第1話

文字数 4,923文字

 年中照りつける太陽のもと、キャラバン隊は今日も行商を続ける。
 彼らは〈エリミネイト〉の生き残りである。津波、マグニチュード八を超える大地震、火災、その他いろいろの天変地異と人災をも乗り越え、生命をつないだ人びと。
 キャラバン隊は前〈エリミネイト〉時代の利器であるコンテナシャーシトラックを修理・改造して商売道具にしている。それをねぐら兼移動型倉庫とし、イーストサイド界隈を旅しているのだ。
 年末も押し迫ったおり、キャラバンの見習いたちに試練のときが訪れた。夜でもおかまいなしにぎらつく太陽のもと、隊長がこう宣言したのである。
「お前たちはこれから自分たちだけで旅に出なければならん。将来このキャラバンを背負って生きていくには必須の経験だからだ」
 見習いたちはパンを頬張りながら、一言も聞き漏らすまいと隊長に注目している。
「ここからはるか北、蝦夷地では日の出が拝めるのを知ってるかね」隊長はなされるであろう質問の先回りをした。「太陽が東から昇ってくる瞬間のことさ」
 見習いたちは首を傾げた。

? 太陽はいつだって頭上から見てやや西に陣取り、そこから動かないはずでは?
「これはわが隊に伝わる通過儀礼だ。満十八歳になった者は蝦夷地まで自力で辿り着き、一月一日の日の出を拝む。それを達成して初めて、隊の正式な一員として認められるのだ」
 こうして見習いたちの旅が始まった。

 今年の巡礼者は三人。帳簿管理が得意なレコーダー、交渉が得意なネゴシエーター、前〈エリミネイト〉時代の遺物を発掘・修理するのが得意なエンジニア。
 レコーダーは小柄だけれども勝気な女の子、ネゴシエーターは上方から流れてきた陽気な男、エンジニアはキャラバン生まれの秀才タイプ。それぞれ性格も出自もばらばらだ。いままでは各自のメンターにつきしたがって指導を受けたきたので、他分野の人間と協同で旅をするのは当然、初めてである。
 旅立ちの日、三人は遠さかっていくキャラバン隊のコンテナシャーシを不安な面持ちで見送った。巻き上げられた砂ぼこりがすっかり着地するまでそうしてから、いっせいに北へ視線を移す。
「地図によると」レコーダーが口火を切った。「蝦夷地まで直線距離で千キロ以上あるよ。今日が十二月二日だから、一日あたり三十四キロは移動しないとだめね」
「徒歩だけじゃ無理ですね」エンジニアは肩をすくめた。
「おまはんら、ホンマに蝦夷地までいく気なん」ネゴシエーターは大げさに目を見開いている。「適当にそのへんぶらついて、しれっと隊に合流したらええやんけ」
「ぼくもそれは考えました。でも旅程を聞かれたらどうします。ある程度嘘はつけるでしょうが、見たこともない土地の風景を詳述するのは難しいでしょうね」
 エンジニアの見解はもっともだった。ひとたび覚悟が決まれば、行程について侃々諤々の議論が百出した。上方出身者が頻繁に茶々を入れるせいで話し合いはしばしば脱線し、その都度記録係がまじめにやれと食ってかかる。技術者の卵はわれ関せずとばかりに肩をすくめた。
 一日仕事でできあがった彼らのプランは次の通りである。
 現在地→大地の裂け目 徒歩および自動車 ※大地の裂け目の横断は気流船
 大地の裂け目→ホームランド北端 徒歩および列車
 ホームランド→蝦夷地 徒歩
 蝦夷地→蝦夷地最北端 スキー ※要再検討
 計画は固まった。あとはひたすら北進するだけだ。

