第1話
文字数 1,932文字
頭上を貨物列車が緩いスピードで通り過ぎた。線路下のたった数メートルのトンネル。それをくぐり抜けた先に『植物団地』はある。
団地の入口には簡易的な看板が置いてあり、「立入禁止」と書かれている。
源太 は「立」と「入」と「止」は読めるが、「禁」は読めなかったため何を意味する看板か分からなかった。
その奥を覗くまでもなく、『植物団地』はそびえ立っている。
元は十階ほどの高さのアパートが立ち並んでいたらしく、外壁は灰色だと聞いたことがあったが、たくさんの種類の植物に覆われていてよく分からない。まさにそれが『植物団地』たる所以だった。
冷えてきた指先に白い息を吐きかけると、源太の視界の隅を同じものがかすめた。
見上げると植物はびこるアパートの屋上に男が居る。
いや、白い息ではなく煙草を吸っていたようだ。狼煙のように上がり曇天に吸い込まれていく煙を見ていると、その男がこちらを向いたのが分かった。
煙草の火を消したかと思うと、その男は外壁にへばりついている植物をつたってスルスルと地上に向かって降りてきた。
この団地に人が居たとは思わなかった。
「よぉ、ボウズ一人か?」
男はいたって気軽な様子で片手を上げた。源太は頷く。
「おじさん、すごいね。あれつたって降りてきたの」
源太が先程の植物を指差すと、男は「あぁ」とアパートを振り向いた。
「あれはアイビーっていう植物だ。俺はここの大家でね」
「どうしてこのアパートはこんな植物いっぱいなの?」
源太は、この町に越して来てずっと疑問に思っていたことを口にした。同じクラスの友人にも引っ越して来た当初聞いたことがあったが、みんな一様に「分からない」と口にしていたのだ。
「前に居た入居者がな、置いてったんだ、観葉植物を。育ち過ぎて手に負えなくなったんだろうな。いつの間にかいなくなっててよ」
男がアパートを見上げるのに倣って、源太も横に並び一緒に見上げる。
「ボウズ、中見てみるか?」
源太は「え」と男を見た。
このアパートの中を?
「せっかく興味持ってくれたんなら、植物の名前とか教えてやるよ。中には植物の滑り台とかもあるんだぜ。それにここで話すのは、ちと寒い」
男は両腕を擦る仕草をし、先に立って歩きだした。
吹きすさぶ風に源太もぶるっと震えた。空は今にも雪が降ってきそうな様子でどんよりとしている。源太は『植物団地』の入口を見つめ、ゴクリと唾を飲みこんだ。不気味な生命体の腹の中に飛び込むような感覚だ。しかし、気になるのも本当。
源太はえいっ、と男の後を追い『植物団地』に足を踏み入れた。
中に入ると思いのほか暖かかった。それに、植物で覆われている割に明るい。普段道端や庭で見る植物より何十倍も大きい葉に、源太の体温は一気にあがった。
「ねえ、おじさん。あれは何?」
源太は振り返り、入口に扉のように重なっていた羽状の植物を指差した。
「あれはアレカヤシ。本当は寒さに弱いはずなんだが入口に居ついてるんだよな。花もつけるぞ」
源太は二階への階段を駆け上がった。一番手前の部屋はドアが開いている。覗き込むと大きな根があり、窓から外へ葉を伸ばしていた。
「ねえ、おじさん、この根っこすごく大きいね」
源太は根をつつく。
「それはクワズイモ。そこは根茎だな。その先に伸びてる茎の汁は触るとかぶれるから気をつけろよ」
それを聞いて手を引っ込めた。
その後も、源太は階段を昇りながら植物を見ては男に質問をした。男はその度に植物の名前を教えてくれる。
九階まで昇ったところで、源太はついに滑り台を見つけた。
アパートとアパートの間にも植物がはびこっている。その中にひときわ大きな植物が斜めに根を下ろしていた。
「これはガジュマル。根を地上に出す植物なんだ」
「なんでこんなに大きな植物が育つの? 学校で育ててる朝顔とはぜんぜんちがうよ」
「太陽と水は偉大だってことさ。あとは少しの養分を与えてやるだけでいいんだ」
男はにかっと笑うと、源太に手を差しのべた。
「ほら、ここから滑れるぞ」
源太は頷いて男に手を伸ばす。
ガジュマルの滑り台は公園のものよりもスリリングだった。風を切り隣のアパートの一室に滑り込むと、源太は興奮冷め止まぬ間に今度は目の前に新たな植物を見つけた。
人の目を縦にしたような植物。
「ボウズ、それに座ってみろよ。ふかふかだぞ」
「そうなの?」
試しに座ってみると沈みこむようにふんわりしていた。
「ほんとだね。これは何て名前なの?」
ぼくは植物の座面に手をついた。
「ヒトトリグサ」
「え」
急に視界が狭くなった。
