第1話

文字数 114,546文字

目次

序章 管理組合組合員
1章 大規模修繕
2章 キャナルホーム豊洲
3章 SDGs
4章 東京プライムハウス
5章 一級建築士でマンション管理士
6章 豊洲パークホーム
終章 管理組合理事長

序章 管理組合組合員

修積金、業界内ではそう言われる。マンション修繕積立金、マンションを修繕するためにマンションの住戸の所有者組合員が毎月積み立てている金だ。
日常の小さな修繕工事は管理費を使用する場合が多いので実質、大規模修繕工事の為に蓄える金だ。
人間とはなんと愚かなものか、スーパーでの買い物では値札を診て一円でも安いものを買うことに、ポイ活とか言って一ポイント一円のポイントを貯めるのには必死になるのに、砂糖に群がる蟻の如き輩に毎月毎月何年も何年もかけて蓄えた修繕積立金から巨額が搾取されているということには関心が無い。

【区分所有法第三条(抜粋)】区分所有者は、全員で、建物並びにその敷地及び付属施設の管理を行うための団体を構成し、この法律の定めのよるところにより集会を開き、規約を定めることができる。

東京都江東区豊洲、空より見た形はドライヤーのようだ。本体ヘッドの部分は、昭和初期に埋め立てられて戦争の影響で中止になったが一九四〇年にアジア初の東京万博が開催予定だった。昭和の終わる頃までは、造船所や工場、木造平屋の社宅が立ち並んでいた。持ち手ハンドルの部分は戦後に復興の為に埋め立てられ、石炭の貯蔵地や発電所、ガス工場だった土地だ。
戦争による中止が決まる以前に東京万博のチケットは販売されていて、そのチケットで一九七〇年の大阪万博や一九七五年の沖縄海洋博に入場できたそうだ。
ここ三十年で劇的に変化して、人口も十年前の二倍に膨れ上がった。行政は急激に人口が増えることで学校が不足することを懸念してマンション業者に圧力をかけたりした。それでも造られたマンションの小学生は遠くの学校までバスで通わされたりしたこともあったらしい。
今は、湾岸エリアと呼ばれるようになり、雨や曇りの低い雲がかかると上部は雲の中に消える高さ百五〇メートル超えの超高層タワーマンションも多数立ち並ぶ。オフィスビルも多数建ち、映画館やキッゾニアなどが入る大型のショッピングパークにホテル、ホームセンター、保育園から大学までの学校に六丁目には築地より移転してきた魚市場や劇場までもある便利な街となっている。
マンションの中には、一フロア二〇戸、五〇階建て、一棟で一〇〇〇戸、コンビニや病院やクリーニング屋などを併設して、地方であればちょっとした町の概要のマンションも多数だ。

豊洲四丁目に二〇〇五年に竣工した東京プライムハウス、二〇〇六年に竣工したキャナルホーム豊洲、二〇〇七年に竣工した豊洲パークホームこの三つのマンションの竣工時期が近いこと、元施工が長谷山工務店で同じだということで、「管理組合運営等マンション運営上の悩みを共有して協力しあって、お互いより良いマンションにして行きましょう」という趣旨で各マンションの理事や委員が数名、毎月第一日曜日の十時より二時間程度「豊洲四丁目マンション連絡会」を会場は各マンション輪番で開催している。

テレビのスピーカーから映画ゴッドファーザーでも流れていたフランク・シナトラのクリスマスソングが流れている。フランク・シナトラもゴッドファーザーのコルレオーネファミリーも映っている主人公リップもイタリア系アメリカ人だ。雪の降るクリスマスの夜、ターコイズグリーンのキャデラックがニューヨークに帰り着いて、ドクター・シャーリーに手紙のお礼を言うドロレスの笑顔でハッピーエンド。
二〇一九年一月末、豊洲四丁目の東京プライムハウスの組合員で居住している藤堂吉継は、最近では最も好きで録画しておいた映画『グリーンブック』を観て一級建築士合格で自分へのご褒美として買ったケネディを大統領にした椅子として有名なハンス・ジェイ。ワグナーのザチェアから腰を上げて犬のアラシと散歩するのに犬用リードをバッグから出した。
子供の頃から藤堂は映画が大好きだ。まだテレビゲームがこの世になく、プラモデルや銀玉鉄砲が主たるおもちゃで、映画も西部劇や戦争映画が多くあって父親に連れられて映画館に観に行くのが楽しみだったのがいまだに続いている。思春期の頃は街を歩くたびに
「憧れの俳優に、偶然、奇跡のように出会いはしないか」と無意味な期待を膨らませていたが、それがいつの間にか「あの映画のあの人に似ているな」と目にする誰も彼もを記憶の中の俳優と照合する癖に代わってしまった。
藤堂は十日で五七歳になった。十五日で八歳になったトイプードルのアラシを連れて自宅マンションの裏のキャナルウォークと呼ばれる赤とベージュのインターロッキングブロックが敷き詰められた運河沿いの歩道を散歩しに出てきた。晴れて日差しが心地よい。この陽気のせいか愛犬を連れた多くの人が気持ちよさそうに散歩している。桜並木の桜も「開花したい」と言いたげに感じる陽気だ。女性が連れている犬が寄って来た。アラシが気になってのことだろう。
藤堂は人には好かれないが、犬には好かれるタイプだ。アラシを連れていないで一人で歩いているときでも、尻尾を振って犬が寄ってくることがある。人に好かれない理由を藤堂は分かっていた。
寄って来た犬はアラシと同じトイプードルで色はアプリコットだ。若いときのアラシはレッドで濃い茶色だったが、歳をとって色が薄くなってアプリコットになった。藤堂のアタマも、色も量も薄くなってきた。妻に教えてもらって市販の白髪染めで染めているし、禿げ防止のジェネリック薬品を三年程前より服用している。アタマを気にして初めて病院に行ったときは、アタマの地肌にカメラを押し当てられながらモニターを見せられて『ナースのお仕事』の松下由樹似の看護師に、「大丈夫です。これだけ残っている藤堂さんなら必ず生えます。注射と塗り薬と飲み薬のセットで年間一二〇万円です」と言い寄られたが、「申し訳ない、決めたいのは山々なんですが、ここでこれを決めると家に入れてもらえない」と断って飲み薬だけにしてもらった。
女性の連れたトイプードルはアラシより一回り小さく三キロ程度か、アラシも紺に赤のラインが入ったニットの服を着ているが、女性が連れた犬の服は黒のダウンだ、モンクロールのロゴが付いている。
港区白金のお洒落な女性はシロカネーゼと言うそうだが、運河沿いのお洒落な女性はキャナラーと呼ぶらしい、まさにキャナラーだ。犬も連れている女性も。
 藤堂が持つ散歩用バッグに付けた登録証入りホルダーを見た女性が言った。
「あら、同じマンションなんですね」
「はい、プライムです」
「お名前は?」
「名前はアラシで八歳です」
「アラシ君こんにちは、この子はイブで三歳です。クリスマスイブに生まれたんでイブなんです」
「そうなんですね」
「アラシ君、器量良しね」イブちゃんママがアラシに向かって言う。
「いやいや、イブちゃんこそカワイ子ちゃんですね、服もお洒落だし」
「アラシ君のお父さん、ウチのマンションのペットの費用、高すぎると思いません?」
「妻も、そう言ってます」
「何処のマンションでもこんな感じなんでしょうかね」
「私、輪番でペット委員に当たっちゃいまして今週の日曜日がペット委員会で来週の日曜日が豊洲四丁目マンション連絡会と言ってキャナルホーム豊洲と豊洲パークホームの方に話を聞くことができますから、他のマンションがどんな感じか聞いてみますね」
「そうなんですね、宜しくお願いします。アラシ君またねー」
イブちゃんとイブちゃんママは、散歩に行ってきたところだったのかマンションの方に向かって歩いて行った。
「イブちゃんママ、今も綺麗だが若い頃は『映画クロコダイルダンディー』にヒロイン役で出演していたリンダ・コワルスキーに似ていたんだろうな」と藤堂は思った。
 同じマンションに住んでいてもお互いに名前を知っている訳ではない。犬の散歩で顔を知っている場合はイブちゃんママだったりする。藤堂はアラシ君のお父さんだ。

一週間後、初めて出席した自宅マンションのペット委員会で詳細を確認した。ペットを飼うと登録費で五千円、月会費が犬は六百円、猫は三百円。ペットを飼っていると申告している住戸が六八戸、蓄えている金額が二二八万円、月々会費が年間で四八万円。予算の内訳はペットの食料備蓄十万円、消臭消毒剤購入費二万円、業務委託費三六万円。昨年は予算が余ったからと一年分の月会費を全額返還している。藤堂も登録料と月会費は銀行口座振替で気にかけずに支払ってきていたのだ。改めて、「こういうことだったのか」と気づかされた。昨年、月会費が返還されていたということも、家に帰って通帳を見て、「あら、本当!」、という感じだった。スーパーの買い物では値札をしっかり確認するのに。
ペットライフサポートという会社のマンション管理士が、顧問としてペット委員会に入り込んでいる。ペット委員会の開催は二ヶ月に一度、三十分程度の開催で委員会の内容は大したことない。業務委託費は毎月三万円。一回にすると六万円、時給に換算すると十二万円を顧問料として支払っている。
備蓄しているペットフードにしても犬用も猫用も昭和の頃に流行ったようなウェットタイプの缶詰だけだ。アラシは子供二人が結婚して出て行った今、ほんとうの家族の一員として一緒に寝起きしてドッグフードもグルテンフリーでドライタイプのシニア犬用でけっこうな金額のものを食べさせて、我が子のように大事に飼われている。藤堂の床屋は月に一度二千円なのに対して、アラシは二ヶ月に一度だが八千円だ!、 藤堂の上を行っている。アラシは熊本時代、配布された地域振興券で九万円で買った地域振興犬だ。  
先日豊洲のショッピングパークの中のペットショップで見た犬は四十万円代のシュナウザーや柴犬などがいたが、中にはプレミアム・ティーカップ・プードル百二十万円という信じられないような金額の犬までいた。散歩で合うマンション内のペット達もお洒落な服にカッコいいリードとアラシよりも大事に飼われている感じだ。このまま今のようなペットフードの備蓄が必要なのか疑問だ。  
藤堂が以前修繕委員会で一緒だったミックスの保護犬を飼っている佐野さんに、備蓄されているペットフードについて尋ねたときは、「ウチの子アレルギー体質で何でもは食べさせられないので、賞味期限前に配布されるときも断っているんです」との回答だった。藤堂の住戸の玄関前にも賞味期限少し前に袋に入れられたペットフードが配布されたが、押入に入ったままでこのままだと結局廃棄される運命だ。
それに総戸数五一三戸で、ペットを飼っていると正直に申告して登録している戸数が六八戸というのは少なすぎる。登録した住戸には、玄関に貼る登録済みのステッカーと散歩のときに解るようにバッグに取り付ける登録証入りホルダーが与えられるのだが、バッグにホルダーを付けていない飼い主も多い。
マンション販売時に売主が作ったペットに関する管理規約と使用細則が変わらないままに運用されている。管理会社に経緯を確認すると、ペットライフサポートのマンション管理士が売主に取り入って竣工時より入り込んでいるというのが事実のようだ。

マンション管理士とは二〇〇〇年にマンション管理適正化法が施行されたのに伴ってできた国家資格で、人生でめったに行うことのないマンションの理事など管理組合をサポートするべく設置された資格で合格率も八パーセントとけっして易しくはないのだが、マンション管理士となっても組合からの引き合いはほとんどない。
司法書士、弁護士、会計士、税理士などと兼業している者がほとんどで日本全国でもマンション管理士だけを生業としているのは数人だ、それも管理会社や設計事務所やマンション建替え業者などと結託したりしている場合が多い。
【マンション管理適正化法 第四〇条】を厳守していても、マンション管理士だけでは生きていけない。
ペットライフサポートのマンション管理士もそういった類なのだろう。
藤堂のマンション、現在のままではたいして役に立っていないペットライフサポートに顧問料を支払う為に登録料や月会費を支払っているようなものだ。藤堂は、「これは早く改善したほうが良いな」と思った。

一週間後、東京プライムハウスで豊洲四丁目マンション連絡会が開催された。
東京プライムハウスからは理事長一名と副理事長一名それに藤堂の三名が参加していた。キャナルホーム豊洲からも三名、豊洲パークホームからも三名が参加して九名での開催だった。
開催マンションの東京プライムハウス理事長より近況報告がなされた後、藤堂が東京プライムハウスのペットに関する状況を説明してそれぞれのマンションのペットに関する状況を尋ねた。
キャナルホーム豊洲からは登録料は無し、竣工時は犬、猫、一律に五百円であった月会費を十年程前に百円とした。大規模修繕工事については今年の二〇一九年が準備期間、工事は二〇二〇年に一年間工事を予定している。と報告がなされた。
豊洲パークホームからはペット飼育申告制度が無く、登録料、月会費無し、ペット委員会も無いとのことだった。大規模修繕工事については二〇二一年が準備期間、工事は二〇二二年に予定との報告がなされた。
十時に始まった藤堂が初参加した豊洲四丁目マンション連絡会は十二時少し前に次回の開催を確認して閉会した。
一週間後、藤堂の要請で東京プライムハウスの臨時ペット委員会が開催された。
輪番が回って来てペット委員になった人ばかりだ。顧問契約、登録料や月会費がどういうルールなのか、変えることができるのか等々を知らない。藤堂が管理会社に確認したこと、豊洲四丁目マンション連絡会で確認したことを報告して、ペット委員会の決議で全てを変えることができることを説明すると参加者全員が納得してペットライフサポートとの顧問契約の解消、月会費の廃止、登録料の継続、未加入者への登録料五千円の徴収の徹底が議論されて承認された。
翌日、臨時ペット委員会の議事録がマンション内の三カ所の掲示板に貼りだされた。

一週間後、藤堂とアラシは運河沿いの歩道を散歩していた。イブちゃんとイブちゃんママが寄って来た。
「掲示板! 見ましたよ。ペットのルール変わりますね」とイブちゃんママが言った。
「豊洲四丁目連絡会に出てキャナルホーム豊洲と豊洲パークホームの現状も確認できて、『変えた方が良いな』と思ったんで、ペット委員会で『変えましょうよ』と言って変えたんです」
「良かったわぁ。だいぶ前から『金額が高すぎる』との声が出ていたらしいんですけど、サポートされている会社の方が『一度下げたり無くしたりすると戻すのが大変だから』と言ってなかなか出来なかったらしいんですよ」
「調べたら竣工時の管理会社の担当とマンション管理士が結託してペット委員会に必要無いマンション管理士を無理やり顧問契約したのがそのままになっていた様子だったので、早めに契約解除をした方がいいと思ったんです」
「そうだったんですね。ワンちゃん友達のみんなが『良かった!』て言ってますよ」
「それは良かったです。そう言って頂けるとペット委員会の頑張りがいがあります」
犬のアラシとイブちゃんはじゃれあっていた。
「それでは失礼します」。イブちゃんママとイブちゃんのペアは散歩に出て来たところだったのかマンションから離れて行くようにキャナルウォークを歩いて行った。

第一章 大規模修繕

 【区分所有法第一条(抜粋)】一棟の建物に構造上区分された数個の部分で独立して住居があるときは、この法律の定めるところにより、それぞれ所有権の目的とすることができる。

「御社で公募したマンションの施工会社は、どこの施工会社で決まったのか報告してもらえませんか」
土建業の業界新聞、建設情報新聞社の甘利が東京中央区日本橋の設計事務所TGSの社長大盛に詰め寄る勢いで話す。
マンション大規模修繕工事の施工会社を募るのに建設情報新聞の民間事業の公募欄が使われていて、談合の温床になっていることが問題視されていた。建設情報新聞社が公募の掲載を依頼する設計事務所に対して、公募で掲載された工事で談合が行われて、しめし合わせた数社の施工会社のみが受注していることがないのかを確かめるべく尋ねている。
「個人情報に関することになりますので……。できる限り協力します」一切協力する気がない、大盛が答えた。
「検討中ですが今後、公募を掲載する場合は、施工会社がどこで決定したかを報告して頂くことが条件になると思っていてください」と甘利は怒った口調で言って、黒いコルビジェのソファーLC‐2もどきの黒いジェネリック椅子から腰を上げて事務所を出ていった。

マンションにはオーナーの所有物の専有部とそれ以外の共用部がある。住戸の内装は専有部、所有者が修繕する範囲。専有部以外の躯体、屋上、バルコニー、廊下、エントランス、外構、窓枠、窓ガラス等が共用部だ。
マンション大規模修繕工事、十数年に一度マンションは建物全体に足場を掛けて共用部の修繕工事を行うことが多い。塗装やシール打替え、外壁補修などだ。また竣工より高経年したマンションだと給排水設備などの共用部で劣化したものも修繕を行う。
市場規模は一兆円程度と言われている。日本全体でマンションは約七〇〇万戸。建設省の調査による一住戸あたりの月当たり修繕積立金は平均一万二三四円、年間の修繕積立金は一住戸あたり一二万二八〇八円となる。七〇〇万戸が年間一二万二八〇八円を蓄えている訳だからおおよそ一兆円だ。日本の酒税が年間で一兆三千万円だと考えるといかに大きな市場かが分かる。
その一兆円市場に魑魅魍魎が住み着き、虎視眈々と大規模修繕工事を行うマンションに狙いを定めている。
二年程前に国民放送の平日の夜三十分、時事問題を取り上げる番組のクローズアップジャパンが、新聞の東経新聞、日本日々新聞がマンション大規模修繕工事の不正、悪徳設計事務所問題を取り上げた。マンション管理組合の味方を装って表向きは公明正大、裏では巧妙に仕組んだ談合を行い組合員が毎月毎月蓄えた修繕積立金から巨額を搾取していることが問題と放送、掲載された。
ビジネス週刊誌の週刊日本経済や週刊ゴールドなども時々マンションを取り上げて悪徳設計事務所に触れたりはしているものの、いっこうに不正が衰える気配は無く、はびこるばかりだ。

