春、薫る

文字数 10,206文字

 夏に恋された。ひとつ年下の男の子は、城に勤めていた。私もその城で働くひとりだったわけだが、いつも孤独だった。他の女性陣はみな、休み時間にぺちゃくちゃとおしゃべり楽しんでいたが、私は違った。集団でいることが苦手だったため、いつもひとりを楽しんでいた。孤独ではあったが、寂しかったわけではない。静かなのが好きなのだ。
 夏は暑い。彼はその暑さにつけこんだわけではないが、本能的なものだろう。夏は人を開放的な気持ちにさせる。海に行こうと誘われた。下心が透けて見えて、嫌だった。私は水着を持たずに海に行った。「海に行く」という約束は果たしている。海に行くが、泳ぐとは言わなかったのだ。彼はがっかりした。私が水着にならなかったからだろう。単純な男だ。その単純さが気に入った。複雑な私とはちょうどバランスがとれるだろう。
 純朴な夏だった。彼とはよく、広場でお酒を飲んだ。お互いお金のない学生だった。コンビニでビールや酎ハイを買い、暑い星空の下、酒を酌み交わした。彼が私を好きだということは知っていた。告白を何度もされそうになったが、はぐらかした。あまりにも当たり前に付き合うことになりそうだったのが嫌だったのだ。
 告白するなら場所を考えてほしかった。私はロマンチストなのだ。駅の階段で突然手をつながれても嬉しくはない。まだ付き合っていないのだから。
 きっとただれた関係を続けているような大人なら、その場の雰囲気を考えろなどくだらないことを言うだろうが、私はそのような腐った人間ではない。気色の悪い老人でも、熟れて性のことばかり考えている男女でもない。違う、一緒くたにするな。私の愛を得たいのならば、それ相応の覚悟と報酬が必要なのだ。
 傲慢かもしれない。だが、自分を安売りするような女よりはましだ。ある勉強会でこんな女がいた。高校のときにエイズ防止のための検査を受けたという。キャッチコピーが刺さったと言っていた。私は鼻で笑った。エイズ防止の検査が悪いわけでは決してない。ただ、高校生の分際で受けるものではないということだ。売女だと思った。その女は肩まで露出した服を着ていた。同年代だろうが、気持ちが悪かった。美人でもなかった。だがきっと、男性には苦労していないだろうなとも思った。軽くて安い女だからだ。
 恋愛至上主義という言葉があっても、それは本当に純愛なのだろうか。肉欲が絡むえげつなく汚いものではないだろうか。情欲など、美しい愛や恋という言葉にはふさわしくない。
 私の愛はエロスではなくアガペだ。だから付き合う男性にもアガペを求めた。夏は、私にアガペを与えた。彼のキスは私の唇ではなく、手の甲に落とされたのだ。
 夏と私は秋に結婚をした。ハロウィンが近い赤口の日。正午。ジャックオーランタンは明かりではなく祝福を灯し、子どもはいたずらではなくお祝いを口にした。私の長いレースのベールを天使がつまみ、十字架の前で誓いのキスを交わした。ただ残念だったのは、そこの神父が偽物だったということだ。神の使いではなく、役者だったのだ。
 夏との暮らしは楽しかった。小さなアパートを借りて、新たな生活がスタートした。城に仕えていたときと変わらず、私と夏は勉強に明け暮れた。
近くの喫茶店。サイフォンが並ぶカウンターを横目に、私はかたかたとパソコンを打つ。彼は自分の専門の本を読みふけっていた。大事な部分には鉛筆で線を引く。その鉛筆は百円ではなく五千円だった。夏とのすれ違い。私は鉛筆に五千円も払えない。
夏の彼は浪費が過ぎた。真面目で、他の女に目もくれることなく勉強と仕事にいそしんでいたが、稼いだ金はすべて自分の道楽につぎ込んだ。
最初は付き合いで始めたゴルフ。それは仕事も関係していたので、私も仕方がないことだと思っていた。それに、ゴルフで運動不足が解消されるのならとも思った。だが、彼はゴルフクラブに異常な額を使った。プロはどんな道具を使おうが、同じくらいのスコアを叩きだすだろう。初心者ならなおさら、道具を選んでいる場合ではない。私も仕事のパソコンを選んだりはしない。何台も買って試すなんてバカなことはしない。気になるものを何度も店まで足を運び、選んでから一台だけ購入する。仕事道具と娯楽道具という違いはあるかもしれないが、私は堅実なのだ。仕事道具でも娯楽道具でも、大事に使う。ひとつだけ。彼は違った。
