悪魔な天使はキスしたい。天使な悪魔は殴りたい。

文字数 13,141文字

「こんにちは♪ 素敵な小悪魔ちゃん♪ まずは挨拶がわりに、ンチュ~」
「近づくな! この汚らわしき天使めがーっ!」

 人間界のとある国のとある大きな街の片隅にある一軒家の前で、クーちゃんこと悪魔クルーデリスの小さな拳が、何度も唸りをあげる。けれど、フォルこと天使フォルティスは目を閉じて拳をかわしながら、唇を突きだしてクーちゃんに迫る。

「な、なんでオレの拳の速さに! くそっ! いでよディフー!」

 叫んだクーちゃんの左手に2メートル程度の棒が現れる。中央に持ち手があり両端に魔玉がはめ込まれている。魔棍ディフー。私がクーちゃんにプレゼントした魔法具だ。指定した地点を中心として直径1メートルの範囲に重力場を生み出すことができる。
 クーちゃんがディフーを力いっぱい振るった。

「ふぎゃっ!」

 フォルが地面にキスし、潰れたポイズントードのような声をあげる。
 額に冷や汗を浮かべたクーちゃんが、ディフーを持ったまま、若干紫がかった黒髪ツインテールを荒々しく揺らし、私に歩み寄って来る。クーちゃんは褐色肌で漆黒の翼を持つ、スタイル抜群の赤眼美女悪魔。私とは昔からの茶飲み友達だ。

「ほーちゃん、どういうことだ! ほーちゃんが幻獣神(げんじゅうしん)経由で魔神様からオレの教育係りを依頼されたのは聞いている。だが、天使が一緒なんて聞いてない!」

 眉間にシワを寄せて詰め寄るクーちゃんを、私はまあまあとなだめる。

「依頼がひとつじゃなかったの。これまた幻獣神様経由でさ~、天上神(てんじょうしん)様からフォルを天使らしく教育してくれーって。クーちゃんの反対だからちょうど良いと思って」

 クーちゃんが愕然と地面に突っ伏しているフォルを見つめる。金髪碧眼、白い肌に純白の翼のイケメン天使(♂)。私とは昔からの酒呑み友達だ。
 今回、私が幻獣神様から指示されたお仕事は、天使としての役割をまったくはたしていないフォルを天使らしくなるよう教育することと、悪魔らしくない言動が目立ち過ぎるクーちゃんを立派な悪魔になるよう導くようにというモノだった。
 なんで私が選ばれたかというと、二人の昔からの友人というだけじゃなく、私が鳳凰(ほうおう)だから。
 私は平和の象徴。
 どういうのが世界の平和かというと、人は人らしく、天使は天使らしく、悪魔は悪魔らしく、そして幻獣は幻獣らしく極端になりすぎないように均衡を保った状態が平和というのが、一般的な解釈なわけ。だから、らしくない行動をする二人をなんとかしてくれないかと、二神から相談された幻獣神様が、私に白羽の矢を立てた……ってことになっている。

「と、いう訳で二人にはしばらくの間、この街で共同生活をしてもらいます」
「なんだと!」

 血相を変えるクーちゃんに対し、フォルは地面にキスしたまま『グッジョブ』と言わんばかりに、親指をグッとたててくる。
 うん。二人と会ったのは久しぶりだけど、相変わらずで安心安心。
 ああ違った。
 これじゃあ困るんだ。二人にはある程度考え方とかあらためてもらわないと。二人のことが好きだから、二人にはきっちり成長してもらわなきゃね。

「異議はみとめませーん。二人とも聞いていると思うけど、一年後にはそれぞれ天上神様と魔神様より適正試験が与えられます。その結果次第では、存在消滅なんて未来もまってるんだからね。私としても大事な友達失いたくないから、荒療治させてもらうよ」

「むぅ~」
「はっはっは、さすがに消滅は嫌だな~」

 クーちゃんが唸り、フォルは立ち上がって顔を引きつらせる。

「二人にはね。もっと人間をきちんと知ってもらいたいの。天使の在り方も、悪魔の在り方も決して一つじゃない。人間とどう接するのが二人にとって無理のない天使と悪魔の在り方になるのか、自分たちで考えてもらいたいのよ」
「ぬー、ほーちゃんの言い分はなんとなくわかったが、それならばこの天使と一緒にやる必要はないだろう」