一九四五年に戦争が終わり一九六〇頃までは復興の時代だった。一九六〇年頃より造られ始めたのが共同住宅、マンションだ。
国は、慌てて一九六二年にマンションの法律、区分所有法を施行した。その頃から一九八〇年頃までは高度経済成長期の真っ只中、「造れ造れ、どんどん造れ」で修繕などは考えていなっかった時代だ。
一九八〇年頃から二〇〇〇年頃までは管理費と修繕積立金の管理等の事務管理、清掃管理、建物管理等を一手に担うマンション管理会社が理事となった素人相手に「雨漏れして住人に損害が出たら理事の責任になりますよ」、くらいのことを言ったりしながらやりたいように大規模修繕を行っていた。
二〇〇〇年頃に管理会社の下請けとして仕事をしていた施工会社が、「美味しいところは管理会社に持っていかれて、厳しい金額で仕事をするのではなく、なんとか元請けとしてマンション管理組合から大規模修繕工事を直接受注できないものか」と考え出したのが、設計監理方式と言われているものだ。
そもそもマンション大規模修繕に建築士は必要無い。建築士法で少数の人命に関わる二階建ての戸建て住宅程度の建物は、二級建築士以上でないと設計監理できない。多数の人命に関わる大きな建物マンション、オフィスビル、劇場やスタジアムなどの建物は一級建築士でないと設計監理が出来ない。
一方で、塗替え工事、貼替え工事で人命が関わらない大規模修繕工事に建築士は不要だ。
施工会社に「マンションで大規模修繕を検討中なので、見積り、仕事をお願いできますか」と問合せして「設計図が無いとできません」、「設計監理が必要です」などという会社は無い。「喜んで伺わせて頂きます」という会社ばかりだ。施工会社のホームページには「見積り無料!」、とはあるが「設計監理が必要です」というのは無い。逆に「結託していない設計事務所が入るとバックマージンを要求されたり、拒否するとイジメられたりするから邪魔」という会社ばかりだ。
「大規模修繕は『計画修繕』に、設計監理方式は『コンサルティング方式』に名称を変えるべきだ」。以前よりそう言った声があったが大規模修繕工事業界からの献金がそうはさせないのかもしれない。

マンションには長期修繕計画といって、向こう三十年の修繕の計画が立てられている。三十年で一戸当たり総修繕費用五五〇万円が必要になるというデータもある。各マンションでこの時期にはココが悪くなるのでいくら、この時期にはアソコが悪くなるからいくら三十年での総工事金額がいくらという訳だ。その三十年で行う修繕にかかる総工事金額を三十年、十二ヶ月、住戸数、住戸の大きさ、で割り戻したものが各住戸が毎月支払う修繕積立金という訳だ。
戸建て住宅が十数年に一度、雨風や紫外線で色あせたところを塗り直す工事のマンションバージョンが大規模修繕工事だ。塗替え貼替えの工事でだいたいどこが悪くなるかは想定済みだ。
真の大規模修繕工事のコンサルティングは、管理組合が行う施工会社の選定に寄り添って見積りを出してきた会社の内容と金額を診てアドバイスを行う。本来、設計監理など存在しないから。
施主が一人の場合と違って、マンションでは多くの人々が住み、様々な意見がある特殊性を理解して進めていかないとトラブルが発生する。国は、マンション管理士に大規模修繕工事のコンサルティングも任せたかったようだが弁護士、司法書士、会計士、税理士など文系と言われるマンション管理士が多数派の業界が「大規模修繕には触れたくない。建築士に任せたい」というスタンスをとってしまっているのが大きな問題だ。
一般的に建築士という資格、二級建築士と一級建築士があることは知られているが、マンション管理士なる資格はほとんど知られていない。
以前ビジネス週刊誌で「使える資格と使えない資格」の特集があった。使える資格の一位は一級建築士、特に一級建築士を取得し三年を経過し監理建築士の講習を受け、事務所を統括する監理建築士となれる一級建築士は使える。逆にマンション管理士は使えない資格の最たるものだった。
マンション管理組合側からも管理会社がマンション管理士を紹介しないと存在さえ知らずにスルーだ。紹介しても「マンション管理士? 何それ」理解しても「大規模修繕のときにマンション管理士とは別に設計事務所を入れないといけないのであればマンション管理士を入れる意味が無い」と国の当初の思惑とは違う方向に進んでしまっている。
マンションにせっかく顧問として招へいしてもらっていながら「大規模修繕工事のコンサルタントには設計事務所を入れましょう」などとバカなことを言うマンション管理士が殆どだ。マンションサポートセンターなる国の出先機関で、マンンション管理士試験を取り仕切る機関でさえ、そういう感じのスタンスだ。藤堂から言わせると、まったくもって愚の骨頂だ。そういうスタンスがマンションの組合員を危険にさらしていることを分かっていない。
悪徳設計事務所を排除するには大規模修繕工事という名称を計画修繕工事に、設計監理方式をコンサルティング方式に変える必要がある。素人には区別がつかないから。
マンションの大規模修繕に建築士は不要だが建築基準法の「大規模の修繕」、構造物の主要構造部の過半の修繕、柱、梁、床、階段の架け替えなど、人命に関わるような工事には建築士が必要なのだ。
設計監理方式、「一級建築士事務所が建物を調査して、修繕するための改修設計を行い、施工会社選定を補助して、工事監理まで行いますから安心です」と言うと、ほとんどの理事がそうだが、輪番で仕方なく理事となった素人には「良く分からないが、それなら良さそうだ。管理会社にお任せでは少々心配、管理会社に頼むと組合員に『管理会社以外は検討したのか!』、とクレームを言われそうだが『設計監理方式で行います』、と言えば組合員にも説明がつく。役員だけで進めて『意中の施工会社と繫がっているのでは?』、など疑われるのもイヤだし設計監理方式とやらで設計事務所を入れた方が良いか」、という訳だ。
さらに「設計事務所を選ぶなら大きなところを選ばないといけないな、組合員に何か言われるのも嫌だし」と「歴史があって実績が多い会社を選ぼう」と進めてしまうのだが、それが思いとは裏腹に、飛んで火にいる夏の虫だ。歴史があって実績多数の大きな設計事務所こそ二〇〇〇年頃より施工会社と結託して実態の無い設計監理方式でガッポリ稼いで大きくなった設計事務所だからだ。
一旦契約してしまうと後で、「あれ? 少しおかしいぞ」となっても選んだ自分達を否定してしまうことになるので変更や契約解除などまず出来ない。
一旦契約してしまうと裁判にもできない。組合で裁判を起こすには総会での特別決議が必要だが、裁判費用や勝てる可能性、勝っていくら金が戻ってくるのかを考えた場合総会で可決とはならない。  
勝てる可能性が低いのだ、談合の状況証拠しかまず出ない。以前設計事務所が、談合メンバー用に作成した資料を間違って修繕委員全員宛にメールしてしまい、その設計事務所がマンション管理組合から訴追されたことがあったが、そういう間違いがない限りまず証拠が出ないから立証できない。
テレビで見るような東京地検特捜部捜査一課の大勢が段ボール箱を手に捜査に入って行く国会議員がらみの数千億円の工事の官製談合を捜査するのとは違う。情報提供者が出ないのもゼネコンの談合と違う点だ、他社が指名停止をくらったスキに仕事を受注するようなことがある場合はそれを狙っての情報提供がなされるが、大規模修繕工事の場合は無い。
ある会社が、国税局の査察で設計事務所に支払ったバックマージンを使途不明金扱いで追徴課税となったケースはあったが、ゼネコン汚職と違い設計事務所へのバックマージンをマネーロンダリングしたりして特別に工夫して隠すような必要も無い。悪徳設計事務所会の雄TGSのメインバンクの四井住村銀行にしてもどういう金か判っていて見過ごしている状況だ。公共事業の数千億という工事では無く施工会社にとって数億円が手形でサイト何日とかでなく、貯めてあるキャッシュが支払ってもらえる隙間を狙った美味しい仕事だ。
ゼネコンの談合と違って施工会社どうしが話し合って談合を進めるのと違いマンション管理組合を騙しているのは悪徳設計事務所だというところが大きく違う。
中身は巧妙に、しかもオレオレ詐欺などとは、比べ物にならない程、大がかりに仕組まれる詐欺だ。
中身はまず「マンションの何処が悪くなっているかを調査します」との名目で大勢でマンションを見て回ったり機械を用いて調査を行ったりするのだが「ちゃんとやってます感」を出すためのもので実際は使用する建材メーカーが現地を見て数量を算出するためのものだ。
調査報告書を見る素人に今でいう「映える」ように行っているものだ。実際にはさほど修繕に影響があるものではない。それにたとえさほど悪くなっていなくても「悪くなっています。修繕が必要です」との報告書しか作らない。
そうでないと仕事に繋がらないから。以前白蟻駆除の会社が、実際にはいない白蟻をポケットに忍ばせて床下に入って、さもいたかの如くポケットから客の前で出してみせて不安を煽って営業していたのに近いやり方だ。
そして次に行うのが改修設計といって「修繕すると概ねこの金額になります」と工事予算金額を算出するのだがこれがミソで組合に提出される金額は、各メーカーが余裕を持って算出した金額を施工会社に提出して、チャンピオンと呼ばれる工事を行う施工会社が余裕の利益を入れた金額の上に、設計事務所や場合によっては管理会社や協力してもらう組合員らに渡すバックマージンを乗せた上に、さらに一〇パーセント程度を上乗せした金額を組合に提出して、「設計金額ですから若干余裕をみて高めに算出しています。各社に見積りを提出してもらうと数パーセントは安くなります」という訳だ。
そしてその次が施工会社の選定だ、「不正がないように公募を行います」と業界新聞に公募を出して応募を募るのだが、実際は受注するチャンピオンの会社が談合チームのメンバーに話をつけて十数社コントロールできる会社に応募させる。イレギュラーで談合チーム以外が応募してきた場合にも対応できるように細かい条件や資本金の額や工事実績や現場代理人の資格や直近の赤字等々を付けて公募を行う。全てチャンピオンに落とし込むためのものだ。
そして、さも公正に選定を進めたように見せかけて一次審査の書類審査では、あらかじめ落ちてもらう会社にわざと条件に満たないような書類を提出してもらい落ちてもらう。
二次審査の見積り比較でも全ての会社の見積りをチャンピオンの会社が作成して最終審査に残る会社は初めから決めている。
最終選考のヒアリングでも協力してもらう会社には組合からの宿題を忘れてもらうなどの茶番劇を演じさせて出来レースのプレゼンを行ってチャンピオンに受注させる仕組みだ。
設計監理の監理も、新築のように図面の通りに造るのが難しい場合は皿監と呼ばれる監理が必要だが図面を必要としない大規模修繕に監理は無いので竹管と言われる管理の安全管理、品質管理、工程管理を行って監理を行っているふりをしているだけだ。
プロが見るとチャンチャラ可笑しいのだが素人に詐欺を見抜くのは非常に難しい。人生で一度あるかないかないときが殆どの機会だから。
たいていの場合大団円で満足で終わるから始末が悪い。実際には巨額が搾取されているのに。

沖縄のシンボル首里城が全焼した。配電盤からの出火が原因との報道がなされていた。あれだけの建物であれば、建築、給排水設備、電気と分離発注されていたと思うので建築士の責任かどうかはわからないが電気設計に問題があったのではないか。
一九七五年の映画で『タワーリング・インフェルノ』がある。ポール・ニューマンが一三八階建ての超高層ビルの建築士役。スティーブ・マックイーンが消防士役。ビルの竣工パーティー時にビルのオーナーの義理の息子が横領する為にポール・ニューマンの設計仕様より安価な部品を使用したのが原因で配電盤から出た火がビルをのみ込む火災となってしまう。ポール・ニューマンが「俺の監理ミスだ!」、と叫ぶシーンがあるが大規模修繕工事にそういう設計監理は無い。
エンディングにスティーブ・マックイーンがポール・ニューマンに向かって言うセリフが秀逸だ。
「あまり高い建物を造らないでくれよ、俺達がしっかり消火活動ができるのはハシゴ車が届く一〇階までだ。じゅあな建築屋」
三〇メートルを超える建物は、室内の材料に不燃材の使用、消防設備もスプリンクラーや連結送水管の設置、避難階段や避難ハッチ等避難経路の設置と防火基準が大きく変わってくるのはハシゴ車が届かなくなるからだ。高層の建物を設計する場合、消防法を理解して人命を守る設計を行い、現場が設計通りに造ってあるかを監理することが必要で一級建築士でないとできない。
大規模修繕工事には二級建築士ですら不要だ。

藤堂は、今の大規模修繕工事を塗装業界が取り仕切っているのは、ユダヤ資本が生まれたのに似ていると思っている。
ユダヤ資本、世界の金融に影響を与える現代の金融システムだ。「金貸し」、昔西洋では蔑まれる仕事で誰もやる者がいないでユダヤ人が行ったものが時代が変わり銀行と名を変えて世界の金融市場に影響を与えるまでになったらしい。建築業界で昔は、大工、左官、とび、より塗装業は下に見られていたのだが時代が変わってマンション大規模修繕工事を牛耳っているのは塗装業界だ。また塗装業界子飼いの設計事務所も幅を利かせている。
マンション管理会社も今は、一目も二目も置かざるを得ないのが現状だ。管理会社も当初は、「管理会社をさておいて、施工会社が組合と直接契約など許せるものではない」というスタンスだったのだが、「直接受注して責任を負ったりするよりもバックマージンを払ってくれるのであればそれも良し、払ってくれる施工会社や設計事務所と組んで行こう」という管理会社も多数ある。
大規模修繕工事の改修設計なる疑問符が付くものを主たる業務としている設計事務所の二十数社が、「談合しないクリーンな設計事務所の協会」をうたい文句として組織しているのがMDAだ。数年前にテレビや新聞でマンション大規模修繕工事の設計事務所による詐欺が問題になった際にそれまではいがみ合っていた設計事務所どうしが、話し合って協力して行こうと声を掛け合って組織したものだ。それぞれの設計事務所は、施工会社やメーカーと結託している。中身は名義貸しのような建築士を数名置いて、実際の業務は建築士でもマンション管理士でもない施工会社のOBや施工会社やメーカーからの出向のような社員で構成されているのが現状だ。
【建築士法第二条の二】を守ろうなどという人間は皆無だ。 

そして、設計監理方式を発案して世に広めたのが、TGSの顧問でMDAの会長の岡林信彦だ。慶葉大卒でOB会の水道橋会を通じて建設省や国会議員にも太いパイプを持ち、若い頃には裏社会にもいたと噂されている。もっとも昔から裏社会と繋がりのある土建業会の中でもとりわけ強い結びつきがあると言われている塗装業界だが。
施工会社のサカキバラ勤務時代にマンション大規模修繕工事が管理会社の独壇場だったところにクサビを打込み、設計監理方式を現在のように世間に広めた張本人。
施工会社の数社に話をまとめて資金を出資させて、潰れかかっていたTGSを乗っ取って業界一の設計事務所にのし上げた。今はTGSをサカキバラ時代からの子飼いの大盛に譲り顧問として名を連ね、MDAでは会長としてハワイのホノルルに住みながらも重大な局面では業界を仕切るフィクサーだ。 
黒澤明の映画『悪い奴ほどよく眠る』で言うなら、三津田健が演じる有村公団総裁というところか、いや「何人の手下を食わせてると思ってる、この商売綺麗ごとでやっていられるか」と仰ったり、律儀に七人に銃が付いたベルトを返してやったりするところ、損得勘定だけで動く人間ばかりでないことが判らないところは映画『荒野の七人』でイーライ・ウォラックが演じた首領カブレラか。









第2章 キャナルホーム豊洲

 キャナルホーム豊洲は東京都江東区湾岸エリアと呼ばれる豊洲四丁目に建つ、大規模修繕の準備を行っている九八一戸のマンションだ。
長谷山工務店が元請けとなって竣工したマンションで東京プライムハウスの一年後に竣工した。都道三一九号豊洲と枝川を結ぶ道路を豊洲駅から枝川に向かって豊洲の出口の右手。昔は砂糖工場の工場だった土地に建っている。
大きく分けるとメインエントランスを挟んでL字型の棟と稲妻型の棟の二棟に分かれているがそれぞれエキスパンションジョイントで三棟と四棟を繋いでいる。高さは地上一八階、築一三年、主要外壁は四・五二丁タイル、カラーリングは下層をレンガ色、他全体を基本白色、バルコニー手摺などにアクセントカラーで黄色に近いベージュが入っている。
稲妻型の棟、都道よりメインエントランスに向かっての左側の棟の一階には小児科、耳鼻科、歯科、薬局が入っている。一フロア八〇台で九階建て、地下は駐輪場の自走式駐車場が別棟。
バルコニーがキャンチレバー、片持ち梁なのでバルコニーの面積が小さく隣戸との堺がアルミ製の枠にケイカル板等の窯業材で仕切られていて、隣に建つアウトフレーム工法の東京プライムハウスと比べて隣戸とのプライバシーが保ちにくい。隣の犬の鳴き声がよく聞こえるらしい。また窓の上に梁がある為に窓の高さが高くとれないのが特徴だ。安普請という程ではないが隣の東京プライムハウスからするとランクダウンだ。
管理会社は四井不動産コミュニティ。

二〇一九年三月、藤堂が豊洲四丁目マンション連絡会に参加した一か月後。
東京都港区品川の雑居ビルの三階、設計事務所オニキス設計東京支店の応接室。
「高柳さん、それじゃ約束が違うよね!」、黒縁のメガネで七十歳程度の頭の禿げた男が声を荒らげた。キャナルホーム豊洲に住む組合員の平井だ。
「キャナルホーム豊洲の着工までの時間が長くなりすぎて経費が掛かり過ぎたんですよ、分かってもらえませんか。それにこれまで受注できると信じてウチに協力してもらっていた四葉リフォームが入れなくなるのは御存じでしょう平井さん」とオニキス設計の高柳が言う。
「だからといって私との約束を反故にすることはないだろう。どうしてもというのであれば、私にも考えがあるからな」捨て台詞のように言って平井はソファーから腰をあげて部屋を出て行った。
「支店長どうしましょう」、応接室からさらに奥の業務室の支店長席に座る野田に高柳が言った 
「本社に連絡して支持を仰ごう」、野田が言った。
オニキス設計は大阪本社の設計事務所で元は大阪の塗料メーカー大阪ペイントが、社長で一級建築士だった経営者が高齢の為に店仕舞いを模索していたのを買い取った設計事務所だ。高齢の一級建築士の社長は監理建築士としてお飾り状態にしてある。東京支店も監理建築士は名義貸しに近い状態の高齢の一級建築士を一名置いて、実務は大阪ペイントの社員と管理会社から転職して来た社員数名で構成している。
十年程前に平井は、以前勤務していたスーパーマーケットの修繕を行っていた大阪ペイントを通してオニキス設計の野田と繋がりを持っていた。
以前大阪で平井が住んでいたマンションの大規模修繕工事も、修繕委員の平井、設計事務所はオニキス設計、工事は四葉リフォームで塗料は大阪ペイントというチームを組んで談合を仕込んで修繕積立金を搾取していた。平井はそれに味を占めて自身が現在勤務する浄水器の会社の東京支店を出店するのに合わせて大規模修繕工事が行われそうな、大きなマンションを探してキャナルホーム豊洲に三年程前から居住していた。
しかしながら「豊洲四丁目マンション連絡会」で建設省のいう十二年周期での大規模修繕工事が全てのマンションにはあてはまらずに二〇〇〇年以降に造られたような新しいマンションは十二年周期にこだわることなく劣化度合をよく観察して工事を行って良いことなどが話し合われて、平井がコンサルタントにオニキス設計を落とし込んだまでは良かったが、理事会や修繕委員会をコントロールできず工事に取り掛かることができないまま三年ほどが過ぎてしまっていた。
平井はオニキス設計に工事費の三パーセントをバックマージンとして支払ってもらう約束だったのだが、予定より時間が無駄に過ぎたことでオニキス設計が値引き交渉を持ちかけてきたのだ。
 