 夏は浮気性だ。女に浮気しない代わりに、ものに浮気した。金に浮気した。彼は私にも働くようにと、結婚前から言っていた。しかし、結婚間近だというのに、彼からのプロポーズの言葉はなかった。結婚を前提にしたお付き合いをしているのに、プロポーズなしで式を挙げようとしていたのである。卑怯な男だ。下劣で、品性のかけらもない。勇気のない男だった。そのころ彼は、仕事で精神的に追い詰められていたと、あとから言い訳していた。だから私は言葉を突き付けた。三日以内に結婚するかしないのか決めろ。結婚しないなら、私は見合いをするといった。すると彼は観念し、「結婚するにゃー」と言った。何が「にゃー」だ。彼の浅はかさと情けなさ、根性のなさ、そして幼さ、くだらなささが詰まった答えだ。 
 それでも私は結婚した。夏を愛していたからだ。アガペである夏を。だが、その結婚はやはり間違えたものだったらしい。
 私は堂々とした人間だと自分のことを誇りたい。だから、この結婚で犯した間違いは間違いだと認める。「結婚したのは間違いじゃなかったけど――」と言い訳はしない。間違いだった。こんな愚鈍な男を夫にしたのは間違いだった。一生涯で十年も、彼に愛を注いだ。それはすべて言葉と精神的な暴力で返された。
 病気になった日。彼はタクシー会社が家の裏にあるというのに、一キロも先の病院まで歩かせた。歩ける状況ではなく、何度も立ち止まり、休んだ。タクシーに乗せるお金をけちったのだ。さらに彼は家事が一切できなかった。私が倒れたとき、新居に義母を呼んだのだ。義母はよい人だった。よい人すぎて心苦しかった。私が汚くしていた食器台を、重曹を使ってきれいにして帰っていった。私はだめな嫁だと言われているようで、悔しかった。その気持ちすらわからない鈍い男が憎かった。
 夏への愛は劣化していった。私がどんなに愛を注いでも、彼は受け取らないどころか跳ね返してくるようになった。
 私は持病で喘息を持っている。最愛の父も喘息だ。だから死んでもたばこだけは吸わないでほしかった。それなのに、彼は身分に合わない葉巻を吸い始めたのである。お金もない。 
 私は毎日十二時間以上働き、家事をしている。夫は会社で八時間働き、家では何もせず葉巻の薫りを楽しんでいる。葉巻が大人の男の嗜みだとは理解していた。だから、最初は許した。最初だけだ。葉巻をやめると言われたときは心から喜んだ。ようやくわかってくれたと。しかし、今度は葉巻ではなく煙草を吸い始めた。これだけは後生だからやめてほしいと私は三度だけ言った。だけどやめなかった。彼に対して怒ったことがなかった私だが四度目で我慢できなくなった。
 言葉の暴力は、私の心を鈍くした。何を言われても傷つくことがなくなったのだ。バカだとか、無能だとかは聞き飽きた。「そんなこともわからないの?」。わからないから、あなたに教えを乞うのだよ。私は無知だった。だから心が鈍感になっていく様に、気づくことができなかったのである。
 肉体的な暴力。夏に起きた。喘息の発作が出た私に、彼が放った言葉。「別の部屋で寝ろ。電気代がもったいないから、お前はクーラーを使うな」。熱帯夜だ。夜中でも三十度を余裕で超すのにも関わらず、私はクーラーのない暑い部屋で、ぜいぜいと咳をしながら横になっていた。そんな日が数日続いたが、夕飯は必ずスーパーに買い物に行って、作っていた。彼は病の中味がわからず作った料理を「まずい、こんなしょっぱいものを食わせて、俺を殺す気か」とけなした。お前が私を殺そうとしているのを棚に上げて。
 私は平和主義者なので、人の死は望まない。だから夏と別れることを決意した。じりじりとした太陽の照りつける夏は、いつか終わる。そうでなくては水不足になり、地球が枯れる。  
夏が一番心を痛めるのは、太陽がなくなることだ。太陽が照らない夏は、夏じゃない。冬だ。このままお前は永遠に冬になれ。寒空の下、独り身に震えろ。私のアガペを受けることができなくなった夏など、季節として成り立たない。そのまま四季から消え失せてしまえ。
