第1話

文字数 3,619文字

 許せない僕に許しを

 恋人が殺された。
 彼女は女神のような人だった。いつだって素敵な笑顔で僕を迎えてくれ、彼女といることが一番の幸せだった。その上品な言葉遣い、流れる川のような仕草、絵画を思わせる立ち姿、全てが僕の女神を形容しても過言とはならない。性格だって女神と言っていい。僕が何をしても、いや僕以外の誰かに嫌なことをされても謝れば全てを許してくれる慈愛の心を持ち。そして悪いことは悪いとちゃんと叱ってくれる正しい心を持っていた。僕は彼女には敵わないなといつも思っていた。それは今だって同じだ。僕は彼女を殺した奴が地面に頭を擦り付けて謝ったところで許すことなんて到底できやしないのだから。


 探偵は言った。
「ふっふっふ。この難事件、私が解決してみせましょう!」
 事件はとある旅館で起こった。
 被害者の名前は近藤武久、三十九歳、無職。つい最近まで殺人罪の罪により服役していたが、刑務所での生活態度が模範囚として認められ四日前に仮釈放となっている。死因はナイフによる刺殺。裂傷部位は多岐にわたり、身体中をナイフで刺され、切り刻まれ、最後は失血によるショック死と見ている。このことから犯行の動機は被害者への怨恨によるものだと容易に推測できる。
 そしてもう一人。桐崎大吾、二十七歳。こちらの被害者の情報はまだ取り調べ中だ。死因は先ほどの被害者と同じくナイフによる裂傷による失血死。しかしこちらの遺体には首にしか傷は見当たらず近藤の遺体と比べると。桐崎の遺体はあまりにも綺麗と言わざるを得ない。そう思うほどに近藤の遺体が痛々しいのだ。補足情報として凶器のナイフは桐崎の遺体の近くに無造作に置かれていた。
 さて、ここで探偵が「難事件」と言い張る根拠を述べたい。それは被害者二人が見つかった部屋が「密室」だったからだ。二人は近藤が泊まっていた一室にて発見された。第一発見者は旅館の従業員の一人、清水亮一郎。普段の業務通りに部屋の掃除をしようとしたところ、ずっと鍵がかかっていることを不審に思い、マスターキーを使って鍵を開けて中に入ったところで被害者二人を発見。彼は即座に警察に通報し、現在に至る。
「ズバリ!犯人はこの中にいます!」
 探偵は定番の決め台詞を言う。彼はなぜか感動しているようで、もしやこのような状況に憧れていた不謹慎な人間なのではないかと私は思い始めた。
「はぁ」
 私は少々呆れ気味にため息のような返事を返す。探偵と言えどただの一般人。こんな凶悪な事件に関わらせるのは正直いただけない。それに私はこの人物を知っているわけでもなく、紹介されたわけでもなく、評価しているわけでもない。被害者たちと同じ旅館に偶然泊まっていただけの本当に一般人なのだ。そんな彼が事件の捜査にしゃしゃり出てくるのは私にとっても本望ではない。しかし、彼が土下座までして捜査の協力を申し出てきたので私は渋々我々警察の邪魔をしないなら、ということで手を打ったのだ。
 さて、探偵が言う「この中」と言うのは従業員の清水、同じく従業員の結城、隣の部屋に泊まっていて物音を聞いたと証言してくれた山下、この旅館の女将である森、総勢四名を目の前にして言った言葉だった。
 探偵は続けて言う。
「まず一つ、この密室を破るためにはマスターキーが必要です。それは客が簡単に持ち出せるような場所で管理されているわけではなかった。つまり!犯人は従業員の誰かということになります!」
「そんな!」
「なんで私たちがそんなことを!」
 従業員の三人は銘々に騒ぎ立てる。探偵はその反応を楽しんでいるかのようで私は少し苛立ちを感じた。
「まぁまぁ皆さん、落ち着いてください。ここで犯人がどうやって二人を殺害したのかを考察してみましょう。まず二人はどこかで知り合って意気投合したのでしょう。そして二人で飲み明かしていた。テーブルにあった二本の瓶ビールがそれを物語っています。事件は二人が楽しんでいる間に起こった。犯人はマスターキーを使って部屋の鍵を開け部屋に侵入。そして最初にソファに座っていた桐崎さんをこっそり後ろから首をナイフで一裂きして殺害。次にそれに気づいた近藤さんをナイフで滅多刺しにして殺害。身体中に傷があったのは彼がそれに怯まない強い精神を持っていた証でしょうね。そして犯人はその後、鍵を閉めて部屋を退出。あとは誰かが発見するのを待つだけです」
「なんで犯人は鍵を閉めて行ったんですか?」
「え?」
「だっておかしいですよ。犯人が従業員の中にいるならマスターキーを使った痕跡を残そうとするわけないじゃないですか。わざわざ密室にする必要だって無いですよ」
 私は素直に思ったことを口にした。探偵は推理の邪魔をされたことに苛立ったのか私を睨みつけている。誰が捜査協力の許可を出してやったと思ってるんだ。
「ま、まぁそれはさておき」
 さておくな。バカ。
「み、みなさんは気づかなかったでしょうが私はもっと重要な証拠を手に入れてしまったのです。そう、ダイイングメッセージです!」
 ほう、それは気づかなかった。少しは参考になる話かもしれない。私は静かに腕を組んで探偵の推理を見守る。
「それは桐崎さんが残したものです。この写真を見てください。これは桐崎さんが伏せていた地面に書かれていたものです。見づらいかもしれませんが確かに「結」と書かれています。私が何を言いたいかもうお分かりでしょう?結城さん」
 探偵に目を向けられた結城は目がこれでもかと白黒している。
「お、俺じゃない!俺はそんなことしていない。なぁ刑事さん!わかるだろう?」
 結城はあろうことか私に助けを求めてくる。うーむ。正直気に食わないが被疑者として署まで連行するのが正解だろうか。私はこの探偵とは違う推理をしているのだが……。
「問答無用です!刑事さん!こいつを捕まえてください!」
「そんな!冤罪です。僕じゃありません!」
「うるさいお前が犯人だ!」
 ふむ、困ったことになったな。
プルルル
 私の携帯電話が鳴る。ああ、やっときたか。グッドタイミングだ。
「ちょっと待っててください」
 私は探偵と結城が騒ぐ部屋を退出して通話ボタンを押した。


