第1話

文字数 2,000文字

 残念な女の子がいた。どれだけ残念かというと、まず名前が「残念」というのだ。
 業力な男の子もいた。業力な男の子、というのは、少し説明が長くなる。業力は仏教用語で因果応報を(つかさど)る力のことである。つまり悪い原因から悪い結果を、良い原因から良い結果を生み出す力だ。で、業力な男の子というのは、まさにこの業力を思うがままに操る素敵なBOYのことなのだ。そして彼の名前もたまたま「業力」という。では業力くんがどのように業力を駆使するものなのか、ちょっと覗いてみよう。
「やあ、残念ちゃん」業力くんが声をかける。
「あら、業力くんね」残念ちゃんが振り向いた。「私になんのご用かしら」薄紅色の頬にご飯粒がついている。最初から残念だ。「いやね」と業力くん。「君の残念な(カルマ)を、僕の業力でなんとかしてあげようと思ってね」「業力くん、あなた変なことを言ってるわ」と残念ちゃん。「どこが変なんだい?」と業力くんが尋ねると、残念ちゃんは馬鹿にした目で業力くんを見た。「だって、あなたの力は悪い原因から悪い結果を、良い原因から良い結果を生み出す力なんでしょ」「そうだけど、だからなんなんだい?」「なら、残念な原因からは残念な結果しか生まれないことになるじゃない」残念な娘にしては、なかなか説得力のある意見だ。だが業力くんは余裕の顔だ。指を振って「ノンノン、仏法とはそんなものじゃない」と答えると、残念ちゃんの前にぐいと立った。「何かひとつ、残念なことをやらかしてみてよ。そして僕の業力がどう働くか、君じしんの目で確かめるといい」「それなら私についてきて」残念ちゃんは業力くんを引き連れ、鹿児島名物のしろくまを買いに、上野動物園に行った。そしてホッキョクグマがプールにざぶーんと飛びこむ様を呆然と眺めながら、「ほら、いつもこういうことになっちゃうのよ」とため息をついた。「うーん、これはたしかに重症だね」と業力くん。「でも、僕に任せてくれたまえ」彼はそう言うと両手で印を結び、目を閉じて、むにゃむにゃと真言(マントラ)を唱え始めた。「さあ、これで君の業力は正しい方向に働くようになる」すると残念ちゃんは急にかき氷が食べたくなった。彼女はフラフラとペンギン舎の方へと歩いてゆく。かき氷とペンギンという組み合わせは、観念連合としては、それほど的外れとも言えない。残念ちゃんの後ろを、業力くんが一心にマントラを唱えながら続いた。フンボルトペンギンたちが次々と水に飛びこんでゆく様を眺めながら、残念ちゃんが残念そうにため息をつく。「ほら、何も変わらないじゃない」隣の業力くんは耳を貸さず、油汗をかきながら一心不乱にマントラを唱え続けている。するとパンパカパーンとファンファーレが響き、上から色とりどりの紙吹雪が降ってきた。「おめでとうございまあす!」いつの間にか燕尾服にシルクハット姿の園長さんが立っていた。「お客様は、当ペンギン舎のちょうど百万人目の来場者なのでえす!」いかにも園長さんという感じの恰幅の良い園長さんは、ベストに包まれた丸い腹を突き出し、血色のよい頬と鼻をもっと赤くして叫んだ。「記念に金百万円を贈呈いたしまあす!」「きゃー嬉しい!」園長さんは小躍りして喜ぶ残念ちゃんの前にやってきて、そのまま素通りすると、後ろにいた親子連れに札束を手渡した。残念ちゃんはその場にへたりこんでさめざめと泣きだした。「あんまりだわ。残念にもほどがある…」そして傍で相変わらずマントラを唱え続けている業力くんに喰ってかかった。「あんたのせいで残念さがパワーアップしてるじゃない!」涙目で怒る残念ちゃんの前で、「なんの!」と立ち上がる業力くん。彼はすーっと深呼吸して息を溜めると、両手を大きく広げ、腹の底から大声をだした。「ゴーリキィーー!!」作家の名前ではない。火事場の馬鹿力的な気合いだ。すると作業服姿の飼育係がやってきて、残念ちゃんに四角い箱を手渡した。動物たちのイラストが描かれた紙できれいに包まれ、ピンクのリボンが結んである。「前後賞です。どうぞお受け取りください」全力を出し切った業力くんがガックリと膝をつく。「どうだい残念ちゃん。これが僕の力さ」
 二人は上野動物園から残念ちゃんの住む足立区に戻った。その道すがら、残念ちゃんは億万長者がポケットからポロリと落とした財布を拾ってあげ、お礼にフルーツの詰め合わせをもらった。アパートに着くと、二人は動物園から贈られたプレゼントを開けてみた。箱の中から現れたのはペンギン型のかき氷機だ。二人は手回しのかき氷機でゴリゴリ氷を削り、ガラスの皿に盛った。上から練乳をとろりとかけて、大富豪からもらった宝石みたいな果物たちをトッピングすると、鹿児島名物しろくまの完成だ。残念ちゃんと業力くんは冷たい氷をしゃくしゃくと頬張りながら微笑んだ。
「業力くん、私、しあわせよ」
「残念ちゃん、よかったねえ」
 もうすぐ夏だ。
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