東京都中央区の設計事務所TGSのミーティングルーム、社員四〇名程を相手に浄水器の実演販売が行われていた。
タレントのMIHOを広告塔にして、「台所の水でも水素水」というキャッチコピー。水道水と浄水器で浄水した水をそれぞれコップに注いでプチトマトを両方に入れてしばらく置くと水素水の水には、色が付いて、「どうです、これだけ浄化能力が高いんです」など説明している。かなり胡散臭い代物だ。若い販売員が「私は子供ができなくて困っていましたが、浄水器を付けて水素水を飲むようになったら子供が五人できました!」、とセールストークをのたまっている。
「きょうは、大盛社長に特別にお願いしましてこの場を設けて頂きましたので、この場で申込を頂けましたら普通はできないんですが、弊社も特別に割引させて頂きます」と常套句をキャナルホーム豊洲の組合員で浄水器の会社東京支店長の平井が言った。
説明会終了後に七人が購入申込書にサインした。

浄水器の実演販売が行われる一週間前、TGSの応接室で社長の大盛と平井が話をしていた。
「大盛さん、キャナルホーム豊洲は私が協力するので大丈夫ですよ。今度修繕委員長になりますから。ウチの浄水器の実演販売をココでやらせて頂けませんか、お願いしますよ」
「分かりました。平井さんそのかわりと言ってはなんですが、しっかりバックアップお願いしますね」
オニキス設計が思うようにならない平井はTGSを新たなパートナーとして選んだ。

国民放送の大型ドラマの主人公が、渋沢栄二ということで渋沢が関わった会社が色々とテレビや雑誌で取り上げられている。そのうちの一社が清水工務店だ。
「渋沢栄二の『道徳経済合一』とは現代のSDGsだと思います。数年前には独占禁止法違反という不祥事をおこしてしまいましたが、全社で反省しSDGsに取り組んでおります」とテレビの中の清水工務店社長の石川が話している。
「渋沢栄二は私利私欲ではなく公益を追求する『道徳』と利益を求める『経済』が事業において両立しなければならないと考えておりましたので弊社もそれに習っています」とさも言いたげだ。
数年前、リニア新幹線のトンネル工事で談合が発覚し大手四社のゼネコンが不正競争防止法違反で公正取引委員会より排除命令を下されたのに配慮しての発言もふくまれている。足元の子会社で、「SDGs? どこ吹く風」という不正が平気で多く行われているにも関わらず。

清水工務店のビル管理部門となる会社がシミズ建物ライフケアだ。清水工務店が造った建物を管理していく会社で本来マンションではなく、オフィスビルの管理を主たる業務としている。
東京中央区のシミズ建物ライフケア本社の応接室でTGSの社長大盛と役員の渋野が座ってシミズ建物ライフケアの太田を待っている。
太田が入って来た、太田もキャナルホーム豊洲の組合員で居住者だ。
「わざわざおいで頂き、ありがとうございます」と太田が言った。
大盛が会社の傍の名物、どら焼きを手渡しながら言った。
「いや、とんでもありません。こちらこそ宜しくお願いします」と返した。
「お声がけ頂きありがとうございます」と渋野が重ねた。
「いやー、大盛さん良かったですよ。気が付いたときにはオニキス設計に決まっていて困っていたんです。オニキスさんは、シミズ建物ライフケアじゃないところに工事を受注させようとしていた様子で」
「太田さんもちろん元請けは御社ですが、一次下請けは弊社に任せて頂いてよろしいでしょうか?、色々と動いてもらわないといけないもんで慣れている方が良いのと、その方が太田さんも楽かなと思いまして」と渋野が言う。
「かまいませんよ」
「ありがとうございます。太田さん、もう一人マンションにお住まいの方で味方になって頂ける方がいるので、組合の中は二人でコントロールをお願いします」と大盛が言う。
「こちらこそ、今後共宜しくお願いします」と太田が言った。

事務所を出て大盛と渋野が、昔小ベンツと呼ばれていた黒のメルセデスベンツに乗り込んだ。大盛が左腕に付けた文字盤が黒のロレックスを見る。
「今なら大丈夫か」と呟いた。
ハワイの時間を気にしてのことだ。スマホを取り出して電話を掛ける。
「岡林顧問、豊洲の九八一戸のマンションのコンサルがウチに決まりそうです。元請けはシミズ建物ライフケアなんですが一次下請けを何処にするかご指示お願いします」
電話の向こうで犬が鳴いている。豆柴を飼ったと大盛は聞いていた。
「大盛君、外装工業で行こう」
「承知しました」。大盛が返した。
 
平井が務める浄水器の会社、応接室にオニキス設計の本社の大阪から来た小泉が平井と対面していた。金のブレスレットや胸元にのぞく金のネックレスに金のロレックス、一見してカタギとは思えない。
「平井さん、これまでお互い上手くやってこれたじゃないですか。なんとか宜しくお願いしますよ。これまで動いてもらった四葉リフォームにも義理を欠くことになるんですよ」
「いやいや、約束を反故にしたのはそちらですから」
「着工が遅れた原因は組合の理由な訳ですから、組合内をコントロールできなかった平井さんにも責任あるんじゃないですか」
「……もうTGSと組むようにしたんで」
「平井さん! マンションに怪文書を撒くことだってできるんですよ」
「そうですか、小泉さん、いままで大阪で御社がやってきたことを大阪の設計事務所協会に話すことになりますよ。お互い手荒なことは辞めましょうよ」
「ケッ、しょうがねーな」。捨て台詞を吐いて小泉は応接室を出た。

 中央区日本橋、数寄屋造りの料亭浜野屋の一室、床の間には季節に合わせた掛け軸が掛かっている。窓の向こうには苔の綺麗な日本庭園が見える部屋だ。
ひとつのチームを作るべく八名が集まっていた。
「皆様、お忙しい所お集り頂き誠にありがとうございます。今回のキャナルホーム豊洲大規模修繕工事はお集まりの皆様で一致団結して無事完遂して頂きますようお願いいたします」と大盛が挨拶を述べた。
「それでは順に自己紹介を簡単にお願いします」と続けた。
「それでは私から」、と床の間側に座っていた平井から挨拶が始まった。
「組合員でキャナルホーム豊洲に住んでいます平井です。修繕委員長で頑張ります」
「私も組合員で理事長です。今回の大規模修繕工事の元請けにして頂きますシミズ建物ライフケアの太田です」
「管理会社の四井不動産コミュニティの種田です宜しくお願いします」
「四井不動産コミュニティのフロント仲根です」
「今回シミズ建物ライフケアさんの下で仕事させて頂きます。外装工業の社長井上です」
「外装工業の竹内です。現場を担当させて頂きます」
「設計事務所TGSの大盛です」
「TGSの渋野です。キャナルホーム豊洲の担当です」
大盛が口を開く。
「生々しい話になりますが、後々問題にならぬようにそれぞれのフィーについてはっきりさせておきたいと思います。これまで事前に打合せさせて頂いてきましたので、私の方から発表させて頂きます。発表させて頂いた後で意見を伺いたいと思います」
 一呼吸おいて大盛が続けた。
「まず設計監理の弊社は一〇パーセント、組合員で居住者の平井様は修繕委員長となって協力を頂くお約束で三パーセント、組合員で居住者の太田様には理事長となって理事会をコントロールして頂きフィーは二パーセント、管理会社の四井不動産コミュニティ様は修繕委員会と理事会をバックアップ頂くことで一〇パーセント、元請けのシミズ建物ライフケア様は利益二〇パーセント、外装工業様利益二〇パーセントと事前にお打合せさせて頂いておりましたが宜しいでしょうか」
四井不動産コミュニティの種田が口を開いた。
「大盛さん、上から『弊社が元請けの場合二〇パーセントを死守するルールがあって、一〇パーセントというのは少し問題があるので一五パーセントでお願いしてこい』と言われてきたので五パーセント上げて頂きたい」
「種田さん、今回は組合員の平井さんと太田さんにご尽力頂くところが大きいので一〇パーセントでご納得頂けたと思っておりますが」大盛が返す。
「前回の打合せ時はそうだったんですが、ちょっとね。上が納得しないんですよ『だいたい、設計事務所を入れる必要があるのか』という意見が役員の中から出ましてね」
「種田さん、三ヶ月後から御社のグループ会社の四井住村建設が元施工のマンションの第一回大規模修繕工事を弊社が設計監理行うにあたって、『多少の施工不良が発見された場合でも目をつぶる約束がある』という話を上の方に通して頂いていますかね」、大盛が返した。
「……じゃあ、ここは日本古来からのやり方で折半として頂き一二・五パーセントでお願いしたい」種田が提案する。
「それで良いじゃないですか、それでいきましょう。少し工事金額を上げれば良いんでしょう。TGSさん上手くやってくださいよ」その場をとりつくろうように平井が言う。
「皆さん、いかがでしょうか」大盛が皆に言った。
皆が頭を軽く下げて了解した。
「それでは、四井不動産コミュニティさんのフィーを十二・五パーセントに変更。他の方は事前の打合せ通りということでお願いいたします」
「あと、これまでコンサルタントに入っていたオニキス設計については弊社で話をつけることになっています」、大盛が話す。
「その他何かございますか」と大盛が続けた。
「キャナルホーム豊洲は二〇〇六年竣工で、隣の東京プライムハウスは二〇〇五年竣工、一年遅く竣工しているのに、隣より早く大規模修繕工事を行うのは問題になりませんかね」と太田が訊いた。
「そこはTGSでなんとかします。幸いというかこちらのマンションはキャンチレバー工法で東京プライムハウスのアウトフレーム工法よりバルコニーが雨、風、紫外線に晒され易く劣化が激しいことをアピールしますから。平井修繕委員長と太田理事長にはそれに強く賛同頂ければなんとかなると思います」と渋野が返した。
「分かりました、しっかりバックアップします」平井が言った。
「実はもうひとつ気になる点がありまして、弊社ご存じの通り今度新一万円札の図柄になり創業時に関係がありました渋沢栄二の関係でSDGsを公言しておりますので、窓ガラスの改良を推奨しない訳にはいかないんですが」太田が言った。
「窓の改良に修繕積立金が使われると大規模修繕工事のボリュームが減るんじゃないですか、それは困りますよね」、外装工業の井上が言う。
「窓ガラスに関しては弊社TGSと平井さんとでなんとかします。太田さんにもお力添えを頂きたい。幸いにしてオニキス設計も四葉リフォームの仕事が減ることの無いように現在省エネガラスが標準でキャナルホーム豊洲の窓ガラスが単板ガラスで社会的劣化となっていることには触れていません。大丈夫かと思います」大盛が言う。
「しかし、隣の東京プライムハウスが数年前に省エネガラスにして、かなり良い評判がママ友を通じて広まっています。大丈夫ですかね」
太田が心配そうに言った。
「コロナウイルスが広まっているので室内に職人を入れたりするのを嫌う人もいるでしょうし私がそれを理由に反対しますし、太田さんに理事会をコントロールして頂ければ大丈夫ですよ」平井が言う。
「オニキス設計は大丈夫ですか、大阪は武闘派揃いとの噂を聞いていますが」種田が訊く。
「ちょっと厄介ですね、東京の会社であれば殆ど話をつけられるんですが今回の場合調査診断は行っていてコンサルティングの途中ということ、既にオニキス設計の下で四葉リフォームがかなり動いてきていることで仕事を奪われたと思っているでしょうからね」大盛が返す。
「私が、今後はTGSさんとやって行くということを先日話に行ったら、結構危ない話をしてきましたからね」平井が答えた。
「大盛さん、オニキス設計とは、ちゃんと話をつけてもらわないと困りますよ」種田が言う。
「承知しました。弊社でオニキス設計さんとは話合いを持ちます」大盛が答えた。
「それでは、これからは懇親会へと移らせて頂きます」大盛の声で懇親会へと移っていった。

三日後、品川のオニキス設計東京支店の応接室に、TGSの大盛と渋野の姿があった。
東京支店長の野田が入ってきた。
「お久しぶりです。お時間頂きましてありがとうございます」立ち上がってから、大盛が挨拶した。
「どうぞ、お座りください」野田が言う。
「キャナルホーム豊洲の件で伺いました」と大盛が切り出した。
「キャナルホーム豊洲はウチがもうやってますけど何か?」、しらばっくれて野田が返す。
「『TGSで今後は進めて頂きたい』と組合員の方から話を頂いて、管理会社の方とも『その方向で』と言って頂きましたので今後はTGSで進めさせて頂きます」
「大盛さん、設計事務所どうしで協力体制を敷いて来ているじゃないですか、それなのにこんなことされちゃ困りますよ」
「もちろん今後もお互いの為に敵対するのではなく協力していったほうが御社、弊社またMDAの会員みんなのためです。ただ今回は組合員の方の要望と御社の考え方に齟齬が生じたとのことで、イレギュラーとして弊社でキャナルホーム豊洲の今後はやらせて頂くのに了解をお願いいたします」
「これまでウチが動いてきた分はどうなります。そう簡単に『はいそうですか』という訳にはいきませんよ」
「ですから今回はイレギュラーということでご了解頂けませんか、御社がチャンピオンとなるときは協力しますんで」
「大盛さん、ペンキはどうなります」
「はい、もちろん塗料は大阪ペイントを使いますんで」
「大盛さん、そこは守って頂かないと大変ですよ」
「承知しました」
「お帰り頂けますか」野田が立ち上がった。
事務所を出て渋野が大盛に言う。
「なかなか難しいですね」
「いや、これ以上オニキス設計も手出しできませんよ。東京の仕事を採って行きたいならMDAを離れる訳にはいきませんから」
 それから数日後、「キャーー!」、TGSの女性事務員の悲鳴が響いた。
TGSの郵便受けに人糞と思しき汚物が突っ込まれていた。

 修繕委員会が開催された。
修繕委員長の平井が口を開いた。
「これまでオニキス設計さんに調査診断を行ってもらい三年が経ちましたが、動きがいまひとつの感じがありますので、再度設計事務所の選定を行ったほうが良いと思いますがいかがでしょうか」
「オニキス設計さんとは工事が終わるまでの契約だったのではないですか」修繕委員の一人が訊いた。
「そうなんですけど、さっきも言いましたがオニキス設計さんの動きがさほど良くないのと組合の修繕積立金を使っての費用なので大事をとって行く方が良いと思います。私の提案に賛同頂ける方は挙手をお願いいたします」平井が言う。
平井以外の四人は特に建設業界に明るく修繕委員になったという訳ではなく、理事のOBで修繕委員会に回らせられたようなメンバーで、理事になったのも輪番制で仕方なく理事になった組合員だ、周りを見渡しながら場の空気を読んで全員が手を上げた。
「それでは理事会に上程します」平井が言った

太田が理事会で説明していた。
「大規模修繕工事の設計事務所の件ですが、『今まで行ってもらったオニキス設計の動きがいまひとつなので、修繕委員会より再度コンサルタントの選定を行いたい』とのことですがいかがでしょうか、私も報告書など見て『若干問題があるかな』と思いますので良い考えだと思います」
太田以外は輪番制で理事になった組合員で他の組合員の顔色をうかがいながら黙っている。
「それでは、修繕委員会の提案に賛同される方は挙手をお願いします」太田が言うと十七名の理事全員が手を上げた」
続けて管理会社の仲根が言う。
「修繕委員会に出席いたしておりましたので設計事務所の選定条件を検討してきました。配布する資料をご覧ください」と言ってA4の公募条件案を各理事に配布した。
・首都圏に本社を置いていること
・直近三年間で五〇〇戸以上の分譲マンション大規模修繕工事の設計監理実績が五件以上あること
・一級建築士が五名以上在籍していること
・資本金三〇〇〇万円以上であること
・建築士賠償責任保険に加入済であること
TGSに落とし込むための条件だ。
「こちらのマンション様は、高級な上に九八一戸と大型です、これくらいの条件をクリアできる設計事務所でないと、大規模修繕工事の設計監理は難しいと思います。いかがでしょうか」仲根が言った。
「オニキス設計さんのときも同等の条件でしたので大丈夫かと思います。これで良いでしょう。皆さんいかがですか」太田が言う。
「特別ご意見無いようなので採決をお願いします」仲根が続ける。
「この条件で宜しいでしょうか、賛同頂ける方は挙手をお願いします」と太田が決議を取る。
良いのか悪いのか分かる訳もなく全員が廻りを見ながら挙手するしかなかった。
「それでは建設情報新聞に連絡して直近で掲載できる日に公募の掲載をお願いします」、仲根が言った。
「それでは本日の理事会はこれで閉会します」、太田が言って理事会が終了した。
太田がTGSの大盛にスマホでショートメールを送った。
「設計事務所の再選出を理事会で決議しました」
「承知しました、手配致します」。大盛がメールを返した。
大盛はMDAの八社に電話を入れた。
「今度の建設情報新聞に掲載されるキャナルホーム豊洲の大規模修繕工事、設計監理の公募はTGSで仕切らせて頂きます。協力をお願いします」
一次審査の書類選考で落選とする三社の一社には、「現場代理人を条件外となる二級建築施工管理技士でお願いします」、もう一社には「実績を五〇〇戸以上が無いようにお願いします」、もう一社には「在籍の一級建築士を三名でお願いします」、と話をした。
「了解しました」。三社共に心得た返事だった。
二週間後、建設情報新聞の公募欄にキャナルホーム豊洲の設計事務所募集が掲載された。
大盛に協力を依頼された八社が指示された通りに応募書類を作成して送付した。
応募書類がマンションの管理室に出そろったが想定外の会社の応募は無かった。
一週間後、修繕委員会が開催された。
「八社の応募がありましたが、条件を全てクリアできている会社は五社です。その五社を一次選考で選出ということで見積りを依頼することでいかがでしょうか」仲根が言った。
「それで良いでしょう。賛同頂ける方は挙手をお願いします」平井が言った。
これ以上伸ばしようがないというくらいに平井は右手を上げた。
他の委員も挙手する以外になかった。
修繕委員会が終了して自宅に帰るや否や平井が大盛にメールした。「予定通りの五社の見積りとなりました」
大盛もすぐに返信した。
「承知しました。手配します」
翌日、予定の五社に大盛がメールする。
「協力をお願いしておりましたキャナルホーム豊洲の見積り依頼が四井不動産コミュニティからありますが見積りは弊社で用意します。鑑と表紙の作成を宜しくお願いします」
大盛が営業の松木を社内電話で呼んだ。部屋に入って来た松木に「この五社を回って見積りに使う用紙を貰ってきてくれ」
以前見積りを一社で作成して「見積り全てが同じ用紙というのはおかしいのではないか」ということから不正が発覚したことがあり、今は各社の用紙を用いることになっていた。
「分かりました」といって手渡されたメモをポケットに入れながら松木は部屋を出た。
それから二週間後には、マンションの管理室に五社の見積りが届いた。
それから一週間後の修繕委員会。仲根が訊いた。
「見積りを依頼した五社の見積り比較表をお配りしております。低額のTGSとフューチャー設計の二社をヒアリングに呼んで話を聞いて一社に内定ということでいかがでしょうか」
「良いですよね皆さん。採決を取ります。賛同できる方は挙手をお願いします」と平井が言った。
平井が母親が見に来ている授業参観の小学生のように、右手を上げた。
他の修繕委員も挙手するしかなかった。

