第8話 見知らぬ人々

文字数 4,134文字







老人の正体はこの土地の議長だった。もうこの地には議会が開かれて久しいらしく、一年ごとに交代するので、自分は三人目だと語った。

「お名前はなんと仰るんですか?」

僕が道道そう聞くと、議長は昼日中の燦々と降り注ぐ日光を額に浴びて僕を振り返り、「わたくしは、オズワルド・ジャン・デュ・プレと申します」と優しく微笑んだ。


ええ?じゃあ、フランスの人なのか?確かに、僕はここに来てから気を抜く暇がなくて全然気づかなかったけど、彼はとても日本人には見えない高い鼻を持ち、濃く深い堀りのある表情だった。でも、フランスの人が、こんなに流暢な日本語を喋ることが出来るんだろうか?

僕はそのことにちょっと不自然を感じて、考えるために下を向いた。するとオズワルドさんがくすっと笑う。


「…ハルキ様はお小さい方ですから、わたくしどものフランス語はお分かりになりません。ですが、平和の実現のため、皆が等しく言葉を交わせるようにと、ハルキ様はお力をお使いになり、わたくしが別の言葉を喋っても、貴方様にはご自分がお分かりになる言葉に聴こえるような、そんな世界にしたかったようです」

「ええっ!ではあなたは今フランス語を?」

「もちろん。わたくしは元は、生まれも育ちもフランスですから」

僕たちはその時、街の門の目の前に辿り着いたところだった。街の門は、高さ十メートル、幅は八十センチはあろうかという、長く太い丸太を何本も横に連ね、鉄で補強したものだった。その門の中央に、オズワルドさんが手をかざす。そこには大人の手の形を型どった金属板があり、それが一瞬青く光ると、とても人の力でなどでは動かないだろう重そうな門が、僕たちに向かって、ずずっ、ずずっ、と少しずつ開いた。そして僕たち二人がその間に体を滑り込ませると同時に、門はひとりでに背後でぴたりと閉められた。

僕は自分が今まで学校で習ってきた物理法則がだんだん壊されていくような気がして、一種のショックを受けていた。オズワルドさんについていく時に一度門を振り返ったけど、もうそれは動かず、そびえ立った山のようにじっと黙って僕を見下ろしていた。

門を入ってすぐは、あまり木の多くない、人の手で作られたような林だった。僕とオズワルドさんは、その林の向こうにちらちらと見えている街に向かって歩いている。僕は林の中が少し涼しくて誰も居ないのでちょっと薄気味悪いような気がして、時たまちらっと後ろを振り返っては、誰も居ないことを確認していた。

それから、林の中を歩いていて気づいたことがある。この林の中には、僕が見た事のある木は一本も無い。皆どこかシダ類を思わせるような葉をしていたけど、図鑑でもテレビでも見た事がない大きな葉を、幹からだらりと垂らして地面に這わせ、地面には苔のようなものが生えていた。でもその苔のようなものも、以前見た事がある苔とは違って緑色の米粒のような大きさで、踏んでも潰れはしない、丈夫なプチプチのようだった。僕が林の中をそうやって観察している時、不意に甲高い声がした。


「オズワルドさま!」


僕が声がした方を振り返ると、オズワルドさんが屈み込んで一人の女の子の頭を撫でてやっていた。その子には見覚えがあった。

「あ……!」

それは、あの時見た、「愛ちゃん」だった。僕は急なことにびっくりしたけど、愛ちゃんをその時ここで見つけたことで、「ここには本当に、元の世界の人たちが連れられてきたんだ」と、わかった気がした。

「オズワルドさま!ハルキさまのおにいちゃんは見つかった?」

「ああ、見つかったとも」

愛ちゃんは前に見た時より少し背が伸びて大きくなり、それでもまだ愛らしい年長さんといった感じだった。元の世界で愛ちゃんと会ってから一年経っていないことを考えると、これは当然だ。

オズワルドさんは愛ちゃんに「あまり街の外れに来てはいけないよ。おうちまで送ってあげよう。今日は街でタカシ様を見たかい?」と言っていた。

「オズワルドさまのおうちの近くで見たよ!あとであそぶやくそくをしたの!」

愛ちゃんはそう言って両手で口元を押さえ、一生懸命に、大声で笑い出してしまうのを我慢していたみたいだけど、ちらちらと僕を振り返っていた。そしてオズワルドさんの手を引いて、オズワルドさんが愛ちゃんに顔を近づけると、その耳元で何かこしょこしょと内緒話をしていた。オズワルドさんはそれを聞いてゆっくり頷く。

「ほんとう!?ほんとうなのね!じゃああなたがハルキさまのおにいちゃんなのね!」

愛ちゃんは僕を振り返って元気よくそう叫ぶ。それから僕の方にも駆け寄ってきて、ぐいぐいと僕の手を引いた。

「まちにあんないしてあげる!」





そこは、様々な人が入り乱れる都市だった。でもその景色は僕が居た地球の都市とは違って、どこかヨーロッパの古い土地を思わせるような、煉瓦の道と、石造りの家だった。愛ちゃんは自分のお気に入りのお店を指差したりして僕に街の様子を教えて、オズワルドさんはにこにことそれを眺めていた。そこへ、ばったりと愛ちゃんのお母さんが現れたのだ。

