第1話

文字数 3,302文字

 むかしむかし、ある大きな国の老王は、ひとり息子のことで悩んでいらっしゃいました。若い王子は武勇にすぐれ、血気盛んで、暇さえあれば国じゅうの武者と剣の手合わせをしていたのです。老王は「一国の王たるもの、もっと思慮深くなくてはならない」と、何度息子に諭したかわかりませんでした。しかし王子は自分の剣技に誇りを持っており、自分は無敵だと信じておりましたから、父王の言葉をちっとも聞き入れようとしませんでした。 ある日、老王は息子を呼び出して言いました。「このごろ、この国の辺境で怪物が出るとのもっぱらのうわさじゃ。ひとつ、おまえが行って退治してきなさい。おまえが次の王にふさわしいと、わしに証明してみせるのじゃ」 王子は勇んで出掛けて行きました。 さて国境が近くなると、暗い森が現れました。王子がずんずんと中へ入っていこうとすると、「お待ちください」と止める者があります。それはこの近くの村人でした。「この森に入りなさるな。これまでどんな武者も、闇の森から生きて戻った者はないのです」 しかし怖いものしらずの王子は、気にもとめずにずんずん森へ入っていきました。 森の中は暗く、王子のもつランプは、数歩先をしか照らしません。冷え冷えとしていて、しんと静まり返っているのに、どこか遠くからごうごうと物凄い音がするような、不気味な感じです。しかし王子は背筋をしっかりと伸ばして、迷いなく森の奥へ奥へと進んで行きました。 やがて行手に小川が見えてきました。「なんのこれしき。ひとっ跳びに跳び越してくれよう」 王子が爪先に弾みをつけて跳び越えようとすると、「お待ちください」と止める者があります。それは小さな白い蜘蛛でした。「この川を越えなさるな。これまでどんな武者も、川の先から生きて戻った者はないのです」 しかし怖いものしらずの王子は、気にもとめずにひらりと川を跳び越えて、すたこらさっさと進んで行きました。 さらに奥へ進んでいくと、煉瓦造りの館が現れました。かつてはいかにも豪勢な、洒落た館だったのでしょう。今ではぼろぼろに崩れかかり、暗い森の中で、魔物のような異様な感じを放っていました。しかし王子は平気の平左で、ずかずかと館に足を踏み入れようとしますと、「お待ちください」と止める者があります。それはどくだみの花でした。「この館に入りなさるな。これまでどんな武者も、闇の館から生きて戻った者はないのです」 王子は答えて言いました。「これまでふたりの者がそう言ったが、おれはまだ生きているぞ。これまで戻った者がなかったからといって、おれが戻れないとは誰も言えまい」 王子は高らかに笑うと、どしどし館の中に入っていきました。 その瞬間、嫌なにおいのする大きな息で吹き消されるように、ランプのあたたかな灯がふっつりと消え、代わりに人魂のような青白い焔がぼうっと現れました。王子は剣を抜いて館の奥に向け、大声で呼ばわりました。「館の主よ。我はこの国の王子であるぞ。出迎えをせぬか」 その瞬間、闇の中で動いたものを、王子が即座に斬りますと、それは腐った青白い人の腕でした。次の瞬間には、四方八方の暗がりから、たくさんの動く死体が王子に襲いかかってきました。王子はひらりひらりと飛び回り、剣を振り回しました。そうしてついに、ゾンビたちを一体残らず倒してしまいました。「ふむ。怪物といってもこの程度か。どれ、どうせなら館の中を探検してみよう」 そうして、ゾンビたちをげしげしと踏み越え踏み越え、暗い館の奥へと入っていきました。 ひた、ひた、という足もとの感覚から推察するに、どうやら館の奥へいくにしたがって、水に浸されているようでした。突き当たりには重い木の扉がありましたが、王子は自慢のばか力で、腐った扉をはでに倒してしまいました。中へ入ると、そこには不思議な光景が広がっていました。 広い、暗い部屋でした。奥には黒い大きな石の台がぽつんと置いてあって、その上には四人の人が横たわっていました。それも、ただ四人が横に並んでいるのではありません。