 クーちゃんのもっともな言い分に、私はにんまりと笑う。

「二人には人間を知ってもらうのと同時に、お互いの()()()()()を見習って欲しいの」
「悪いところ? 良いところじゃなくてかい?」
「どういうことだ」
「フォルはね、クーちゃんが悪魔として問題視されてるところを見習って欲しいの。逆にクーちゃんは、フォルの天使として()()なところを見習って欲しいの。それがどこかは、すぐにわかると思うわ」
「しかし、こんな天使と一緒に生活なんて」

 クーちゃんは納得のいっていない表情で、フォルをにらむ。

「安心してクーちゃん。こんなケダモノと、可愛いクーちゃんをいきなり二人っきりにさせたりなんてしないわ。しばらくは、私も一緒に住むから、三人の共同生活ね」

 つり上がっていたクーちゃんの目じりが、若干下がる。

「そうか。ほーちゃんが一緒にいてくれるなら安心だな」
「本当かい? 両手に華じゃないか。素晴らしい!」

 フォルが目をキラッキラさせる。

「さて、二人ともここにいる間は人間として過ごしてもらいます。翼とか耳とか、魔力で誤魔化してね。私もこのままじゃない方が良いわね」

 私はポンと手を打った。背中の赤い翼が消え、体がするすると縮み、6歳くらいで赤髪の、黒い瞳をした超絶美少女の姿になる。服装は和装のままだが。

「とりあえず、これでいいでしょ。それじゃあ、しばらくの間よろしくね。パパ。ママ」
「はい~⁉」

二人が素っ頓狂な声をあげて、小さくなった私を見おろした。


―――――

 私はくーちゃんの後ろについて、生活を始めた街の住宅街にある、集合住宅のひとつに入り、その廊下を歩いていた。
 この街の住宅は基本的に石造りで、敷き詰められるように造られた集合住宅の群れは、たいていが二階建てで平均10世帯が住める造りになっている。
 クーちゃんは、1階の一番奥の部屋の扉の前で足を止めた。

「ここだ。ここにいやがるな。あのグータラクソ天使亭主め!」

 天使と悪魔はお互いの存在を把握する力に優れている。クーちゃんがこの場所をつきとめたように、フォルもつきとめられたことを察知しているだろう。クーちゃんが部屋の扉を叩こうと腕を振り上げたので私は慌てて止めた。

「ダメだよ、ママ! いまは人間! 人間だからね。人間のお勉強!」

 私がそう言うと、クーちゃんは歯噛みしながらも、なんとか腕を下ろしてくれた。
 クーちゃんが自分で自分の腕を抑えたので、私が代わりにドアを数度ノックする。

「うるさいわね! 誰よ、せっかくいいところだったのに!」

 女性の苛立つ声とともに扉が開かれた。20代前半くらいのおねえさんが、扉の前に立っていた私とクーちゃんを交互ににらみつけてくる。だが、相手が悪い。クーちゃんににらみ返され、彼女はすぐに青ざめて目をそらす。

「だ、誰よ、あんたたち。なんの用よ」

 クーちゃんはじっと彼女の顔を見つめる。クーちゃんたち悪魔は、そうやって人間から個人情報を取得していく。

「ミレアというのがお前の名か。機織り工房で機織りとして働いているようだが、男と逢瀬をするために仕事をさぼるのは感心せんな。仕事というものは決して一人で成立するものではない」
「……ママ」
「いいか。そもそも仕事というものはだな―――――」
「マーマー!」

 声を大にした私を、クーちゃんは眉をしかめて見下ろしてくる。

「なんだ、ほーちゃん? オレはいまこの女に仕事というものがどういうものかをだな―――――」
「そういうところが、いまママがこの街で生活をしている理由だからね」
「うっ」
「少し黙っててね」
「……はい」

 がっくりと肩を落したクーちゃんを後ろにさがらせ、私はおねえさんの前に立つ。

「おねえさん。ママの言いたいことを要約するとね。奥にいるウチのグータラパパを返せってこと」

 おねえさんは目をそらしたまま、今度は脂汗まで流し始めた。

「な、なんのことよ。訳のわからないこと言わないでよ!」

 クーちゃんの威圧を受けながら誤魔化そうとするとは、なかなか見どころがあるけれど、二人には少しでも早く仲よくなってもらいたいから、このおねえさんには早々に退場していただこう。