 最寄りの町では宛てがはずれ、車の完成品はおろかジャンクパーツすら手に入らなかった。徒歩での完遂が不可能な以上、移動手段の調達は急務である。
 町で食料などの必需品を揃え、ひたすら北へ。かつては車が行き交っていたであろう道路もいまはひっそりと静まり返っている。無残にもひび割れ、白く変色している文明の残滓。
 一週間ほど歩き通したあたりで山間の峠越えルートに差しかかった。彼らは標高五百メートル付近で蔦の絡まった車の残骸を発見する僥倖に恵まれた。早速エンジニアが状態を見繕う。「燃料が切れてますが、ちょっとしたメンテナンスと補給で動きそうですよ」
 ちょっとしたメンテナンスを専門家に任せ、二人は燃料を得るために峠直下の集落跡地を物色した。放棄されて数十年は経っているゴーストタウンだったが、奇跡的にポリタンクに入ったガソリンが見つかった。
 粘ること一日半、エンジニアの奮闘が功を奏し、危なげながらも車はついに始動した。ぶるぶるがたがた、ほんのわずかの衝撃で分解しそうなようす。
「これに乗るの? ていうかこれ、ほんとに走るの?」
「心外ですね。ぼくの自信作ですよ」
 ネゴシエーターが座席に座り、計器類をチェックする。「パッと見まともそうに見えるで」
 渋るレコーダーを無理やり乗せ、車は走り出した。五十キロに一度くらいの間隔でなんらかのトラブルを起こす問題児ではあったが。

〈塩湖〉の東側を迂回し、イーストサイドの要衝、〈近江〉で補給。北陸と美濃が合流するエリアだけあって、町は活況を呈している。老若男女、あらゆる人びとが往来を忙しそうに歩き、市場からは景気のよい罵声が飛び交っている。みんな一日中頭上に輝く光球から身を守るため、被りもの(クーフィーヤ)と分厚い外套に身を包んでいた。
 ガソリンを売っていた老人と上方人が価格交渉で激闘を演じた末、すっかり意気投合したという一幕があった。老人はしわくちゃの顔をさらにしわだらけにして微笑み、むかし話を語ってくれた。
「わしがまだ若いころ、なんの前触れもなく〈エリミネイト〉が起こった。信じられるかね、倦まずたゆまず回り続けてきた地球がその日を境に金輪際、回るのをやめちまったんだ。急ブレーキの破壊的な影響がどんなだったかは想像もできまい。わしは地割れ――北にぽっかり空いてる大地の裂け目のとこだが、それに飲み込まれてく連中を呆然と眺めてた。お前さんたちは夜になっても太陽が沈まないのを不思議に思わないんだろうが、わしはいまだに慣れんよ。死ぬまで不眠症さ、ちくしょうめ」

 動かなくなるたびにバンパーを蹴飛ばしつつ、三人は青息吐息で大地の裂け目まで辿り着いた。
 その光景はまったく筆舌に尽くしがたい。見渡す限り東西にどこまでも地面が裂けている。それも対岸が霞むほどの幅だ。心もち西に傾いた陽が、超弩級の景色に一抹の寂寞感を与えている。
 しばらく三人とも圧倒されて口を開けなかった。やがて無言のままレコーダーが気流船の発着場によろめきながら向かう。二人もあとに続いた。
「ようこそ気流船乗り場へ」係員は三人の少年少女をうさんくさそうに見渡した。「大地の裂け目からは常時強烈な風が吹いてる。気流船はこれを利用して対岸への橋渡しを行う飛行船だ。どうだい、乗るかね」
 エンジニアが信頼性に疑義を呈して乗船を拒否したものの、最終的に彼も折れた。「死ぬときは三人一緒なら公平ですからね」
 運賃は車の売却益で調達し、一行はままよと乗船した。それは得がたい経験であった。眼下には底なしの穴がぽっかりと空いており、その深淵を風船に毛の生えたしろもので渡っていく。速度は亀とどっこいどっこい、風向きによっては逆戻りすることもしばしば。無事対岸へ接地したときには三人とも顔面蒼白、生きていることを頬をつねり合って確かめたほどだ。
 前半の関門は突破した。次はホームランド北部の縦断が待っている。

