってくれる人のほうがいいかもしれない。

 どうしてこうも分かりやすさは人を安心させるのだろう。

――おれだって、そのつもりで生きてきたのに。

 顔だって分かりやすいし、性格だって分かりやすいと思っていた。

 でも、自分自身のことだから、単純にそう思えていただけのような気もする。

 いまはもう、分かりづらい理由すら分からずに、一体自分が何者なのかすら分からない。

――なんだか全然、思っていたのと違う!

 どうしてこうなった?

 自分はコカコーラのCMみたいに爽やかでもないし、新築の一軒家のように暖かくもない。高級車のように自由で速くもないし、新型のスマートフォンのように創造的でもない。高機能なカメラのように世の中に溢れる美しさを受け止めることもできない。

 モデルが着こなす衣服のように余裕を感じさせることもない。

 そんな姿に憧れてはいるものの。

 自分は若者なはずなのに、正直言って、たいして若者らしくもない。

 若者なら、どんな時代でも、意気揚々と新しいことに挑戦して、新しい風を作り出していくんじゃないのか?

 おれの気持ちは、ミントガムのように爽やかでもない。

 曇りのない目で世の中を見渡して、順応していくはずだったのに。

 若いから何だってできるはずなのに。

 抵抗なく色んなことを吸収して理解していって、気後れすることなく生きていくはずなのに。

 何だかもう、何をどうすればいいのか、よく分からない。

 偏見がなく柔軟だからこそ、複雑な世の中においては、たいてい後から来た若い人が有利なはずなのに。

――そんな後出しジャンケンみたいな状況でさえ、盛大に負けそうな自分がいる。

 そんなの、おれ自身が面白くも何ともない。

 平野は小さく長く呻いた。

 分かりづらい顔と、分かりづらい思考を抱えたまま、平野は静かに息を吐き、ベッドの上でうつ伏せになったまま眠りに落ちていった。


        ◇


 目が覚めると夕方になっていた。

 それから平野は起きてすぐに、再び大森に連絡を入れた。

 起きた瞬間から、一人でいると部屋の空気に心が押しつぶされそうな予感がしていた。

 ここは、昼にも付き合ってもらったが、友人の大森に頼るしかない。

――ファミレスに晩飯でも食べに行かない?

 大森からの返事はとても簡素なものだった。

――はーい。

 返事を受け取ると、平野は準備をし、すぐさま部屋の外に出た。


        ◇


 平野と大森は落ち合うと、近くのイタリアンのファミリーレストランに入った。

 席に案内されて着くと、平野は肩の力を少しだけ抜いた。案内してくれた店員にも「ありがとうございます」と言った。

「前からそんなに律儀だったっけ?」店員に対してやたらに平身低頭する平野を見て、大森は言った。

「前からおれは丁寧だったよ? おれの心は謙虚なんだ」平野は素知らぬ顔で答えた。

「へえ、そうなの」大森は特段興味が無いようだった。

 メニューを開いて、注文を終えると、すぐに平野は本題に入った。

「やっぱり、面白さだけじゃ、おれはすぐに限界を迎えそうなんだ」

「限界? 何の話?」

「面白さなんて全然伝えられそうにないし、かと言って、見た目で判断してもらうのもとても辛い。もう、どうしていいか分からないんだよな」

「なにそれ。昼に言ってたやつ? そんなに思い込むような話なわけ?」大森は不思議そうに言った。

「そうだよ。大森は鏡を見る度に落ち込んだりしない? おれはさ、顔がイマイチでも、せめて心優しく笑顔でいようと思うわけ。ここに来る途中に鏡を見つけて、試しに覗いてみたんだけど。自分が笑顔でいると、鏡の向こうの自分もニッコリと微笑み返すわけでしょ? その笑顔がさ、なんだか見てて辛くって……」平野はそう言うと、これみよがしにため息をついた。