「ママ、ここ千切って」

 私はクーちゃんに、木製のドアの一部を指し示してお願いする。

「ここを? まあ、別にかまわんが・・・」

 首を傾げながらも、右手の握力だけで私の指し示した位置をむしり取り、その部分を私の差し出した可愛らしい手のひらの上に乗せる。それを横目で見ていたおねえさんの口が、あんぐりと開く。

「ママが大人しくしているうちに連れてきてほしいの。こうはなりたくないよね」
「すぐ連れてくる!」

 下顎を両手で押し戻し、そう叫んだおねえさんが部屋の奥へと消える。程なくして、私のプレゼントしたマント型魔法具『ジンジエ』を腰に巻いたフォルが、おねえさんに背中を押されて姿を見せた。

「やあ、二人とも。もう晩御飯の時間かい? わざわざ迎えに来てくれたんだね。嬉しいなー。どうだろう、これから4人でまったりべったりすごすというのは?」

 フォルがまったく悪びれた様子を見せることなく、すぐさまクーちゃんにキスしようと唇を突きだしてくる。間髪入れずにクーちゃんのコークスクリューブローがフォルの顔面を狙うが、フォルは難なくそれを躱し、私達の脇をすり抜けると、そのまま集合住宅の入り口側へと駆け出す。

「可愛い子猫ちゃん。捕まえてごらん♪」
「ぶち殺す!」

 悪意のない笑顔を浮かべ逃げるフォル。殺意全開で追いかけるクーちゃん。二人の姿があっという間に見えなくなる。

「お邪魔しました。あ、パパがまた来ても部屋に入れないでね。私、早く妹か弟を見たいから」

 私は『平和の魔法』で扉を平和だった状態に戻すと、腰を抜かしてその場にへたり込んでいたおねえさんにお辞儀をして、二人を追いかけた。


 ――――――――――


「いやー、怒らせてしまったみたいだねー」

 私と人界の酒を楽しんでいたフォルが、クーちゃんの個室がある方へ視線を向けながら呟く。
 あれから、結局フォルはクーちゃんに捕まることなく、この共同生活をしている家まで無事に戻った。たいして一度もフォルに一撃をいれられなかったクーちゃんは、いまなおブチギレたまま、部屋の中で暴れ続けている。私がクーちゃんの部屋に状態持続型の『平和の魔法』をかけていなければ、いまごろこの辺り一帯が吹き飛んでいるに違いない。

「それにしてもさー。僕はともかく彼女って再教育必要なの? 性格といい能力といい悪魔らしいと思うけど?」

 フォルが空になった私の盃に酒を注ぎながら質問してくる。
 私はそれを半分くらい喉に流し込んだ。

「パパ、プリサオンって知ってるよね?」
「ああ。100年くらい前にでてきた、規律が厳しいにも関わらず入団希望者が後を絶たない、弱きを助け強きをくじく慈善事業集団だろ?」
「地方都市の犯罪組織でしかなかったプリサオンを、いまみたいな組織に生まれ変わらせちゃったのがママなの」

 きょとんとしたフォルだったが、少しするとテーブルをバンバンと叩きながら大笑いする。でも、それもすぐにやめ、真剣な眼差しを私に向けてくる。

「でもさ。天使も悪魔も性格なんて生まれながらのものじゃない。彼女も存在してからボクと同じくらいみたいだから千年近くたつんでしょ? 何百年もほったらかしにして、いまさら再教育ってのもおかしな話だよね。……ほーちゃん、なにか隠してるでしょ?」

 うっ! さすがはフォル。スケベでグータラで、グータラでスケベだけど、頭は切れる。もっとも、私もフォルを最後まで誤魔化しきれるとは思っていない。でも、フォルなら……。

「まぁ、なんでもいいさ。僕は今の状態も楽しいからね。最後までつきあうよ」

 笑顔に戻り、そう言ってウインクしてくる。
 うん。フォルならそう言ってくれると思ってた。
 問題はクーちゃん。クーちゃんには、本当のことがばれたらたいへんだ。
 実はこの共同生活が、天使と悪魔の再教育という名を借りた、フォルとクーちゃんのお見合いの場であることを……。

―――――

 人界での共同生活が始まり、はや一ヶ月。

「きさまーっ! また仕事をサボりやがったなーっ! 根性叩き直しやるから、ジンジエを外してそこになおれーっ‼」
「はーっはっは♪ 僕に脱げなんて、積極的だねハニー♪ どうせなら、君の手で脱がしてごらんよ♪」

