心荒みし助けよジーン
文字数 1,812文字
後2駅、早く早く。
帰りのJRの電車に揺られながら俺は苛立ちながら強くそう思っていた。
俺が苛立っていたのにはいくつかの理由があった。
まず一つに車内が非常に混んでいたからだ。たまに仕事が早く片付いて家路につけた午後6時過ぎのJRの車内、その車内が明らかに乗車率100パーセントを余裕で超えるレベルで混んでいて車体が少し揺れるたびに前後左右の人と接触することに苛立っていた。
次に俺の苛立ちを誘発したものは俺の右隣で吊り革に捕まっている女子高生だ。ほんの数分前に大きめに車内が揺れた際、俺は彼女に靴を踏まれたのだ。ローファーの踵で割とガッツリと革靴のつま先部分を踏まれたのだ。踏まれた部分にうっすらとローファーのソールの模様がつくぐらいの強度で踏まれたのだ。痛かった。
だが痛かったがその踏まれたこと自体に対して俺は苛ついているわけではない。そりゃ電車が揺れれば靴を踏まれることもあるだろう。ただ、問題なのはその女子校生が俺を踏んだ後に一言も謝りもしないことに俺はイライラしているのだ。まったくこちらのほうを見る訳でもなく踏んだ前も後も変わらずにズーッと気怠そうにスマホの画面を見ている。TikTok見てる場合じゃねぇだろ!
ということで俺の苛立ちは増幅されていた。
最後に俺のイライラを加速させているのは俺の捕まっている吊り革の正面に座っている50代くらいの夫婦だ。この2人が「この電車に乗ったのがいつ以来か」という世界一どうでもいい話を大声でずっとしているのだ。「ほら去年乗ったじゃない」「違う違う去年乗ったのは近鉄線だろ」「あら本当?じゃあいつ以来かしら?」「2年ぶりじゃないか?」「あら、でも前回乗った時はまだコロナじゃなかったわ」「じゃあ3年ぶりかな?」
…どうでもいいわその話!家でしろ家で!
ということで俺の苛立ちはピークに達しつつあった。
そして今である。駅に停車した電車が一向に動く気配がない。明らかにいつもより長い停車時間。一体何なんだ。またピリピリしていると「ただいま停車信号が赤になっているので青に変わったら電車出発します」のアナウンス。後1駅なのに。俺の苛立ちは限界を超えそうになった。
そこで俺は小さく深呼吸をして眼を閉じた。
ここは彼の力を借りよう。
☂
『雨に唄えば』という映画がある。1952年に公開された映画史に残るミュージカル映画の傑作だ。
俺の父親は無類の映画好きなので新旧問わず多くの映画のDVDを収集していたので学生時代のヒマな時に時間があれば勝手にそれらを借りて鑑賞していた。自宅にTSUTAYAがあるようなものだった。そんな時に『雨に唄えば』に出会ったのだ。そしてそれは俺の一番大好きな映画になった。
その作中で主演のジーン・ケリーが大雨の中傘を差さずに『Singin' in the Rain』を歌いながらダンスをするシーンがある。俺はそのシーンがたまらなく好きなのだ。
だから俺は心が荒んだ時、例えば今みたいな時は静かに眼を閉じて頭の中にジーン・ケリーを召喚して『Singin' in the Rain』を歌って踊ってもらうことにしている。そうすると心は安らぎを取り戻しさらに前向きな気分になれるのだ。
隣の女子高生のイヤホンからもれるTikTokのBGMや「近鉄線に乗った時はどこにいったのかしら?」という雑音に邪魔されながらも俺は今日も無事に『Singin' in the Rain』を奏でる事ができて差していた傘を閉じたジーン・ケリーが軽快なダンスを見せてくれた。
いや、本当に『雨に唄えば』は良い映画だ。何回見ても飽きないしいつ見ても楽しい気分になる。今思い浮かべている『Singin' in the Rain』に乗せてジーン・ケリーが踊るシーンだけでなく共演のドナルド・オコナーが『奴らを笑わせろ』を歌いながら踊るシーンなどどこを切り取っても名シーンの連続だ。
いやぁ『雨に唄えば』は良い!