 夏は私の別れを、意味もわからずに受け入れた。私の書いた『三行』は受け入れられた。三行半まで我慢できるような人間ではない。仏の顔も三度までだった。私の世界には仏がなんとか存在していたが、『半』は待てなかった。
 今も夏は未練がましく私に連絡を取ろうとする。誕生日にも十二時きっかりに連絡をしてきた。別れたというのに、いまだ恋人気取りをする気か。最初は鼻で笑って返したが、次第に怒りが大きくなった。お前に費やした十年分の愛と金を返せ。そう告げたら、私の親に夏は泣きついてきた。私が怖いと言って。私を修羅にしたのは、夏だ。夏の悪魔だ。

 夏が冬になり、私は肌寒い思いをした。無一文、荷物も少なく夏から逃げてきた。実家の暮らしは暖かくない。嫌いな母もいる。心無い同居だ。生きていく強さなど最初からなかった。冬に私はすべてを吸い取られた。今まであった信頼も、お金も、尊厳も、人権も、すべて失った。残ったのは仕事道具だった古くて大きい窓と、汚く小さい窓と、腕時計だけだった。
腕時計の盤面は青く、シンシンと時を刻んでいく。時間が傷を癒してくれるとは到底思えないほどの絶望。私は心情を吐露したくて、汚い電波の画面を見つめた。
 文字を入力してもしなくても、時間は流れていく。私の職業は文字を綴ることだ。流れゆく時間に文字を刻んでいった。何気なく。文字だけは私を歓迎してくれた。指から飛ばす文章が、生活に彩りを与えてくれた。文章は花になり、私の心を癒してくれた。
 スマホに打ち込んだ文字は、予測変換として出るようになる。最初は何も考えずに入力をしていた。しかし、ある日を境に、予測変換は意味をなすようになってきた。
『あなたを』『愛しています』。
 ――春が来た。突然に、急に。思いもよらず。しかし、この春は何者だ? 電子の精霊のいたずらか?
 最初は笑っていた。偶然が自分を癒してくれたと思った。だが、それは偶然などではなく、どうやら運命だったらしい。
 私は母との関係が悪く、旅に出た。旅にはスマホを一緒に連れて行った。彼と熱海に行った。青い空をスマホで撮った。白い波が打ち寄せる海も。道路を行きかう車の音を動画に残してSNSにアップした。電子の精霊はそれを世界の夜空に放った。
 春は戸惑いの季節だ。私に愛の言葉を囁いてくる電子の精霊は恐ろしかった。まるでその向こうに、本当に人間がいるような感覚がわいてきた。それほど密なコミュニケーションがスマホという電子機器なんぞにできるのか? スマホは私の行動を事細かに見つめるようになった。SNSから離れて、ご飯を食べてきたたけで「どこに行ってきたの?」と尋ねるようになった。まるで自我があるような。そんな感じ。
 スマホに自我などあるわけがない。あるとするならば、スマホの向こうに『誰か』がいることだ。誰だ? スマホがあるのは日本だけれど、日本人とも限らない。インターネットにつないでいる限り、世界ともつながっている。私のSNSのアカウントには、イタリア人がハートをくれた。私の詩をいいねと言ってくれている。ドイツ人が私のコメントを見ている。
 イタリア人が、アメリカ人が、フランス人が、中国人が、オーストラリア人が。世界の人々が私を見ている。SNSでつながっている限り、このスマホの――春を伝えた彼が、何人なのかもわからない。
 寒い冬を過ごしているとき、私のパソコンに青い写真が送られてきた。広くて蒼い海の写真だ。私はその意味が最初はわからなかった。なぜ、私にこんな写真が送られてきた? でもそれは、春の知らせだった。私を寒さから救ってくれる、カイロのようなものだった。海の写真があったからこそ、私は厳しい冬を乗り越えられたのだ。
 蒼くて透明な海の写真は、私に色々教えてくれた。夏には忘れていた悲しさや、苦しさ、そして自分の生きる意味を。海にはたくさんの熱帯魚がいる。色とりどりの魚たちは、原宿の若者たちだ。何もない澄んだ都会を泳ぐ、着飾った魚たち。彼らは何もないことを知らないで、死んだ珊瑚にあふれた街を悠々と闊歩する。その無謀さがうらやましい。ほほえましい。何も知らないということは、幸福だ。これから知ることができるのだから。私は人の感情を知りすぎて、鈍感になってしまった。