「愛!また町外れに行っていたのね!ダメだと言ったでしょう!危ないのよ!」

愛ちゃんのお母さんはエプロンをしたまま愛ちゃんを探していたらしく、その腕にひしと愛ちゃんを抱きかかえて、オズワルドさんに「ごめんなさい、この子はほんとに手がかかって…」と頭を下げていた。

「かまいませんよ。町外れには行かないようにと、わたくしからも言い聞かせましたから、あまりひどく叱らないであげて下さい」


オズワルドさんがそう言った時、僕と愛ちゃんのお母さんは目が合った。


愛ちゃんのお母さんはとても驚いて両目を大きく見開き、肩を震わせて、息を呑む口元を手で押さえようとした。そしてなぜか少し涙ぐみ、それを隠すように急いで目元を拭ってから、もう一度僕を見て、行き場が無さそうな両手でエプロンを揉んでいた。


「ご無事でしたのね…。ハルキ様も、お喜びでしょう」


その言葉に、今度は僕がびっくりしてしまった。

愛ちゃんのお母さんは、何事もなくこの世界を受け入れて、春喜のことを「ハルキ様」と呼んでいる。僕はその時ぼんやりと感じてしまった。



「この人も話が通じないだろう」、と。



「え、ええ、おかげさまで…」

僕はそう答えながら、“自分は一体、筋書きが用意された劇の中に放り込まれて、ただ一人だけ結末を知らない人間なのじゃないか”と思っていた。それほどにすべてが変わってしまっていて、その変わりようを人々が受け入れていることが信じられなかった。


「わん!わん!」


はっと気づいて振り向くと、なんとタカシが僕の足元にきちんと座って尻尾を振っていた。

「タカシ!」

「わあ!タカシさまあ!」

僕がタカシに近づく前に、愛ちゃんがお母さんの手をすり抜けてタカシにしがみついた。タカシは愛ちゃんの頬を頻りに舐めていて、愛ちゃんはくすぐったそうに身をよじる。

「くすぐったいよお~!」

愛ちゃんは嬉しそうにきゃっきゃと笑っている。僕はちょっと手持ち無沙汰に周囲を見渡していて、また気づいたことがあった。


タカシのそばを通っていく人はみんな、タカシがそこに居るのを満足そうに見つめて尊敬の眼差しのまま微笑むと、真っ直ぐ前を向いてまた歩き出していく。


タカシもまた、この土地の人たちにとって、特別なようだった。



僕は一人ぽつんと取り残されたような気分になって、“自分だけが元の世界に帰りたがっているんだな”と、わかってしまった。そうして僕はうつむいていたけど、愛ちゃんがこちらを振り向いて、タカシを抱きかかえたままこう言う。

「ねえおにいちゃん!おにいちゃんはハルキさまのおにいちゃんなんでしょう?どんな“ おちから ”を使うの?」

「これ、愛!言葉が過ぎますよ!」

愛ちゃんのお母さんは慌てて愛ちゃんを諌めようと叱ったけど、僕は、なぜそんな事が必要なのかが分からなかった。

「すみません、小さいもので礼儀も知らずに…」

愛ちゃんのお母さんは、そう言って僕に頭を下げる。でも僕はどうしたらいいのかわからず、「自分だって普通の人間なんだ」と言いたいのをなんとか堪えていた。

「いえ、そんな…」

「タカシ様を連れて、議会や軍などを案内して差し上げましょう。最後に宮殿に戻れば、ハルキ様もタカシ様を通じて口を開くことができるでしょう」

僕が戸惑っている様子を見かねてか、オズワルドさんがそう言うと、愛ちゃんは悲しそうな顔をしてタカシにすがりついた。

「いや!いや!もっと撫でるの!」

「こら、愛!もう行きますよ!」

愛ちゃんのお母さんは無理にタカシから愛ちゃんを引き離して、もう一度僕たちに向かって頭を下げ、それから顔を上げて僕を見ると、どこか夢を見ているような目で僕を見つめた。

「すみませんでした、本当に…あの時は、あなたにもお世話になりまして…きっとあなたにも素晴らしいお力があるのでしょう。ハルキ様と一緒に、この世界をよろしくお願いします」


僕はその言葉に曖昧に頷くことしか出来ず、オズワルドさんと一緒に「議会」へと向かった。


街の中を縦横無尽に走る煉瓦の道はごつごつとしていたけど、どこかあたたかい踏み心地で、家々の石壁には色とりどりの花を植えた植木鉢が下げられていて、僕の目を和ませてくれていた。人々は行き交いながら挨拶をして、店らしき建物から出て来る人たちはみんな、満足そうに荷物を提げて家かどこかへ歩いて行く。店の中を覗き込めば、働いている人たちはお客と楽しそうに笑い合っていた。


僕は、そんな幸せの風景を見ているはずなのに、“自分の弟はこの世界では本当に神だと思われていて、自分にも期待が寄せられている”と分かってから、どうしたらいいのかわからず、呆然としたまま街中を歩いた。



愛ちゃんは、春喜が現れて自分のお父さんを連れ去った時の恐怖を覚えていなかった。僕の顔も忘れてしまっていたらしい。

それに、愛ちゃんのお母さんは、もうすっかりこの世界に順応してしまっている。僕はそれがなぜかとても恐ろしくて、みんなみんなが幸福に暮らしているのをさっきからずっと見ているはずなのに、背中に寒気が忍び寄って脇腹のあたりまでを掴まれているような不安が消えなかった。






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