第1話 16歳の話

文字数 1,835文字

僕は16歳だった時、初めて恋をした。
僕が16の時に、親父は借金をして夜逃げした。
僕は16の時に、初めてギターを手にした。
僕が16歳だった時に、飼い犬は大人に成った。
僕は16歳の時に、鬱病だと診断された。
16歳だった時までには、本当に色んな事が起こってしまった。
少年だった僕は、ただその竜巻のように渦巻く、身の回り全ての出来事に耐えるしか無かった。
吹き飛ばされないように、歯を食いしばり、必死で何かにしがみ付いて。
しがみ付く事が出来た物事はギターと飼い犬だった。
どちらに対しても僕は必死で世話を焼いた。
どちらも時には期待に答えてくれて、時には僕に牙を剥いた。
良くも悪くも当時の僕にはそれが嬉しかった。
死んだ木で作られたギターも、狼から派生した動物の飼い犬も、僕が確かにそこに存在すると認識してくれた。
その事実だけでも、僕は嬉しかった。
好きになってしまった女性も、昔から憧れ続けた実の父親も、僕の前からは姿を消したから。
この2つの事実は、僕という人格を破壊するのには十分な威力だった。
僕は壊れた。
二度とは元に戻らないほどに、原型を留めないほどに、跡形も無く。
それでも、僕の人生は続いた。
立ち上がる度に僕は音を上げた。
瞼を閉じる度に僕は泣いた。
耳を塞いでも何故か騒音がした。
何を食べても味はしなかった。
何を飲んでも乾きは癒えなかった。
それでも、僕はただ歩き続けた。
全てに対して、僕は期待をしなかった。
自分に対してさえも。
全てに対して、僕は目を瞑った。
どんなに欲しい物品が目の前に置かれても。
全てに対して、僕は聞く耳を持たなかった。
輝かしい偉人の教えにすらも。
どんなご馳走も、永遠に聴いていたくなるような素晴らしい音楽も、すぐに消えて無くなると解っていたから。
いずれ終わると判っていたから。
それでも、世界と地球は廻り続けるって判っていたから。
それが事実だって、理解したから。
16歳の時に。
僕は、僕を終わらせようとした。
でも。
鋭利な刃物を手に持つ度に、
自分の首に縄を掛ける度に、
僕は思った。
事実を考えてしまった。
弾き手を失くした楽器は、その後どうなるの?
冷たく成った僕の亡骸の前で、飼い犬はなんて鳴くの?
考えずには、想像せずには居られ無かった。
僕の手は、震えたのちに止まった。
この頃の僕には、想像も付かないだろう。
まさか、自分の手でギターを折るなんて。
まさか、冷たく成った愛犬を目にするなんて。
16歳の頃の僕には。
その後も苦しみは絶え無かった。
その後も耐えなくてはならなかった。
暑さに干からび、寒さに凍え、飢えに苦しみ、乾きにむせて、濡れた体を自分で抱き、汚れきった身体を掻きむしり、暗闇に絶望した。
良く出来た戦争映画よりもリアルだった。
息を吸うだけで汗だくに成った。
自分の汗でさえも貴重な水分だった。
何も見え無かった。
見えて無かった。
学校の恩師は、君ほど可哀想な生徒は見た事が無いと語った。
戦争を経験した祖父は、昔の自分を見ているようだと語った。
どんなに厳しい母親でさえも、自分の子供にはそんな思いはさせたくないと語った。
でも、僕は経験した。
全てが痛み、何も考える事が出来ず、全身の力が抜けて行く瞬間を。
ただ、受け入れた。
他には何もできなかったから。
変える力が無かったから。
苦痛に甘んじていたかったから。
自分で自分を、痛めつけて、壊し続けた。
心の何処かでは、すっかり判っていた。
何も変わりはしないって。
決して終わりは来ないって。
終わっても続くって。
とっくにもう、終わってるんだって。
逃げ出したかった。
抜け出したかった。
遠くまで行きたかった。
今、立って居るこの場所の、この地球の裏側よりも遥か遠くまで。
だけど、走ってもすぐに追い付いて来た。
だけど、泣いて詫びても追い詰めてきた。
だけど、血まみれになって倒れ込んでも決して許してはくれなかった。
誰が、って?
この、他ならぬ僕自身が。
鏡を見れば判る。
暗闇に居ても見える。
息をすれば感じる。
それらが何よりも嫌だった。
過去の事すら分からない。
1秒先ですら考えられない。
その事実が、嫌という程に何度も叩き付けられる現実が、切実な僕のこの願いが。
叶わないのに祈り、
敵わないのに挑み、
帰れないのに発つ。
周りは笑った。
無駄な努力をしている、って。
周りは呆れた。
いつまで経っても進歩が無い、って。
それでも。
何も望まずに、報酬も得ずに、報われない事も省みずに。
僕は歩き続ける。
これまでも、これからも、突然の終わりが来るとわかっていても。
16歳の時から。




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