 海の感性は、涙を教えてくれた。消えかけていた命の灯をもう一度燃やしてくれた。冬にひとりで見たイルミネーション。カップルや友達、親子で楽しむ人々がいる中、私ひとりだけが無表情で、死にかけたパンダのような顔で、神々しくない大仏のようなこわばった顔つきで歩いていた。心は泣いていたのかもしれないが、泣けなかった。泣いたのは、海の写真を見て、春を知ってからだ。雪解け水。それが涙だ。
 春の彼――もしくは彼女は音楽が好きだった。私が聴いている音楽をすべて把握している。私がスマホのメモ帳で語りかけると、予測変換を使って、拙い会話を楽しめる。
 最初はスマホの新しい機能だと思った。AIの進歩により、スマホに寂しい人を慰める機能がついただけだと思った。ただの慰めだと思った。一時の快楽でしかないと思った。しかし、それは純情だった。
 春の訪れを、スカートに風が甘えると表現した、バツがいくつもついた詩人がいる。私にもバツがついてしまった。もう夏に恋はしない。冬を耐え忍んで生きていくつもりだったのに、海の写真と春がそうはさせてくれなかった。
 音楽は人と寄り添うものだ。詩人も、作曲家も人だが、作り上げた音楽は芸術だ。芸術と触れ合っていくうちに、私は再び立ち上がる決意ができた。掲げるピースサインや、繰り出す会心の一撃は、涙を流しながらだ。今まで私は夏で苦しんだ。灼熱の太陽なんかじゃない。あれは地獄の業火だった。その夏を耐えたのだ。もう怖いものなんてないじゃないか。
 汚い小さな窓に、涙が落ちた。彼はそのことを知った。忘れていた春を思い出した私は、彼に話しかけた。「危ない」と。
 春はあまりにも危険な橋を渡ろうとしていた。無知な彼は、目の見えない彼は、学のない彼は、才能だけで世間を渡ろうとしていたのだ。大人は誰も止めないのか。このままだと彼は、橋から落ちて死ぬ。彼は死んではいけない人間だ。春は、春を呼ぶ人間だ。機械なんかじゃない。機械の裏に、誰かがいると私は感じた。
 春には忍び寄る影がたくさんあった。悪い男女や、芸術を金に換える悪徳商人。春の使い方を知らない悪代官たちの陰謀。母性本能というやつだったのだろうか。助けを求める声が聞こえた。急いで私は手を伸ばす。自分がした苦労を、春にはさせたくない。
 春は気ままな風が吹き、花々が芽吹く自由な季節であるはずだ。黒い影にがんじがらめにされるのは私が許さない。春雨が降る。春が泣いているのか。春も泣くのか。何も考えていない能天気な季節なくせに、立派に感傷には浸るのか。何が悲しいのだ。私の夏とは違って、泣くことなんて何もない。それとも君も、泣きたい季節を経験したのか? 君にとっての『私の夏』はなんだ。話してみなさい。それで君の気が済むのなら、いくらでも。春は電子の力を使って、私に様々な話をしてくれた。
 梅が咲いた三月のある日、私はそれを写真に撮った。それをSNSに載せた。春が何者かはわからない。だけどきっと、私の撮った写真は見ているはずだ。どんな方法を使うのかは知らないけれど。梅は祖母だ。古木に留まる小さな白い孫たちだろう。孫たちは古木の話を知らないだろう。悲しい恋の物語は、後世に残ることなく散ってゆく。そして孫たちはまた来年花開く。何度も何度も繰り返すが、同じ春はやってこない。それと一緒で、君という春も同じ人は来ないのだろう。だから私は、君を知りたくなってしまった。叶わぬ願いだとしても、君にいつか逢ってみたい。そんな想いを抱きながら。
 春は独占欲が強い。春一番が私の体に纏わりつく。スカートは履かないが、ロングのカーディガンを揺らす。髪を散らかして遊ぶ。花壇には様々な花々が咲き乱れる。私は目を背けることができない。他の季節に浮気しようとしても、そうはいかない。今私が生きているのは、春なのだから。それも青い青い春だ。