「わざわざ笑わなければいい」大森は言った。

「誰からも認めてくれなくても、せめて自分だけは自分を認めたいわけよ。わかる? この健気な気持ち」

「平野ってさ、プライドが高いんじゃない?」大森はそう言いながら首を傾げて考え込んだ。

「プライド? よく分からないな」平野自身は何かを誇らしく思ったことはなかった。

 2人がプライドについて話し込んでいると、注文した品が届いた。


        ◇


「それに、別に自分で自分をべた褒めしなくたって、世界のどこかには平野の存在を認めてくれる人はいるんじゃないの? たぶん」大森はたらこパスタをフォークで巻きながら言った。

 平野は眼の前のボロネーゼを見つめながら、大森が言った言葉の意味を考えていた。

――世界のどこかには、自分を好きになってくれる人がいるかもしれない。

「そんな人、いるのか……?」平野は呟いた。

 大森はパスタを黙々と咀嚼しながら、眼の前で停止している平野をぼんやりと眺めていた。食わないのか?

「それはどういう人なわけ?」平野は大森に確認した。

「いや知らないけどさ……。おそらく総人口の1パーセントか、0.1パーセントか、0.01パーセントくらいなら居るんじゃない?」

「ほんとに?」

「本当にいるかどうかは示せないけど、いないとも実証できないわけでしょ? それに、知らない他人の好感度なんてだれも手間暇かけて実証したいなんて思わないだろうし」

「そうか、未知数なわけか」

 その時の平野の脳裏には、急激に明るい心象が広がっていった。


        ◇


 平野の好みのタイプの年上のお姉さんが、優しく呟く。

〈わたし平野君のこと、別に嫌いだなんて思わないけどな〉

 透き通った声で、少し首を傾げながら、励ますような素朴な目で平野を見つめてくる。

 お姉さんの告白は、平野の肉体をたやすく貫き、一瞬で平野の心の奥深くに到達する。

 それから傷口は徐々に温かみをもちはじめ、心臓はゆっくりと脈打った。

 衝撃の強さに反して、そこには一切の痛みと呼べるようなものはなかった。

 それは深い慈しみと、優しさに溢れた感情そのものだった。

 平野は涙をこらえるのに精一杯だった。

 そして、どさくさにまぎれてお姉さんの両手を握り、固く誓った。

〈僕はあなたを思って生きます。どんなに辛いことがあっても、僕はもう大丈夫です〉


        ◇


 平野はボロネーゼをフォークでつつきながら、胸の内側がじんわりと暖かくなるのを感じた。

 今なら眼の前のボロネーゼの色合いさえ、まるで愛おしい世界からの素敵な贈り物のように感じられる。

「大森。素敵な考えをありがとう」平野は呟いた。

 大森はメニューを眺めながら、追加で注文するものを考えていた。

「おれはその可能性を信じて生きていくことにする。その考えでいく」平野は大森に宣言した。

「いいんじゃない? それより、スープ頼んでいいかな? 先に頼めばよかったな」大森は平野の決意をあっさりと肯定すると、自分の注文に悩んだ。

「いいよ、もちろん」平野は頷いた。「ワインも頼もうぜ。その分はおれが金を出す」

「ほんとに?」大森は平野のほうを見た。

 テーブルの向かい側の平野は自信に満ちて優しげに微笑んでいた。

「本当に。何かを祝いたい気分だからね」平野は誇らしげに言った。


        ◇


 腹を満たした2人は、会計を済ませて店の外に出た。

 決意を新たにした平野の目には街の夜の景色も輝いて見えた。

――この感じなら行ける気がする。

 平野の気持ちは1段階上がり、明るくなったような気がした。ワインを飲んだせいかもしれない。

「いやあ、調子こいて食べ過ぎたかも」大森も満足気だった。「ほんとに多めに払ってくれるとはね」

「もちろん全然構わないさ。それだけの気持ちがあるってことで」

 大森は平野をぼんやりと眺めた。

「なんだか、何もなくても平野は楽しそうでいいな」

「そう? 自分じゃあ、よく分からないな」平野は不思議に思った。

「まあ、そうだろうね」大森は肯定した。

 大森と店の前で別れると、平野は意気揚々と帰路についた。


        ◇


