名付け親 

文字数 1,195文字

 学生時代、腎臓を患いその時、主治医から「将来、子どもを産むことは諦めてください。」と言われた。
医師は当然私がショックを受けるだろうと申し訳なさそうな表情でそう語ったが、まだ結婚出産を望む年齢ではなかったのでただ、(子どもを産めない)=(生涯独身)という単純な方程式だけが頭の中にインプットされてしまった。
 しかし人生は小説より奇なるもので、その後、自宅療養中に私を見舞ってくれたクリスチャンの友人に導かれ、聖書のみことばにより開眼。1985年、彼女の通う教会で受洗。
 そして、その日から私の人生は激変した。まず、私のライフプランには書き込まれていなかった「結婚」という2文字が付け加えられたのである。それでもあの時の医師の言葉がしっかりと心の中に刻まれていたので、この先夫婦2人だけの生活が続くものと思っていた。
 ところが、その半年後妊娠が判明。しかし、喜びより果たして無事出産できるのだろうかという不安のほうが大きかった。
 だが、人知をはるかに超えた主の御力に守られて、翌年の1月元気な女の子が誕生。名前は胎内にいた時から神の言葉(レーマ)と決めていた。しかし、喜びに浸る間もなくその半年後、第2子を妊娠。そして翌年の4月に2女を出産。まさか年子で子どもを授かるとは思ってもいなかったので、妊娠を知った時から毎日聖書を開き、子どもの名前を祈り求めた。その中でヨブと夫の半生が重なり、ヨブが試練の後に与えられた子どもの名前に心が留まった。そこで2女の名前は(エミマ)と名付けることに。
 更に主の恵みは尽きることなく、3女を出産。さすがに主の偉大さを覚えつつもこの子が最後だろうと「主の祈り」から(御国)と命名。
 しかし、その翌々年の1月、4女が誕生。「主よ。御国が来てしまったら次に何を求めたらよいのでしょうか。」そう祈りつつ聖書を開くと「永遠」という文字が目に飛び込んできた。(そうか。御国に帰ったら愛する主と共に永遠に生きる。これだ!)そこで4女の名前は(永遠)に決定。
 さあ、これからいよいよ楽しい子育てライフの始まりーと思いきや翌年の7月、第5子となる長男が誕生した。なんと、結婚6年目にして1男4女5人の子宝ママになってしまったのである。
 しかし、もはや永遠の先に言葉が見出せず、
 「主よ。おことばをください。」
 と再び祈る日々。そんな中(今を生きるクリスチャンにとっての最大の希望とは!)と主に問われた気がした。そしてその瞬間(マ・ラナタ)という言葉が浮かんだ。そこで第5子の名前は、主が来る=(主来)と命名。
 学校や役所で子どもたちの名前を記す時、
 「クリスチャンですか?」
 と訊かれることがある。
 「はい。よく分かりましたね。」
 と驚いて見せるが心の中では(主よ。分かって当然ですよね。)とニンマリ。
 何故なら、5人の子どもたちの名付け親は「聖書」なのですから。ハレルヤ!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み