懸愚痴

文字数 1,467文字

 バカだって気づかなきゃ東大を志してた。
 十六歳の今でも遅くはないけれど、胸を張って高らかに宣言はできない。
 時間は取り戻せないし借りれない。
 これは昔から決まってた定理で、老いもまた一興と大人は清濁を併せ吞んだ。
 財布が膨れていれば大盛ラーメンを食べてた。
 今でも遅くないけど、すれば今月はもう何もできない。
 店内でひと際輝くあのギターが欲しかった。
 もしかしたら、今月あのギターとともに武道館に立っているかもしれない。
 俺もあいつの事を理解したかった。
 あの日参考書を買えるだけのお金があれば、あいつと東大を志していたかもしれない。
 夢の前に立ちはだかるのは必ずお金だった。
 ようやくこの手でお金を得れるようになっても、その対価に時間が奪われる。
 高く超えられない壁を越えたその先には、時間の壁が立ちはだかった。
 この壁は夢を抱く私たちへの挑戦状だった。

 朝起きて、家を出て、学校に通い、そこから学校を飛び出て家に着いて半日が過ぎる。
 そこからやるべきことを終わらせ一時間と少し。
 寝るまで三時間や四時間。
 もしこの時間を全て思い描くモノへ充てることができればどれ程上達するだろう。
 叶うなら私もその道を歩みたい。
 そして、「アイツはスゴイ奴だ」って言われたい。
 でも、日本人がそのセリフを放つのは大抵の場合頭のいい奴を見かけた時だ。
 確かに、ギターが弾けるのはスゴイ。
 毎日放課後に遊んでるやつが悠々と大盛ラーメンを頼むこともスゴイ。
 でも、頭がいい奴には敵わない。
 そして、頭がいい奴以外はバカとなる。
 頭がいいとバカよりも大金を稼ぐことが可能で、バカよりも時間に余裕を持てて、バカよりも頭を上手に使い物事をスラスラと身に着けることができる。
 頭が良ければあの日見た夢も手に取りやすくなる。
 こんなのバカでも分かる。
 でも、そんな頭のいい奴になれるのは一握り。
 頭がそこそこな私たち凡人が握ってもらうには云倍もの努力が必要になる。
 ギターなんて弾いてる暇はないだろう。
 放課後に食べるラーメンは早く食べ切らなければならない。
 私たちはこれが最も効率の良い時間の使い方とした。
 
 時間はただの概念に過ぎないのだろうか。
 今私がこの原稿を何回も練り直す時間は概念なのだろうか。
 頭のいい奴は時間を概念として見た。
 一時間は六十分でそれ以上でもそれ以下でもない。
 それが二十四回繰り返すと一日が終わり、それを三十回繰り返して一月が終わる。
 そうやって見た時間を一番上手く使うのが頭のいい奴だ。
 バカは頻繁に机へ向かわない。
 その代わり、友達へ、ギターへ、張った腹とあと一口のラーメン、あとしおれた財布なんかへと向かう。
 それがバカな私たちの時間の使い方だ。
 でも、いつか友達は疎遠になり、ギターは押し入れに埋もれ、ラーメンは喉を通らなくなる。
 あの日しかできないことをする時間は無駄だろうか。
 私は絶対に無駄ではないと断言する。
 大人になったら得れないものを得ることは無駄ではない。
 頭のいい奴はこれを、「将来を捨てた」という。
 それは頭の良さがモノを言わす社会だから出る言葉だ。
 もし音楽の上手さで優劣が付くなら、友達と参考書を買って東大を目指す者にその言葉を投げていた。
 もし「何か」が自分の中にあることを求める社会なら皆一人一人が自分の思いに向かい、皆その言葉の標的からは逃れられたはずだ。
 そんな社会への不満を、今日の大人達は真面目に受け止めてくれないのだ。
 私たちも、ちょっとくらいの賭けなら見逃してもらいたいものである。
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