 パパとママは相変わらず仲が良い。ただいまのところ、友達以上恋人未満だから、もう一歩踏み込んでもらいたいな。特にママには。
 二人は家の前から、街の中央へと続く石畳の道を真っ直ぐに、追いかけっこしながら駆けて行く。私はゆっくりと歩いて後を追う。
 まだ二人には、これが長期間にわたる天使と悪魔のお見合いであることは告げていない。
 今回、天使と悪魔のお見合い話が持ち上がった理由だが、一言で言うなら人間が強くなりすぎた為だ。
 数の力。様々な魔法具の製作、神、天使、悪魔を含む異種族の徹底研究。
 人間が力をつけすぎれば、人々は神を敬うことを忘れ、悪魔を恐れなくなる。その先に待つのは世界の消滅。
 世界の平和は、世界の力の均衡が保たれていてこそ。
 そしてその均衡の鍵を握っているのは人間。信仰失くして神は存在できない。部下の天使もまたしかり。負の感情なくして悪魔は存在しえない。でも悪魔が活性化しすぎれば、人間の数が減り結果悪魔も衰える。そうなれば世界に(ひずみ)が生じ、人間も無事ではすまない。なにごともほどほどが肝要なの。
 そこで人間の勢力をコントロールするため、これまで睨み合うことで互いの均衡を保っていた天上界と地獄界は、それをやめて協力し合うべきだって言うのが、天上神様と魔神王様の共通の見解。
 でもさ、これまで対立してた勢力が、さあ仲よくしましょうって言ったって、できるはずがない。中立的立場の幻獣界が間に入ってもね。
 そこで天上界と地獄界のトップ公認で、両世界共通の象徴のような存在を生み出そうって話になった。天使と悪魔、両方の血を引く存在をって。
 当然その存在には両親が必要で、白羽の矢が立ったのがフォルとクーちゃん。なにせ二人は、天使らしくない天使に、悪魔らしくない悪魔。らしくないことをさせるなら二人よりも適任な者はいない。んで、二人の友人である私が仲人役。
 あー、二人の子供かー。絶対可愛いだろうな~♪ ヤバい。ヤバすぎる。早く抱っこしたい!

「パーパー! マーマー! 私、弟でも妹でもいいからねー♪」

 私は我慢しきれなくなり、二人が消えた街の中心街に向かって駆け出す。
 街の中央広場に到着すると、クーちゃんが噴水前のベンチにひとり、ものすごい形相で座っていた。
 人々はベンチを大きく迂回しながら通行していが、空気を読んでも流されない私は、ズカズカとクーちゃんに歩み寄る。

「ママひとりなの? パパは?」

 クーちゃんがぎょろりとこちらを見た。私だと気づきほんの少しだが空気が柔らかくなる。

「見失ってしまってな。匂いもここで途絶えてんだ。あのクソ天使亭主め」

 それにしてもと、クーちゃんは言葉を続ける。

「ほーちゃん。どうしてアイツにジンジエを? おかげで私の拳が、かすることすらできん」

 そう、私がフォルにプレゼントしたマント型魔法具『ジンジエ』の能力は、装備者に害意のある物理的な攻撃を全て自動で回避するというもの。もちろん飛び道具もだ。

「いやー、パパさ、女癖わるいでしょ? ほっとくと後ろから刺されちゃうかなと思って。でも万能じゃないよ。魔法ならかわせない」

 それを聞いてクーちゃんは盛大なため息をつく。

「私が強化魔法しか使えないの知ってるだろ? それでディフーくれたんじゃないか。でもディフーを使っている間は身動きが取れなくなるから、結局アイツを殴れない」

 私は鼻息を荒くするクーちゃんの隣に座り、よしよしと頭を撫でてなだめる。

「……なあ、ほーちゃん」

 急にクーちゃんの声のトーンが暗くなった。

「なに、ママ?」
「オレってさ、そんなに悪魔としてダメかな?」
「そんなことはないと思うけど、ただ……」
「ただ?」
「プリサオンの件はやりすぎだったよね」
「ち、違うんだ、あれは! 私を襲ってきたヤツがあまりに貧弱で! ほら悪事をするのにも身体が資本だろ? 身体を鍛えるのには、規則正しい生活が何よりだから指導してやっただけなんだ!」
「でも、しばらく一緒にいたんだよね。その間、正義の味方みたいな集団になっていってるよね?」