二週間後、設計事務所の最終選考のヒアリングが行われようとして修繕委員会と理事会のメンバーが揃っていた。
TGSに協力を依頼されているフューチャー設計のお決まりのプレゼンが終了した。
管理会社の仲根が尋ねた。
「組合様の大事な修繕積立金からの支出ということになります。ご提出頂いていた見積りからのさらなる値引きはお願いできますでしょうか」
しばらく考えたふりをして答えた。
「精一杯のお見積りを提出させて頂いております。提出しております金額の四〇八〇万円でお願いいたします」
三日前の昼、大盛がフューチャー設計の波留に電話していた。「波留部長、今度のヒアリング金額は値引きしないようにお願いします。ウチが二番手で最後に御社をくぐりますんで宜しくお願いします」
「承知しました。ウチがチャンピオンのときは宜しくお願いしますよ」と波留が返していた。
続いてTGSがプレゼンを行った。内容はほとんどフューチャー設計と変わらない。管理会社の仲根が尋ねた。
「組合様の大事な修繕積立金からの支出ということになります。ご提出頂いていた見積りからのさらなる値引きはお願いできますでしょうか」
「最終選考にお呼び頂きましたので頑張ります。見積りは四二〇〇万円でご提出しておりましたが四〇〇〇万円でお願いできればと思います」と渋野が答えた。
TGSが退室後、管理会社の仲根が口を開いた。
「どうでしょう、プレゼンの内容は両社変わらないようでした、TGSさんの方が低額でしたのでTGSさんで内定ということで宜しいでしょうか、理事の方賛同頂けるようでしたら挙手をお願いします」
太田はもちろん他の理事も全員が挙手して承認されTGSが内定した。
「それでは次回の総会議案とします」仲根が言った。

【区分所有法第三十五条(抜粋)】 集会(総会)の招集の通知は、会日より少なくとも一週間前に、会議の目的たる事項を示して、各区分所有者に発しなければならない。

総会議案が審議されて承認される。
理事長の太田が議案を読み上げる。
第1号議案 大規模修繕工事、設計事務所変更の件。大規模修繕工事に向かうにあたり設計事務所をオニキス設計よりTGSに変更する選定を修繕委員会と理事会で行ってまいりました。公正に選定しました結果TGSを選定しましたので総会に上程しました。審議をお願いします。
 
【区分所有法第三十九条(抜粋)】 集会(総会)の議事は、この法律又は規約に別段の定めのない限り区分所有者及び議決権の過半数で決する。

組合員の過半数が参加すれば総会が成立し、その過半数が賛成すれば可決となる、マンション運営に興味のある約四分の一の同意を得ればよい。俗に業界で言う四分の一決議だ。
「ご意見無いようですので採決に入ります。第一号議案に賛成頂ける方は挙手をお願いいたします」太田が言った。
参加していた組合員のほとんどの手が上がり、議決権行使書での議決も加えると大多数の賛成により可決された。
 
一か月後、修繕委員会にTGSの渋野の姿があった。
「オニキス設計さんが行われていた建物の調査診断を確認しました。調査された時期より三年が過ぎ修繕工事を行う時期にあります。施工会社の選定を公募方式にて行うべく公募条件を考えて来ましたのでご覧になってください」と言いながらA4サイズの公募条件案を配った。
・首都圏のいずれかに本店もしくは支店を持っていること
・建設業登録業者であること
・経営事項審査Y点が八〇〇点以上であること
・経営審査事項P点が一〇〇〇点以上であること
・直近三期で赤字がないこと
・ISO九〇〇一および一四〇〇一を認証取得していること
・首都圏において直近三年間で分譲マンション大規模修繕工事の元請け実績が五〇〇〇万円以上が二〇件以上、一億円を超える工事が一〇件以上あることまた総戸数五〇〇戸以上の実績があること
・次にあげる基準を全て満たす現場代理人を常駐配置できること
・一級建築士もしくは、一級建築施工管理技士の資格を有していること
・現場代理人として分譲マンション大規模修繕工事(元請け)五年以上・一〇件以上の実績を有すること、正社員であること。なお監理技術者は兼任して良い
・過去五年間において、公共工事、民間工事を問わず指名停止及び営業停止処分を受けていないこと
・会社更生法において更生手続きがなされていないこと、または民事再生法において再生手続きがなされていないこと
・暴力団またはそれらの関係者と関係のないこと
事細かい条件がつけられていた。全てシミズ建物ライフケアに受注させんが為のものだ。
「やはりこれだけのマンション様ですからこれくらいキッチリした条件が良いと思います」。渋野が言った。
「そうですね、これくらいで丁度良いでしょう」仲根が合わせた。
「そうだなこれで公募してみましょう」平井も続く。
平井以外の修繕委員はポカンとした様子で用紙に目を落としている。
「これで行きましょう。ご意見のある方いらっしゃいますか」平井が言った。
誰も、何も言わなかった。
「それではこれで公募しましょう。建設情報新聞に連絡して直近で掲載できる日に掲載してもらいます」、渋野が言って施工会社の公募に進んだ。

翌日の朝、渋野がシミズ建物ライフケアの一次下請け、外装工業の竹内に電話していた。
「昨日の修繕委員会で公募がきまり二週間後の建設情報新聞に掲載されますから手配をお願いします」
「承知しました。予定の十二社を手配します」竹内が答えた。
「田代さん、二週間後の建設情報新聞にキャナルホーム豊洲の公募が掲載されます、応募の方を宜しくお願いします」田島工業の専務の田代に竹内が電話した。その他十一社へも同じ要領で話をつけた。ただ選外となってもらわないといけない八社には実績を減らすだの、現場代理人に無資格者をお願いするだの条件からワザと外れるように話をした。

前回の修繕委員会から一か月後の修繕委員会、渋野がA3の応募会社比較表を配布していた。
「お配りしましたのが、応募ありました施工会社の一覧表です。全部で一三社の応募がありました。赤くマーキングしてあるのが条件に合っていない八社になります」
「全てをクリアしている会社が五社ですね。この五社を一次審査に通過したとして見積りを依頼して良くないでしょうか」仲根が言った。
「クリアしてない会社を見積りさせると、後で『なんで条件を満たしていない会社に見積りを依頼したんだ』とクレームがきても困るので、全ての条件をクリアした五社に見積り依頼することで良いでしょう」平井が言う。
「それでは、全てをクリアしている五社に見積りを依頼することに賛同頂ける方は挙手をお願いいたします」渋野が言った
平井が元気よく右手を上げた。
他の委員も特別考えることなく右手を上げた。

翌日の朝、千葉オーガスタゴルフクラブで渋野が竹内に言う。
「昨日のキャナルホーム豊洲、予定の五社に見積りを依頼するということになりましたんで手配をお願いしますね」
「承知しました。予定通りに進んでますね、全てTGSさんのおかげです」竹内が返した。
「今日は前祝いということで宜しくお願いします」竹内が言う。
ゴルフカートに向かうと仲根、平井、太田、大盛の姿もあった。

 三週間後の修繕委員会、渋野がA3サイズの見積り比較表を委員に配布して言った。
「今お配りしましたのが見積りを依頼した五社から提出された見積り提示金額の比較表です。どうでしょうシミズ建物ライフケアとセンショウの二社が競っています。他の三社とはかなりの差がありますので、最終選考で低額二社のシミズ建物ライフケアとセンショウをヒアリングに呼んで話を聞いて一社に内定を出すことで皆さんいかがでしょうか」
「それで問題ないでしょう」と間髪入れずに平井が言った。
「シミズ建物ライフケアとセンショウで良いでしょうか、賛同頂ける方は挙手をお願いします」と渋野が尋ねた。
平井は大きく右手を上げた。
他の委員も何を考えるでもなく全員が挙手した。
翌日、外装工業の竹内がセンショウの山崎常務に電話をかけた。
「山崎さん、キャナルホーム豊洲のヒアリング宜しくお願いします。金額については八〇〇万円を値引いて十六億丁度で提示お願いします。ウチはその金額より下ですから」
「了解しました。竹内さん、上手くやるのを行かせますよ」山崎が返した。
二週間後、ミーティングルームで修繕委員と理事が一社目、センショウのプレゼンをヒアリングしていた。
センショウのお決まりのプレゼンが終了して、渋野が訊いた、「センショウさん、ありがとうございました。それでは見積り提示頂いていた金額よりさらなる値引きをお願いできるでしょうか」
「当社も今日が最終選考ということで、会社内で協議して答えを用意してまいりました。ご提示させて頂いておりました金額から八〇〇万円値引きした十六億円丁度で最終提示金額とさせて頂きます。宜しくお願いいたします」
外装工業の竹内の指示の通りの回答だ。
「ありがとうございます。組合様と協議しまして、結果をご連絡いたします」渋野が言った。
続いてシミズ建物ライフケアのプレゼンが行われた。
シミズ建物ライフケアの現場代理人予定として参加しているのは外装工業の竹内だ。
内容は、センショウとほとんど同じだ。渋野が訊いた。
「シミズ建物ライフケアさん、ありがとうございました。それでは見積り提示頂いていた金額より、さらなる値引きをお願いできるでしょうか」
「当社は精一杯の見積り金額を提示させて頂いておりましたので、見積り提示金額のままで検討をお願いいたします」
ありがとうございます。組合様と協議しまして結果をご連絡いたします」渋野が言った。
シミズ建物ライフケアが帰り協議に入った、TGSの渋野が訊いた。
「最終金額がセンショウが十六億円丁度、シミズ建物ライフケアが十五億八〇〇〇万円となりました。二社ともにプレゼンの内容は同じように良かったです。金額においては二千万の差がありました。それでは採決に入ります」
「センショウが良いと思われる方は挙手をお願いします」渋野が訊く。
当然だ、全員黙っているだけで手を上げるものはいない。
「シミズ建物ライフケアが良いと思われる方は挙手をお願いします」
平井が周りを見ながら右手をあげる。
前回の修繕委員会終了時に、「平井さん、いつも一番最初に元気よく手を挙げるのはチョットと」と渋野からクギをさされていたのだった。
他の理事が手を挙げるのを見て理事長の太田が手を上げた。
「はい、ありがとうございます。満場一致でシミズ建物ライフケアさんが選出されました。弊社の方でそれぞれの会社には連絡をいたします」渋野が言った。
全て悪徳談合チームのシナリオ通りに事は運んだ。
キャナルホーム豊洲を出た渋野はスマホを取り出して大盛にメールを入れた。
「無事、シミズ建物ライフケアに内定しました」
「お疲れ様でした」大盛が返した。
「井上さん、シミズ建物ライフケアで内定しました。あとは総会だけですので間違いないでしょう」大盛は外装工業の社長井上に電話をした。
「連絡ありがとうございます。大盛社長これからも宜しくお願いします」。井上は返した。

一か月後、大規模修繕工事の工事会社と工事予算に関する第一号議案が入った定期総会が開催された。第二号から第っ八号までは予算の報告や次年度の予算の承認などの議案だ、約百名程度が参加している。
「大規模修繕工事に向けて施工会社の選定を行いシミズ建物ライフケアを選出し工事予算はシミズ建物ライフケアより提示された一五億八〇〇〇万円と約五パーセントの予備費八〇〇〇万円を加えた十六億六〇〇〇万円としましたので審議をお願いいたします」理事長の太田が述べた。
「ご意見ありますでしょうか」と仲根が言った。
一人、三十台後半と思われる女性が手を挙げた。
仲根がマイクを持って女性の元に走る。
「工事の中に窓ガラスの更新工事は入っているのでしょうか」マイクを手にした女性が訊いた。
理事長は答えることができずに修繕委員長を見た。
平井にマイクが渡された。
「今回の工事に窓ガラスの工事は入っていません」
「どうしてですか! 隣のマンションの東京プライムハウスは数年前に窓ガラスの改良して冬暖かく、夏涼しく、結露も無くなって、それに加えて省エネで凄く快適になってますけど」女性がさらに訊いた。
「……」平井はマイクを持ったまま黙っている。
「いま世界中で地球温暖化防止が叫ばれてCOP26が締結されたり、工事もCO2削減になるからと補助金を貰えて工事ができるんじゃないんですか。省エネガラス工事を優先してください」。女性は真剣だ。
渋野が平井に歩みよってマイクを取る。
「今回工事の設計監理を行っております一級建築士事務所TGSの渋野と申します。窓ガラスの改良も大事なんですが防水工事を怠ると建物の根幹を揺るがすことになりますので、防水工事を中心に置いた工事を優先しております」
「窓ガラスを優先して良いのではないですか、そんなに防水が悪くなっているんですか。隣より一年遅く竣工しているのに工事しないといけないんですか。窓ガラス工事も検討してください!」。怒ったように女性が言った。
「承知しました」渋野が答えた。
「それでは採決に入らせて頂きます。第一号議案に賛同頂ける方は挙手をお願いします」。太田が訊いた。
平井と太田は率先して手を上げた。
窓ガラスの質問をした女性と廻りの数名の女性は手を上げなかった。
「賛成多数で第一号議案は可決されました。ありがとうございます」理事長の太田が言った。
総会終了後、キャナルホーム豊洲管理組合とシミズ建物ライフケアとの間で第一回キャナルホーム豊洲大規模修繕工事契約が締結された。
 
定期総会の二週間後のハワイ、ホノルルカントリークラブ、TGSの岡林と大盛、外装工業の社長井上がレストランで話をしていた。
「大盛社長、全て予定通りにいきましたね。ありがとうございます」井上が言う。
「いやー、総会で窓ガラスの件が出たときは、渋野も少し慌てたようですが良かったです。予備費もけっこうな金額が取れましたので、上手くやれると思いますよ」と大盛が返した。
「大盛君、この調子で気を抜かずに頑張ってくださいよ」と岡林が言った。
「大盛さん、タイルの実数清算でもひとつ宜しくお願いしますよ」井上が言う。
 組合員に分かりにくい追加工事でも搾取を狙っている。
「承知しました、渋野に良くいっておきます。そろそろ時間ですからいきますか」
三人がレストランを出て歩いて行った先には、渋野、平井、太田、仲根の姿があった。

キャナルホーム豊洲の大規模修繕工事は、東京プライムハウスと比較すると約一・六倍の金額で工事契約が行われた。
TGSは一億五八〇〇万円
修繕委員として動いた平井は四四〇〇万円
理事として動いた太田は二九六〇万円、
管理会社の四井不動産コミュニティ一億八八〇〇万円
シミズ建物ライフケアは、二億九六〇〇円
外装工業は、二憶九六〇〇円
を搾取した。
全ての原資は組合員が毎月毎月コツコツと一五年ほどかけて蓄えた修積金だ。

二〇二〇年三月、TGSの応接室に大盛と平井の姿があった。
「いやー、大盛さんありがとうございました。買った時より高くでマンションは売れそうですし大盛社長に上手くやってもらって大規模修繕工事でも儲けさせてもらいましたんで老後は安泰ですわ。浄水器でも大盛社長にはお世話になりましたし」
「こちらこそ、平井さんに頑張ってもらって助かりました」
「来月、故郷の四国に帰ることにしました」
「そうですか、ありがとうございました」
翌月、工事が始まると平井はマンションを出て行った。

大規模修繕工事途中、エアコンの室外機の移動が発生する住戸には、別個に追加料金が発生して多くの組合員がクレームを付けたり、工事完了後の足場で荒らされたり、物置となった中庭の芝生や植栽の復旧を組合の費用で行ったりとクレームが頻発した。本来そのような問題が発生しないようにするのが設計事務所の役割なのだが、TGSにそのような良心は無い。

省エネガラスに関しては東京プライムハウスの評判や補助金が利用できるということなどで総会の特別決議で可決された。しかしコロナ禍で理事会マターとして放置された後、窓ガラスが共用部だということを知っていたにも関わらず、個人で勝手にで自宅を省エネガラスに改良した理事長が、自宅は既に改良済だということで強烈な反対派になって総会決議を無効にしようと画策している。