…そんなことを考えていたら気付いたら発車信号も青に変わったらしく電車は発車していてもう間もなく俺が降りる駅に到着するようだった。俺の心の信号もすっかり青に変わっていたので俺は微かに『Singin' in the Rain』の冒頭部分を鼻唄で歌いながら電車から降りて思わず駆けだした。
帰りのJRの電車に揺られながら俺は苛立ちながら強くそう思っていた。
俺が苛立っていたのにはいくつかの理由があった。
まず一つに車内が非常に混んでいたからだ。たまに仕事が早く片付いて家路につけた午後6時過ぎのJRの車内、その車内が明らかに乗車率100パーセントを余裕で超えるレベルで混んでいて車体が少し揺れるたびに前後左右の人と接触することに苛立っていた。
次に俺の苛立ちを誘発したものは俺の右隣で吊り革に捕まっている女子高生だ。ほんの数分前に大きめに車内が揺れた際、俺は彼女に靴を踏まれたのだ。ローファーの踵で割とガッツリと革靴のつま先部分を踏まれたのだ。踏まれた部分にうっすらとローファーのソールの模様がつくぐらいの強度で踏まれたのだ。痛かった。
だが痛かったがその踏まれたこと自体に対して俺は苛ついているわけではない。そりゃ電車が揺れれば靴を踏まれることもあるだろう。ただ、問題なのはその女子校生が俺を踏んだ後に一言も謝りもしないことに俺はイライラしているのだ。まったくこちらのほうを見る訳でもなく踏んだ前も後も変わらずにズーッと気怠そうにスマホの画面を見ている。TikTok見てる場合じゃねぇだろ!
ということで俺の苛立ちは増幅されていた。
最後に俺のイライラを加速させているのは俺の捕まっている吊り革の正面に座っている50代くらいの夫婦だ。この2人が「この電車に乗ったのがいつ以来か」という世界一どうでもいい話を大声でずっとしているのだ。「ほら去年乗ったじゃない」「違う違う去年乗ったのは近鉄線だろ」「あら本当?じゃあいつ以来かしら?」「2年ぶりじゃないか?」「あら、でも前回乗った時はまだコロナじゃなかったわ」「じゃあ3年ぶりかな?」
…どうでもいいわその話!家でしろ家で!
ということで俺の苛立ちはピークに達しつつあった。
そして今である。駅に停車した電車が一向に動く気配がない。明らかにいつもより長い停車時間。一体何なんだ。またピリピリしていると「ただいま停車信号が赤になっているので青に変わったら電車出発します」のアナウンス。後1駅なのに。俺の苛立ちは限界を超えそうになった。
そこで俺は小さく深呼吸をして眼を閉じた。
ここは彼の力を借りよう。
☂
『雨に唄えば』という映画がある。1952年に公開された映画史に残るミュージカル映画の傑作だ。
俺の父親は無類の映画好きなので新旧問わず多くの映画のDVDを収集していたので学生時代のヒマな時に時間があれば勝手にそれらを借りて鑑賞していた。自宅にTSUTAYAがあるようなものだった。そんな時に『雨に唄えば』に出会ったのだ。そしてそれは俺の一番大好きな映画になった。
その作中で主演のジーン・ケリーが大雨の中傘を差さずに『Singin' in the Rain』を歌いながらダンスをするシーンがある。俺はそのシーンがたまらなく好きなのだ。
だから俺は心が荒んだ時、例えば今みたいな時は静かに眼を閉じて頭の中にジーン・ケリーを召喚して『Singin' in the Rain』を歌って踊ってもらうことにしている。そうすると心は安らぎを取り戻しさらに前向きな気分になれるのだ。
隣の女子高生のイヤホンからもれるTikTokのBGMや「近鉄線に乗った時はどこにいったのかしら?」という雑音に邪魔されながらも俺は今日も無事に『Singin' in the Rain』を奏でる事ができて差していた傘を閉じたジーン・ケリーが軽快なダンスを見せてくれた。
いや、本当に『雨に唄えば』は良い映画だ。何回見ても飽きないしいつ見ても楽しい気分になる。今思い浮かべている『Singin' in the Rain』に乗せてジーン・ケリーが踊るシーンだけでなく共演のドナルド・オコナーが『奴らを笑わせろ』を歌いながら踊るシーンなどどこを切り取っても名シーンの連続だ。
いやぁ『雨に唄えば』は良い!
…そんなことを考えていたら気付いたら発車信号も青に変わったらしく電車は発車していてもう間もなく俺が降りる駅に到着するようだった。俺の心の信号もすっかり青に変わっていたので俺は微かに『Singin' in the Rain』の冒頭部分を鼻唄で歌いながら電車から降りて思わず駆けだした。