「そ、それは、より強く強大な悪になるには、弱い奴を相手にしてたら駄目だろ。だ、だから、その……より強大な組織を相手に戦わせていたら、それがたまたま他の悪魔が(そそのか)した悪党集団で……」
「倒している間に名声が高まったと?」
「ああ! あいつらもさ、周りから感謝の言葉をもらえたり、憧れたりするのは初めてだって、喜んでくれてさ。いやー、たのし――――――」

 私の冷たい視線に気づき、クーちゃんががっくりと肩を落とす。

「やっぱりオレ、悪魔に生まれてきたのが間違いだったのかな?」

 しまった。ここまで落ち込ませるつもりじゃなかった。
 なんとかなぐさめようと言葉を紡ごうとした時、背後の噴水で何かが動く気配がした。

「そんなことないよ‼」
「きゃっ!」
「うわっ!」

 突然、噴水の中から現れ大きな声で叫んだフォルに、私たちは驚いてベンチから立ちあがる。ちなみに可愛らしい悲鳴をあげたのはクーちゃんだ。
 フォルはずっと水の中に隠れていたようで、びしょ濡れのまま噴水の中で仁王立ちしている。

「君はね。悪魔として生まれて正解だったんだよ。他の悪魔と違うことなんか気にしちゃいけない。」

 額に張りついた前髪を手で跳ね上げると、フォルはベンチを乗り越え、クーちゃんの手をとる。完全にフォルに気を呑まれたクーちゃんは、まったく振りほどく素振りを見せない。

「な、なんでだよ?」

 可愛らしい声で先程のフォルの言葉の理由を尋ねる。

「簡単なことだよ。君は歯止めさ。悪魔の。そして人間のね。悪魔のほとんどは限度など考えずに、破滅や堕落に人間を誘い込むけど、人間が減れば当然悪魔の糧となる負の感情が減る。逆にただでさえ多い人間が悪に多く傾けば、悪魔を呑み込む可能性もある。君は悪魔のやりすぎを緩和させるための必要善だね。さしずめボクはその逆かな。天使の中で堕落と好色を持つ、必要悪ってところ」
「オ、オレは悪魔として生まれてきてよかったのか?」

 クーちゃんが熱にうなされるように呟く。

「もちろん。君は立派な悪魔だよ」

 まじまじと見つめられ、クーちゃんが顔を赤く染める。
 フォルの顔が徐々にクーちゃんに近付く。クーちゃんの目がせわしなく動いているが、抵抗する様子はみえない。
 あとわずかで二人の唇が重なるというところでフォルの動きが止まった。ハッとした表情でクーちゃんから離れる。

「いけない! ボク大事な用を思い出したよ!」

 そう言って私たちの家がある方向とは逆に向かって歩き出した。

「ボク、孤児院に用があったんだ。ゴメンね」
「孤児院?」

 私が聞き返す。

「うん。そこで子供たちの世話をしているシスターが、ボクに話したいことがあるらしくてね。まぁ、彼女のような若く美しい女性が、ボクに話といったらひとつしかないよね。もしかしたら朝まで帰らないかもしれないから。それじゃーねー」

 スキップをしながら人混みの中に入っていく。
 私の隣でクーちゃんの身体が小刻みに震えだした。

「ぶっ殺----す‼」

 クーちゃんが、天に向かって吠えたかと思うと、猛然とフォルの後を追いかける。
 私も元気を取り戻したクーちゃんの背中に安心しながら、二人の後をゆっくりと追いかけた。

―――――

「ねえ、ママ。これ、どういう状況?」
「オレに聞くな。あそこで男に囲まれて、嬉しそうにしているアイツに聞いてくれ」

 クーちゃんと私の視線の先には、孤児院の前で、その背に若いシスターを庇いながら、ガラの悪そうな男たちに囲まれ、顔を引きつらせているフォルの姿があった。

「よくはわからんが、放っておくのも目覚めが悪いか」

 仕方なさそうに歩み寄ろうとするクーちゃんを、私はその腕を掴んで引き止める。

「待って、ママ」
「ん? どうした」
「パパもね。いろいろと人のことを学ばなきゃいけないから」

 面倒事を嫌い、サボり癖と逃亡癖が心のそこまで染みついているフォルではあるが、後ろに彼の大好きな若い女性がいる以上、この状況を放り出して逃げ出すことはないだろう。
 天上神様はいまのフォルでもその存在意義を認めていらっしゃるけれど、同僚の天使たちは違う。たまにはフォルにも天使らしいことさせなきゃね。

