第1話

文字数 787文字

 食卓に聖書がある。数冊の単行本の上に重ねられて。その他に筆記具もある。我が家の食卓は読みかけの本の置き場所や筆記の場を兼ねている。読んでいる本に、ルカ〇章〇節と出てくると聖書を開く。辞書のように置いている。
 本来の卓の目的には、食器類を盆にのせ食卓の空いた狭い場で食事をする。そして、ちらりと、聖書を眺める。優しさ、豊かさが醸し出されているように思えるのだ。貧しい食事の中身でも心豊かになる。
 聖書は愛がたくさん詰まっている。甘味、旨味、芳香、だから満足して箸をおく。一方で聖書は、強烈なスパイスでもある。苦味や辛味である。
聖書は愛と許しを示しているが、隣人愛と隣人を許すことを求めている。これは私には大変な苦みと辛さである。私は他人から言われた一言に、傷つき、いつまでも覚えている。そして、胸中で隣人に怒っているのだ。
 十年前になくなった夫との夫婦喧嘩を思い出し、
「私を馬鹿にして!」などと口にする。そして、娘から「そんなこと言わないの。亡くなった人を」と注意される。
一方で、恐らく私自身、他人に対して、傷つく一言を与えているだろう。その事には気が付かない。自分愛がつよく個人主義なのだ。
 聖書のイエスは、深い愛情を隣人に持ち、赦すことを伝えている。
「イエスさまは神の子だからよ。私は聖人ではないから」と逃げごしなのだ。そのくせ、自分の罪は許されると思っている。安心している。身勝手な人間なのだ。反省すべきだ。
 聖書はイエスが弟子達をとおして、残された遺言のように思える。それは愛と希望に満ちている。
 私はあと、数年で九十歳に近くなる。老人は孤独と不安の中に、少しづつ埋もれていくような気分になる。
「心配するな。イエスが整えてくださった所。そこへ帰っていくのだから」と呟く。
 聖書は其処へ行く道案内書。そして、いつの時代でもベストセラーなのだ。
 だから、バイブルが好き。
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