吉弘鎮理と宋雲院-華と花-

文字数 2,396文字

 かつて豊後国に大友宗麟に仕える“吉弘鎮理(よしひろ しげまさ)”と云う若武者が居た。

 名門武家の次男坊として生まれ、祖父や父、兄も武芸に秀でており、鎮理もそれに恥じぬほどに多数の合戦に出陣し、何度も武功を挙げては周辺国にもその武勇を轟かせていた。

 そんな剛の者である鎮理には一風変わった趣味があった。

「おお、これは見たことが無く可憐な“花”だ」

 戦の合間や行軍中に綺麗な花を採取しては押し花にしていた。

 敵兵の首級を刈り取る方が似合う武士(もののふ)が花を摘む。
 武士でも花を愛でるのは珍しくはないが、(はた)から見ても似つかわしくない姿だろう。

 だが、これは(おのれ)の為ではなく、許嫁(いいなずけ)‥‥想い人の為だった。

 今後、大友家を支える柱となる将来有望の鎮理に、聡明で器量好(きりょうよ)しの大友家重臣・斎藤鎮実の妹“宋雲院(そううんいん)”との縁談(えんだん)が決まっていた。

 主君の下知による婚儀‥‥いわゆる政略結婚になるが、鎮理と宋雲院はお互いの人となりに()かれ合い、婚儀を心の底から待ち望んでいたのだ。

 押し花は彼女(宋雲院)が花を鑑賞するのが好きというので、鎮理(しげまさ)なりの心遣いだった。

 中国を支配する毛利との戦が落ち着いた時に、正式に祝言を挙げる約束をしていたのだが――

 ある戦場から豊後に戻った鎮理は、いつものように(いくさ)の合間に作った押し花を携えて、真っ先に宋雲院へと会いに行ったが、宋雲院との面会を拒絶されてしまい、あまつさえ婚約破棄を伝えられたのだった。

 なんとか鎮理は斎藤家に上がり込み、閉ざされた(ふすま)の奥に居る宋雲院に呼びかける。

「斎藤殿から話しをお伺いしております。そなたが先頃、重い病に(かか)ったと聞いた時は、この上なく気掛かりでしたが、それを言い訳に戦場で働けなければ武家の恥。一番槍、一番首の武功を成し遂げて参りました。お加減の方は、もう良いのだろう?」

「ええ。このように話す分には申し分なく、病は癒えておりますが‥‥」

「それならば、どうして会わずに突然破談などと。拙者に、何か不徳がありましたか?」

「いいえ、鎮理様。貴方様に何も落ち度はございません。むしろ不徳があるのは私の方です」

「それはどういう‥‥?」

 一呼吸を置いて、二人の間を(さえぎ)っていた襖が音も無く開き、宋雲院が顔を見せると鎮理は(まなこ)を見張ってしまった。

 宋雲院の顔や肌のあちらこちらに痘跡(あばた)が出来ており、知られた美人の面影(おもかげ)はなかった。

「命が助かっただけでも僥倖(ぎょうこう)の病(疱瘡(ほうそう))でしたが、命は助かりしたものの、この通り‥‥醜い(あと)を残してしまいました。このような見た目では鎮理様にご迷惑をおかけすることになりましょう。どうぞ、私のことはお忘れになってくだ‥‥」

「何を言うか!!」

 鎮理は怒りと悲痛の感情がこもった声で怒鳴った。

「拙者がそなたと婚儀を決めたのは、見た目に惚れたからではない。そなたはいつも、拙者や士卒が戦場から戻ってきた時は、()(もっ)怪我人(けがにん)の元へ駆け寄り、お声をかけ、手当てしてくださった。その姿に、その気遣いに、拙者は惹かれて惚れたのだ」

 鎮理は宋雲院の元に近寄り、痘跡まみれの手を優しく握った。

「お離しください。もし、鎮理様がご病気になられたら‥‥」

「その時は、そなたが看病してくれるのだろう。ならば一向に構わん」

 この時初めて宋雲院は鎮理の顔を直視した。
 太陽のような暖かさを感じる笑顔を浮かべていた。鎮理()に惹かれるようになった笑顔だ。

 だが、鎮理の瞳に映る自分の(みにく)くなった姿に、思わず顔を反らしてしまった。

 鎮理は優しく話しかける。

「そなたと婚儀を結べないであれば、拙者は室を誰も持たん。幸いにも兄上には子息が居るので吉弘の血は途切れることは無いだろう」

 そう言いながら(ふところ)から押し花を取り出した。

「そなたが望むのなら拙者は花になろう。そなたが、いつも優しく微笑みかけてくれる花のような(おとこ)に」

 その言葉に宋雲院は自然と口元が(ほころ)び、瞳から涙が溢れ出した。

「改めて申し込む。夫婦(めおと)になってくれ。そなたが良いのだ」

「‥‥はい」

 消え入りそうな声だったが鎮理にはっきりと聴こえ、二人とも静かに、静かに頷いたのだった。

 かくして正室として迎え入れた宋雲院とは仲睦(なかむつ)まじく、やがて二男四女を授かった。
 長男は、あの西国一の勇将と称された立花統虎(後の立花宗茂)である。

 時は流れ、鎮理は高橋氏の名跡(みょうせき)を継ぎ“高橋紹運(たかはし じょううん)”と号し、大友家と家族の為に粉骨砕身で戦い続けた。

 そして高橋紹運の最期の戦い――岩屋城の戦い。

 約五万の島津軍勢に対して手勢七六三名の寡兵(かへい)の大将として指揮し、勇猛果敢に立ち向かっていった。

 しかし多勢に無勢。落城間際‥‥紹運は傷だらけで全身血まみれになり、わずかに右手を動かすことしかできないほどの満身創痍。
 既に景色の色は消え、白く霞んで視えるだけ。

「‥‥ここまでか。だが、悔いは無い。我らが成すべきことを見事に成し遂げた。本懐である。あとは‥‥由布殿、小野殿。立花統虎殿‥‥大友を、御屋形(大友宗麟)様をお頼み申した」

 高橋紹運は側に居た吉野左京亮に介錯を頼み、最後の力を振り絞り腹を切った。

(いや‥‥悔いはある。花を‥‥いつも戦の度に贈っていた花を‥‥贈れなかったことだな‥‥)

 紹運の心の声(嘆き)は誰の耳にも届かない。

 吉野左京亮は渾身の力で刀を振り下ろすと、流れる涙が自身の額から垂れてくる血と合わさった血涙と共に、主君の首が地へと落ちていったのである。

 こうした高橋紹運たちの命を賭した徹底抗戦により、二週間も島津軍を足止めにする空前絶後の大武功をあげ、豊臣秀吉の九州平定の勝利に繋がったのは過言ではないだろう。

 故に秀吉は高橋紹運の華々しい活躍―玉砕―に「乱世の華」と(たた)え、その死を惜しんだと云う。

 それを伝え聞いた宋雲院は、

御前様(おまえさま)‥‥いつか(おっしゃ)っておりましたね。花のような漢になると‥‥。(まこと)に、(まこと)の華でありました。花華は私の側にありました」

 涙を(こら)え、微笑み‥‥まもなく涙が(こぼ)れた。

-了-
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