第3章 SDGs

SDGs、持続可能な開発目標の十三「気候変動に具体的な対策」建築に携わっているのであれば可能な限り地球温暖化防止に向けた行動を行うことが使命であるはずだ。

 地球温暖化、明らかに藤堂が子供の頃からすると熱くなっている。長崎でも昔は夏休みに三〇℃を超えるような暑い日はそう多くはなかったが、今、夏休みは毎日三〇℃超えで、三五℃を超える猛暑日という昔は無かった新語まで二〇〇七年にはできたような始末だ。
コロナウイルスのパンデミックにより昔とは違う世の中になったが、地球温暖化でシベリアの永久凍土が溶けだすことで、いままで眠っていた炭疽菌が新たなパンデミックとして広がることが懸念されている。すでにロシアでは、永久凍土の中にあったトナカイの死骸の炭疽菌が地球温暖化で融解した永久凍土から露出し、他の動物を経由してヒトにまで感染し、子供が死亡して軍が村を隔離したとされている。
藤堂が社会人になったときには建築物の耐震基準は既に新耐震だった。クルマは、数十年で、シートベルト、モノコックボディ、エアバック、自動ブレーキと安全性が進歩したが、ここ数十年の建築で一番に進歩した考え方は断熱に対する考え方だと思っている。
一九八四年に大学を卒業して長崎の谷山建設で木造の戸建て住宅の営業を行っていた時代の断熱仕様は、フローリングの下には厚さ五センチのグラスウールを敷きこむが、畳の場合は、それ自体が断熱効果を持つため何もしない。壁や二階の屋根裏など外気に面するところは、厚さ五センチのグラスウールを入れるいう現在と比較すると全くもって陳腐なものだった。
良いトラウマと呼べる事が藤堂にはあった。戸建て住宅の営業で初めて契約して頂いた四菱重工長崎造船所の外艤設計課長の松村様との話だ。
「藤堂さん、省エネガラスってあるんですか? いやー、ウチでLNG船という液化天然ガスを運ぶ船を造るときに、特許の関係でノルウェーの技士を十人ほど長崎に呼んで住まわせるんですけど『家が凄く寒い』とクレームが出るんですよ」と松村さん。
「何ですかそれ、ノルウェーて北欧の寒い国でしょう何で日本の家が寒いんですかね」その当時日本はまだ省エネガラスは一般的ではなく、聞いたこともなかったため逆に藤堂は聞き返してしまった。
「それがね藤堂さん、ノルウェーでは窓のガラスが一枚ではなく二重で断熱がしっかりしていて冬でも暖かいらしいんですよ」
「へぇー、そういう物があるんですね。調べて来ます」
「松村様、残念ながら日本では未だないそうです」一週間後、藤堂が報告した。
「やはりそうでしたか。藤堂さんありがとうございます」
営業として担当した松村様の住まいはその当時の標準の単板ガラスでアンバー色のアルミサッシ枠の窓で造られた。
それから四年後、藤堂が長崎に建てた小さな家も未だ省エネガラスは一般的でなく単板ガラスの住まいだった。
しかしそれから十年後、藤堂が長崎の住まいを売却して熊本に建てた家は床、壁、屋根裏の外気に触れる部位の断熱材は畳の下までも断熱材がグラスウールより断熱性能が高い発砲硬質ウレタンに進歩して、窓ガラスは省エネガラスの住まいだった。省エネガラスが一般的になってきていたのだ。
現在は新省エネ法で高断熱でない建物は造ってはいけない法律を作って建物での地球温暖化防止に国は力を入れている。豊洲の都営住宅が建替えられたがガラスは省エネガラスだ。今や単板ガラスの住まいは、既存不適格と言っても良い状況だ。
藤堂が熊本でリフォーム工事会社を経営していたとき、四協横山アルミの水川が言ってきた。
「藤堂さん、凄いのが出ましたよ」
「どんなのですか、水川さん」
「省エネガラスの中が真空なんですよ」
「水川さん、そりゃあ凄いですね」
究極の断熱方法だ。昔は一家にひとつ魔法瓶というものがあった。沸かしたお湯を保存しておく容器だが真空の技術を利用して魔法のように熱が冷めないという容器だ。
宇宙ステーションに荷物を運ぶコウノトリ七号で、タンパク質を送って無重力空間で実験を行い、高温になってタンパク質が壊れないように4℃以下に保って地球に持ち還るミッションを遂行するのに使われた技術も真空の技術だ。
NASAを扱った映画「アポロ13」や「ドリーム」の中にもあったが宇宙より地球に帰還する場合、大気圏に突入する角度が重要で浅すぎると大気圏に弾かれて宇宙のチリとなり、角度が深すぎると大気圏との摩擦が大きすぎて燃え尽きてしまう。しかし適度な角度で突入できたとしてもカプセルの外は二〇〇〇℃を超える高温になるのだ。コウノトリ七号は無事に真空の技術を利用してタンパク質を4℃以下に保って地球に持ち還った。
 暖かい飲み物と冷たい飲み物が混在する自動販売機、暖かい側と冷たい側を分けるのも真空の断熱パネルを使用して造られている。冷気、暖気、熱が伝わる空気すら無いのでそれぞれ熱の伝わりようが無い訳だ。
国は、京都議定書からCOP26と続く地球規模の地球温暖化防止策に頭を痛めている。東日本大震災で原子力発電所が大きな事故となったがために日本中の原発が停止や休止となっている。多くの問題を抱える原発だが地球温暖化防止を考えるとCO2排出量が少ない優等生だったのだ。
地球温暖化防止に良いという考えで国は三本柱に上げているものが、LEDライト、電気自動車、住まいの高断熱化だ、以上の三つには補助金が出る。エネルギーの出所の量を抑えてCO2を減らす作戦だ。
東京はさらに凄い。クリーンエネルギー都市をうたっている小泉都知事の考えにより東京都が工事費の三分の一、大企業を抱える港区だとさらに区から六分の一の補助金が出る。港区であれば国、都、区、の三つより補助金を貰うことができる。
「地球温暖化防止の鍵はトリプルガラスにあります」建材、アルミサッシメーカーでIKKapのホームページでは社長の堀尾が言っている。
確かにカナダなどでは、ガラスが三重のトリプルガラスがかなり使われているようだ。しかしながらトリプルガラスには問題がある。ガラス厚が大きくなりすぎて、凄まじく強固なサッシ枠が必要となる上に凄い重量になるので上げ下げ窓や両開きの洋風の窓と違い引き違いが多い日本では指を挟んだりする危険性も大きくなる。
「トリプルガラスも良いが、その前に既存の住宅六〇〇〇万戸の九割が新省エネ法に満たない住宅な訳だから、そこに手を付ける必要がある」と藤堂は思っている。

二〇一五年にIKKapが千葉の大規模修繕工事会社のロクシーを買収した。
藤堂はそのニュースを聞いた時に「高経年のマンションで本来、窓を修繕するべきマンションも塗装業界が牛耳っている為に塗装や防水ばかりの工事が行われて、本当なら二〇〇〇億程度は出て良い窓の改良工事が出て来ない事に業を煮やしてのことだろう」良いことだと思っていた。IKKapがロクシーを買収したことで多くの施工会社が「大規模修繕工事で窓の改修工事が出た場合でもIKKapのサッシは使わない」という方針でIKKapロクシーとなった会社は談合のチームからは外されることになったからだ。
暫くしてIKKapロクシーとなった会社が自ら談合チームを離れたとの噂が聞こえてきた。IKKapの看板を背負った以上、「談合に加担していたなどの噂が流れたりすると宜しくない」との判断だろう。
そういう方向に進んで行かないと事実上、塗装業界とその一派が牛耳っているマンション大規模修繕業界でSDGsなど皆無だ。良いことだと藤堂は思っていた。

藤堂がTGSにいたとき、府中にある高経年のマンションの大規模修繕工事のコンサルティングを行ったときに話を持込んできたのは渋谷に本社を置く施工会社だった。
竣工後四十年程のマンションで住んでいる人も高齢者が多い。昭和を懐かしむテレビの映像で、「新しい生活スタイル、ダイニングキッチンが取り入れられた団地です」と昔を思い出すテレビで映し出されるような感じの公団型のマンションだ。住戸の中に入って居住者の話を聴く。
「外からの隙間風が酷いんだよね。窓を修繕してもらえませんかね」自分の母親と同世代と思われる高齢の女性がすがるような面持ちで言った。
「そうですね……」としか言うことができない藤堂。
このマンションの工事の情報をTGSに持ち掛けてきたのは塗装工事業者だ。居住者のためにも地球温暖化防止のためにも補助金が利用できて工事ができる窓サッシの修繕が最優先と分かっていてもできない。窓サッシを修繕してしまうと補助金が出るとはいえ貯まっている修繕積立金の多くを使ってしまうので、紹介者である施工会社の工事となる塗装や防水工事が極端に減ってしまうからできなかった。

文京区千駄木のマンション、八六戸で第一回目の大規模修繕工事だった。
TGSの社長大盛は、良い顔をしなかったがガラスが単板ガラスだったので、施工会社の紹介物件ではないこと、組合の予算に余裕があったことで藤堂は理事会での調査報告で「現在の住まいは、省エネガラスが標準となっていること、新省エネ法で今後省エネガラスでない建物は建築不可となっていくこと、現在工事費の三分の一の補助金を利用して工事が可能であること、サッシ自体は未だしっかりしているので枠はそのままでガラスのみ真空ガラスに更新することを推奨する報告を行った。
「是非やりましょう。友人のマンションは『ガラスを省エネガラスに更新したかったんだけど設計事務所が不適切で工事できなかった』と、言ってました。補助金を利用して工事ができて、SDGsな上に、カビがはえなかったり、ヒートショックがなかったりで健康にも良い訳だからやりましょう」と若い理事が理事会をリードしてくれて工事を行ったことがあった。
「真空ガラスに替えてみていかがですか」工事終了後の理事会で管理会社の担当が訊いた。
「やって良かったと思う。以前ならこのくらい寒いと床暖房にエアコンの暖房を入れないと寒くて居られなかったが今は床暖房を少し入れただけで凄く暖かい」四十代の女性理事が答えた。
「いや、やって良かった。やるまでは『ほんとうにやる必要があるのか』と半信半疑だったけど、自分は住まずに娘夫婦住ませているんだけど孫が生まれたばかりで娘が、『家が暖かくなって本当に良かった。子供にも良さそう』と言っているんだ」七十代と思われる男性理事も言った。

 マンション購入時に共用部や専有部など深く考えて購入する者は少ない。
一級建築士で建築業界に身を置いてきた藤堂もマンション購入時に専有部や共用部など深く考えて購入しなかった。
新省エネ法により省エネガラスでないと建築不可、国や東京都や区など補助金を出して窓断熱工事を推奨していることを管理会社は組合に説明して検討を促すべきだと思う。
しかしボーっと仕事している管理会社は一切行わないし、「誰かが、上手くやってくれているんだろう」とマンションの組合員も興味が無いがために、塗装防水工事だけの大規模修繕工事が日本全国で進められて行く。

 結婚した藤堂の二人の子供のうち息子は千葉の船橋に住んでいる。引越の手伝いで見た住まいは築五年程の咲水ハウスの軽量鉄骨三階建ての賃貸アパートだったが窓ガラスは省エネガラスだった。五反田の土地の地面師詐欺で五〇億円を搾取されたり、またこの事件によるお家騒動などあったが流石、世界一の住宅メーカーだ、SDGsをしっかりと実践している。正月に集まったときに息子に聞いたら、「高円寺の時は寒くて死にそうだったけど凄く暖かい、全然違う」と答えた。引越で見た高円寺の住まいは、一九八〇年頃に竣工したと思われる軽量鉄骨二階建てのアパートで窓ガラスは四ミリ厚の単板ガラスだった。
 娘は結婚して港区のタワーマンション、ダイヤモンド・クレスト・タワー芝に住んでいるが、豊洲の東京プライムハウスの家に帰って来て言う。
「浜松町の家、ここよりずいぶん寒いんだよね」
二〇〇七年に竣工したマンションなのだが。 藤堂が見に行って呟いた。
「これはウチと比べたら寒いだろうな」窓ガラスが単板ガラスだった。中堅のデベロッパーのフラッグシップマンションで、総理大臣経験者の孫の芸能人も住んでいたというマンションなのだが明らかな社会的劣化だ。
 マンションのポストに、大規模修繕工事の設計事務所募集の告知書面が入っていたことを娘が藤堂に知らせてくれたので、プレゼンに行って、「PCコンクリートで貼付けタイルと違って劣化しにくい打込みタイルの外壁に、屋上もシンダーコンクリート仕上げと、まだまだ塗装、防水の大規模修繕工事には早いので補助金を利用して真空ガラスへの更新工事を行うことを推奨します」と説いたが藤堂が選ばれることはなかった。
プレゼンの質疑応答で管理会社が、やけに突っかかって質問してきていたので管理会社が意中とする設計事務所があったのだろう。

二〇二〇年二月、藤堂は九歳になったアラシと一緒に運河沿いを散歩していた。イブちゃんとイブちゃんママのペアが向かってきた。
「アラシ君、お久しぶりですね。丁度一年ぶりじゃないですか」
「そうですね、イブちゃん元気そうですね」
「はい、おかげさまで元気に四歳になりました。数年前に真空ガラスへの更新工事をやったじゃないですか。あれが凄く良いですよね。冬は凄く暖かく、夏は涼しくて。あれがイブにも良いみたいです。冬の寒いときも床暖房を三十分付けると半日は暖かいじゃないですか。省エネで光熱費も抑えられるし本当にSDGsですよね」イブちゃんママが言ってくれた。
「そうですか、そう言ってもらえると修繕委員長冥利につきます」
「あら、そうでいらしたんですね。ペット委員だけでなく修繕委員長まで、ありがとうございます。ちゃんと頑張ってくださる方がいてマンションライフが快適でいられるんですね」
「そう言って頂けると修繕委員会の頑張りがいがあります。今年は大規模修繕の準備で、来年からは大規模修繕の工事に向かっていきますので、なお一層頑張ります」
「そうなんですね、どうぞ宜しくお願いします」
そう言ってイブちゃんとイブちゃんママは、歩いて行った。










第4章 東京プライムハウス

 豊洲が工場地帯だった頃の昔は砂糖工場の木造平屋建ての社宅が立ち並んでいた土地だ。
元施工は長谷山工務店で五一三戸、A棟、B棟、C棟、D棟の住居棟に加えてコンシェルジュ、売店、ロビー、などが入るエントランス棟に以前は保育園だったがスタディールームにリフォームされた九〇㎡の平屋、隣UR住宅に向かう角のA棟一階には、病院とクリーニング屋が入っている。主外装は四・五二丁タイル、色はサンドベージュを基本のランダムカラーでポイントにブルーを入れてある。豊洲に長谷山工務店が元施工で造った三つのマンションでキャナルホーム豊洲や豊洲パークホームと大きく違うのは二つのマンションがキャンチレバー、片持ち梁工法なのに対してアウトフレームの逆梁工法という点だ。アウトフレーム工法、バルコニーの外側に柱と梁があるためにバルコニーの懐が深く大面積のバルコニーが造られており隣の住戸との隔ても隔壁がしっかり造ってある。緊急避難用の隔て板は腰から下に幅五十センチ程度の小さいもので隣戸とのプライバシーがしっかり保たれている為、隣戸の音も聞こえにくい。また数年前に窓ガラスが真空ガラスに改良されている。床の防音仕様もD‐60と高い。梁が窓の上に無い為にハイサッシ窓がとれている点が他の二つのマンションとの大きな違いだ。管理会社は西急ライフアシスト。

東京プライムハウスの大規模修繕の話は少し前の二〇一五年の秋より始まった。
藤堂は五四歳だった、五歳になったアラシを連れて散歩に行った帰りだった。アラシはまだ若くレッドの色が残っていた。藤堂も白髪がまだ無く、ふさふさとまではなかったがアタマの薬を飲んだりはしていなかった。マンションの管理会社の所長と思わしき四十代で黒のパンタロンスーツを着た女性が防災センターの鉄扉前に立っていた。西急のSをモチーフにした襟章を付けている。『必殺仕事人』でお加代を演じた鮎川いずみにそっくりだ。
「お帰りなさいませ」
「こんにちは」
「かわいい、ワンちゃんですね」
「ありがとうございます。失礼します」
「失礼します」と返した女性は防災センターに入った。
防災センターに帰った女性、管理会社の西急ライフアシストの所長江村が七十歳くらいの警備員の上田といた。
「上田さん、これ小峰理事長に渡してください」。言いながら江村が封筒を渡す。
警備員の上田の娘夫婦が東京プライムハウスに住んでいる。
「江村さん、気を使って頂いて申し訳ありません」。中身は一万円相当のビール券だ。
警備員の上田からすると理事長の小峰は娘婿になる。
「いやいや、今月の理事会も管理会社の味方になってもらわないといけませんから」、と江村が言う。
大規模修繕工事に向けて理事会をコントロールしたい西急ライフアシストは、警備員の上田の娘婿が組合員でマンションに住んでいることを知って理事長に仕立てて理事会でフロントの江村のサポートしてもらうように理事会前にビール券で念を押しているのだ。
勤務時間を終えて私服に着替えた上田が娘の住む一二階の一室の玄関インターホンを押した。
娘の和代が玄関ドアを開けた。
「これ所長の江村さんから」といって封筒を渡す。
「良一さんには理事会の前に江村さんが電話するそうだよ」
「それじゃ」と上田が踵を返した。

江村が設計事務所、建物リサーチ設計の大貫と有楽町のガード下のカフェ、ダタールで話をしていた。
共に歳は四十前後だ。
「江村さん、東京プライムハウスの大規模修繕の設計監理はウチでお願いしますよ」と大貫が廻りを気にしながら言った。
「うーん、他所からも『ウチでお願いします』て話がたくさんあるんですよ、五一三戸ですからね」江村が答える。
「マンションの居住者の中に問題のあるヤツとかいるんですか」。大貫が尋ねる。
「今の理事会の中には、居ないですけどね。メンバー集めることできますか」、江村が言う。
「何社くらいですか」
「七社か八社くらいは欲しいですね」、江村が答えた。
「大丈夫です。MDAのメンバーですから」
「そうですか、考えときますね」と江村。
「江村さん、今度のジャーニズの武道館ライブ行くんですか」
「いやー、ファンクラブに入っていても、なかなかチケットとれないのよ」
「ウチが使ってるチケット屋に、取れないか聞いてみましょうか」
「お願いできるかしら」、追っかけに近いくらいにジャーニズの鏑木晋也が好きな江村が言った。
「ちょっと電話してみますね。スマホを取り出した大貫が電話を掛ける」
しばらく話をしていた大貫が電話を切って、「江村さん、取れましたよ」と言った。
「きゃー、うれしーい」。周りの客が注目するほどの声の大きさだった。
「じゃあ一週間後のこの時間にまたここで、チケットを持って来ますから」
「わかったわ、宜しくね」
二人は店を出た。

一週間後。
「はい、これジャーニズのチケットです」。大貫が渡しながら言う。
「ありがとうございますー。大貫さん使えるじゃない」
「江村さん、東京プライムハウスの件宜しくお願いしますね」
「設計監理が建物リサーチ設計、元請けが西急ライフアシストということかしら」
「捌きはウチがしっかりやりますから」
「でも金井課長がなんて言うかなー」、江村が言う。
「金井課長にはウチの田尻が話していますんで」
「じゃあ、ときどき大貫さんがジャーニズのコンサートチケットを取ってくれるってことでいいんですかー」
「そうですよ、ときどき江村さんにジャーニズのコンサートに行ってもらいたいんですよ」
「分かりました、金井課長と話して組合に設計監理方式を提案しますよ」
「宜しくお願いします」。大貫が江村に言った。

