第1話

文字数 7,342文字


〝魂〟と呼ぶのが相応しいか。
 それとも〝心〟であろうか。
 かたちも、色も、質量すら有していないにも拘わらず、触れることのできる〝魂〟もしくは〝心〟を、過去の肉体へ移動させる能力を身につけたとしたら、きみはどうする? どういった行動をとる?
 それは時間旅行とは到底呼べない、罪深くて非情極まりない行為であることを知っておいてほしい。上書きされた過去は抹消(まっしょう)されて、取り戻すことができなくなるからだ。
 しかしだれもが一度は、能力の使用を(こころ)みるだろう。
 過去の肉体へと戻れるのだ。
 失ってしまった時間を取り戻せるのだ。
 試さずに一生を終えるような愚か者が存在しているとは、ぼくには到底思えない。

 自らの望む〝とき〟に戻ったきみは、未来に起こる出来事を知っている。
 知り得た知識を私利私欲のために利用するのは、ごく当たり前な行為だから恥じることはない。欲望に果てなどなくて、誰よりもイメージを(ふく)らませた者ほど得るものは多く、身体も精神もより大きく満たされる。
 だけれども、だれかのために能力を用いてヒーロー然と人助けを行おうと考えたとき、話はまるで違ってきて〝難解〟になる。
 二度。
 三度——
 何度繰り返し試みても、きみの望む理想が完全なかたちで叶うことはないと断言しよう。願いは絶対に叶わない。繰り返す毎に自身の限界を知り、絶望を抱いて己を(ののし)り、ひどく疲弊(ひへい)してしまうはずだ。
 実際、ぼくはそうだった。
 にわかに信じがたい話だろうが、ぼくは〝とある理由〟で身につけた〝過去に戻る能力〟を使って、何度も、何度も、繰り返し何度も、だれかのために尽力(じんりょく)してきたのだ。
 結果、ぼくの試みはすべて失敗に終わった——いや、成功か失敗かという次元の話ではなく、単にぼくが〝満足できなかった〟というべきだろうか。第三者へ介入すれば介入したぶんだけ、世界は醜く歪み、理想は呆気なく砕け散って霧散(むさん)し、その度にぼくの〝魂〟もしくは〝心〟は、削り取られていったように思う。
 だから伝えておきたい。もしも、きみが、ぼくと同じ能力を手に入れた(あかつき)には、自分自身のためだけに尽力するべきであるということを。
 自身の本質を超える〝何者か〟になりたいなんて考えをもつのは愚かしいことだと悟るまでに、ぼくは相当の時間を費やしてしまった。
 ——ただし、無駄に浪費した時間があったからこそ、ぼくは自身の能力を正しく有意義に使いこなせるようになったのであり、そのおかげでいまを楽しめるようになったといえなくもない。
 文字どおり、ぼくはいまを楽しんでいる。
 失った時間を自在に取り戻しながら、充実した日々を送っている。
 解答は実にシンプルだった。正解を受け入れた途端に、苦悩なんてものは消えてなくなったし、以後悩みを抱える必要もなくなった。ぼくという〝個〟を満たすのは、己の器に見合った娯楽でも充分であると悟った瞬間から、目の前の光景は様変わりして色鮮やかに輝きはじめた。

 正解とは、心のありよう。
 ぼくは、身のほどを知ったのだ。


「お前が契約を結んだ悪魔は、どんな容姿をしていたのか教えてくれよ」
 質問を口にしたのは、財光寺(ざいこうじ)署刑事課の警察官、串間(くしま)警部補だ。
「やっぱり羽とか尻尾とか生えてたのか? 呼び名は? もちろん名前があるんだよな? 日本語でやりとりしたのか? 悪魔も日本語を話すのか?」
 稚拙(ちせつ)な質問を繰り返す串間警部補は、オフィスの出入り口に近い茶色のソファに腰掛けて、不快なタバコの臭いを濃くしている。灰は飲みかけの缶コーヒーの中へ。オフィスのいたるところに灰皿を置いているのに、使おうとしないのはなぜだろう。
「何度もいいましたけど——」悪魔と契約などしていない。歪みはじめる唇の端をどうにかもちあげながら、ぼくは答える。「ぼくはぼくの実力で、事件を解決へと導いているんです。悪魔と契約して授かった能力なんかじゃありません」
「ほおお。そうかい。実力ねえ」壁にかかった上着へ吹きかけられる紫煙。気に入っている服なのに、串間警部補が訪ねてくる度、嫌な臭いがしみつく。「なにかしらの〝裏〟があるとしか思えねえ、あの〝超人的な直感力〟が実力とはなあ」
「推理力といってくださいよ」
