第3話 理科教室におけるマナー

文字数 3,440文字

 およそ八秒と半。やけに滑稽な沈黙が二人の間に貼りついた。
「じゃ、じゃご?」
 異国の言葉を反復するみたいな、たどたどしい台詞が出る。恥の上塗り。
「ジャゴーラだよ、取り立てドール?」
 かさの多い黒髪が冷静に返す。
 まさか、そんな。とても信じられない。確かに後ろを取られたときは危険を感じた。だがこうして正面、LEDライト1200ルーメンに照らしてみると、まだ少年の名残がある風貌ではないか。これが町で一番おぞましい男だと?
 小柄で髪ばかり膨れ上がり、肌は艶やかな蒼い光沢を放っている。引き締まった細い肢体に身に着けているのは、ぴたりとした上等の乗馬服に見える。その上に古いけば立った毛皮を羽織ったアンバランスなスタイル。
 この男、小奇麗なのか小汚いのか、それすらイメージが掴みかねる。いずれにしても肉弾戦に持ち込めば、組みしだけない相手ではないように思えた。
「さっきまで蛇にご執心だったのに、今度は僕をじっと見つめて。移り気なことだ」
「私は最初っからお前に用があったんだ。そう言ってるだろう」
 彼は蛇の檻を馬鞭でこんと叩いた。
「僕に?」
 そして毛皮から何かの肉らしきものを取り出して、端正な顔の蛇に与えた。蛇は顎を180度開いてそれ受け入れる。うえ。
「それ、本当に蛇なのか?」
 私はついに聞いてしまった。先ほどから明確に存在していた疑問だが、話題にしてはいけないような気がしていた。聞いてしまったら、何か取り返しのつかないことになりそうな……。
「少し珍しいけど、歴とした蛇だよ」
 少しどころの話じゃない。感覚がグローバルすぎるだろう。嫌な予感はしたが、持ち前の好奇心が勝った。檻の前でしゃがみこんでいるジャゴーラの傍らに、ふらふらと寄ってみる。
 蛇は美しい金髪を引きずりながら這いつくばっていた。私が近づくと、細長い舌をちろちろと出しながら、瞳を爛々とさせてこちらを見た。
「もしかしてこいつ、私を襲おうとしてるのか」
「なぜそう思うの」
「だってほら」
「まばたきひとつしないで私を見ているんだ、さっきから!」
 揉め事に対する勘には自信がある。どうだまいったか、と胸を張る私にジャゴーラが呆れた顔を向けた。
「そりゃまばたきしないよ、蛇だから」
「へ」
「瞼ないし」
「蛇って瞼ないの?」
「ないよ」
 いちいち、さも当たり前だという風な答え方。悪かったな。蛇の体のつくりなんて知るものか。例え知ってたとしても、金髪で耳も手足もある蛇だ。瞼があると思っても何もおかしいことはない。
「目が乾くじゃない」
「脱皮した抜け殻を見たことは?」
 私は首を傾げる。見たことはある気がするが、手に取って観察した記憶はない。
「蛇の目は鱗みたいな組織に覆われてるんだよ。人間みたいに剥きだしじゃないから」
 まるで生物の授業を受けてるみたいだ。愛玩生物館とは、よく言ったものだ。
「まいったな、初心者か」
「ぬ?」
「こいつは素人向きじゃないけど……」
 ジャゴーラは檻に腕を突っ込んで、蛇に這わせた。
「気に入ったんなら仕方ない。こういうのは相性だから」
 檻の隙間から誘導して、蛇の端正な顔を私に向ける。
「な、待て待て」
「大丈夫。うまく馴らせば殺されないし」
「待てっつーとろーが!」
 いつの間にか私に蛇を買わせる話になっている。油断も隙もない。
「大体うまくやれば殺されないって何だ! 馴れなかったら喰われるのか。誰が飼うかそんなもん!」
「悲観的だなあ。生き物を飼うのに絶対はないんだぞ」
 何てふてぶてしい奴。それでも店主か。
「命かけてまで飼いたくないわ!」
「ふーむ」
 ジャゴーラは馬鞭の先を唇の下に押し当てて、やや思案した。そして絨毯に埋もれた銅の檻を掘り返し、黙れと合図してから手招きする。
 恐る恐る近づくと、小声で見てみろと檻を指す。
「何これ?」
 蛇男みたいなのを刺激しても怖いので、こちらも同じくらい声は抑えた。
「犬とか、狐とか、それっぽい奴だよ。小さくて飼いやすい」
 それっぽい? 言い方が気にかかる。
 上から眺めたが、暗くて見えない。
「明るい所には出せないのか?」
「こいつらひどく臆病なんだ。もっとよく覗いて」
 遠目に見た檻の大きさからしても、確かに小動物らしいので言われたとおりに覗き込んだ。絨毯を被った銅の檻で、丸いものが蠢いている。
「……?」
 後ろ向きのようだが、暗くてよく分からない。やがて私の口から息が漏れ、檻の中へ流れこんだ。すると丸いものの動きが急にぴた、と止まった
 ついでグジュリと音を立てて、そいつが振り返る。
「きゃっ」
 声は出ずに喉が鳴った。柄にもない甲高い叫びになったのは、それが悲鳴ではなかったせいだ。「動物の鳴き声みたいだな」
 尻餅をついた私に、ジャゴーラが言った。
「め、めめ」
 言いたい言葉が口の中でこんがらがっている。
「めと、はなと、くちが」
「そりゃあ、目と鼻と口はある。無かったら化け物だ」
 当たり前のことを諭して、ジャゴーラは平然と絨毯を伸ばす。だが。
「それ以外のモノが無くても、十分化け物だっ!!
