あなたは本当の空を知らない

文字数 4,281文字

 俺は若かりし頃、わりと有名な大学に在籍し、工学部の研究室に所属していたことがあった。
 そのときの同期に、ロボット工学の先鋭たる人物がいて、ある日愚痴のように漏らした言葉がある。

「技術屋の連中は、人の心をロボットに組み込むなど、フィクションのなかでしかあり得ないって言うけどさ。人間の心だって、電気信号によって刻まれたものじゃないか。それならロボットにだって心は組み込めるさ」

 俺は意外な気持ちでその言葉を聞き、尋ねた。

「お前は、現実主義者だと思っていたけどな」
「俺は現実主義者だよ。人を特別だと思っている奴らこそが、ロマンチストだ」

 鼻腔に、ツンとする油の臭いが突き刺さる。
 機械の整備に使われる油の臭い、懐かしいな……。
 ……懐かしい?
 俺は……今、なにを……。
 
「ううっ……」

 うめき声を上げる。
 体中が悲鳴を上げて、覚醒をうながしていた。
 いそげ、いそげ! 早く現実を認識しないと死ぬぞ!

 ドーンッ! と、間近で何かが爆発する音が響き、俺は現実逃避の白昼夢から覚める。
 最悪だ。
 俺は食べ物を探している間に、いつのまにか戦場に紛れ込んでしまったらしかった。
 世界各地で行われている戦闘は、熾烈を極めてはいるものの、地図上できっちりと線引きされていて、そのエリア外は安全地帯だ。
 だから、戦闘エリアから抜け出すことが出来れば安全なはずなのだが、いかんせん、俺の手には地図がない。
 昔は携帯端末の一つも持っていたのだが、そんなものはとっくに壊れてしまった。

 と、突然、俺が身を潜めている半壊した建物の入り口から爆発や銃声以外の物音が響いた。
 瓦礫をどかしている音のように聞こえる。

 俺は慌てて両手を上げた。
 それで助かるかどうかは賭けのようなものだが、たった一つの命だ、みすみす失われるぐらいなら賭けたほうがマシだろう。

「あ……」
「お?」

 そして瓦礫を押しのけて姿を表したのは、優しげな少女の姿を戦闘服で包んだ、戦闘用ヒューマノイドロボットだった。
 彼女は、緊張したように俺を見つめ、その瞳にほのかな光を浮かべる。
 ヒューマノイドロボットは、分析能力に優れていると聞く。
 文字通り俺の骨の髄まで透視(サーチ)しているのだろう。

「生身の……人間?」

 少女の姿をした表情豊かなヒューマノイドロボットは、とても驚いた(・・・)ようにそう呟いた。
 それが、俺と、マリアと呼ばれるMA-S7との出会いである。

 ◇◇◇ 

 俺が学生を卒業し、社会人になるころには、ロボット工学は急速な発展を遂げた。
 あらゆる場所の受け付けや案内はロボットが行うのが常識と化し、やがて、それは軍事にも及んだ。
 初期の軍事用ロボットは、もちろん人の姿などしていなかった。
 血の流れない戦場、人道的な戦争を謳い文句に、次々とロボットは戦場に投入されて行く。
 そして、ロボットには、人道的見地から、人間を殺害出来ないようにするプログラムが義務付けられることとなった。

 結果として、より人間に近い歩兵タイプのロボットが作られるようになったのだ。
 殺し合いで、片方が殺すことを禁じられてしまったら、一方的な蹂躙となる。
 その後は、もう、技術による騙し合いと詳細で迅速なデータ収集の競争だ。

 過ちで人を殺せば世界中からバッシングを受ける。
 それが年若い少年少女となればなおさらだ。
 戦場には、少年少女に偽装したヒューマノイドロボットが溢れた。
 擬態は、感情表現にも及び、泣いたり、苦しんだり、笑みを浮かべたりするロボットが主流となる。
 やがて、人とロボットの区別をつけるのが難しくなり、とばっちりを避けるため、人々は地下に都市を造って避難した。

 ◇◇◇

「どうして地上に?」

 柔らかい少女の声で戦うためのロボットが尋ねる。

「取り残されたのさ。全員が安全な場所に逃げられる訳じゃないからな」

 地下都市に収容出来る人数には限界があった。
 俺は要領が悪くて、気づいたら地上に残される側となっていたのだ。
 やがて地上では、物資が極端に不足し始めた。
 当然だ。地下で暮らす人々こそが重要な者達なのだから。
 全ての流通は、地下都市が中心となったのだ。
 地上の人間の生活は、自給自足が原則の、原始的なものに堕してしまった。

「食べ物を探し歩いているうちに、戦場に紛れ込んだ、という訳さ」

 俺の説明を聞き、少女の姿のロボットは、しばし目を瞑る。

「上官から許可が下りました。あなたを安全地帯までお送りします」
「え?」
「人間を護るのが私達の最優先事項です。あなたを、死なせはしません」

 少女の浮かべた笑顔はあまりにも無垢で、とても作られたものとは思えない。
 俺はひどく混乱した。
 そしてつい、人間にするように自己紹介を始めてしまう。

「俺は三上司と言う。君の名前は?」

 少女の姿をしたロボットは、突然の俺の自己紹介に戸惑っているようだ。

「……私は、MA-S7。仲間にはマリア、と呼ばれています」
「えっ……」

 本当にこの少女はロボットなのだろうか?
 俺は疑念を拭えないまま、少女型ロボット、マリアの案内に従った。
 それ以外に選択肢はなかったからだ。

 道中、周囲には常に爆音が鳴り響き、一歩を歩くごとに俺の歩みは遮られ、ルートを慎重に見定めたマリアが先導してくれる。
 おそらく、地雷かなにかが埋まっているのだろう。