「戻りました」
探偵は私の帰還に際してぶっきらぼうに口を開く。
「待ちましたよ。さぁこいつをひっ捕らえてください」
「だから僕じゃありませんって!」
 二人の押し問答はまだ続いていたようだ。まぁそれはそうか。
「犯人がわかりました」
「は?」
「結城さんは犯人ではありません」
 探偵は私の言葉にわかりやすく目を見開いて驚愕する。
「そ、そんなバカな!私の推理が間違っているだと?」
「はい。事件は単純明快な答えでした。犯人は……」
 探偵たちは息を飲む。私の言葉を待っている。すぐに答えを出さずにいるのは少し趣味が悪いだろうか。いや探偵が感じていた優越感を少しは私も味わっても良いのではなかろうか。私は勝利の美酒に酔いしれながら言葉を紡ぐ。
「桐崎さんです」
 全員が唖然とした顔になる。まぁそうだろうな。私は初めから疑っていたから意外とも思わなかったが一度別の犯人を出されたらこういう反応にもなるだろう。
「は?」
 探偵は私に精一杯の抗議とでもいうように一言を絞り出した。私は聞き間違えのないようにもう一度犯人の名前を言う。
「犯人は桐崎さんです。彼の遺書が自宅から発見されました。内容としては昔殺された恋人の仇として近藤さんを殺し、その後自分も天国にいる恋人に会いに行くというものです。恋人の名前は結衣。ダイイングメッセージは……薄れゆく意識の中で最後に恋人の名前を書きたくなった、と言うところでしょうか」
 私は淡々と事実と推測を述べる。
「解決編といきましょう。まず最初に、近藤さんの部屋には鍵がかかっていなかった。だからマスターキーなんてなくても桐崎さんは近藤さんの部屋に入ることができたんです。そして桐崎さんは近藤さんが簡単に逃げられないよう部屋の鍵を閉めて近藤さんをナイフで殺害。殺害後、怒りに任せて近藤さんを滅多刺しにする。ひとしきり怒りが収まったところで自分の首を切って自殺。これで事件は解決です。みなさんおよび立てして申し訳ありませんでした。皆さんの容疑は晴れましたのでもう帰っていただいて結構です。お疲れ様でした」
 わたしはそう言って部屋を出ようとする。この部屋で生きているのは私だけかと思うくらい他の全員は固まって動けないでいた。そんな彼らに構っている暇はない。私には大事なアフターファイブが待っているのだ。
 おっと、もう一言言い忘れてた。
「探偵さん」
「……はい?」
「これに懲りたらもう名探偵の真似事はやめてくださいね」
「……はい」
 よし、これで今日の仕事は終わりだ。帰ってコーヒーでも飲もう。
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