「よっぽど危なくなったら助けに入ってあげて。あ、フォルじゃなくて後ろのシスターがね」
「ああ。それはかまわん。だが、そもそもこの事態にあの阿呆を巻き込んだのはあのシスターじゃないのか? だとしたら自業自得だが」
「まぁ、本当は相談したかっただけかもしれないし」
「事態がシスターが考えていたよりも切迫していたということか?」
「うーん、ここからじゃなんともいえないね。やっぱり、行くだけ行ってみようか。助けるかどうかはそのあと考えよう」

 頷いたクーちゃんを連れ、私は騒ぎ立てている集団へと近づいていく。
 集団で騒いでいたのは一人だけ。ガラの悪い男たちを従えるようにしていた、ちょび髭を生やした背の低い男。
 男は、男を宥めるように両手を前にだしているフォルに、遠慮なく唾を飛ばしながらまくしたてるように喋っている。

「だーかーら、ここの土地の権利は元からウチにあったんですよ。ほらこの国発行の証明書にも書かれているでしょ! そこに家があって誰も使ってないからといって、勝手に孤児院にしたてた教会に問題があるんです! ここはね。工場に生まれ変わるの。今すぐ出ていって下さい。さっきも言った通り、神父様とはもう話がついているの! 下っ端のシスターや元冒険者の出る幕なんてないんですよ」
「いやいや、さすがにほら、いますぐ出ていけって言うのは……。孤児たちには行く所もないわけですし……」

 フォルがしどろもどろになりながら反論を試みたが、小男の更なる猛攻を引きだしただけだった。

「こっちは前々から言っていたんですよ。他に行く所を用意しなかったのはそこのシスターの責任。こっちの知ったことではないですな。もういい。お前たち、こっちに非はない。力ずくで中のガキんちょどもを引きずりだせ。役人にも話は通してある。殺さなければ腕の一本や二本折ったってかまいませんよ!」

 小男の指示で後ろに控えていた男たちがフォルの脇を抜けて孤児院の入り口に向かおうとする。


「しかたないなぁ」

 フォルはため息をつくと、両手の手のひらを拳大の間隔をあけて向かい合わせる。その空間に光の球が現れ、フォルはそれを両手で押しつぶした。
 光がバラバラになって飛び散りガラの悪い男たち全員の後頭部にぶつかる。
 男たちが一斉に倒れた。
 邪魔な男たちがいなくなったことで、私たちの姿を見とめたフォルが手を振ってくる。私はふり返すが、クーちゃんはガン無視だ。

「ほう。元冒険者という肩書はダテではありませんか」

 小男が感心したように声をあげる。
 フォルとクーちゃんがこの街で生活するうえで、私が用意した肩書だったが、実際は天使だからな。やる気さえだせばあれくらいはできるんだ、フォルは。

「んふ、これはいい実証を得られそうですね」

 小男はにやりと笑い、懐からきれいな紫色のオーブを取り出した。

「ここに新たに建てる工場で量産する物の試作型になります。量産する物はこれより質と費用を抑えたものですが、タイプは同じなので、貴方には実験につきあって頂きましょう」

 小男がオーブを宙に投げる。オーブが一瞬まばゆく輝き、光がおさまった時には、3メートル級の武骨な姿をした巨大な人型ゴーレムが、フォルや孤児院を私たちから隠すように現れた。

「どうですか、当社の製品は? たいしたものでしょう。試作型なので最初に登録した私の指示しか聞きませんし、元のオーブ状態にするには一度研究室に戻って専用の装置を使わねばなりません。そういった問題点を考慮に入れ、量産タイプは……って、貧乏なあなた方に説明しても仕方ありませんね。ゴーレム。この試験はわが社の敷地内で行われているもの。危険な場所に不法に侵入した人たちがどうなろうと、当社には一切責任はございません。思いっきり殴ってやりなさい!」

 なかなか強引な論法だが、戦闘用のゴーレムのようだから購入者は国。誤魔化しようはいくらでもあるのだろう。
 ゴーレムが小男の指示に応え、すぐさまフォルに向けて拳を突きだす。

「うわ!」

 フォルがシスターを押し倒しながら地面に伏せる。背後の孤児院の入り口が簡単に砕け、中から複数の悲鳴が聞こえた。

「はっ。面白れぇ」

 言うが早いか、クーちゃんがゴーレムを殴り飛ばそうと駆け出す。
 やばい! クーちゃんは全力で殴り飛ばすつもりだ!