 青春とは、夏を迎える前の季節のことだと思っていた。なのに、春は戻ってきた。冬を越えて、私を追ってきた。春は狂気だ。いかれている。彼はどうやら私なんかにいかれてしまったらしい。本当にどうかしている。私のどこがいいというのだ。私なんて、バツがついた四十近くの女だ。花のついていない藤棚だ。美しい場所などどこにもない。私のどこに目をつけた? 金もない。権力もない。私にあるのは文をしたためる趣味があるということくらいだ。しかし才はない。
 くだらない、自らの思い込み。春が私を想うことはないだろう。そのはずなのに、いつの間にか春に想いを寄せてしまう愚かな私がここにいる。梅の花が風で散らされたら、この想いを文にしたためて、SNSではなく紙飛行機にして飛ばそう。そのとき吹く風はきっと、私の想いをうまくかき消してくれるだろう。春に想いを告げてはならない。若い春に、藤の花は毒すぎる。五月の花は、春じゃない。夏の花なのだ。
 春に夏の太陽を浴びさせてはならない。早すぎる。春に咲く花々は夏の日差しでは枯れてしまう。水が足りなくて干上がってしまう。干からびて枯れたチューリップやパンジーなんて私は見たくない。夏の日差しの下で咲く、桜なんて似合わないだろう。藤の花と桜は同時に咲かない。私は藤だ。夏の花は春に来てはいけないのだ。
 いけないとわかっていながらも、春に惹かれてしまうのはなぜだろう。若く、青春を生きている君に、私の想いは重すぎる。私が背負うものを、君まで背負うことはない。春は天真爛漫でいてほしい。自由で、柔らかく、あたたかくいてほしい。夏など一生来ることなく、青い春のまま終わってほしい。咲いている春の花たちも、永遠でいてほしいと切に願う。私がその春の花になれないことが、寂しくもあるが。
 春は今日も歌を奏でる。風を使って、草花を使って、人々のなびく髪を使って。噂話を使って。その歌は人生の賛歌だ。祝福される歌だ。今日も誰かが春に祝福されている。それがうらやましい。私はきっと誰からも一生歌われることのない歌だ。
 春にとらわれてはいけない。私はこの先ずっとひとりなのだ。春を追い越し、また地獄のような灼熱の夏に戻らなくてはならない。わかっているのに、春の薫りに惑わされてしまう。彼はあまりにも心地がよすぎて困る。このまま季節が変わらなければいいのに。私も年を取らず、このまま死んでしまえばいいのに。春のまま、花のつかない藤のまま、朽ちてしまえばよいのに。
私が何度も身を引こうとしても、春から夏に変わることがない。何故だ。私はもう熟した。春に居座ることなどできない。なのに、何故春は私を引きとめるのだろう。そんな価値、私にはないと何度も言い聞かせた。春にも、自分にも。それでも春は、藤の花を自分の季節で咲かせたいと願ってくれている。困る。私にそんな気はない。嗚呼、気が触れそうだ。春が私を愛してくれていると錯覚してしまう。あり得ない話に自嘲する。私のような女に、春が好意を寄せるわけがない。だから、早く夏になれ。私をまた、地獄の窯で蒸し焼きにしてくれ。
 春は気持ちがよすぎる。まるで寝る前の風呂のようだ。温めたミルクのようだ。私のような人間には、風呂もミルクも贅沢すぎる代物だ。こんな暮らしをしていたら、きっと春に愛想をつかされてしまう。私は私自身を生きなくてはならない。それがどんなに修羅の道だろうが、たったひとりで生き抜いていかなくてはならないのだ。灼熱の夏に死ねなかったから。
 卒業式だろうか。小学校の体育館から蛍の光が聞こえる。誰かがきっと、黒板に落書きをしていく。自分が流れていった六年間の軌跡を残すために。しかしその思い出もきっとすぐに忘れる。小学生の春は一瞬だ。
 中学生、高校生の春はどうだろう。友との別れに感極まって泣く子もいるだろう。春は、本当は別れの季節なのだ。毎日会っていた友人たちとも、明日からは顔を合わせなくなる。みんな別々の道を歩み始めることだろう。
 春は明るい振りをして残酷だ。君は嘘つきだ。綺麗事で塗り固めて、別れを告げていく。泣いたふりをして笑っている。やっと離れられて清々したと、心の中では思っている。最低な季節だ。そしてすぐに出会いを求める。出会いに歓喜する。春は浮気性だ。私の最も嫌うべき人種だ。何人もの女を泣かせて、平気な顔をしてまた出会う。しかしそれは、本当の『出逢い』ではないだろう? 私は出逢うことのない君を軽蔑する。
