第1話

文字数 1,999文字

「アイーダを取り合ったことが、はるか昔に思えるな」
 俺は、ぐいとアラックをあおった。
「よく飲めるね、ツマミもないのに」
 ハリドは片微笑(かたほえ)んだ。
 びゅう、と風が吹き抜けた。今は廃墟しかない市街地に、大量の砂埃が舞った。
 身体じゅうにまとわりついた砂を、俺は、しかめっ面で払っていた。
「どこで手に入れたの、お酒」
 汚れたぼろぼろのタオルで、ハリドは、まとわりつく砂を(はた)いていた。
「さっきのコンビニだ。ほかには何もなかったんでな」
 瓶から蓋にアラックを注ぎ、ハリドに差しだす。ハリドは小さな一杯を、くいとあおった。
「飲むんじゃねえか! ツマミもないのに!」
 手の甲でハリドの胸もとを叩く。
 ハリドは薄い唇を大きく開けて笑った。
「ちゃんと店員に断った?」
 横目で俺を見てにやつく。
「ああ、(かね)がないことは言った。でもあいつ、耳がなかったから」
「なかったのは耳だけ?」
 ハリドは、くっ、と喉を鳴らして笑う。
「肉全部。白骨化してたんで。鼻もなかったな」
「何体かあったね、スケルトン。なんでそいつが店員だとわかるの」
「ユニフォーム着てた」
「あぁ……」
 ハリドは両手で顔をこすった。
「あそこにいた奴らは弾けてなかったみたいだな、体。まだ汚染されてなかったってことか、ウイルスに。なのに殺し合いか。もったいねえこった」
 服の胸に刃物が刺さっていたり、頭蓋の凹んでいる(むくろ)があった。めぼしいものを強者(つわもの)が総取りして逃げたってとこだろう。
「こういうときに出るよね、人間性」
「人間性より野性が出たんだろ」
 俺は「ケケッ」と声が出た。
 人間だろうが、獣だろうが、虫だろうが、生きる意志の強いほうが勝ちだ。
「ふふ、そうだね。僕らも生きなきゃね」
 文明のいき過ぎた自然破壊だろうが、とばっちりの(やま)いだろうが、足りない食い物の取り合いだろうが、『生き抜く!』と思っていなければ、こんな世紀末、とてもじゃないが生き残れない。
 それに当たり前のことだが、殺されるとなったら殺さないと、生き残ることはできない。
 だが、俺に殺すことができるだろうか。
 いや、でも、もし、そんな事態になったら、相手が誰だろうと、殺らないと、自分が、殺られ、る……。
 俺は、ちらとハリドを見た。
 ハリドは俺たちが生まれ育った街の方角、遠く、砂の地平を見つめて微笑んでいた。
 何らかの理由で、もしハリドが俺を、ころ、そう、と、した、ら……。
 ハリドと目が合った。ハリドは、ニカッ、と笑った。
 ガキのころと変わらない片えくぼは、俺を腰砕けにした。
 考える必要はなかったようだ。
「死にたくねえな。もう、どこへ行ってもこんな感じなんかな」
 俺は曇って泣きそうな空に、ぐぐっ、と両腕を伸ばした。
「疲れたね」
 ハリドはあくびをした。また突風が吹いた。
「おわ!」
 ハリドは口に入った砂をペッペと吐いた。
「結局アイーダは誰のものにもならなかったな」
「ああなったら要らないよ。アイーダには悪いけど」
 ハリドは舌を出し、ついた砂をひと粒ひと粒、指で摘んで取っていた。
「俺も……」
 アイーダは膨れ上がり、穴という穴から体液をぶちまけ、死んだ。
 ()く言う俺らも膨れ上がっていた。
「俺もそろそろ、いつ破裂するかわかんねえな」
「僕もね」
 ぷっ、と砂を吐く。
「はぁ」
 どちらからともなく()くため息。
「腹減ったなあ」
「パンパンなのにね、お腹」
「クカカ……」と俺から変な笑い声が出た。
「はは! 脳にまで回ったかな! ウイルス!」
 ハリドは大口を開け、喉で笑った。乾いた喉から先へは声が出にくいようで咳き込む。
「じゃあ俺が先か」
「てことは、僕が最後の人類かな」
「いや、最後の

だろう」
「は、なるほどね」
 俺はぐいとアラックをあおった。
「僕にもくれよ」
 ハリドは瓶をひったくり、ぐびぐびとあおった。
「おい、一気にあおりすぎ……」
 バン! と音がして、俺の前からハリドが消えた。
 びちゃびちゃと降ってきた柔らかいものの重さに、俺は叩きのめされた。
 落ちてくる赤や緑や黒の、くすんだ液に汚れていく両手を呆然と眺め、震えがきた。
「うぅぁあああぁあぁああ!!」
 ハリドの名を呟きながら、俺はハリドの欠片をかき集めていた。
「ヒィぃああぁあぁぁああぁッ!」
 俺はせっかく集めた肉片を砂に投げつけた。
「ひぃあうッ!! あぅ! ひいやぁうッ!!」
 砂を巻き上げ、肉片と混ぜる。
 派手に砂と(たわむ)れながら、いつの間にか俺は高笑いしていた。
 最後だ、最後。俺が最後だ。
 無理だ、無理だ。もう無理だ。
 ハリドがいることで自分を保っていた。それがよくわかる。
 馬鹿笑いする。怒る。泣く。
 砂まみれの両の手のひらを天に向けてゆっくりと差しだし、震える高い声が出た。
 「アイーダ……」
 ああなる前に、美しいうちに、襲ってでもヤっときゃよかった……。
 はたと思い立ち、俺はアラックの瓶を手に取った。
 俺はアラックをぐびぐびとあおった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み