「クーちゃん、ダメ! その位置で殴り飛ばしたら、孤児院まで吹き飛んじゃう!」
「い‼」

 ゴーレムの背後まで迫ったクーちゃんが、私の声になんとか急停止する。
 ただ勢いを殺しきれず、そのまま前のめりに倒れてしまう。

「こちらにもいましたか。ゴーレム、後ろのゴミも殴ってしまいなさい」

 なんと巨大ゴーレムは下半身はそのままに、上半身だけが半回転し、無防備になったクーちゃんに向かって拳を突き下ろす。

「クーちゃん‼」

 私は思わず悲鳴をあげたけど、ゴーレムの拳はクーちゃんには届かなかった。

 クーちゃんが恐る恐る顔を上げる。
 クーちゃんの前には、両腕を十字に交差させてゴーレムの拳を受け止める、翼を隠したままの天使の姿があった。

「お、お前、なに考えてんだ!」
「ば、バカな。岩をも砕くゴーレムの一撃だぞ!」

 クーちゃんと小男の口から同時に驚きの声があがる。

「怪我はないかい。僕の大事な小悪魔ちゃん♡」

 倒れているクーちゃんの前で、ゴーレムの一撃を受け止めたフォルが、振り向いて良い笑顔を見せてくる。
 でもゴーレムの腕が離れていくのと同時に、フォルの両腕は力なくぶら下がる。両腕ともにどす黒く変色し、遠目にも腫れ上がっているのがわかる。
 フォルがふらついたと思ったら、その場に力なく倒れこんだ。
 おそらく全魔力を防御にまわして受け止めたんだ。それで吹き飛ばされずにすんだのだろう。
 でも一撃を受け止めた両腕はボロボロ。その痛みと魔力の急激な減少で、立ちくらみを起こしたといったところだろうか。

 クーちゃんが立ちあがりフォルに駆け寄る。その目はフォルの腰に巻かれているマント型魔法道具『ジンジエ』に向けられる。

「この馬鹿! なんでジンジエを着けてるのにかわさないんだよ!」

 フォルが脂汗でべっとりと額についた前髪を首の運動で跳ね上げる。

「そんなの決まっているじゃないか、ハニー。僕がかわしてしまったらハニーが怪我してしまう。ジンジエはボクの想いに応えてくれたのさ」

 フォルは引きつった笑顔でウインクして見せているが、違う。ジンジエが自動回避するのは害意ある攻撃だ。ゴーレムは指示に従って動いただけ。そこには害意もなにも無い。
 私は二人に合流し、フォルの腕に手をかざして、元の平和だった状態に戻していく。

「ええい、ゴーレム! なにをボーっとしているのですか。まだ標的は壊れていませんよ。もう一度です!」

 小男の指示に従い、ゴーレムが再び動き出す。
 ゴーレムの無感情の拳が、一気に私たちの目前に迫ってくる。
 私は心が凍りついた。
 ゴーレムの拳のせいじゃない。進み出たクーちゃんの怒りのオーラのせいだ。
 背中越しでも凄まじい形相をしていると想像のつくクーちゃんが、人差し指をゴーレムの拳にむけてそっと差し出した。
 ゴーレムの拳がぴたりと止まる。

「……ほーちゃん。空に向かってならいいかな?」
「ど、どうぞ。ガレキは私がなんとかいたしますので」
「ありがとう」

 これまでフォルに向けていた怒りなど怒りの内には入らない。
 私に向けられている怒りじゃないとわかってはいても、恐いものは恐い。
 悪魔だ。まぎれもない悪魔がここにいる!