 西急ライフアシスト東京二部の課長金井が自宅の最寄り駅内のカフェ・ド・パリエに来た。
先に入っていた建物リサーチ設計の田尻が手を挙げて合図した。
少し暗い店内を十五メートルほど歩いて田尻の前に座る。
二人とも歳は五十前後だ。
「金井課長、お忙しいのに申し訳ありません」
カウンターにあるレジでカフェオレを注文し受け渡しカウンターで受け取って帰ってきた。
「金井課長、東京プライムハウス、ウチにやらせて頂けないでしょうか」
「田尻さん、マンションが大きいから他所からも引き合いが多いんですよ」
「金井課長、今度お風呂に入りにいきましょうよ、今週末でいいですか」、田尻が続けた。
「田尻さんには、かなわないなー」、そう言いながら金井がうなずいた。

その週末の金曜日夕方六時十分前、東京メトロ三ノ輪駅東口で田尻は金井を待った。
ニコニコ顔の金井が現れた。二人で横断歩道を渡りコンビニの角を曲がる。白いアルファードが停まっていた。田尻の顔をバックミラーで確認した運転手がスライドドアを開ける。
「金井課長どうぞ」、田尻が左手を後部座席にどうぞとクルマに乗せた。
「金井課長、後は良く言ってありますのでゆっくりしていらしてください」
「運転手さん、宜しくお願いします」、田尻が言うとスライドドアを閉めながらアルファードは動き出した。
店に着いた金井はソファーに腰を下ろして鼻の下をのばしながらタブレットに映った着物を着てポーズを取る女性を見ていた。

スターボックス三ノ輪駅東口店で田尻は金井を待った。二時間ほど経った頃、金井が帰ってきた。
「金井さん、カフェオレ取ってきますね」
言いながら注文レジに立った田尻が受け渡しカウンターでカフェオレを受け取って帰ってきた。
「ゆっくりできましたか」、田尻が聞いた。
「うん、良かったよ」金井が答えた。
「東京プライムハウスの件、宜しくお願いしますね」
「わかったよ土橋部長に良く言っておくよ」
「ありがとうございます。金井課長またすっきりしたいときは連絡してくださいよ」、田尻はニコニコしながら言った。

築地場外市場の道向かいにある料亭新享楽、大隈重信の邸宅跡地に造られた料理屋だ。塀の瓦は粘土瓦いぶし銀の一文字、木造平屋数寄屋造りで小妻の屋根は銅板葺きだが緑青、下屋は緑青でもグレーに見える。芥川賞と直木賞の選考会場としても知られている料亭に二人の六十代と思しき男が二人いた。西急ライフアシストの部長土橋と建物リサーチ設計の専務内田だ。
「土橋部長、ありがとうございます。東京プライムハウスはしっかりやらせて頂きます」
「西急ライフアシストの仕事は勿論、土橋部長へのお礼もしっかりさせて頂きます」
「五〇〇戸を超えるマンションだったんで調整が大変だったんだよ。『ウチにやらせてもらえないでしょうか』というところが多くてね」土橋が返した。
「ご無理お願いして申し訳ありませんでした。先ずは一献」ビールを内田が注ぐ。
「これを機に今後共ひとつ弊社を宜しくお願いいたします。それともうひとつ、工事を少し早めて頂く訳にはいかないでしょうか。少しばかり売り上げが不足しているもので」、内田がさらにお願いする。
「それは、御社の心掛け次第じゃないかな。まあ善処しますよ『お主も悪よのお』と言えばいいのかな」、土橋が笑いながら返した。
「いやいや、お代官様程では御座いません。と返さないといけませんね」、と内田。
築地から銀座へ河岸を変えた土橋と内田、着物を着た歳は四十歳くらいのママから、「また二人でなにか悪だくみしているんでしょ」と言われながらウイスキーのハイボールを飲んでいた。
「土橋さんのお気に入りの娘を頼む」と内田からママは言われていた。肩の大きく出た黒いドレスの優子が土橋の隣に座る。
「優子ちゃんも飲んでよ」、お気に入りの優子が来た土橋が言う。
「ありがとうございます」、ウイスキーの水割りを作って言った。「頂きます」優子が口をつけた。
「何かの御祝ですか」優子が土橋と内田にいう。
「そうなんだよ、土橋部長にまたお世話になちゃって」
「そうなんですか土橋さん」
「内田さんが熱心なんでね」と土橋。
一時間ほどして、土橋が時計を見ながら、「今日は、このへんで」と腰を上げた。
内田とママと優子に見送られて土橋が帰ろうとタクシーに乗り込もうとしたとき内田が紙袋を「お土産です」と土橋に渡した。
「土橋さん、本日はありがとうございました」とママに、「土橋さんまたいらしてくださいね」と優子に言われ送り出された。
軽く左手を上げて挨拶した土橋。車が西、新橋方面に向けてゆっくり進み始めた。
クルマの中の土橋は、しばらくクルマが走った頃内田から手渡された紙袋の中を確認する。ひとつは本物の羊羹、もうひとつの袋を親指と人差し指で広げて中を確認した。束の帯を三つ感じた土橋は満足そうに目を閉じた。
「工事、早めてやらないといけないかな」と呟きながら。
ビール券、ゴルフ、ソープランド、料亭、お土産、全ての原資は組合員が十数年かけて蓄えた修繕積立金を狙ってのものだ。

 小峰理事長のスマホが鳴った。
「今度の理事会、大規模修繕工事に向けた設計事務所の選定の話をするので私の話をサポートお願いします」江村が言う。
「承知しました。先日はありがとうございます。それに義父も江村さんには良くして頂いていると話しておりました」。小峰理事長が返した。
理事会が開催された。
「大規模修繕に向けて修繕委員会を発足させましょう。いまの主流は設計監理方式です」江村が言った。
「そうですね、そのようにするのが良くないでしょうかね。皆さん」と小峰がしっかりサポートするべく言う。
副理事長、理事、監事、役員、全員輪番で選ばれ、あみだくじで役職を決めたメンバーで大規模修繕のことなど何も分からない素人集団の理事会は江村の提案にみんなが、「……そうですか」という態度しかとりようがない。

 一月の定期総会で修繕委員会の設立が普通決議で決議された。
総会での決議は過半数で決議できる普通決議、四分の三以上で決議できる特別決議、建替え決議は特別決議で五分の四以上になるが、修繕委員会の設立は普通決議だ。

【区分所有法第四十二条】 総会の議事については、議事は、書面または、電磁的記録により、議事録を作成しなければならない。

総会の議事録を見た藤堂は、修繕委員の募集が告知されるのを待っていた。三月になっても何の動きもないことをおかしいと思い藤堂はマンション一階の防災センターに江村を訪ねた。
「一月の総会で修繕委員会の設立が決議されましたが、委員の募集が無いのはなぜですか」
「新しい理事会の皆さんが、掲示板の掲示で募集するか、全戸に配布するか、検討中なので決まり次第募集がかかると思います」と江村が答えた。
「分りました」。藤堂は答えて防災センターの外部鉄扉を閉じて踵を返した。
江村が慌てて金井に電話する。
「金井課長、今私を訪ねて五十過ぎくらいの男が尋ねてきて『修繕委員の募集が無いのはどうしてか』と訊いてきたんです。どうしましょう」
「修繕委員になりたいだけのオヤジだろう、ほうっておいていいよ」と金井が言う。
「分かりました。金井課長、設計事務所の募集は予定通りにやっていいですか」
「上手くやるのが君の腕の見せ所じゃないか」、金井が言った。
「……分かりました」、少し困惑した様子の江村が返した。
それから一月後、掲示板に
「大規模修繕工事に向けた設計事務所募集。お住まいの方で大規模修繕工事の設計監理ができる設計事務所を御存じの方は管理会社にお知らせください」
という告知書面が掲示された。江村をジャーニズのコンサートチケットを用意した建物リサーチ設計の名前が入った七社の設計事務所が名前を載せてある。すでに七社は選定済だ。
組合員の紹介する設計事務所があったとしても建物リサーチ設計に落とし込む手だてがあるということか。
西急ライフアシストのたくらみを理解した藤堂は、防災センターの江村を訪ねた。
「総会で修繕委員会の設立が決議されているにもかかわらず委員の募集もなく、修繕委員会の設立もないまま設計事務所の公募を行っている。しかも七社はすでに選定済。どういうことですか、納得のいく説明をお願いします」
「理事会の方が『どうやって良いか分からない』ということで弊社が……」話の途中で江村は黙り込んでしまった。
「黙ってもらってもしかたがない。あなたの上席の方と相談して明日中に連絡をください」と言って防災センターを後にした。
江村が金井に電話する。
「金井課長、まずいことになっちゃいました。以前に話をした男がまた来て『修繕委員会も設置せずに、設計事務所の募集とかどういうことか、上司と相談して説明してくれ』と言って来ちゃいました」どうしましょう。
「まずいな、俺も一緒に説明に行く。時間を取ってもらうんだ」。金井が言った。
翌日の夜防災センターで話をして警備会社の人間などスタッフに話をきかれたくない江村は、藤堂の玄関インターホンを使った。
ピンポーーン。音がエントランスからでなく、玄関のインターホンの音だ。
「西急ライフアシストの江村ですが、藤堂様、修繕委員会の件で伺いました」
藤堂が玄関ドアを開けた。
「ありがとうございます。私の上司が『一度お会いしてご説明させて頂きたい』と申しておりますので、お時間を作って頂けないでしょうか」、江村がお願いする。
「分かりました。明日十九時にエントランスロビーでお願いできますか」
「申し訳ありません。できればマンションの外でお願いできないでしょうか」
「……じゃあ明日会社に来てもらって良いですか」
「はい、明日何時に伺わせて頂ければ良いでしょうか」
「明日の十三時、有楽町一ノ十二ノ一新有楽町ビル十一階ポータルポイント内のAMAにお願いします」
 江村が慌ててスマホをポケットより出してメモする。
新有楽町ビル、戦後GHQの司令部とされマッカーサー執務室が残る第一生命ビルと昔はフランク永井の「有楽町で逢いましょう」の舞台となったそごう有楽町ビル、現在はビックカメラ有楽町店に挟まれた四菱のビルだ。
地下鉄有楽町駅の地下通路D2出口が新有楽町ビルとの直結出入口だ。ビルの地下一階のカフェトトールの前で江村は金井を待った。
金井がD2出入口の階段を昇ってきた。
「行こうか」、金井が言う。
エレベーターが十一階で停まりカーペット敷のフロアを歩くと左右に違う会社らしき様子が見えた。右は金融関係らしき雰囲気を感じた金井が左の方へ歩くと受付らしき若い女性の姿があった。「AMAの藤堂さんと十三時約束で伺ったのですが」金井が言う。女性が無言のままタッチパネルを手で示した。
受話器を取って受付と書かれたパネルに触れると会社名がアルファベット順に並ぶ。AMAに触れると電話の呼び出しになった。
藤堂のスマホに繋がり、「今そちらに伺います」と答えが返って来た。藤堂がドアを開いて、「どうぞ」といって金井と江村を中に入れる。
「こちらにどうぞ」と窓際の席に案内して、「水とお茶がありますが、どちらがよろしいでしょうか」と藤堂が訊いた。
「お茶をお願いします」。金井が言うと、「私も同じものをお願いします」。江村も続けて言った。
サーバーから注がれたお茶が入った小さな白い紙コップを三つ持って藤堂が戻って来た。
金井と江村が名刺を出した。
藤堂は迷ったが名刺交換した。名刺を見た金井と江村の顔色が変わった。
一級建築士でマンション管理士が目に入ったからだ。管理会社にとってマンション管理士はある意味天敵だ。
マンション管理会社にいいように扱われていたマンション管理組合をサポートする人間も必要ということで、マンション管理士を国家資格として設けた。藤堂はマンション管理士事務所で一級建築士事務所を経営している。
「いやー、申し訳ありません。お時間作って頂きありがとうございます。藤堂さんマンション管理士でいらしたのですね、東京プライムハウスの大規模修繕工事に関しては設計監理方式で行く方が良いと理事会で決まったので、設計事務所の募集を行った訳なんです」。金井が言った。
「確かに決定機関は理事会ですが、先の総会で修繕委員会を設置することが決議されましたよね」藤堂が尋ねた。
「……そうなんですが……」金井が言葉に詰まった。
金井が続ける。
「藤堂さん弊社は御存じの通り財閥系の管理会社で親会社は西急グループで数万棟のマンションを造って来ております。グループ全体ですとマンション管理組合様とのお付き合いは凄い数にのぼります。藤堂様が一級建築士でマンション管理士でいらっしゃるのであれば、西急グループのマンションの管理に係わる仕事をお手伝い頂けないでしょうか」
「そうですね、条件が合えばお仕事させて頂きたいですね。金井さん今日はそのことでお出で頂いた訳ではありません。東京プライムハウスの総会で修繕委員会の設立が決議されたのに、設立がなされていないにもかかわらずに、設計事務所募集が掛けられてしかも七社はどこからともなく決まったものがあるのはどういうことかご説明頂きたい」。藤堂が言う。
「藤堂さんこれには……、事情がありまして……、弊社に協力頂ければ御社の為になると思いますが」、金井が振り絞るように言う。
「何か勘違いなされておいでのようですので御帰り頂けますでしょうか」。藤堂は立ち上がって帰りを促した。
「今日は失礼いたします。またご連絡させて頂きます」。金井がそう言いながら立ち上がった。
エレベーターで地下一階まで降りたところで江村が金井に言う。
「どうしたら良いですかね」
「君が、もっとしっかり組合員の情報を仕入れていればこんなことにはならなかったんだ」金井が言った。
「でも課長」
「でももクソもあるか」
「部長に相談するしかないか」、金井が呟いた。

翌日の朝、金井が部長の土橋に電話を掛けていた。
「土橋部長、実は困ったことがおきまして」と昨日のことを報告していた。
「分かった」。土橋が電話を切って黒い手帳のアドレス帳を見る。マンション管理士の唐牛の番号を探した。机の上の受話器を左手で取って電話を掛ける。
呼び出し音が二回鳴る、「ああ唐牛さん、西急の土橋です。実はご相談したい件がありまして明日にでもお時間作って頂けないでしょうか」
「大丈夫ですよ、明日の十時に土橋さんの事務所に伺わせて頂きます」、西急ライフアシストより仕事を回してもらっている唐牛は土橋にアタマが上がらない。唐牛はマンション管理士会関東支部長だ。
翌日の九時五七分、渋谷区のビルの十階、西急ライフアシスト受付前に唐牛はいた。
受付電話の受話器を取って話す、「土橋部長と十時に約束で伺いました唐牛と申します」
電話の向こう、若い女性の声で、「しばらくそちらで座ってお待ちください」と言われて濃いグリーンの生地の椅子に座り待つこと三分程、先程の電話の相手と思われる女性が唐牛を「こちらへどうぞ」と受付横のソファーが置かれた部屋へ案内した。部屋の隅のショーケースよりミネラルウォーターを三本取り出して唐牛の前に一本向かいの席に二本セットした。
紙袋に入ったお土産を女性に渡す唐牛。
「お気遣いありがとうございます」、と言って女性は部屋を出た。
女性が部屋を出るのと入れ替わりに金井と土橋が入ってきた。
「土橋さん、お久しぶりです」と唐牛が挨拶した。
「ご足労頂いて申し訳ない。お気遣いまでありがとうございます」と土橋が返した。
「いえいえ、とんでもない。土橋部長には大変お世話になっておりますんで」、唐牛が返した。
「今回は唐牛さんにちょっと助けて頂きたい」。土橋は言った。
「金井課長、事情を唐牛さんに話して」、土橋に促されて金井が切り出した。
「東京プライムハウス、弊社で管理している豊洲の五一三戸のマンションなんですが弊社で仕込み中だったのです。居住している組合員にマンション管理士がいて邪魔なんです。それで味方につけようと先日事務所に行って話をしようとしたんですがとりつく島が無い相手で」
「それでマンション管理士なら唐牛さんに、なんとかして頂けないかという訳なんです」。と土橋が言った。
「名前は何という管理士ですか」、唐牛が訊いた。
「藤堂吉継と言って有楽町のシェアオフィスに事務所を構えている男なんですが」金井が言った。
「……奴ですか、一級建築士事務所も併設してるんですよね、噂は聞いています」。唐牛が黙った。
「唐牛さん、今度の日本マンション管理士会の役員選出でも力になりますんで何とか話を付けて頂けないでしょうか」、土橋が言った。
「西急さんには大変お世話になっていますんで、精一杯やってみます」
「宜しくお願いします」。土橋と金井が合わせるように言った。
 
 翌日、唐牛が有楽町の藤堂の事務所が入るビルにいた。受付の受話器を持ってディスプレイを唐牛が操作していた。操作している途中でスマホを耳にあてながら藤堂がドアを開けて唐牛に中に入るように促した。金井と江村を座らせた同じ席に案内する。
「水とお茶が用意できますがどちらにされますか」と藤堂が訊いた。
「お茶をお願いします」
お茶が入った小さな白い紙コップを二つ持って藤堂が戻って来た。
唐牛が名刺を出した。
藤堂は名刺交換した。
「一級建築士でマンション管理士ですか二刀流ですね。私たちは建築のことがどうも苦手で、組合さんからの信頼が今ひとつで困っていますよ」。と唐牛が言った。
「マンションの大規模修繕なんて、塗ったり貼ったりの工事で難しいことなんてないじゃないですか、食わず嫌いで建築のことになると手を上げているだけでしょう」藤堂が返した。
「今日、藤堂さんにお話ししたいのはマンション管理士会の次期役員の推薦者の件で伺ったんです。藤堂さん、役員になって頂けませんか」
「唐牛さん、今は役員には興味がありませんので」
「いやいや藤堂さん、そうおっしゃられずに、役員になって頂ければ管理会社との話し合いの機会も増えますし、藤堂さんの今後のことを考えて気を使ってくれる会社がありますので、それで藤堂さんのお住まいのマンションの大規模修繕工事の件なんですが……」 
唐牛が話している途中で藤堂が話出した。
「唐牛さん、私のマンションの大規模修繕工事とマンション管理士会の役員とは関係ありませんよね」
「藤堂さん、『綺麗すぎる水には魚も住まない』と言いますよ、このままだと誰も得しないじゃないですか」
「その誰もとやらはあなた達だけじゃないんですか、得をするのがあなた達なら誰が損するんですか! 毎月毎月十数年間蓄えてきたのは組合員ですよね。組合員が損をするんじゃないですか」藤堂は言った。
「……」何も唐牛は言わなかった。
「お帰りください」。藤堂が言った。
唐牛の話を断ったことによるものか、ほんの少しだが関東マンション管理士支部から回ってきていた仕事のマンション相談の派遣依頼の話は一切来なくなった。

