第1話
文字数 2,000文字
『拝啓 中田涼子様』
この言葉で始まる手紙を書いたのは、三ヶ月前のこと。中学一年生の秋だった。
『拝啓 飯田正弘様』
この言葉で始まる返事をもらったのも、同じ三ヶ月前のこと。今はもう冬。
「おい、マサ」
テレビ画面を見たまま、達哉が言った。無表情でテレビゲームのコントローラを操作している。
「顔がにやけてるぞ、気持ち悪い」
「にやけてない」
ベッドで寝転んでいた俺は、にやけていた自覚はあったが、とりあえず否定した。
「また手紙か」
達哉とサッカーゲームで対戦してた順が言う。こちらも無表情で、コントローラを高速で操っていた。
俺は起き上がり、胸を張って言い返した。
「うらやましいんだろう」
「誰が。お前ちゃんとまともな文章書けてるのか」
「本も読まないくせにな」
やつらのツッコミは容赦ない。そして俺はいつの間にかボケ担当。
いや、それにしたってな!
「お前らのアドバイスに従ったらこうなったんだろ!」
三ヶ月前、同じように俺の部屋でこのメンツで集まって、会議を開いた。というか開かされた。
格闘ゲーム十連戦、負けたやつが好きな人を教えるという賭けをして、当然のように俺が負けた。そして達哉が「さらに十連戦」と言い出し、今度は「負けたやつが好きな人に告白する」になり、また俺は負けたのだった。普段なら勝てるのに、どんだけ本番に弱いんだ。
だけどLINEもメールアドレスも電話番号も知らない。だからって、直接告白するなんてとんでもない話だ。
「てことは、手紙か」
「こいつに手紙なんか書けるのか?」
達哉と順は示し合わせたように俺を見た。そして今度は俺をそっちのけで顔を見合わせる。
「インパクトはあるな」
「笑われるか、感動してくれるかどっちかだな」
「なんだっていい。夢を見るな。見事に散ってみせろ!」
達哉が俺を指差した。順がうなづいた。
「散りたくない!」
――叫んだが、罰ゲームは絶対だった。無視したらどんな目にあうか。
俺は手紙の書き方をインターネットで調べ、時候の挨拶からはじまる手紙を書いた。
彼女とは話したことがなかったし、いきなり告白はやめたほうがいいのではないかと思い、無難な内容のものを書いた気がする。ビビったわけでは断じてない。めちゃくちゃ緊張しながら、彼女の靴箱にそっと入れておいた。
そして驚いたことに、次の日彼女から返事が来ていたのだった。
それから三か月後の今日。
達哉がコントローラーを操り、華麗にシュートを決めて言った。
「だからって、なんで文通をしてるんだ」
順は舌打ちをして、八つ当たり気味に俺を睨んだ。
「分かってるんだろうな、マサ」
「なんだよ」
明らかな八つ当たりにちょっと怖気づきながら、俺は手紙を大事に抱える。
「お前、まだ罰ゲーム終わってないぞ」
そう、確かに。まだ告白はしていない。
同じ学校、隣のクラス。他の子みたいに染めていない黒髪と、背筋が伸びてスッと立ったときの姿勢がキレイで、控えめで、だけどよく笑う。
最初はそれくらいしか知らなかった。イメージで好きだった。
だけど今はもっと色々知っている。
本を読むのが好きで感動屋で、アクション映画が好き。コンタクトにしないの、といわれながらも、面倒だからメガネをかけている。そんな意外なところが、余計にかわいい。
――好きな人がいる。
それだけで、なんだかウキウキする。だけど、つまらないことで落ち込む。声を聞くとテンションが上がる。姿が見れないとつまらない。そんな感情だけで一日が過ぎる。
だけど、致命的なことがある。
俺はまだ、彼女と直接話したことがないのだ。
※
「ねえ、知ってる?」
彼女は左手の薬指の小さな光を見てから、もう一度俺を見た。真っ赤になって、しどろもどろになって、プロポーズの言葉を口にしかねている俺に、彼女は笑う。
桜が満開の公園では、宴会の声が遠くで聞こえている。
――中学二年生になった春、俺は彼女と二人で花見をした。それから毎年、彼女とこの公園を歩く。
「まだ持ってるよ」
彼女がバッグから取り出したのは、元は白かったと思われる封筒。黄ばんでくたびれているところに年月を感じる。
震えた汚い字で「中田涼子様へ」と書いてあった。
「懐かしくなって読んでたの。最後の手紙、持って来ちゃった」
予感があったのかな、と彼女は言った。
すごいな以心伝心だな、と思ってから、カッと顔が火を吹いた。体中から汗が吹き出した。
その手紙だけ俺は何故か、「中田涼子様へ」と書いた。いつもは「へ」を書かないのに。他と区別したかった。でも気が小さい上に気が利かないものだから、そんな暗号みたいなことしか出来なかった。
十五年前の。
半年にわたる文通の末、ようやく書けた一言。その手紙。
この言葉で始まる手紙を書いたのは、三ヶ月前のこと。中学一年生の秋だった。
『拝啓 飯田正弘様』
この言葉で始まる返事をもらったのも、同じ三ヶ月前のこと。今はもう冬。
「おい、マサ」
テレビ画面を見たまま、達哉が言った。無表情でテレビゲームのコントローラを操作している。
「顔がにやけてるぞ、気持ち悪い」
「にやけてない」
ベッドで寝転んでいた俺は、にやけていた自覚はあったが、とりあえず否定した。
「また手紙か」
達哉とサッカーゲームで対戦してた順が言う。こちらも無表情で、コントローラを高速で操っていた。
俺は起き上がり、胸を張って言い返した。
「うらやましいんだろう」
「誰が。お前ちゃんとまともな文章書けてるのか」
「本も読まないくせにな」
やつらのツッコミは容赦ない。そして俺はいつの間にかボケ担当。
いや、それにしたってな!