「ど、どうしたのだ、ゴーレム! 拳を止めるな。殴れ、蹴れ、壊せ!」

 騒ぐ小男を気にもとめず、クーちゃんはゴーレムの手を掴むと、軽々と真上に投げ飛ばした。
 ゴーレムがあっという間に石ころくらいに小さくなっていく。
 私を除く全員が唖然とする中、クーちゃんは2度屈伸運動をすると上空を見上げ、ゴーレムの姿が再び大きくなってくるのを確認すると、拳を天空に向かって掲げ、その体勢のまま跳びあがる。
 みるみるうちに小さくなっていくクーちゃんと、大きくなってくるゴーレムが空中で衝突した。
 激しい衝撃音と共に、ゴーレムが粉々に砕け散る。

「バ、バカな」

 小男が腰を抜かしその場にへたりこむ。
 私は両手をあげて、小男の周囲にガレキが集まるように、ろうと状に結界を張る。元ゴーレムのガレキたちが結界にぶつかり、結界の斜面を滑るようにして落下し、小男を取り囲むガレキの山ができあがった。ガレキの山の中から小男の叫び声が聞こえる気がするが、とりあえず気にしない。
 最後にガレキと同じように結界を滑り降りてきたクーちゃんが、ガレキの山の上でガッツポーズをして見せたところで私は結界を解いた。

「よっと」

 クーちゃんがガレキの山頂からぴょんと飛び下りると、フォルがすぐさま駆け寄り、クーちゃんの右手を取ってその手の甲にキスをする。

「ありがとう、ハニー。ボクのために怒ってくれて♡」
「ち、ちちちちち、ちがわい! お前がやられたから怒ったワケじゃない!」

 クーちゃん、目がスゴイ泳いでる。褐色肌なのに赤くなっているのがまるわかり。
 カワイイなぁ!
 うむ。いまが好機。フォル、攻めるならいまだ!
 私の心の声が届いたのか、フォルが妖艶な微笑でクーちゃんとの距離を詰め、クーちゃんの細いあごを持ち上げる。

「愛してるよ。ボクの小悪魔ちゃん」
「ふええええええ」

 クーちゃんが意味不明の声をあげるが、もちろんフォルの唇は止まらない。
 いままさに奇声を発するクーちゃんの口をフォルが自身の口でふさごうとした、まさにその時。

「キスだ!」
「すげえ、生キスだ!」
「キャー、舌入っちゃうのかな、入っちゃうのかな⁉」

 孤児院の壊れた扉から出てきた子供たちの熱い視線が二人に注がれていた。

「イ、イヤ! 恥ずかしい!」

 子供たちの視線に気がついたクーちゃんが、フォルを左手で突き押す。
 私の目の前をフォルが高速で通過する。
 遠くで空高く水が噴きあがる。
 この間わずか5秒。

 私は空高く噴きあがった水を見ながら満足して頷いた。
 フォルとクーちゃんの関係は間違いなく一歩前進だ。
 先程も説明したが、ジンジエは害意のない攻撃は自動回避しない。たとえ結果的にフォルの天使生の中で最大の害だったとしてもだ。
 つまりクーちゃんの突き押しには害意はまったくなかったということになる。たとえ結果的に最大の被害を被っていてもだ!
 これまでのこと、これからのことを考えても、これは大いなる一歩に違いない。
 可愛い赤ちゃんの顔を想像し、嬉しくなった私は、身体をクネクネさせているクーちゃんの手を片手でとり、空いている手を事態の変化にまったくついていけてなさそうなシスターに向かって振る。

「こっちはまた後で直しに来るんで!」

 そう言ってクーちゃんの手を引っ張って走り出す。
 小男たちの方はもう大丈夫だろう。今回の事実を噂として流してやれば、買手だったろう国は手を引くね。元冒険者の女性に、素手で簡単に殴り壊されるようなゴーレムの劣化版など欲しくないもの。そうなれば小男はこれまでにかかった費用も回収できない。あの土地を教会に安く買い叩かれる未来さえ見えてくる。

「あ、あれ? ほーちゃん。なんでオレたち走ってるんだ?」

 やっと正気を取り戻したクーちゃんが、とぼけた質問をしてくる。

「ママ、しっかりして。私たちパパを迎えに行くところだよ」
「あ、あれ? アイツどこ行ったんだ?」
「中央広場」
「中央広場? なんで?」
「いいから、早くパパを迎えにいこ。噴水も直さなきゃだからね」

 頭の上にたくさんの『?』を浮かべたクーちゃんに、私は笑顔で答えて正面に向き直る。
 中央広場の上空に虹がかかっていた。
 引いていたクーちゃんの手をギュッと握りしめ、足を速める。
 私にはあの虹が、二人の明るい未来に続く、幸せの架け橋に見えていた。
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