――世界のどこかには自分を好きになってくれる人がいる。

 それからしばらくの間、平野はその予感を抱くことで、平穏な日々を過ごした。

 彼の世の中を見渡す眼差しにも、どこか愛情めいたものが溢れていた。

――どこかに自分を好きになってくれる人がいる。

 平野にとって、その思いは徐々に福音のようなものに変化していった。

 繰り返し明るい展望を思い描きながら、彼は街中に睨みをきかせていた。

 そうして、街の至る所に可能性を見出しているうちに、平野はいつしか世の中全体に対して恋心のようなものを感じ始めていた。

――なんだか、すれ違う全ての人が好きだ。

 平野はピュアなハートをときめかせていた。


        ◇


 その効果は、彼が予想していたよりも長く続いた。

――もしかして、これが正解なのかもしれない。

 平野は、常に心優しい誰かに温かい眼差しで見守られているような心持ちがしていた。

 事前に安心を作り上げ、心に余裕ができるおかげか、強迫的な観念が前面に現れることを阻止することに成功した。

 平野は心の平穏を徐々に取り戻し、道行く人にささやかな恋心を抱き続けた。

 誰かとすれ違う度に、彼はその誰かのことを思った。

 たまにすれ違った時に香るほのかな香水の匂いは、性的な予感に満ち溢れていた。

 そんな香りを吸い込むたびに、自分の出番だと勘違いした平野のアダムは、冬眠から目覚めた動物のように緩やかに起き上がった。

 甘い香りに鼻先をくすぐられた平野は、胸を締め付けられた。

――きっといつか出会うのだろう。

 そしたらその時、2人は良い関係になって、裸で抱き合うようなことになるかもしれない。

 予感は平野の身体を震わせ、そして甘やかに締め続けた。


        ◇


 しかし、心地よく過ごせた日々も、呆気なく終わりを告げることになった。

 何かきっかけとなる出来事が起きたわけではない。

 ただ、平野自身が急に立ち止まり、考え方を少しだけ見直そうとしたのが原因だった。

 それは迂闊な判断だった。

 彼の反省能力はここでも、よく働いた。

 
        ◇


 平野の反省意識には、考える時間を与えないほうが良いのかもしれない。

 時を置かずして、不都合な真実が平野の眼の前に姿を表した。

――誰かから好かれているという実績が、一つもない。

 そう思った瞬間、平野の抱いていた明るい展望は、眼の前であっけなく崩れ去った。

 その予感は、ビジネスのように目に見える実績を求めていいものではなかった。


        ◇


 思い返せばこの数ヶ月間、平野は実際に誰かから好意のようなものを受け取ることもなかった。

 唯一手に入れたものといえば、世の中には自分の恋人候補になりそうな人間が大勢いるという妄想的な事実だけだった。


        ◇


――どうしておれはいつだって先に夢を見ちまうんだ……。

 平野は再び自宅のベッドの上に突っ伏していた。

 事実も根拠もないくせに、ただただ漠然と、甘い予感だけを優先的に心に抱いてしまう。

 最初こそ、予感に反応した平野のアダムは元気を取り戻していたが、いずれそれに振り回されることにも慣れてしまったのか、今ではただ、付属物のように平野の股間で、中立的なポジションに留まっていた。


        ◇


 平野は突如ベッドから起き上がると、勢いよく服を脱ぎ出し、全裸になった。

 それから裸のまま布団の中に潜り込んだ。

――本当に申し訳ない。こんなつもりじゃなかったのに。

 平野は股間に向かって謝った。

 実際に謝った。

――お前だって、もっと華々しく、堂々と過ごしたかったよな。

 もちろん、平野のアダムからの返事はなかった。

 平野は深いため息をついた。


        ◇


 なんやかんやの出来事の末に、アダムとイブは知恵の実を食べた。

 禁断の果実は食べてはいけないとされていたが、食べ物の形をしていて、実際に美味しそうに見えたという。

 知恵の実を食べることで、それまでにない知性を得たアダムとイブは、突如として自分たちが裸であることを恥ずかしく思った。

――これはいけない! 局部を隠さなくちゃ!