 数日後、理事長の小峰の自宅を藤堂は尋ねた。
「私一五一七号室に住んでます組合員の藤堂といいます」
「何でしょうか」小峰が訊いた。
「総会で修繕委員会の設立を決議しているにもかかわらずに修繕委員会の設立を行わず、理事会が設計事務所の募集を行うなど管理会社に操られてやっていることでしょうが問題があります。設計事務所の募集は取り辞めて、修繕委員会の設立から行ってください」
「私は、理事長にはなっているんですが、詳しくなく管理会社のいう通りに……」
「分かりました、次回の理事会にオブザーバーとして出席させて頂けませんか」
「……分かりました」
理事会に参加した藤堂が一五名の理事に今のままの進め方には問題があること修繕委員会の設立が必要なことを説明して承認してもらった。
翌日、「修繕委員募集」の書面がマンションの三ヶ所の掲示板に貼りだされた。

 二〇一六年初夏、東京プライムハウスの第一回大規模修繕に向けて設立された修繕委員会の第一回が開催され、マンション内のミーティングルームで藤堂その他六名が顔を合わせた。
修繕委員長には一級建築士でマンション管理士の藤堂が、副修繕委員長には一級建築士で設備設計会社に勤務する石谷が就任した。
「百聞は一見にしかずと言いますから、まず一度みんなでマンションを見て回りましょう」との藤堂の提案により七名でまず屋上に上がった。
屋上の平場は、アスファルトシート防水で銀色のトップコート仕上げ、一部が花火や日の出等の観賞用として人が立ち入ることが可能な歩行用シンダーコンクリート仕上げとなっている。パラペットは立ち上がりがアスファルトシート防水で、上面はウレタン塗装防水仕上げで大庇もウレタン塗装防水仕上げだ。
「屋上は、それほど悪くなっていませんね」と藤堂が言った。
「経過観察で良くないですか」石谷が言ってみんなで屋上から最上階の二十階に降りた。見るのは外部共用廊下だが、廊下を歩くのは最上階にいる人だけだ。それほど悪くなってはいない。外部階段の床と壁が、最上階で庇がなく雨ざらし陽ざらしになっていて少々劣化がみてとれる程度だ。
打診棒を取り出した藤堂が壁のタイルを打診する。カラカラと乾いた音がするとタイルが浮いて劣化している証拠だがそういう音はしない。ほとんどしっかりと躯体に接着している。マンション等の建物の場合最上階と一般階と最下階の三つに分けられる。最下階一階の廊下は居住者全員が行き来するので特別に劣化が進む。最上階は屋上の直下ということで特別。一般階はその階の居住者しか廊下を行き来しないので最上階や一階ほどには劣化は進まない。
最上階の二十階からひとつ階を降りて、一九階、床の平場は長尺塩ビーシート側溝巾木はウレタン塗装防水の複合防水、壁は住戸側は四五二丁タイルのベージュを基本のランダムカラー、外部側はアルミ手摺、天井は上階からの浸水を逃がすための透湿性塗料仕上げだがどれも修繕行うまでの劣化は見当たらない。
一般階は、どの階も同じとの藤堂の提案でエレベーターで一階に降りる。
さすがに居住者全員が行き来するだけあって壁の塗装の汚損は若干あるし、床の塩ビシートの汚損もあるが、天井や壁の住戸側タイルに大きな劣化は見当たらない。
別棟で自走式駐車場がある。五一三の住戸用と来客用の七台分の駐車スペースと駐輪場、地下には、ゴミ置場、電気設備室、受水槽室とディスポーザー設備室が入っている。地下はRC造だが、七階が屋上となる一階から上は鉄骨造だ。全員でエレベーターで最上階に上り、歩きながら診て降りる。錆が出始めてはいるが修繕に取り掛かるまでの劣化ではない。
ひと通り、全体を見て回りミーティングルームに帰った。
「せっかく修繕委員会作りましたけど、大規模修繕にはまだ早いようですね。しかし、ひとつ気になっている点があるんです。窓ガラスが既存単板ガラスなんですが、現在は省エネガラスが標準の時代になっています。現在造られているマンションは殆ど省エネガラスです。社会的劣化と言っていい状態です。今なら建設省の補助金が工事費の三分の一出ますし検討してみませんか」藤堂が提案した。
「検討してみましょうよ」一人の委員が答えた。
竣工後十一年の東京プライムハウスは、大規模修繕工事を行う前に単板ガラスから省エネガラスへの更新工事を行うべく検討に入り、総会承認を経て、工事費の三分の一を国土交通省の補助金を使って窓ガラスを真空ガラスに更新する工事を行った。
定期総会終了後の夕方の親睦会で当時、副理事長だった鴨志田さんが、遠い席から藤堂に歩み寄って、ビールを注ぎながら言ってくれた。
「いやー藤堂さん、ガラス替えて良かった。ウチ年寄りがいるんだけど『家が暖かくなってよかったねー』と毎日言うんだよ」
「窓が結露しなくなって、カビが無くなったので子供の喘息が治って本当によかったわ、藤堂さん」区議会議員で理事の川村女史からも言われた。
「藤堂さん、私オーディオが趣味なんですけど外の船の音が聞こえなくなったし、スピーカーから出る音の響きが凄く良くなったよ」理事長だった中園の喜ぶ顔があった。
「電気代が凄く安くなって良かったわ」一緒に修繕委員の一人だった女性の田部井さんが言ってくれた。
 藤堂は懇親会でのみんなの喜ぶ顔がアタマから離れない。

 修繕委員会が立ち上がった月に管理会社西急ライフアシストの江村と金井は福岡へ転勤となった。
内田と土橋は、唐牛と組んで世田谷のマンションに狙いを定めて動き出し銀座で前祝いを行った。

計画修繕工事は談合を防ぐべくコンサルタントの選定、施工会社の選定には管理会社を排除し選定条件にはできる限り条件を付けずに行った。工事は駐車場棟、屋上、一階、外構、劣化が進んでいて足場を掛けずに行える部位を前期工事とし、二〇一八年の二月より八月まで行った。足場を掛けて行う建物本体の屋上、バルコニー、廊下、外壁を後期工事とし二〇二一年二月より一一月まで行い無事故で完工した。
後期工事でバルコニーの塩ビシートを木目調にしたことで「これなら置敷ウッドデッキ必要無いわね」とのことで多くの住戸が敷いていたウッドデッキ調の置き敷タイルが全戸廃棄された。組合員からは「バルコニーが凄く良くなった」と評判だった。





第5章 一級建築士でマンション管理士

二〇二一年の二月、藤堂は一〇歳になったアラシを連れて、運河沿いを散歩していた。
「あら、アラシ君」、イブちゃんママだ。
「一年ぶりですね。イブちゃんも五歳ですね」
「アラシ君のお父さん、大規模修繕委員長お疲れ様です。いよいよ工事がはじまりますね。これからも宜しくお願いします」
「はい、この間の定期総会で承認頂きましたから、後は無事故で工事が完了するのを祈るばかりです」
「総会でも『修繕委員会の皆さん、頑張って頂いてありがとうございます』、との声が随分上がってましたもんね」
「実は私、一級建築士でマンション管理士なんですよ」と言いながら藤堂の頭の中は、一級建築士……、マンション管理士……、十八年前の二〇〇三年からを思い起こしていた……。

藤堂は、二四歳で結婚し二六歳で長女、二九歳で長男を授かり、子育てもあり、また自分自身に甘えがあって一級建築士の大事さは十二分に分かって気にはしていたものの、無資格のまま四十歳を過ぎていた。
家族で釣りに出かける途中に寄ったガソリンスタンドで藤堂が、「ガソリンスタンドはガソリンという燃えやすい物をたくさん貯蔵することになるので、一級建築士でないと設計できないんだ」と言ったら、長男が、「ふーん、お父さんは何級?」、と聞いてきたが、無資格だった藤堂は、何も答えられずに自分自身に気まずい空気が流れて助手席の妻が笑ったことがあったりもした。「このままだと、棺桶に入ったときに『ああ、一級建築士と宅建を取っておけば違う人生になっただろうな』と後悔しそう」と藤堂は思っていた。
何が原因で自分にスイッチが入るか分からないもので、藤堂の場合単身赴任のある件からが始まりだった。
家族を熊本に残して福岡に単身赴任をしているときに、職場と住まいの間にあるショッピングセンターの中の本屋で「住宅監修」という軽井沢の別荘のような少し面白い住宅を紹介する雑誌を観たのだが、雑誌の中ほどにひとつの住宅が紹介されていた。
北側斜面住宅、三分一博士設計。陽当りの良い南側の斜面に建つ住宅は数多く観てきたが、北側斜面に建つ住宅でさらに日射の角度を考慮して夏の高い日差しは入ってこないように、冬の低い日差しは取り込むように造ってある。
藤堂は北側斜面住宅を観たとき、雷に打たれた感じがした。社会人となって住宅の営業として長崎の谷山建設で、一階はLDKに床の間付きの和室、二階に寝室と大きめの子供部屋、後で子供部屋を二部屋に仕切って使えるというプランで大きさは住宅金融公庫の低金利の制限である三三坪、屋根は切妻か寄棟という決まったパターンが大半の住宅と知ったときに「現実は、こんなもんか」と消えてしまった設計の感覚がムズムズと甦るようだった。

そして藤堂に、「自分スイッチ」を入れさせたもうひとつの出来事が福岡から熊本へのサイクリングだった。
BD‐1、一八インチの小径折畳み自転車なのだが、スタイリングの良さと折畳み方の奇抜さ、折りたたんだときの小ささで、中学生だった長女の通学用の自転車を購入するため訪れた自転車屋で、衝動的に購入した愛車だった。
単身赴任で住んでいた福岡市東区から、熊本の東区まで約一二〇キロをサイクリングしたのだ。走り終えて廻りの人より、「へえー凄いね」、「なんちゅーことするの」、「バカじゃないの、大丈夫!」、などと言われたことでそれまで、「四十歳か、六十歳まであと二十年か……」とネガティブ思考だったのが、「まだまだ老け込むには早いぞ、よーしやってやる。宅建から始めるか」と自分にスイッチが入った。
部屋の一四型ビデオ付ブラウン管テレビを押入に押し込んで、自分にプレッシャーを掛けて約一年勉強して宅建の試験に合格することができた。
「勉強する癖が付いているうちに一級建築士もやってみるか」、と資格の学校に通い始めた。藤堂はそのときは福岡から宮崎に転勤になっており資格の学校も平日は宮崎校、日曜は熊本校に通っていた。半年後一次試験の学科試験に臨みなんとか合格できた藤堂だが、二次試験の製図試験に臨むにあたりA2サイズの製図板に定規が付いている平行定規が必要になりそうだった。自転車を足にしている藤堂には平行定規を運ぶことが難しかった。「製図試験は、手描きで図面を描くことの無い現在、プランニングの考え方を問われる試験な訳だから良いだろう」とフリーハンドで臨むことにした。
試験当日、会場どこを見渡しても、皆一様に平行定規を小脇に抱えて歩いている。試験会場までBD‐1で来て、畳んだ自転車抱えた藤堂を、「なんだコイツ」という眼で見る。試験開始後も監視員が巡回するのだが全ての監視員が、藤堂を見る度に、「……ええーフリーハンド……」という顔をして一旦立ち止まり呆然と横を歩いて行った。
是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』死んでから死後の世界へと旅立つまでの一週間、死者達は一番大切な思い出を選ぶ。そして、その記憶が頭の中に鮮明に蘇った瞬間、その「一番大切な記憶」だけを胸に死後の世界へと旅立っていくという映画だ。
「俺が思い出としてあの世に行くときは今日のシーンを選ぶかもな」と藤堂は思った。
結果は二次試験の製図試験も合格で、「一級建築士と宅建取ってれば違う人生になったかも」と後悔することは無くなった。

調子に乗った藤堂は脱サラして、熊本でリフォーム工事会社を経営していたが上手くいかない経営が続いていたこと、すでに長女が東京青山の短大に通っていたこと、高校生の長男が東京の大学への進学を希望していることなどの理由で東京に出てきた。東日本大震災の半年前に藤堂一人が、震災一週間前に妻と長男が。

「腐っても鯛」と言うが、建築業界ではまさに「腐っても一級建築士」と言っても良いのではないかと思う。メーカー、施工業者様々な人が一級建築士であれば何故か「先生」と呼ぶ。もちろんお世辞が殆どだが。特別に何か教える訳でもないのに何故か一級建築士であれば「先生」呼ばわりされる。またそう呼ばれてよろこぶヤツ、そう呼ばないと不機嫌なヤツまでいるから始末が悪い。
二〇一一年当時構造計算を主たる業務にしていたTGSも、岡林が乗っ取って主たる業務をマンション大規模修繕工事の業務にシフトチェンジして間もない頃で一級建築士が欲しかったようで、五十歳になっていた藤堂も簡単な面接で入社することができた。
入社して気になることが時々あった。調査診断報告書なる書類に目を通して特に悪くなっていないバルコニーの床の側溝のウレタン防水面を見て隣の席の三十代の女性山口さんに藤堂が訊いた。
「悪くなってないのにどうして、『劣化している』になってるの」
 山口さんが答えてくれた。
「この会社では、調査診断報告書に劣化していない、悪くなっていないという評価はつけないようになっているんですよ」
マンションが劣化していないと修繕が発生しないので、劣化していなくても、工事に繋げる為に劣化しているという報告書を作成して提出しマンションの組合員の不安を煽る仕組みだったのだ。
ある案件の写真を見てマンションの集会室らしき部屋の中の黒板に三社の金額が書いてあり、一番小さい金額が〇で囲んであったのを見たことを大盛の運転する助手席で質問したのだが、何も言わずに薄ら笑いを浮かべる大盛の横顔を不思議に思ったことがあった。
それがまさに談合を仕込んだ結果だった訳だ。何も知らずに尋ねた藤堂が大盛は可笑しかったのだ。
二〇一一年から三年間、藤堂はTGSで働いた。ビートルズのようにバランスが良かったのだろう。妙薬のポール・マッカートニー役の営業部長大盛と、劇薬のジョン・レノン役の設計監理担当藤堂のコンビで、多くのマンションを訪問して釣りで言う「入れ食い状態」で仕事を受注しまくった。

マンション管理士については、TGSの社内で、本来であれば組合に出向く社員全てが知っておくべき事案の、「総会の意見が、同じ数で割れた場合はどうなるのか」という問題が誰も判らないときがあった。同数の場合は、過半数に達していないので否決だが、その程度のレベルだった。
「私、マンション管理士の試験を受けるわ」と言う女性がいた。
藤堂と同じ歳の若菜という神戸出身の女性、顔がどう見てもモンゴロイドだけでなく、コーカソイドのDNAが入っているとしか思えない。
長崎もそうだが昔異国の人がいた歴史がある土地だとコーカソイドのDNAが入ったような人がまれにいる。本人は違うと言うが藤堂は、間違いないと思っていた。眼も良く見るとオッドアイで右眼は濃褐色だが、左眼は淡褐色だ。今の時代には珍しく子供を四人産んで見た目もタフさも映画『エイリアン』でシガニーウィーバーが演じた「リプリー」という感じの成城マダムだ。
リプリー若菜は子供の頃から昔でいう、健康優良児タイプで文武両道、大学も以前総理大臣候補になった土井貴子が出た京都の有名私立を出ているような才女で藤堂と違って毛並みが良かったので一回で合格したが、「じゃあ俺も」と根性だけでひたすら過去問を解く勉強方法の藤堂は二回目の受験でなんとか合格できたのだった。
  
 藤堂は、これまで生きてきて何度か、「正義感が強すぎる」と言われたことがあった。映画『世界の中心で愛を叫ぶ』の中で長澤まさみ演じるヒロインが好きな映画を三本あげるシーンがある。『ローマの休日』、『ベンハー』、『小さな恋のメロディ』、ヒロインの彼氏は、『ライトスタッフ』、『明日に向かって撃て』、『ドラゴン怒りの鉄拳』、というシーンがある。
藤堂の好きな三本は『荒野の七人』、『アポロ13』、『評決』だ。それぞれに好きなシーンがある。
『荒野の七人』でチャールズ・ブロンソンが演じるベルナルド・オライリーが父親を卑怯者だと言った子供のケツをひっぱたいて叱るシーン。
『アポロ13』でエド・ハリスが演じるジーン・クランツが「私のチームから死者は出さないぞ」、とチームを鼓舞するシーン。
『評決』でポール・ニューマンが演じるフランク・ギャルビンが、金満弁護士事務所に、ハニートラップで情報を盗まれ、判事、証人、陪審員を買収されて窮地の法廷の最終弁論で「正義なんてありゃしない、貧乏人は何をしても負けるんです。自分を疑うことは、信念を疑い、この社会の制度を疑い、法律を疑うということです。しかし、今日は、あなたたちが法律だ。不正を憎み、正義を求める、あなたの気持ちです。私は皆さんの正義を信じています」と陪審員を説くシーン。
がたまらなく好きなのだ。藤堂は損得勘定がどうも苦手だ。金に対して全く鼻が効かない。妻からは金の無い方、金の無い方に行くと言われ続けている。
源義経は「発達障害、ADHDだったのではないか、兄頼朝に嫌われたのもそれが原因では」、との研究がなされているようだが、藤堂は自分も軽いADHDではないかと思っている。
結婚後、近くに住んでいた歯医者さんが「学校に歯科検診に行って子供の歯を診ると、その子の家庭が観える」と言ったのを聞いて子供の歯を磨いて二人を虫歯無しで子育てしたりできているので軽度だと思っているが、会議中に空気を読まずに上席に向かって歯に衣着せぬ物言いで思ったことを言い放ったりとかを、時々やってしまう。処世術は、〇点だ。
社長の大盛が会議中に「売れない画を描いても仕方ない」と言ったときも「はなからこの画を売って儲けようとか考えて描いた画は、人の心に響かないですよ。それともエウリアンが売り倒しているロッセンの絵のようなもの言ってます」とか、大盛が映画の『ゴッドファーザー』が好きだということを知っていながら、「ゴッドファーザーで一番印象に残ったシーンは何処ですか」と訊かれたときも、「若かりしゴッドファーザーが絨毯を盗むシーンです。『ゴッドファーザーとか言っても、しょせん盗人か』、と思いましたね」とか言い放ってしまう。
大盛治、業界のフィクサー岡林信彦からTGSを引き継いでマンション大規模修繕業界では名の知れた男だ。岡林がTGSを乗っ取ったのに合わせて引き寄せた。
「寄らば大樹の陰」、「長い物には巻かれろ」を地で行く男で、岡林を教祖様のように崇めて、岡林の言うことには全てイエスで答えるイエスマンだ。防衛大学試験に受かったことがある頭は良い男だが、以前は皇室詐欺までやっていた。国内の中小企業経営者などに対し菊花紋入りの案内状を次々に送付して「育成資金を賜る。その為にまず保証金として数百万円の納入が必要とのことである」と持ちかけて被害者を信用させるために賞状や偽物の「勲章」や「勲記」などを作成して満州国皇帝溥儀の弟までも登場させ信用させ被害者達から相次いで金を搾取したらしい。  
大規模修繕の談合など業界の為の必要悪だと信じて疑っていない、ある意味幸せな男だ。その皇室詐欺でも「藤堂さん、日本の皇室と結婚したラストエンペラーですよ」と知ったかぶりで話すので「大盛さん、日本の皇室と結婚したのなら、それは、ラストエンペラーの溥儀じゃない。弟の溥傑ですね」と話すとポカンとするありさまだ。建築士でもマンション管理士でもない。図面を描いたりしたことは一度も無い。それで良く「一級建築士事務所の社長です」など自分自身に恥ずかしくないものか、と藤堂は思っていた。建築士法第二条の二、マンション管理適正化法第四〇条など守る気は、さらさら無い。大盛の辞書に「倫理」という文字は無い。
映画『悪い奴ほどよく眠る』でいうなら森雅之が演じる、岩淵副総裁というところか。
 