「お前らのアドバイスに従ったらこうなったんだろ!」
三ヶ月前、同じように俺の部屋でこのメンツで集まって、会議を開いた。というか開かされた。
格闘ゲーム十連戦、負けたやつが好きな人を教えるという賭けをして、当然のように俺が負けた。そして達哉が「さらに十連戦」と言い出し、今度は「負けたやつが好きな人に告白する」になり、また俺は負けたのだった。普段なら勝てるのに、どんだけ本番に弱いんだ。
だけどLINEもメールアドレスも電話番号も知らない。だからって、直接告白するなんてとんでもない話だ。
「てことは、手紙か」
「こいつに手紙なんか書けるのか?」
達哉と順は示し合わせたように俺を見た。そして今度は俺をそっちのけで顔を見合わせる。
「インパクトはあるな」
「笑われるか、感動してくれるかどっちかだな」
「なんだっていい。夢を見るな。見事に散ってみせろ!」
達哉が俺を指差した。順がうなづいた。
「散りたくない!」
――叫んだが、罰ゲームは絶対だった。無視したらどんな目にあうか。
俺は手紙の書き方をインターネットで調べ、時候の挨拶からはじまる手紙を書いた。
彼女とは話したことがなかったし、いきなり告白はやめたほうがいいのではないかと思い、無難な内容のものを書いた気がする。ビビったわけでは断じてない。めちゃくちゃ緊張しながら、彼女の靴箱にそっと入れておいた。
そして驚いたことに、次の日彼女から返事が来ていたのだった。
それから三か月後の今日。
達哉がコントローラーを操り、華麗にシュートを決めて言った。
「だからって、なんで文通をしてるんだ」
順は舌打ちをして、八つ当たり気味に俺を睨んだ。
「分かってるんだろうな、マサ」
「なんだよ」
明らかな八つ当たりにちょっと怖気づきながら、俺は手紙を大事に抱える。
「お前、まだ罰ゲーム終わってないぞ」
そう、確かに。まだ告白はしていない。
同じ学校、隣のクラス。他の子みたいに染めていない黒髪と、背筋が伸びてスッと立ったときの姿勢がキレイで、控えめで、だけどよく笑う。
最初はそれくらいしか知らなかった。イメージで好きだった。
だけど今はもっと色々知っている。
本を読むのが好きで感動屋で、アクション映画が好き。コンタクトにしないの、といわれながらも、面倒だからメガネをかけている。そんな意外なところが、余計にかわいい。
――好きな人がいる。
それだけで、なんだかウキウキする。だけど、つまらないことで落ち込む。声を聞くとテンションが上がる。姿が見れないとつまらない。そんな感情だけで一日が過ぎる。
だけど、致命的なことがある。
俺はまだ、彼女と直接話したことがないのだ。
※
「ねえ、知ってる?」
彼女は左手の薬指の小さな光を見てから、もう一度俺を見た。真っ赤になって、しどろもどろになって、プロポーズの言葉を口にしかねている俺に、彼女は笑う。
桜が満開の公園では、宴会の声が遠くで聞こえている。
――中学二年生になった春、俺は彼女と二人で花見をした。それから毎年、彼女とこの公園を歩く。
「まだ持ってるよ」
彼女がバッグから取り出したのは、元は白かったと思われる封筒。黄ばんでくたびれているところに年月を感じる。
震えた汚い字で「中田涼子様へ」と書いてあった。
「懐かしくなって読んでたの。最後の手紙、持って来ちゃった」
予感があったのかな、と彼女は言った。
すごいな以心伝心だな、と思ってから、カッと顔が火を吹いた。体中から汗が吹き出した。
その手紙だけ俺は何故か、「中田涼子様へ」と書いた。いつもは「へ」を書かないのに。他と区別したかった。でも気が小さい上に気が利かないものだから、そんな暗号みたいなことしか出来なかった。
十五年前の。
半年にわたる文通の末、ようやく書けた一言。その手紙。