きみはドットで、ぼくがダッシュ

文字数 1,858文字

 捕えられた彗星に、最後の一押しが加えられた。
 熱を帯び、輝きを増しながら、大気の中を落ちてゆく。みるみる蒸発し、ついには砕け、煌めいて塵となる。
 願いを三回唱えるだけの時間は十分にあった。


 ウーゴと目が合う。
「お願いした?」
「さあ? あなたは?」
「ぼくはいつだって、自分で叶えてきたからね。ーーだから、願うならきみに」
「っはあ……!」
 意識が遠のきかけて、私は気合いで踏みとどまる。
 ウーゴはひざまずいてポケットからお手製の指輪を取り出した。ワッシャーに据えられているのは、ナットに支えられたオパールの原石。
「きみとの回線を確保したい。シンユェ、ぼくと結婚してくれないか?」


 火星は最も遠いフロンティア。
 九ヶ月かけて火星にやってきた私は、それから二年間、郷愁とは無縁だった。
 先ごろ人工磁場が完成し、テラフォーミングはこれから加速していく。
 食糧生産に注力していた私も、いよいよ緑化に向けて動き出す。楽しみしかないし、たとえ事故で死んだとしても悲しくない。
 そんな時、彼が現れた。
 ウーゴはロケットエンジンの開発者だ。
 火星の温暖化へ向けて、捕まえて来た彗星を火星に落として水蒸気やアンモニアを大気に放出させる実験を見届けようと、三日前にやって来た。


 世界記録更新大会で親睦を深める。これがいつもの歓迎の仕方。
 火星ではたいていのことが世界初。どんなに些細なことでもタイトルホルダーになれた。
 走り幅跳びから石集めまで、遊んでふざけて跳ね回る。
 そんな中、ウーゴは模型を飛ばすことに夢中になっていた。
 私の仕事は火星全体におよぶから、ぜひとも音速のモビリティが欲しい。
 赤茶けた空の下、おしゃべりをしているうちに、私は心がさざめくのを感じた。
 性格がいいとか、趣味が合うとか、理由を探したところで、もう遅い。
 一目で気に入ってしまったらしい。恋は光の速さで、心も重力に従うんだろう。

 楽しい時間は過ぎ去って、基地への引き上げを開始する。
 振り返ると、青い夕焼けそっちのけで地面に描いたダイタロス核融合スターシップが、(ダス)(トデ)(ビル)にさらわれて飛んでいった。


 翌朝、私は自慢のサラダを配って、ウーゴの隣に座る。
「エンジンの力で、どれくらい地球が近くなるかな?」
 ウーゴは一口食べて、親指を立てた。シャキシャキ噛んで飲み込んで、人差し指を立てる。
「プラズマエンジンで40日に縮められるかもしれない」
 正面から声がした。
「それ以上は難しいだろうなぁ。原子力エンジンは太陽系内でつかえるかわからないからなぁ」
 ファーストメンバーのタカオだ。私は思わず凝視する。
「いたのか」
「いたよ!」


 あくる朝、捕まえた彗星が到着し、軌道にのった。
 火星の重力に囚われた小さな星を、みんなで見上げる。

 不規則なリズムで歩きながら、ウーゴが空を指差した。
「ぼくはロケットに乗って、どこへでもいけると思っていたんだ。光の速さまでーー。探査ミッションは無人機ばっかりだ。ぼくの乗り込むスペースなんてない。人体は冒険向きじゃないんだ。今もまだ、火星は遠いね」
 私は地球を探す。
「光の速さでも、近くて四分、遠くて二十三分かかるから」
「量子通信なら一瞬だ」
「実現すればね」
「たとえば反物質、あるいは負のエネルギー。量産できるようになれば、膨大なエネルギーが手に入る」
「期待したいね」
 気がつけば、ウーゴが私を見ていた。
「ありえないことも、いつかは現実になる。でも、ぼくは待っているつもりはないんだ。今度火星に来る時は、あっという間だよ」
「そしたらもっと、火星でゆっくりできる」
「三十七分よりも長くね。まあ、体感の短さは変わらないと思うけど」
「なぜ?」
「心臓が急かすから」

 ウーゴは土星の衛星、タイタンからメタンを採取して火星に運ぶ計画に参加している。
 お互い、自分の仕事を頑張ることが、幸せに近づく最短ルートだったから、火星で初めての婚約指輪を残して、ウーゴは地球へと帰っていった。



 緑化は順調に進んだ。大気も機能している。

 ワープやアルクビエレ・ドライブも未だに存在しない。
 時空のトンネルは理論のまま、宇宙船は毎年のように速くなっていく。

 私は今も、夢をみる。
 時空をバイパスして、息子へのプレゼントを乗せた宇宙船が火星に降り立つ未来を。
 ウーゴが光よりも速く、到着する姿を。


 一時期、宇宙人の電波を受信したと騒ぎになった。
 なんてことはない。ドップラー補正をすれば、普通のメッセージ。
 距離を超えたくてたまらない、愛おしさに満ちた人間のメッセージだ。


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