 アダムとイブは、イチジクの葉っぱを手に取ると、あわてて局部を隠した。


        ◇


 ちょっと待てよっ!

 平野は全裸のまま仰向けになると、ぼんやりと考えを巡らせた。

 何かが引っかかる。

 イチジクの葉っぱ?


        ◇


 イチジクの葉っぱは、アダムの股間をかろうじて隠すことに成功した。

 しかしその姿は、絶妙に隠せていても、絶妙に無防備に見える。

 むしろ、何も身につけていない状態のほうが、よっぽどその部分が気にならないような気もしてくる。

 アダムのアダムが通常状態なら、なんとか隠し通せるかもしれない。

 しかしアダムが走り回ったり、飛び跳ねたり、あるいは万が一、アダムのアダムが興奮バージョンになった場合、その役目は果たせなくなる。

 平野は思考の中に落ち込みながら、自然と眉をひそめた。

 イチジクの葉っぱ、あまりにも大きさが絶妙過ぎないか?

 リンゴの葉っぱが小さくて事足りないのは分かる。

 でも本当に隠したいのなら、巨大なバナナの葉っぱでも使って、全身をぐるぐる巻きにすればいいのに……。

 楽園なんだから、バナナくらい生えていたはずだ。

 無かったのか? バナナが?

――いや待てよ、バナナの生えていない楽園って何だ? どういうつもりだ? バナナこそ楽園の風景の花形なんじゃないのか? そんなの楽園と呼べるのか?

 バナナの生えていない楽園なんて! ありえない!

 平野の思考は、バナナのない楽園に怒りを感じた。


        ◇


 その場しのぎで、一時的にイチジクの葉っぱを使うなら分かる。

 そこからすぐにバナナの葉っぱを見つけて、腰に巻くべきだった。あるいはヤシの木の葉っぱを重ねてもよかっただろう。

 そうすれば、より恥ずかしさに対処できたはずだ。

 でも、そうしなかった。


        ◇


 喉の乾きを感じた平野は全裸のまま布団から出ると、キッチンに行き、グラスに水を入れて飲んだ。

 彼の思索はまだ続いていた。


        ◇


――でも、ふたりはそうしなかった。

 なぜか。

 平野はグラスを片手に部屋の中に立ちすくんでいた。

 いや、ちょっと待てよ……。

 アダムとイブには知性が備わったはずなのに、ふたりはそれ以上のことをしなかった。

 何かがふたりの行動を押しとどめた。

 平野はグラスをテーブルの上にゆっくりと置いた。

 緩やかな動作だったが、グラスはコトっと音を立てた。


        ◇


 もしかして。

 平野はハッと目を見開いた。その目には小さくとも強い輝きが宿っていた。

 隠したいけど、ちょっとは見せたいな、なんて思ったのかな?

――ちょっと見せたい?

