第1話

文字数 1,848文字

どんなにレシピを訊いてその通りに作ってみても一美さんが作る味にならないので、なんか怪しい粉とか、外国の、私達が知らない食材を入れているのではないかと、キッチンでじっくり調理の様子を眺めてみたけど、もちろんそんな素振りはない。

  「ねえ、一美さんの言った通りに作ってもその味にならないのよ。なんか隠し味とかあるんじゃないの」
 「え、そんなのないですよ。こんな簡単なお料理、誰が作っても同じですって」

 ママ友が定期的に、週に一回それぞれの家に集まってランチをするようになって、なんて面倒なんだろうと初めはうんざりしてたけど、一美さんが作る料理が余りにおいしいのでそれはそれで楽しみになってしまい、二ヶ月に一度ほど回ってくる私の番のときも一美さんのように作ってみたいと頑張るけど、なかなかその味にはならない。もちろん大勢で食べる雰囲気や環境が味覚に影響しているのもあるんだろうけどそれでも何かが少し違うのは不思議でならない。

 秋になり、昼から鍋もいいですよと振る舞ってくれた一美さんの鍋がこれまた絶品で、私は何回もお代わりをしてしまい、旦那には悪いと思いながらこっそり飲んでいたビールの罪悪感も吹き飛んでしまう。

  「あそこのあれがうまいこれがうまいって、自称グルメの旦那をなんとか唸らせてみたいのよねえ。もちろん私の料理をおいしいってたべてくれるけど、なんとかギャフンと言わせたくてね……」

 そうぼやいたところで一美さんは笑うだけだった。私はいつも通り隣で調理している一美さんを眺める。鰹節と昆布から出汁をとって、旬の野菜を入れて、鶏団子だったり、豚バラだったり、白身魚を入れて煮るだけ。使っているポン酢もゆず胡椒も同じ。どこがどう違うのかと、家に帰り、同じ手順で作っても何かが違う。
 だったらお鍋を少しタッパーにお裾分けして貰って、あたかも私が作ったかのように夕ご飯で出してみようかと、そんな馬鹿なことを考えたこともあったけど、一美さんのお鍋が残ることはなく、〆の雑炊で最後まで綺麗さっぱり平らげてしまうので叶わない。
 一美さんは五年程前に離婚したらしくシングルマザーで、それ以来子供のためにしか料理をしていないと言っていた。物静かで人見知りがちな彼女はママ友の中でも目立つほうではないし、誰かと特に親しいというわけではないけれど、その料理の腕前で皆からは尊敬されていた。

 そんな矢先に一美さんちのレオ君がウチに遊びに来て、一緒に夕飯を食べることになったので試しに一美さんを真似て鳥鍋を作ってみた。

 「どうどう、ねえ、ママと同じ味?」

 オレンジジュースで乾杯してから、そう訊ねる私をレオ君はじっと見つめ、ううん、ちょっと違う、でも凄く美味しいと申し訳なさそうな顔をするので、ああ、私はこんな小さな子にまで気を使わせてしまって何をしてるんだろうと軽い自己嫌悪に陥る。
 レオ君はニコニコしながらも、ゆっくりと静かに、一粒のご飯も残さず食べていた。ペチャペチャと、全ての皿に少しずつ食べ物が残っていたのは私と旦那とユウタだった。私は小さな男の子を前にただひたすら恥ずかしくなっていた。

 玄関先で、ご飯ご馳走様でした、お邪魔しましたと礼儀正しく頭を下げるレオ君を見て、ほら、あんたもこうやってレオ君を見習いなさいとウチのユウタの頭を小突くけど、はたしてそれは自分に対してだった。
 シングルマザーの一美さんは究極的には一人息子のレオ君のため、ただこの子のためだけに料理を作っていた。それは火を見るまでもなく明らかで、私なんかのようにただ「その味を再現したい」、「旦那をギャフンと言わせたい」、「褒められたい」という邪心からではなかった。綺麗事抜きで母子家庭であれば食事は切実なはずで、それは命を繋ぐものだった。おいしさを競うゲームでもなければ、虚栄心を満たす自己満足の道具でもなかった。命によって命を繋ぐ神聖な行為だった。どんなに同じ材料で同じ手順で作ったとしても料理は決して同じ味なんかにならない。お鍋なんか簡単で誰が作っても同じだろうと、作り手のそうした態度が相手に、つまりはそれを食べる者に伝わっているのかもしれなかった。

 明日から私は「誰かのため」に作ろうと決心していた。ユウタや旦那に一目置かれたいからでも褒められたいからでもなく、あなたのため、あなた達のために作っていると、そう念じながら作ってみようと、私は、そんな当たり前のことを教えてくれた小さな男の子に、いつかまた乾杯しようねと手を振った。
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