ヒトトリグサが閉じきる直前、隙間から男が見える。
ひと仕事終えた、とでもいうように煙草をくわえる男の姿が、源太の最後の記憶となった。
団地の入口には簡易的な看板が置いてあり、「立入禁止」と書かれている。
その奥を覗くまでもなく、『植物団地』はそびえ立っている。
元は十階ほどの高さのアパートが立ち並んでいたらしく、外壁は灰色だと聞いたことがあったが、たくさんの種類の植物に覆われていてよく分からない。まさにそれが『植物団地』たる所以だった。
冷えてきた指先に白い息を吐きかけると、源太の視界の隅を同じものがかすめた。
見上げると植物はびこるアパートの屋上に男が居る。
いや、白い息ではなく煙草を吸っていたようだ。狼煙のように上がり曇天に吸い込まれていく煙を見ていると、その男がこちらを向いたのが分かった。
煙草の火を消したかと思うと、その男は外壁にへばりついている植物をつたってスルスルと地上に向かって降りてきた。
この団地に人が居たとは思わなかった。
「よぉ、ボウズ一人か?」
男はいたって気軽な様子で片手を上げた。源太は頷く。
「おじさん、すごいね。あれつたって降りてきたの」
源太が先程の植物を指差すと、男は「あぁ」とアパートを振り向いた。
「あれはアイビーっていう植物だ。俺はここの大家でね」
「どうしてこのアパートはこんな植物いっぱいなの?」
源太は、この町に越して来てずっと疑問に思っていたことを口にした。同じクラスの友人にも引っ越して来た当初聞いたことがあったが、みんな一様に「分からない」と口にしていたのだ。
「前に居た入居者がな、置いてったんだ、観葉植物を。育ち過ぎて手に負えなくなったんだろうな。いつの間にかいなくなっててよ」
男がアパートを見上げるのに倣って、源太も横に並び一緒に見上げる。
「ボウズ、中見てみるか?」
源太は「え」と男を見た。
このアパートの中を?
「せっかく興味持ってくれたんなら、植物の名前とか教えてやるよ。中には植物の滑り台とかもあるんだぜ。それにここで話すのは、ちと寒い」
男は両腕を擦る仕草をし、先に立って歩きだした。
吹きすさぶ風に源太もぶるっと震えた。空は今にも雪が降ってきそうな様子でどんよりとしている。源太は『植物団地』の入口を見つめ、ゴクリと唾を飲みこんだ。不気味な生命体の腹の中に飛び込むような感覚だ。しかし、気になるのも本当。
源太はえいっ、と男の後を追い『植物団地』に足を踏み入れた。
中に入ると思いのほか暖かかった。それに、植物で覆われている割に明るい。普段道端や庭で見る植物より何十倍も大きい葉に、源太の体温は一気にあがった。
「ねえ、おじさん。あれは何?」
源太は振り返り、入口に扉のように重なっていた羽状の植物を指差した。
「あれはアレカヤシ。本当は寒さに弱いはずなんだが入口に居ついてるんだよな。花もつけるぞ」
源太は二階への階段を駆け上がった。一番手前の部屋はドアが開いている。覗き込むと大きな根があり、窓から外へ葉を伸ばしていた。
「ねえ、おじさん、この根っこすごく大きいね」
源太は根をつつく。
「それはクワズイモ。そこは根茎だな。その先に伸びてる茎の汁は触るとかぶれるから気をつけろよ」
それを聞いて手を引っ込めた。
その後も、源太は階段を昇りながら植物を見ては男に質問をした。男はその度に植物の名前を教えてくれる。
九階まで昇ったところで、源太はついに滑り台を見つけた。
アパートとアパートの間にも植物がはびこっている。その中にひときわ大きな植物が斜めに根を下ろしていた。
「これはガジュマル。根を地上に出す植物なんだ」
「なんでこんなに大きな植物が育つの? 学校で育ててる朝顔とはぜんぜんちがうよ」
「太陽と水は偉大だってことさ。あとは少しの養分を与えてやるだけでいいんだ」
男はにかっと笑うと、源太に手を差しのべた。
「ほら、ここから滑れるぞ」
源太は頷いて男に手を伸ばす。
ガジュマルの滑り台は公園のものよりもスリリングだった。風を切り隣のアパートの一室に滑り込むと、源太は興奮冷め止まぬ間に今度は目の前に新たな植物を見つけた。
人の目を縦にしたような植物。
「ボウズ、それに座ってみろよ。ふかふかだぞ」
「そうなの?」
試しに座ってみると沈みこむようにふんわりしていた。
「ほんとだね。これは何て名前なの?」
ぼくは植物の座面に手をついた。
「ヒトトリグサ」
「え」
急に視界が狭くなった。
ヒトトリグサが閉じきる直前、隙間から男が見える。
ひと仕事終えた、とでもいうように煙草をくわえる男の姿が、源太の最後の記憶となった。