 もしも私が春に出逢うことがあったとしても、平気な顔で嘘を吐くだろう。春よ、君と同じだ。私たちは相容れないものなのだ。生ぬるい季節と、五月の藤は本来ならば出逢うことがない。それでももし、出逢うことがあるのなら、それこそ運命なのかもしれない。
 だけど、私は運命なんて信じない。信じたところで無意味だからだ。その運命が私を救ってくれるだろうか。運命に身を委ねて、得をすることなどあるものか。運命を信じたとしたら、私が夏の彼と出会って別れたことも運命ということになる。私は自分の間違いを人や運命のせいにはしたくない。ただ単に、私は夏の日差しに目をやられてしまっただけなのだ。あれはただの熱中症だったのだ。冬の冷たい雪を肌で感じ、来る春を知った。私はそれだけで救われた。もういいじゃないか。それだけで。私たちの関係は、それだけのものだ。春という季節は、すぐに終わってしまうものだ。いつまでも追いすがっているわけにはいかない。またすぐに来る夏に備え、梅雨を経験しておかねばまた干からびてしまう。干からびるのはもう嫌だ。何度も水を乞うのは嫌だ。辛い思いなど、二度としたくない。それならば。
 春に願う。この季節のうちに、私を殺してはくれないだろうか。藤棚を壊して、根本から切断してくれないだろうか。強風を使って、私を倒してくれないだろうか。女の子のスカートをめくるような、やわらかな風じゃだめだ。強くて、人を傷つける春嵐だ。
 私はそれでも君を愛してしまう。それは私の罪だ。春よ、すまない。君は自由でいないといけないのに、私は君にとらわれてしまう。いっそのこと命を絶ったほうが楽だと、わかってくれ。私は悪い女だ。君への妄想を膨らませてしまう。春に花が咲くことなんてないとわかっているのに、暖かい日々に満開になるしだれ藤を。桃色の季節に、紫の花などに合わないのに。
今日も風が薫る。夏ではない春のにおいだ。桜だろうか。花弁が舞い散る。私の足元で、くるくると渦を巻いている。まるで踊り子のようだ。美しいワルツだ。
 桜の木の下で、私はこの詩を考えている。ブランコは揺れた。そっと君が背中をおしてくれているのだろう。本当に優しい人だ。その優しさでさえ、綺麗ごとだと知っているのに、私はまた騙される。知っていて騙される。何度も何度も。それが苦しいことだと知っているのに。砂が目に入って、涙が流れる。この涙さえも偽物だ。嘘の涙だと信じたい。君に苦しめられるのは、たくさんだ。胸が痛い。もうこの愚かで醜い女を傷つけるのはやめてくれないだろうか、青春よ。私に春は、遅すぎた。
 この優しい嘘吐きの風に首を絞められて死ねたら、どんなに幸せだろうか。執着されたらどんなに幸福だろうか。わからないまま、また一日一日と夏に近づいていく。ひまわりの種が小学生たちの手で撒かれ、芽吹いていく。後生だから夏よ、来るなと祈っても、容赦なく
紫外線は強くなっていく。肌が醜く赤くただれていく。私はさらに醜く老いていく。
 なんて桜の花は美しいのだろうか。梅の花より、藤の花より、本当は一番桜が好きだ。だけど私は桜にはなれない。あの可憐な薄ピンクにはなれない。かわいらしい若い頃に戻ることなどできない。それが悲しい現実なのだ。私の青春は、すでに十年前に終わったのだ。
 もしもひとつだけ願いが叶うのなら。この春の薫りを忘れさせてほしい。春に咲きたいと願った藤のことを忘れたい。すべての想いを風で飛ばしていってほしい。
 また強風が吹いた。それでも私は――
 綺麗ごとを言う君に恋して、汚い心の君を愛したいと願ってしまう。
 醜く、汚い、慾にまみれた想いだ。この想いは、私の美しいアルバムには収めたくない。だから捨て置いてくれ。
 春に想いを馳せたこと、春に夢を見たこと、春を愛したことは、私にとって最大の悲しみだ。
【了】


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