 私はもう半泣きになって、ジャゴーラに掴みかかった。見た。見てしまった。犬とか、狐とか、山羊みたいなものの頭部だけが、檻の中で元気にうろちょろしていたのを。
「えー何泣いてんの」
 黒髪の茫洋が心底迷惑そうに眉を寄せる。
「私はホラーとかグロ系が駄目なんだっ」
「ふう」
 彼が払うと、衣服をつかんでいた指がたやすくほどけた。そして私の頭は、ふいに彼の胸元に引き寄せられた。
?!
 ジャゴーラの羽織っている古ぼけた灰黒色の毛皮が、もそもそと動いている。明かりを入れないように気を付けながら、ジャゴーラの指がそっと毛皮を捲る。私と目が合うと、首だけの仔犬が嬉しそうにきゃうんと鳴いた。
 失神しそうになったところを、ギリギリで持ちこたえた。首だけ仔犬は舌を垂らし、目をくりくりさせて媚びを売ってくる。パーツが愛らしいだけに余計怖い。
「ホラーは……苦手だと」
「いい大人がホラーなんて非科学的な」
 ぬけぬけとよく言う。ホラーじゃなければ一体何だ。
「見た通り、こういう生物さ」
 仔犬は首だけの体を器用に傾けて、ジャゴーラの掌をぺちょぺちょと舐めている。
「そんな生き物見たことないぞ」
 仔犬の興味が逸れた隙に後ずさる。
「虐待じみたトリックでも使ってるんじゃないだろうな」
「人聞きの悪い」
 ジャゴーラは銅の檻にそれを戻すと、静かに絨毯を被せた。
「改良種ってヤツだよ。うちではだいぶ前から扱ってるけど、世間的には新種かな」
「新種ゥ?」
「学会で発表しても、手に入るのは名誉と忙殺の日々ばかりさ。世間に技術を共有せずに、自分だけで作って売っ払う方が賢いと知っている学者は少なくないよ」
 彼は笑った。悪魔はきっとこういう風に笑うのだろう。
 さてお次は、と言わんばかりにジャゴーラは店内をぐるりと見渡した。いかん、カモられる。
「いいかげんにしろ、ジャゴーラ。私の用件を聞け」
「……どういうのがお望みで?」
「そうじゃない!」
「私は取り立て屋ドールだ。お前の借金、返済期限は過ぎている。いますぐ耳をそろえてここに出せ!!
 言った。言ってやった。主張に金銀細工をほどこした気の利いた言い回しなんかは出来なかったが、ついに言ってやったぞ。
ジャゴーラは眉をひそめた。
「僕は君に金なんか借りた覚えないけど」
「当たり前だ私は取り立て屋だ。お前に貸す金なんかあるか」
 何を聞いてたんだこいつ。
「仲介業社か。儲かんないんだね、やっぱ」
 淡々といらんことをえぐる。屁理屈をこねてないで返すものを返せと迫る。ホラーもグロテスクも苦手だが、取り立てなら私の独擅場だ。この町で一番おぞましいと言われる男だろうと、遠慮する気はさらさらなかった。
 しかし敵もしぶとい、ふてぶてしい。ジャゴーラは金融会社の名前を聞いても、覚えがないと言い張った。
「子供じみた言い逃れをするな。お前はあの金属節から、これだけの金額を借りているんだぞ」
 懐に手をやる。
「見ろ、証文のコピーだ。ここにお前のサインがある。ほれ!」
 少しは動揺するかと思ったが、ジャゴーラは変わらず茫洋と突っ立っている。なんだかおかしい。彼は唇の下に人差し指の背を当てて、思案顔をしてみせる。
 そしてつかつかとこちらへ寄ると、証文のサインをまじまじと観察し始めた。証文に目が貼りつきそうな距離で調べた後、ふいに姿勢を戻した。
 彼のこれまで通りの茫洋な目つきに、私は厭な予感がした。
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