第1話 京都五条 ステッキボーイの憂鬱

文字数 1,342文字

かれこれ35年も前のことだ。いよいよ残り少なくなってきた京都での学生生活をどんな風に過ごそうかと考えつつ、卒業旅行の資金もためなければ、ということで、「記憶に残る珍しいバイトをして小遣い稼ぎもしよう」と欲張った計画を立てた。
当時は、ネットもスマホもない。アルバイト情報誌を書店で買って仕事を探すのが当たり前の時代だった。
そこで見慣れないバイトを見つけた。ステッキボーイと書いてある。時給はけっこう高かった。当時は500円とか550円くらいが相場だったと思うが、1500円とかではなかったか。仕事の内容を見ると「旅行者の道案内」とある。なるほど、だからステッキか。ガールじゃなくてボーイの募集ってことは、重い旅行バッグを持たされたりするのか。京都だからな。短期間であちこち見て回りたかったら道案内も必要だろうな。
 そんなことを思いながら五条河原町から電話をする。そこから電話しろと書いてあったのだ。電話をかけたら、道順を教えてくれる。そこまで行ったらまた電話しろという。当時は道のどこかしこに公衆電話があった。指示通りの場所に行くと、電話がある。またそこから電話をする。また道順を示される。そうやってたどり着いたのは、場末の路地の奥の、小さなスナックだ。ドアに小さく書かれている店名は、ステッキボーイの募集をしている会社名とは全然違うものだった。けど電話で指示されたのはその店だ。
 恐る恐るドアを開ける。5~6席くらいしかないカウンターと小さいテーブルが2つくらいの小さなスナックで、全体がピンクっぽかった印象がある。カウンターの奥に男が一人居た。
 「いらっしゃい。電話の人?」
 とカウンターの奥の男が聞く。その瞬間、猛烈な違和感に襲われた。違和感である。違和感としかいいようがない。ぶよっとした小太りの男。皮膚が妙にぬめっとしている。唇が赤い。いかつさや怖さは全くない。暴力性を感じない。なんというか気色悪い。
その男がカウンターに座れという。そして話はじめた。
「この仕事はね。みんな割り切ってやってる。あなたは大学生ね。いるわよ。大学生。みんな割り切ってやってる。ここに待機していてもいいし、連絡取れるなら家に居てもいい。お店との契約は食事のお付き合いまで。そこまでは時給。そこから先は、自分自身で決めていい。5000円とか15000円とかもらう子もいる。割り切り方次第ね」
 なんとなく様子がわかってきた。
「お客さんはどんな人ですか」
「そうね。出張で京都に来るビジネスマンが多い。みんな優しい人よ」
「女性ですか」
「男性が多いわね…。というか、ほとんど男性ね。年配で余裕がある、そういう方々」
「そうですか」
「大丈夫だと思うわよ。割り切り方次第だし。無理と思えば断ればいいし。まずは、この紙に連絡先とか書いてくれる?この欄には本名、この欄には源氏名を書いてね」
「ゲンジナ?」
「お店での名前。本名でやってもいいけど」
「女性のお客はいないんですよね」
「そうね…。いないわね」
 おい。女性客ならやるのか?と自分にツッコミを入れたかどうかは覚えていない。
 
「すみません。何か勘違いしてたみたいです」
「どうも、そうみたいね」
そういうと男は手をひらひらさせた。そのひらひらに救われて、ドアの外に出た。
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