ひとりの首にもうひとりの両足首が縛られており、その人の首にまた別の人の両足首がくくりつけられ、その足の持ち主の首にいまひとりの両足首がくくりつけられている、という具合に、互いの首と足首が硬い縄で縛られて、四人で四角形をつくって横たわっているのです。しかも、四人はそっくり同じ立派な身なりをして、そっくり同じ顔で、呻いたり唸ったりしながら、身をよじって互いから離れようとしています。さらにおそろしいことには、彼らはみんな、王子とそっくりだったのです!これにはさすがの怖いものしらずの王子も、ぞわりときてしまいました。 王子はどうしたものか迷いました。四人の王子は、王子に気づいていない様子でした。王子はそっと自分の剣を取り上げ、振りかざして、四人のうちのひとりの首に突き立てました。ところが、剣は何の手応えもなく、首をすり抜け、石の台をもすり抜けて、傷ひとつ付けられません。四人の王子は相変わらずもがき続けています。王子は途方に暮れました。勇気が胸の中で、しゅんとしぼんでいくのがわかりました。王子は黙って剣をおさめ、くるりと踵をめぐらせて部屋を出、館を出ました。「おや、あれまあ、おかえりなんですか」 どくだみの花が心底驚いた声をあげました。「こりゃあすごいや。怖いものしらずの王子さまに幸あれ!」 王子は黙って通り過ぎました。 やがて川に出ました。白い蜘蛛は王子を見て、驚いて巣から落っこちてしまいました。「怖いものしらずの王子さまに恵み多かれ!」 王子は黙って蜘蛛を巣に戻してやりました。 やがて森を出て、村に着きました。「あれまあ、帰ってこられたんですか!怖いものしらずの王子さま、ばんざい!」 村人たちは口々に騒ぎました。王子は黙って会釈して、食事の誘いも断って、まっすぐに城へ帰りました。 さて父王の前へ出て申しますことには、「わたくしは辺境の怪物退治に失敗いたしました。それも相手が強かったのではない、ひとえにわたくしの勇気が足りなかったのです。やいばで触れることすらかないませんでした。この国を継ぐ者として、父上の信頼を得られないのも致し方なきこと。このうえは、王位継承権を辞退させていただきたく存じます。わたくしの弱さ、どうかおゆるしください」 王子は深々と頭をさげました。王はしばらく黙って息子の様子を眺めてから言いました。「息子よ。わしにはおまえの他に子もおらぬ。おまえが継がなくて、誰が王になってくれると言うのじゃ」 王子は黙って、一段と深く頭をさげました。王はため息をついて言いました。「今宵、わしと決闘せよ。これは王命じゃ、よいな」 王子は気が進まぬながら、頷きました。 宵闇せまる宮殿の庭に、王と王子は剣をつき合わせて向かい合いました。広大な芝生の上、父と息子のふたりだけです。決闘が始まりました。剣のぶつかる音と、息の音、鎖かたびらのたてる音しか聞こえません。父王は老人とは思えぬ力強さ、敏捷さで、若い王子を翻弄しました。彼はいにしえの最強の剣技を、決闘でもって息子に教えたのです。命を賭けた訓練は、一晩中続きました。それはまるで、天蓋いっぱいの星々の下、刃のうえで踊るダンスのようでした。 頭上いっぱいに広々と展開する空が、すみれ色に染まるころ。ついに父王は剣を地面に突き刺しました。そうしてまっすぐに王子を見ました。地平から解き放たれた金色の光が老王を照らしたとき、そのしわだらけの顔は、急にはつらつとした若者の笑顔に変わったように見えました。「息子よ。おまえは真に国王にふさわしい者だ。わしは誇りに思うぞ」 王子はことばを失って立ち尽くしました。朝日が完全にのぼったとき、老王は地面に突き立てた剣にすがって、立ったまま絶命していました。若い王は泣きに泣きました。そうして、そこに父王の墓をつくらせました。 こうしてやってきた怖いものしらずの王の治世は末長く続き、国民たちは彼の世では誰も彼も、おもしろおかしく幸福にくらしましたとさ。


おしまい
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