「ばかいうな。推理なんかしてねえだろ。相手の顔を見ただけで犯人かどうかをいい当てるうえに、犯行の手口まで断じちまうんだからな。だからお前、本当のところ——」
 魂を売ったんだろう? と、串間警部補。
 ぼくは首を横に振る。悪魔に魂を売ってはいないが、なにかしらの〝裏〟があるという指摘は間違っていない。串間警部補がいうように、特殊な能力を身につけてはいるけれどもそれは〝超人的な直感力〟ではなくて、未来の結果を確認したうえでリトライを繰り返した〝努力〟による賜物だ。
「日々、勉強しているんですよ」
「ははは。勉強すれば、名探偵になれるのか?」
 繰り返し過去へ戻って未来を書き換えて、全知全能の神にだってなろうと思えばなれるぼくが〝名探偵〟という着地点を選択したことを、きみはきっと不思議に思うだろう。
 だけどぼくの立場に立てば理解できると思う。楽しめると思う——楽しいよ。実に楽しいんだ。名探偵然として振る舞い、難事件を解決へと導いてみせて、みなが驚いた顔で見つめ返してくるのを眺めるのは、本当に愉快だ。
 (えつ)に浸れるうえにだれかの役にたち、しかも報酬までもらえて〝謎解き〟という遊戯も楽しめる〝探偵〟というジョブは魅力に溢れていて、気がつけば周囲からは優秀な探偵と認識され、駅の近くにオフィスを構えることができたほどである。
 好きこそものの上手なれ——されど踏みとどまる場所を知れ。
「まあいいや、悪魔の話は今度ゆっくり聞かせてくれよ。で、おれが百瀬(ももせ)探偵事務所を訪ねた理由ってのは——」
「は? や、あの、待ってください」
 百瀬(ももせ)奏多(かなた)というのがぼくの名前ではあるが、オフィス名は百瀬探偵事務所というベタな名称ではない。考えに考えて名づけた、我ながら洒落ていると思うオフィス名を口にだして訂正を求めるも、
「んなことはどうでもいいから、話を続けるぞ。おれがここにきた理由は——」
 素っ気なく流された。
「…………」まあ、いい。話を進めよう。「捜査協力の依頼でしょう?」
「話を遮るな。黙って聞け。ま、訪ねた理由はそのとおりだが、今回は管轄外で起こった事件なんだ」
 串間警部補が所属する財光寺署刑事課が担当した凶悪事件で、ぼくは複数回捜査協力し、そのすべてにおいて犯人と犯行手段を寸分違わずいい当てている。
「管轄外でしたら、串間さんの担当ではありませんよね? それなのにどうして串間さんがわざわざここに?」
宮地(みやじ)町で連続している殺人事件について、知ってるか」
「もちろん。あんな田舎町で殺人事件が起こるのも稀なのに、半年の間に三人も殺害されたんですからね。最初に殺害されたのは消防士でしたっけ」
「宮地町大塚の消防署に勤務していた三十代の男性で、名前は福津(ふくつ)タケシ。殺害場所は自宅の駐車場だ。遺体の第一発見者は、小学一年生の長男だった」
「……ひどい話ですね」
 静かに移動して、串間警部補と向かいあうかたちでソファに腰掛ける。
 オフィスは寂れた外見の雑居ビル内にあるものの、揃えている家具や収納はみな新品で高級な品ばかりだ。西側の壁面をウッドパネルに張り替えて間もないので、心安らぐ木の香りが不快なタバコ臭を中和してくれている。
 顎に手を添えて眉間にしわを寄せ、串間警部補の顔をまっすぐ見た。
 キュキュ、と甲高いノイズ。
 革張りのソファの表面が、服と擦れて鳴った音だ。
「第二の被害者は畜産業を営んでいた五十代の男性で、名前は天海(あまみ)トシノリ。彼もまた自宅の敷地内で殺害され……遺体の第一発見者は妻だった。妻は殺害時に自宅のキッチンにいたそうだが、争う声はおろか、怪しげな物音すら耳にしなかったとのことだよ。この事件と最初の事件の間には二ヶ月のインターバルがあるが、続く第三の事件は、ひと月後に起こっている。被害者は宮地東小学校五年生の児童で、名前は瀧川(たきがわ)カイト。この子が殺害された場所も自宅の敷地内だ。どの事件も、人の多い夕方の時間帯に起こっているにもかかわらず、不審な人物は目撃されていない。被疑者のものと思しき足痕が見つかってはいるが、大量生産されている作業靴だったので苦労してるよ」
「靴のサイズは?」
「二十六」
「当然、被害者の周辺人物は調べ終えているんですよね?」
「あぁ。だが、子供まで標的に選ぶような〝いかれた〟犯人は、事件を起こす〝そのとき〟まで、被害者やその家族とは、一切接点をもっていなかったと考えている」