 それから平野は自身の姿を顧みた。

 全裸だった――。

 今のおれなら、その気持ち、ちょっとは分かるかもしれない。


        ◇


「アダムの兄貴……」

 平野は尊敬を込めて、アダムのことを思った。

 アダムはこの気持ちを味わった最初の人物ということになるかもしれない……。

――隠さなくちゃいけないけど、ちょっとは認めてもらいたい。

 そんな複雑な気持ちと向き合ったアダムは、どう感じたのだろう。

 自分のことを、あるいは自分の身体の一部でも、完全に無いものとして扱うことなんて、そんなのできない。


        ◇


 だとすると、事は重大だった。

 平野はその事実を全裸のまま受け止めた。

 そうかもしれない。


        ◇


――誰しもが自然に備えているものなのに、人前に晒してはならない。

 アダムとイブが初めて直面した、そんなアンビバレントな状況が、その後の人類をどれだけ振り回してきたことか……。

 自分にとっては当たり前で見慣れたものであっても、人前ではまるで無いもののように振る舞わなくてはならない。

 身体のパーツひとつで、こんなにも面倒な状況が生み出されてしまった。

 平野は自身のアダムを見つめた。

「お前……寂しくないのか?」


        ◇


 本当にこれから、コイツは誰からも無視されて生きていかなければいけないのかもしれない……。

 大勢で賑わうパーティー会場に行っても、誰からも気づかれることなく挨拶をされないみたいに。

 学校の教室に入っても誰にも振り向かれることなく、席に座っても誰からの反応もなく、いるけどいないことにされていくクラスメートのように。

「お前、それは辛すぎないか?」

 平野はアダムに問いかけた。

 いっそのこと、おれはここでヌーディストとして生きていくことを決意したほうがいいかもしれない。開放的なビーチでコイツにも明るい陽の光を見させてやりたい。

 何だったら、今すぐこの姿のまま外に駆け出してやろうか? 世界中にアダムの存在を見せつけてやってもいい。

 平野がそう思ったところに、声がした。

「そんなことをする必要はないよ!」

 それは平野のアダムの声だった。

 アダムは腹話術師が使うような甲高い声で、平野の問いかけに答えた。


        ◇


 平野は自分の股間を見つめた。

「そんなことをする必要はないよ」再び平野のアダムは答えた。「だって僕はそれを求めていないから」

「でも、一生ずっとこのままなんて、寂しくないか?」平野はアダムに問いかけた。

「そりゃあ寂しいし怖いさ。もしも、ずっとそうならね。周囲の人たちからずっと無視され続けるってのは誰にとっても信じられないくらい辛いことさ」

「だったら、いますぐ誰かに見てもらったほうが、求められたほうが、お前だって嬉しいんじゃないのか?」

 アダムは静かに首を横に振った。少なくとも平野にはそう感じられた。

「それはとても危険なことだよ。闇雲に僕の姿を見せたとして、万が一、誰かの不興を買ったら、蹴飛ばされるかもしれないし、最悪の場合、刃物で切り落とされるかもしれない。そうなったらもう僕は再起不能で、一生立ち直れない」アダムは平野を優しく諭すように言った。

「それは……そうだ」平野は身震いしながら納得した。アダムは世間では禁じられた存在であるが、それを見せるために、誰かを不快にさせる必要も、身を危険に晒す必要もない。

「僕はね、平和主義者なんだ」アダムは言った。

「おれもだよ。まずはそう思って生きていこうと思ってる」平野は答えた。

 アダムはゆっくりと頷いた。少なくとも平野にはそう感じられた。

「だったら話が早い。僕は無理やり人前に出て注目を集めたいなんて思ってないし、無理やり誰かの中に入りたいなんて思ってない。寂しいからって理由だけで、人に迷惑を掛けていいとは思わない」

 アダムは常識をわきまえているようだった。

 平野は頷いた。平野も同じ気持ちだった。

「でももし、いずれそのチャンスがあったなら、自分の出番があったら、できれば平和主義で穏やかな相手だったらいいな、って思ってる」アダムは言った。「別にモテている相手である必要もない。僕自身も」

「お前は誰からもモテたいと思わないのか?」平野は尋ねた。

「そう思うときもある。でも、それは実際的な願望ではないと思う」

「たしかにそうかもしれない」

「それよりは、平和的で、お互いを認め合えるほうがいいなって」アダムは少し照れくさそうに自身の抱く展望を話した。少なくとも平野にはそう感じられた。「僕っていつもこんな状態だし――」

 平野は続きを待った。

「でもいつか僕の出番がきたら、ゆっくりと時間を掛けて、相手と同じ気持ちを味わえたらいいなって。誰かと一緒に同じようなことを考えていられるって幸せじゃない? そんな相手と出会ってみたい。それが僕の夢さ」

