第1話

文字数 1,963文字

誰からも疎まれるような命に生まれた僕は、ただ一人僕を傷つけない君に恋をした。
理科室の片隅に佇む君は、表情を変えることもなく僕を待ってくれている。
「こんにちは、今日の調子は?」
「こんにちは。いつもと変わらないかしら」
僕の問いに君は素気無い返事をする。放課後、誰もいなくなった学校の中、僕は君をガラスケースから取り出してキスをする。プラスチックでできているんだろう、君の冷たい唇に受け入れられて、僕は上機嫌にその日の恥辱を話し出す。
「聞いてよ、君。今日はクラスメイトの○○君が、トイレで僕にバケツの水を掛けたんだ」
「あら、酷いこと。便器の水も飲ませられたのではなくて?」
「君は本当に聡明だ。その通り、でもまぁ、使う前の水だから左程抵抗はなかったね」
「貴方、意外と図太いのね」
「図太くなければ、今まで生き残ってこれなかったのさ」
君の手を取って理科室の中をクルクル回る。それはまるで舞踏会の踊り子のように。華奢な君は貧相な僕にでも簡単に抱き上げられて、床に脚もつかないままに振り回されてしまう。隠さない赤い肌がとても魅力的で、開かれた内側はとてもはしたなくて、骨の白色は契りを果たした白無垢にも見えた。
そう、君は人間ではない。生物ですらない。理科室の人体模型だ。
「貴方、いつまで私とこうしているつもりなの?」
「僕が卒業するか、君が廃棄されるまでだろうね」
「あら、酷い。私が廃棄される時を考えるなんて」
「だって君、もう随分とボロボロじゃないか。右足なんて完全に外れてし、内蔵はいくつか零れてる」
「先生が直してくださらないからよ。職務怠慢ね。自分が所有する教材くらい、ちゃんとして欲しいものだわ」
そう、君は科学担任の私物であり、僕の物になる筈もない。淡々と話す君の声だって、本当は僕の脳内で響いている幻聴なのだ。だとしても、僕にはこの時間が心地良かった。
傷つくことに慣れ果てて飽きてしまった僕には、僕を傷つけない少女との逢瀬が生きる意味であった。だからこそ、僕はこの子が廃棄されるなら、或いはこの子と会えなくなるならば、死のうと思っていた。
そうして、中学を二年と半年生きた頃、君が明日廃棄されることが決定された。職員室で教師達が話しているのを、プリントを提出する時に聞いたのだ。科学担任は最後まで「生徒達の為に必要な教材である」と渋っていたが、それも多勢に無勢という様子だった。
明日が僕の命日か、と思って束の間、ふと、一つ名案が浮かんだ。どうせ二人とも死ぬのならば、心中と言う形で今日を終わっても良いだろう、と。
宿直の教師の目を盗み、僕は君を理科室から連れ出した。僕に抱かれた君は廊下を歩いていると「懐かしいなぁ」と声を上げた。
「君は理科室以外の教室も知っているのかい?」
「ええ、遠い昔なのだけれど。私も学校の廊下を渡ったことがあるわ」
理科室に納品された時の記憶だろうかと思いながら、僕は君を連れて体育館に行った。夕方既に用意していた、ライターと灯油を引っ張り出す。これだけあればきっと、君と二人で終わることが出来るだろう。
「焼死なさるおつもり?とても苦しいわよ」
「苦しくったって良いのさ、出来るだけ悲惨に死にたいんだ」
「運命への意趣返しに?私を巻き込むなんて、酷い人」
君は楽しげな声音でそんなことを言いながら、僕の腕の中に納まってくれている。僕はそれが嬉しくて、たっぷりと灯油を被った後、ライターに火をつけた。悪臭の中、僕達の視線が赤く燃え盛っていく。
「僕と出会ってくれてありがとう」
「私と出会ってくれてありがとう」
お互いにそんなことを言いながら、地獄の業火じみた熱の中で溶けていく。ふと、君の顔を見ていて、僕は重大な秘密を理解した。そうして、僕の耳に届いていた君の言葉が、僕だけの幻聴ではなかった事実に涙したのだ。
「泣かないで、愛しい人。私、幸せよ」
例えばそれが君の手練手管であったとしても、僕は幸福のままに地獄に落ちるのだろう。

――――続いてのニュースです。
昨日の23時30分頃、××中学校の体育館で火災が発生しました。
当直の教師により火は消し止められたものの、焼け跡から二人の遺体が見つかりました。
一人はこの中学校に通う男子生徒の遺体とみられますが、もう一人の遺体は樹脂加工されていることから、事件性も視野に入れての調査が進められております。
たった今、新しい情報が入りました。樹脂加工された遺体の身元が判明した模様です。
遺体は10年前、◇◇学園女学生誘拐事件により行方不明となっていた被害者のものと判明しました。また、当時の容疑者として挙げられていた男性、■■■■氏がこの中学校の科学担任であることから、任意の事情聴取が進んでいるとのことです――――
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