 串間警部補は唇の端を大きく歪めて、手にもったタバコを缶コーヒーの中へ苛立たしげに押しこんだ。
 ジッ、と先端が液体に触れた音が耳に届く。
 ぼくは指を組み、わずかに身を乗りだして、低く、小さめの声で問う。
「無差別殺人というわけですか」
「ある意味ではな」
「ある意味?」
 おうむ返しすることによって、ぼくは無知だという風に認識してもらえる。
 すると相手は上位に立ったような気になって、舌の動きがなめらかになる。
 よく使う手法だ。これが上手くいく。
 だけれども注意せねばならない点がひとつだけあり、どうやらぼくはそれを怠っていたらしくて、
「一見、共通点のなさそうな三人だが、繋がりがあるんだよ。ん? なんだ、その顔。本当は知ってるんじゃないのか。誰からか話を聞いたか?」
「……いえ」串間警部補に勘づかれてしまった。本当は知っている。知っているのだが、警察にとっては広まってほしくない内容であるということもまた知っているので、遅まきながら表情を繕い、無知を装って返す。
 しばし居心地の悪い沈黙に全身を圧されて息苦しさを覚えたが、紫煙の不快さに比べればなんてことはない。
「三人とも、ここ半年の間に、宮地町で無料配布されている広報誌の表紙に、写真が載ったんだ」
「広報誌、ですか」
 再び、おうむ返し。
 今度は表情に気を配って。
「財光寺市内でも似たような広報誌が配られてるだろ。月に一回、ポストへ投函される、十ページ程度の薄い冊子だよ」
「はあ。わかります……が、その広報誌の表紙に、三人が写っていたと?」
「福津タケシの写った写真は、八月に配布された広報誌の表紙に載っていた。写真は総合防災訓練が行われたときに撮られたもので、福津のほかにも同消防署の消防士がふたり写っていたんだが、はっきり顔がわかるのは福津ひとりだけだったよ。翌九月に配布された広報誌の表紙は花火大会の写真だったので、人物はなし。十月に採用されたのが、石原小学校で行われた『畜産ふれあい体験学習』の様子をとらえた写真だ」
「そこに第二の被害者が写っていたんですね?」
「子牛を取り囲んでいる小学生と一緒にな」
 ここまで聞けば、次に聞かされる内容は容易に想像つくだろう。十一月に配布された広報誌の表紙——そこに写っていたのは、宮地東小学校に通う、小学五年生の児童だ。
 福津タケシ。天海トシノリ。瀧川カイト。この三人の写真が広報誌の表紙に載っていたという事実をマスコミは報じていないけれども、宮地町の住民の多くは目にしているはずなので、関係に気づいている者が多数いてもおかしくはない。
「そういうことだよ。わかっただろ、百瀬。殺人犯は広報誌の表紙に写っている人物を、老若男女問わず殺害して回ってるんだ。遅ればせながら、警察としては、気づいた時点ですぐに手をうったよ。表紙に使用する写真から人物を外すよう、広報誌を発行している町に命じたんだが……翌月配布の広報誌の表紙に採用されたのはなんだと思う? 犬だ。商店街で飼われている雑種の犬だったんだ。各家庭に配布された三日後にその犬は殺されたよ。三人と同じように、後頭部を撃ち抜かれてな」
「撃ち抜かれて?」
「凶器として使用されているのは家畜を殺すときに用いる空気銃で、ほら『ノーカントリー』って映画を知らないか? 映画にでてくる薄気味悪い殺し屋が使っていた武器——あれを小型化したようなものらしくてな。屠殺銃というそうだ。調べてみると、春頃に宮地町内のとある畜産農家から盗難届がでていて、どうやらそいつが犯行に使われているらしいんだ」
「それは……なんとも……」おのずと視線がさがる。
 すでに知っている話ではあるが、改めて聞かされると胃の辺りが重くなり、自然と背中が丸まって、姿勢が悪くなってしまう。
「嫌な話だが、実際に起こっている事件だ。だから、なんとしてでも次の犯行を阻止し、おれらは被疑者をあげなきゃならない」
「……えぇ」
 圧縮空気でもって人の頭部を撃ち抜く、いかれた殺人鬼がいまなお野放し状態であることを思うと、藁にもすがる思いで〝優秀な探偵だと認知されている〟ぼくの元へ相談にきたのもわからなくはない——が、ひとまず冷静に。
 了承して、捜査協力を引き受ける前にひとつ、はっきりさせておかなければならないことがある。
 どうして、ぼくを訪ねてきたのが、管轄外である財光寺署の刑事なのか。
 その問いに対して串間警部補は渋い表情をみせてしばし黙りこんだが、二本目のタバコを取りだしながら億劫そうに答えた。