「あの、さ」

 沈黙に耐えかねて、俺はつい、マリアに話しかけてしまう。

「はい」

 無視されるかと思ったが、彼女はすぐに返事をした。

「人間同士のように名前で呼び合っているのか?」
「……おかしいですよね。でも、私達は、より人らしくあるようにプログラムされています。仲間が壊れると泣き、破壊されるときには恐怖の表情を浮かべる。ただそう作られているだけ、なんですけど……」

 マリアは口ごもる、まるで人間のように。

「ときどき、その偽物の感情が、私達の行動を左右してしまうことがあります。恐怖を避け、楽しみを探してしまう。……より人間らしく在れ、という命令に対しては正しい振る舞いだと判断出来るのですけど、なんだか、それが行動を阻害するバグのように、感じることがあるのです」

 感じる……か。
 そう作られているから、なのか、それとも、昔友人が言っていたように、偽りとして作られた感情でも、それは人と同じもの、ということなのか?
 考えると、あまりの罪深さに、恐ろしくなってしまう。

「私、歌が歌えるんです。珍しいんですよ? より人間的に振る舞えるように同じ型式でも個性を付与されているんです」
「そうなんだ」
「仲間が、その歌を聴くのが好きで。よくねだられるんです」
「それは……素敵なこと、だね」

 マリアは俺の言葉に微笑んだ。
 偽物とはとても思えないその笑みは、とても美しかった。

「止まってください」

 そう言って、マリアはピタリと全ての動作を停止する。
 その挙動はとても機械的だ。
 俺はむしろ、その機械的な部分に違和感を抱いた。

「大変です。敵の部隊が包囲作戦を遂行したようです。戦闘エリアぎりぎりを一斉爆撃すると、戦闘予測が通達されました」
「えっ、危険なのか?」

 マリアは小さくうなずく。
 人間的に振る舞うと言っていたマリアだったが、その顔に恐れは見えない。
 やはり、彼女はロボットなのだ。
 俺は、叫びだしたぐらいの恐怖を感じていたが、見た目が少女であるマリアの前で、その恐怖を表に出せないでいた。
 見栄というやつだ。
 相手はロボットだと言うのに、おかしな話である。

 マリアは、あちこちに視線を彷徨わせ、やがて一つの建物に目を止めると、そこへと俺を導いた。

「ここに、地下保管庫があります。人一人ぐらいは入ることが出来ます。脆い蓋部分を私がカバーしますので、安全になったら脱出して、ここから右手にまっすぐ五十メートル進んでください。それで、安全地帯に脱出出来ます」
「待ってくれ! 五十メートルぐらいなら走って逃げれば間に合うのでは?」
「いけません。敵があなたを誤認すれば、執拗に追う可能性があります。彼等は人間的で執念深いのです」

 俺は思わず笑い出しそうになる。
 人間的なロボットにこだわる余り、人は制御出来ない存在を生み出したのではないか? そんな、予感がしたのだ。

「あの……」

 マリアは、何やらもじもじとためらいを見せた。

「どうした?」
「もし、もしも安全な場所で私に似た人に会ったら、その人が幸せに暮らしているかどうか、尋ねていただけると、嬉しいのですが……。いえ、これも感情模倣のバグですね。申し訳ありません」
「似た人って?」
「私達にはそれぞれモデルとなった人物がいるのです。よりリアリティを出すための、コピー元となった人物が。それで、……仲間達と戯れに話すのです。私達の本体は、幸福に感情豊かに、伸び伸びと生きているのかな? って。そう思うことが、その……私達にとっての救いのようなものでした」

 救い。
 この、人の造りし者達は、救いを求めているのだろうか?
 それは、あまりにも人間的だ。

 ああ、もうごまかすのはやめよう。
 彼女は、そして彼女の仲間も、おそらくは、俺達よりも、純粋な人間(・・)なのだ。
 心を持つ存在を(もてあそ)ぶ……。人が犯した罪を思うと、全身に怖気が走った。

「マリア。俺のことはもういい。君は逃げてくれ」

 俺の隠れた地下保管庫の蓋を護る。
 それはつまり彼女の体を犠牲にする、ということではないのか?

「ダメです。だって、あなたは、私がやっと見つけた希望なんです」
「マリア……」

 マリアはふっと顔を上げると、俺の体を軽々と抱え上げ、比較的破壊の少ない建物の床を探ってカチリと蓋を開け、俺を放り込んだ。
 見た目では考えられないような怪力である。
 間違いなく、マリアは機械なのだ。

「マリア!」
「ごめんなさい。怖い、ですね」

 頭上からくぐもったマリアの声が聞こえる。

「歌を歌ってあげますね。私の歌、とても人気なんですよ」

 優しく素朴な少女の声が歌う。
 空に憧れる子どもが、翼をねだる歌だ。
 透き通るような、憧れの籠もった歌。

 ……やがてその声は、世界を蹂躙する爆撃の音にかき消された。

「マリア! マリアッ!」

 俺を見捨てた人間よりも、君のほうがずっとずっと、本物の魂を持っていたのではないか?
 マリアが俺に希望を見たと言うのなら、俺はマリアに心惹かれ出していた。
 ほんの僅かな光の瞬きのような刹那な想いだったとしても。

 全ての音が途絶えても、俺は暗闇のなかでうずくまり続けた。
 マリア、君には空がどんな風に見えていたのだろう?
 ああ……もっと、君と話をしたかったよ。
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