 北部は大地の裂け目で隔てられているせいか、文化ががらりと変わる。中東の様式を取り入れた南部と異なり、こちら側は往時の面影が根強く残っている。そのなかでも特筆すべきは、南北に敷設された列車が現役で稼働している点だろう。
 陽はますます西へ傾き、駅は朱色に染まっていた。気温もそれとわかるほど低くなっている。
「見てよこれ」レコーダーは呆れ返っている。「『次便は未定。席が埋まり次第発車』だって」
「そらそうやろ。動かすのにどんだけ電気がいる思てんねん」
「出発は採算割れしない程度に集客できてからというわけですか。困りましたね」
 十二月中旬に入り、時間は刻一刻と迫っている。客の気まぐれにすがるわけにはいかない。三人は分担して事態を打開することに決めた。
 レコーダーは運営側に取り入って帳簿を見せてもらい、巧みな弁舌で集客目標数を二割以上も削減させた。ネゴシエーターは最北部に儲け話があると吹聴し、町でくすぶっていた多数の山師どもを旅客に変えた。エンジニアは燃費改善を提案し、採算の下限緩和に貢献した。
 三人の努力は実り、列車は重い腰を上げた。商業用に整備されているだけあって、乗り心地は快適、三人は一気にホームランド北端まで到達したのだった。

 北端から蝦夷地までは海峡を渡らなければならない。彼らは海を見るのは初めてだったし、連絡船は高すぎた。当然の結果として〈エリミネイト〉をほぼ無傷で乗り切った海中トンネルを歩き通すことになった。五十四キロもの距離を歩きたがる旅人は少ないらしく、係員は目を丸くしていた。
「信じられへんわ。これ海の下を潜ってんのやろ」
「そうらしいね」
「いったいどんな工事だったんでしょう。ぜひ資料を見てみたいものです」
 三人は海水の滴がしたたる暗黒の隧道を興味津々で歩いた。〈エリミネイト〉ですらびくともしなかった技術力の粋、人びとの努力の結晶。それらの重みが彼らを無口にさせた。
 トンネルは長かったが、誰もが最後まで退屈することはなかった。

 蝦夷地は太陽に見放された土地である。入り口ですら陽は沈みかけており、人びとの瞳はガラス玉のように空虚だ。光の乏しい環境が弱視の突然変異を優遇した結果である。
「最北端にいきたいだって?」薄暮の函館でつかまえた商人は口をあんぐりと開いた。「ちゃんと距離感掴めてるかい。最短距離でも六百キロはあるんだぞ。それに道中は真っ暗で凍りついた不毛の大地だ。もの好きな連中が作った集落が点在してるだけのな」
 執拗に食い下がると、説得を諦めた商人は蝦夷地縦断指南をしてくれた。防寒具、移動用のスキー、食料、荷運び用の犬ぞり。最低限これらがないと踏破は不可能である由。
 三人は車の売却益を全額使い果たし、それらを彼に揃えてもらった。
 縦断の旅は苛烈を極めた。進むたびに太陽は沈んでいき、五十キロ地点で完全に鳴りを潜めた。寒さはいっそう厳しさを増し、就寝しても体力は回復しきらない。眠りはしばしば酷寒によって妨げられ、寒風はシュラフのダウンをやすやすと貫いてくる。
 永遠の夜の大地では月明かりだけが頼りだった。それともちろん、空一面を彩る無数の星ぼし。それだけが慰めだった。彼らは耐えがたい寒さを呪いつつも、懸命に北を目指す。雪原に刻まれる六本のシュプールと犬ぞりの軌跡。元旦は目前に迫っていた。
 大晦日の午後八時すぎ、宗谷岬を目前にしてレコーダーががっくりと膝を突いた。「もう動けない」
「あほんだら、もう目と鼻の先やんけ」上方人が励ます。
「いいから先いってて。あとで追いつくから」
「なんとしても一緒にゴールする。そう決めたでしょう」エンジニアはビンディングをはずし、肩を貸してやった。「大阪人さん、そっち持ってください」
 三人はスキーと荷物をデポし、しょっちゅうアイスバーンに足を取られながらも残り数キロを歩き通した。主観的には数世紀ほども経ったあと、彼らはこれ以上歩く道がないことに気づく。崩れかけたモニュメントが鎮座しており、その先は黒々とした海面が広がっている。その海の向こう、水平線のかなたに控えめなようすで半分ほど顔を出している橙色の輝きが見える。
 それは太陽だった。光球からは光の筋が伸び、三人に向かって海面に橙色の道を差し伸べているかのよう。午前零時ジャスト、文句なしの初日の出に間に合ったのだ。
 誰も言葉を発しなかった。言葉は必要なかった。彼らはそのまま何時間もその場に立ちつくし、生命の源、母なる太陽の光を眺めていた。
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