「来月配布される広報誌の表紙に載ることになったんだよ」
「表紙に?」
「あぁ。おれが、な。おれが載ることになったんだ」
 そろそろおうむ返しばかりしていることを不審がられる頃合いだろうけど、やめるわけにはいかなくて、ぼくは続ける。「串間さんが、表紙に、ですか?」
「犯人を誘き寄せる作戦でな。町民を巻きこむわけにはいかねえし、かといって風景写真を載せたんじゃあ、対象(ホシ)が動かねえだろ? 町内にある古本屋の店主を装って、おれが表紙で顔を晒すことに決まったんだ。いわゆる、(おとり)捜査ってやつだ」
「待ってください、広報誌は宮地町内でしか配布されていないんですよね? だとしたら、犯人も宮地町内のどこかに住んでいる可能性が高いじゃありませんか。もしもそいつが古本屋の近所に住んでいて、店主が串間さんでないことを知っていたら——」
「心配するな。誌上では〝新店主〟って説明が添えられるから心配無用だ。ちなみに店の名前は古書堂(こしょどう)っていってな、おれの嫁の実家なんだよ」
「嫁……奥さんの?」
「だからおれが選ばれたんだ。実際、親族関係にあるし、地元では顔がわれてねえうえに、警察官であることも知られてねえからな」
「はあ」
 驚きつつも、納得いったように頷いて返す。少々わざとらしく見えてしまったかもしれないが、気づかれた様子はない。なにしろ串間警部補はぼくのことを〝悪魔に魂を売って超人的な能力を手に入れた探偵〟と思っていて、いま、この時間、このやりとりがすでに過去に一度交わされているとは夢にも思っていないだろうから。
 そう——
 ぼくは、すでに経験している。
 さらに、三人の宮地町町民と一匹の犬を殺害したのが何者であるのかも承知している。串間警部補の頼みを聞き入れて捜査協力し、古本屋店内で店長を演じる串間警部補を訪ねて、空気銃をもって姿を現す者と、すでに、一度、対面しているのだ。
 残念ながらその際に串間警部補を守ってあげられなかったものの——犯人の凶行をとめることに失敗したのではあるが、またこうしてスタートラインに戻ってきているので、問題はない。
「つまりは……ぼくもその場へ同行して、だれが犯人であるのか見定めろ、と。そういうことですか」
「殺されたくねえからな」
 串間警部補は警察官らしからぬ口の悪さだが、ぼくに対しては絶対の信頼をよせてくれている。だからまあ、悪い気はしない。それに一度〝まんまと犯人に殺させてしまっている〟こともあって、うしろめたさもある。
「わかりました。それで、計画は、いつ、実行予定ですか」
 さて。
 ここからは退屈な時間が続くので、きみとの会話はここで一旦うち切ろう。
 きみもそのほうがいいだろう?
 きみ——と、ぼくがさっきからそう呼んでいる人物が実在しているのかどうかわからないが、授かった特殊能力——過去へと〝魂〟もしくは〝心〟を移動させるこの能力が非現実極まりないことは自覚しているので、ひょっとするとぼくこそが実在し得ない、フィクションの世界の住人なのではないかって考えが頭の片隅にあって、だとしたらぼくの行動を観察している者がいるに違いないって妄想なんかを抱くようになったりして——そうだ——そうだな——いつからだろう。いつからこんな風に、枠外にいる目に見えない何者かへ語りかける(くせ)がついてしまったのだろう。
 まあ、いい。
 いいや。
 これもぼくの楽しみのひとつであり、別にやめなくても構わない癖だろうから、続けていても問題ないだろう。こんなぼくの行動を罵ったり、蔑んだり、咎めるようなことをする者など、目の前に現れるはずないのだし。
「どうした、百瀬?」
 心配そうな顔で問われて、ぼくはかぶりを振る。
「大丈夫ですよ。なんでもありません」
 ——さあ、
 シーンの転換。次の場面へ。
 場所は宮地町。
 古本屋の店内。
 よく見ていてくれ。もし、本当にきみがそこにいるのなら、きっと楽しんでもらえるだろうよ。
 まずは犯人との対峙だ。前回は無様な敗北を期してしまったので、今回は少々禁じ手を使ってでも上位に立ち、ぼくが如何(いか)に〝絶対的存在であるか〟を知らしめたうえで、地獄へ叩き落としてやるつもりでいる。
 期待して見ていてくれ。
 ぼくはきみの期待に、間違いなく応えてみせるから。
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