 平野にはアダムが奇妙な形をした貧相で健気な小動物のように見えてきた。

「わかったよ。おれもそのつもりでいる」平野は答えた。

 アダムは頷く代わりに、ゆっくりと瞬きをした。少なくとも平野にはそう感じられた。

「でも、おれたちが辿り着くのが、バナナのない楽園かもしれない。それとも、楽園にはバナナなんて生えていないのかもしれない」平野は呟くように言った。

「心配する気持ちは分かる。でも、その時はその時さ」アダムは同意するように言った。

 アダムは小さくため息をついたようだった。少なくとも平野にはそう感じられた。


        ◇


 気づいたときには平野は全裸でベッドの上に横になっていた。

 どうやら知らぬ間に眠りに落ちていたらしい。

 平野は立ち上がると、脱ぎ散らかした服を拾い上げ、一枚一枚着用していった。

 外出できる状態になると、靴を履いて外に出た。

 それからしばらく、彼はあてもなく黙々と歩いた。

 視界に入ってくるのは晴れ渡った夜空だった。平野はさっきまで昼時だったように感じていたため、素直に驚いた。

――おれはいままで何をしていたんだ……。

 彼は息を吸い込むと、ゆっくりと長いため息をついた。

 そしてどこかにいる平和主義的な相手のことを思った。


        ◇


 アダムの説得により、モテることを半ば諦めた平野は、元の生活に戻った。

 幸いなことに平野の周囲の人たちは、誰かの顔を酷評するようなこともなく、平和的に接してくれた。

 もともとそうだっただけの話なのかもしれない。

 街を歩くと、あいかわらず化粧品の広告は巨大で、人々の股間は禁じられた魔物のように人目につくようなこともなかった。

 そうして5年の月日が過ぎた。


        ◇


 その日、社会に出ていつものように働いていた平野は、会社に向けて歩みを進めていた。

 平和主義的な相手の女も、同じ道を向こう側から歩いていた。

 その時突如、空から降ってきた巨大なカボチャが、ふたりの眼の前のビルに直撃し窓ガラスを粉々にぶち破った。それから程なくしてカボチャは音を立てて歩道の上に落下した。

 地鳴りがするほどの、ものすごい衝撃だった。

 あまりに意味不明な出来事に唖然として目を見開いた平野の目の先に、その女が同じように唖然とした表情でつっ立っていた。

 互いに何も言わなくても、相手が何を思っているのかが手に取るように分かった。

 それは人生においてなかなか訪れることのない稀な瞬間だった。

 その女から見ても、平野の思っていることがありありと受け取ることができた。平野の素性についてさえ、肌身に感じて理解できたくらいだった。

 ふたりは事故現場から安全に身を引くために、一瞬頷き合うと、一緒にその場を立ち去った。

 それがふたりの出会いだった。

 互いに説明はいらなかった。

 ふたりとも平和主義者で、そして平和主義的な相手を求めていた。


        ◇


 心を落ち着かせるために入ったカフェで、ふたりは徐々に生きた心地を取り戻していった。

「助かりましたね、僕ら」平野は相手に向かっていった。

「ええ」女は答えた。


        ◇


 女も平野もこれまでの人生経験で、競争を促す社会の中で自分たちが平和主義でいるためには、ある種の反骨心が要求されるという、変テコな事実を味わってきたところだった。

 いずれにせよ、ふたりは出会い、そして仲良くなった。

――詳しくは、またべつのお話で。


        ◇


 命からがらの出来事に身体が温もりを求めたのか、ふたりは程なくしてホテルに流れ込むと、裸の肉体を見せ合い、それから重ね合わせた。

 平野のアダムは念願が叶い、平和主義的な相手と対面し、そして結ばれた。

 ふたりは互いに時間をかけて、同じ気持ちを味わった。


        ◇


 しばらくした後、平野はベッドの上に仰向けで横たわっていた。

 役目を終えて精根尽き果てた平野のアダムは、走り終えた駅伝選手が道ばたに寝転がるように、平野の太ももの付け根で力なく横たわっていた。

 女は平野のアダムをつまみ上げると、しげしげと眺めた。

 先程までのアダムの姿と見比べているようだった。

 それから眠そうな声で呟いた。

「なんだか不思議なものね」










おしまい。
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