「氏政の二度掛け」というエピソードがある。「コイツはダメだな」と思うときの逸話で、北条氏政が一杯のメシを食うのに味噌汁のお替りをしたのを見た父親の氏康が「毎日三度メシを食っとるのに味噌汁の量も測れんとは……、北条もワシの代で終わりか」と嘆いたという話だ。
 藤堂は三度、大盛に「氏政の二度掛け」を思った。
 一度目、社員に千葉の館山出身の若い子がいて、お父さんが会社に気を使って魚のブリ一本を送ってくれた。女性社員二人が大変な思いをして切り分けたのだがアタマや骨などアラがゴミ袋いっぱい出て、「このゴミどうしようか」と困っていたときに、「私が処分しますから大丈夫です」と大盛がそのアラの入った袋を手に取って会社を出たのだが、藤堂と二人で歩いて通りの角を曲がった瞬間、「あらよっと」、電柱の根本に投げ捨てたのだ。高校時代に先生が「ヤクザの語源は凄いと見せかけて実は大したことないこと、博打のカブで八、九、と来て三を出してブタになること」と教えてくれたことをその時藤堂は思い出した。
 二度目、社員旅行でハワイに行った。見知らぬ三十代前半くらいの女の子が来ていた。ゴルフのときは大盛と二人で回る。愛人という訳だ。右足首には赤い薔薇の入れ墨を入れていた。妻や子供がいることは社員みんな承知だ。みんなに分からぬようにやるのならまだしも、結婚した女子社員も多数いる中で夕飯にも同伴する品の無さが際立っていた。
 三度目、TGSでは月に一度五十名程が揃って、全体会議が行われていた。会議の初めは二十分スピーチと言ってヒアリングに呼ばれて組合の大勢の人の前で話をするときに、アガッてしまうことのないようにとの練習の意味で行う、話の内容は何でも良しというものだった。二十分のスピーチ、ちょっとした講演だ。大抵の社員は、自分を自己紹介をするような「どういう仕事を経験してきた」だとか「私は犬を飼っています」だとかという話を「まだ二十分にならないですか」といいながら話をするのだが、藤堂は嫌いな時間だった。が、「次は藤堂」ということになった。
藤堂のADHDが出た。人の話を聴いて「しょーもな」と思っていた藤堂はまた変な正義感に燃え、アメリカの軍事目的で開発されたプログラムのLIFOについて話をした。どういうプログラムかというと、潜水艦の乗組員の選別で仲の良い者を選別しても航海が続くとどうしても、仲たがいが発生してトラブルが頻発するのをどう改善するかという目的で開発されたものだ。人は持って生まれた性格があるが平穏時と緊張時で違う場合がある。豹変がそうだ、普段おとなしい人が急に勇ましくなったり、普段おおらかな人がここ一番で慎重になったりする。潜水艦の場合、平穏時は仲が良いチームでも、航海が長くなり緊張時には平穏時と違った性格が出た場合に、バランスが悪くなるので、あらかじめ、平穏時と緊張時のタイプを把握してバランス良く配置することで、良いチームを作ろうというものだ。個人も自分が平穏時どういうタイプか緊張時どういうタイプか知って、相手がどういうタイプかを考えて付き合うことで人生の役に立てようというものだ。
A/D 良く言うと、おおらか。見方によっては、いいかげん。
C/H 良く言うと、几帳面。見方によっては、神経質。
S/G 良く言うと、優しい。見方によっては、頼りない。
C/T 良く言うと、頼もしい。見方によっては、横暴。
藤堂は、テストを二回行っているが、二回とも当然同じで、平常時C/H・C/T。ストレス時もC/H・C/T。良く言うと裏表がない、悪く言うと融通が効かない人間だ。
 藤堂は映画『クリムゾン・タイド』で潜水艦のジーン・ハックマン演じる艦長がA/D、デンゼル・ワシントンが演じる副艦長がC/Hでバランスを取っていること、東名高速の煽り運転事故で無くなったご夫婦のお父さんが自分のタイプを知っていて、「目を閉じて五つ数えて、直接口を出さずにいたら最悪の事態は防げたかも」など、自分なりに二十分のスピーチをバッチリ決めたつもりだったのだが、大盛から、「AだのBだの何かよう解らんかった」とのたまわれた。
「このまま詐欺を続けて行っていいのか。あの世に行って親父やお爺ちゃんになんて言われるだろう」
「知らずに入った会社でのことだ、仕方がなかったさ、いつの時代でも、何処でもやってることだ」と言ってくれるだろうか。
「詐欺だぞ、おまえ恥ずかしくなかったのか」と言われないだろうか、と気にしながらTGSにいたが、答えが出た。
 詐欺から足を洗って、マンションMを建築士アーキテクトのAと管理士アドミニスターのAでサポートする一級建築士事務所でマンション管理士事務所のAMAを設立した。

 「まあ! 一級建築士でマンション管理士、プロでいらしたんですね。どうりで、真空ガラスのときから凄く良くなったと評判でしたけど今度のバルコニーの床も評判良いですもんね」
……十八年前からを思い起こしていた藤堂、現在に戻った。
「そう言って頂くと一級建築士でマンション管理士冥利につきます。ありがとうございます」
「これからも、宜しくお願いしますね」そう言ってイブちゃんとイブちゃんママは、歩いて行った。







第6章 豊洲パークホーム
   
豊洲パークホーム、晴海通りに中学校を挟んで面した、昔は鉄骨製作会社の事務所だった土地に建っている。
一見、一棟に見えるが、エキスパンションジョイントで繋がっている実際は五棟だ。
バルコニーがキャンチレバー、片持ち梁なので面積が小さく隣戸との堺がアルミの枠にケイカル板等の窯業材で仕切られている。
隣戸の音が聞こえやすい。また窓の上に梁がある為窓の高さが高くとれないのが特徴だ。
総戸数七四〇戸、高さは地上一八階、築一四年、主要外壁は四・五二丁タイルカラーリングは、下層がレンガ色に近い赤、上層は白でアクセントカラーで青が入っている。床の防音等級も高くは無い。安普請とまではないが東京プライムハウスと比較するとランクダウンだ。
一フロア一二〇台で六階建ての自走式駐車場と一二〇㎡で三階建て保育所が別棟。
元施工が長谷山工務店、管理会社も長谷山コミュニティが行っている。

「豊洲四丁目マンション連絡会で、ゴルフに行きませんか」という話になった。
二〇二一年一月の朝、東京江東区の湾岸ゴルフリンクスに東京プライムハウスの四人、藤堂、石谷、と理事二名、豊洲パークホームの四人の計八人が集まった。
「おはようございます。宜しくお願いします。豊洲パークホーム理事長の広兼です」、藤堂に挨拶するのは六十半ばと思われる女性だった。
「東京プライムハウスで修繕委員長をやっている藤堂です、宜しくお願いします」
「あなたがそうなんですか、藤堂さんはウチのマンションでは、ヒーローなんですよ」
「どうしてなんですか」
「プライムは凄く上手く修繕工事をやっていると評判なんです。『だれが取り仕切っているんだ』って。また色々教えてくださいね」
映画『刑事ジョンブック』や『トップガン』に出演したケリー・マクギリスに似た綺麗な女性だった。
一月とは思えないほどに暖かく、東京ゲートブリッヂを見ながら、ゴルフは楽しく終了した。広兼理事長はレディースティーから九八。藤堂は白ティーから八四だった。
「藤堂さん、ゴルフもお上手でしたんですね。申し訳ありませんが、六時からの懇親会には参加できません。また今度ご一緒してくださいね、今日はありがとうございました」と言って一人先に帰って行った。
その日の午後六時、懇親会を豊洲駅近くの居酒屋で開催した。
「広兼さんは、ご主人が脳梗塞で倒れられて要介護なんですよ。時々ご主人が乗った車椅子を押しながら歩かれているところを見ます」豊洲パークホームの一人が言った

【標準管理規約第五三条 理事会の会議及び理事 コメント】
①理事は、総会で選任され、組合員のため、誠実にその職務を遂行するものとされている。このため、理事会には本人が出席して、議論に参加し、議決権を行使することが求められる。
②したがって、理事の代理出席(議決権の代理行使を含む。以下同じ。)を、規約において認める旨の明文の規定がない場合に認めることは適当でない。豊洲パークホームは、規約において代理出席を認めていた。

 ゴンドラ足場、超高層マンションなどで枠組足場が組めないところなどで使う昇降式の仮設足場だ。ゴンドラ足場の会社ゴンドーラの社員小畑は豊洲パークホームの組合員で居住者だ。豊洲パークホームは、地上十八階建てで枠組足場で十分なのだが、なんとかゴンドラ足場で工事できないものかと思案していた。
二〇二一年二月グリーンレイクゴルフクラブ埼玉、川越にあるゴルフ場、ハーフを終えた三名が昼食をとりながら話をしていた。ゴンドーラの小畑と上司の土屋、TGSの社長大盛の三名だ。
「大盛社長、今度小畑の住むマンションの大規模修繕工事が動きだすんですよ、一八階建てなんですけど、なんとかウチのゴンドラでやれないでしょうか」。土屋が言った。
「小畑さん、たしか豊洲パークホームですよね」大盛が言った。
「はい、それで長谷山と組みたいと思うんです。長谷山にはTGSを推しますんで是非なんとかゴンドラを使うようにしてもらえませんか」。小畑が言った。
「キャナルホーム豊洲が一八階で枠組足場でしたからね、……分かりました、ウチを長谷山に推して頂けるのでしたら、精一杯やりますよ」
ゴンドラ足場は秒速一〇メートル以上の風が吹くと危険なので使用することができない。また作業員の移動、資材の運搬が枠組足場と比較して稼働率がすこぶる悪くなるので、価格に跳ね返ってくるのだ。長谷山が元施工で竣工した近隣のキャナルホーム豊洲が昨年地上一八階で枠組足場、東京プライムハウスが現在施工中だが、地上二〇階で枠組足場で工事しているのに、地上一八階の豊洲パークホームをゴンドラ足場というのは無理がある。

 マンション管理士の近田が六年程前より顧問マンション管理士として豊洲パークホームに入っていた。元々は組合員で居住者の一人が俗にいうクレーマーで、管理会社は元より理事会に対してもあることないこと理由を付けてクレームを付けるために、マンション内が上手く回って行かない状態になり、クレーマー対策ということで入ったらしい。
クレーマー問題が解決した後もズルズルと継続していたのを前の理事長が顧問契約を辞めると申し出たのだが、「大規模修繕工事を控えています。私がマンション管理士として責任を持って施工会社の選定補助を行います」と近田が言うので施工会社の選定時のみ補助を依頼するという約束を組合と取り交わしていた。

港区芝の長谷山グループの東京本社ビル、全体が白色の石張りとガラスの外壁で覆われた十二階建てビルの四階の長谷山コミュニティの応接室に近田マンション管理士がいた。
「いやーお呼び立てして、申し訳ありません」。長谷山コミュニティの豊洲パークホームのフロントの佐田が入ってきた、手には二九〇㎖の来客用水ペットボトルを二本持って来て一本をソファーに座る近田の前に置いた。
「近田管理士の事務所に伺うべきなんですが、自宅を事務所にされているようなので弊社にお呼び立てしました」
「豊洲パークホーム、大規模修繕工事に向けて動きだすんですけど、近田さんにも良いお話になるかと思いますし次回の修繕委員会より弊社にご協力をお願いしたいのです」佐田が続けて言う。
日本中でマンション管理士だけを生業としている者は数名だ。近田は弁護士になるべく司法試験を何度も受けてきたのだが、合格することができずに資格取得スクールで宅建取得の講師などしてなんとか食っていっている状態でマンション管理士の事務所も独身で独り身には丁度良い千葉の1LDKの自宅アパートを事務所にしている。
「協力というとどういうことを行えば良いのでしょうか」、近田が訊く。
「組合との契約は大規模修繕工事の施工会社選定をサポートするようになっていると思いますが、修繕委員会のコントロールをお願いしたいんです」、佐田が答えた。
「私には、どんなメリットがあるんですか」
「近田さん、長谷山グループは日本で一番多くのマンションを造ってきています。当然ながら管理しているマンションも相当数あります。今後高齢化などで管理組合運営をマンション管理士などに委託する『第三者管理』を行うマンションが出てくるじゃないですか」
「それじゃ、マンションの第三者管理の話が出たら私を紹介して頂けるということでしょうか」
「当社グループも組合さんに知らないマンション管理士は紹介できないじゃないですか」
「今ここで回答を、と言っている訳じゃないんです。今度の理事会の前までに、なんとか良い返事を頂けないでしょうか」
「わざわざお出で頂きましたので帰って食べてください」と黒に金色で鹿の絵柄の紙袋を手渡した。
近田がビルを出て東京メトロの芝公園駅に降りて、ベンチに座る。手渡された紙袋の中を覗くと羊羹と封筒があり中を確認した。ビール共通券瓶六三三ミリリットル二本と書かれたビール券が二十枚程度だ。換金ショップで換金すると一万四千円程度か。
翌日近田が佐田に電話した。
「佐田さん、昨日はお土産ありがとうございました。きのうの佐田さんの協力依頼を考えたのですが私にとっても良い話かと思いますので前向きに検討したいと思っているのですが、工事金額にすると十億円を超える工事となるかと思うのでもう少しなんとかならないかと思いまして。修繕委員会は私が纏めますから」
「もう少し、と言うとどういうことを要望されますか」
「私も危ない橋を、渡らないといけないので、長谷山と組合の工事契約が交わされた時点でキャッシュで三〇〇万円お願いできませんか」
「そうですか分かりました。協議して連絡します」佐田は電話を切った。
佐田が部長の荒木に電話した。
「分かった。私がリフォームに連絡して聞いてみるよ、また連絡する」と言って荒木が電話を切った。
管理会社の荒木は長谷山グループの工事部隊である長谷山リフォームの専務滝川に電話した。
「ウチで管理している七四〇戸のマンションの件で相談したいのですが」
「じゃあ明日にでも、亀山塗装も呼んで打合せをしましょう」滝川が答えた。
翌日、長谷山ビル四階の応接室に、コミュニティのフロント佐田と部長荒木、リフォーム工事部門が入っている七階から長谷山リフォームの役員滝川と施工会社の亀山塗装の常務亀山の四名がいた。
「豊洲パークホームの大規模修繕工事が動き出します。中に一人マンション管理士がおりまして、管理組合側に立って弊社グループに敵意を持っておりましたので取り込みにかかって話をしたのですが、『マンション管理士としての仕事の紹介だけでなく、契約が決まった時点で三〇〇万円キャッシュで』と要求があったのです」荒木が報告する。
「亀山常務、なんとかなりますかね」滝川が訊く。
「大丈夫です。組合さんと長谷山さんの契約が取り交わされた時点ですよね。亀山を使って頂けるのでしたらウチでそのマンション管理士の三〇〇万はなんとかします」
「そうですか、助かります。組合内にも協力者は用意してあるんですが味方は多い方が良いですし、もう数年前からマンション管理士として入りこんでいるので協力者にしておいた方がなにかと都合が良いので」佐田が言った。
「そのマンション管理士を味方に付けることができれば、それで済むのか、そのマンション管理士が責任施工方式でウチを推奨してくれるのか」滝川が訊いた。
「いやそれが、近隣に当社で施工したマンションが二つあるんですが、設計事務所を設計監理で入れてやっていまして。豊洲パークホームも入れない訳にはいかない感じです」荒木が言った。
「設計事務所はどこを考えているんだ」滝川が訊く。
「TGSしかないかなと」、呟くように荒木が返した。
「多摩川や世田谷で問題を起こしたところじゃないか。大丈夫か」滝川が心配した顔で言った。
多摩川沿いの長谷山が施工した八百戸程度のマンションの一回目の大規模修繕工事で地下ピットの漏水が激しかったことをTGSが、話を大きくしたのを発端に長谷山はその処置などに数億を費やしたことがあったのだ。また世田谷のマンションでは外壁タイルが竣工時の施工不良で膨大な数量が劣化していて、それも全て長谷山の負担で修繕させられた過去がありできれば違うコンサル会社を付けたいところだったのだ。
「はい、そうなんですが近くのキャナルホーム豊洲の設計監理をTGSがオニキス設計より奪い取って上手くやっているんです。それにゴンドーラの社員の小畑が組合員で住んでいるんですが、『長谷山に協力するんで設計監理はTGSでお願いします』と言うんです」
「TGSには十分注意してやります」。長谷山コミュニティの荒木が言った。
「TGSどうしますか?」佐田が荒木に訊いた、
「こちらから動くと足元を視てくるからな、担当が営業に回って来てるだろ」荒木が返した。
「はい、定期的に来ます」
「じゃあ来た時に社長の大盛が出向いて来るように営業担当に話をするんだ」
「了解しました」。佐田が答えた。
TGSの営業松木が、長谷山ビルの一階ソファーに腰かけている。
受付の若い女性に長谷山コミュニティの佐田に会いたい旨を伝ると、ソファーに待つよう言われていた。
「お待たせしました。上で話をしましょう」降りてきた佐田が松木に声を掛けてエレベーターに向かった。
四階の応接室、松木が手に持っていたどら焼きが入った紙袋を渡した。
「佐田さん、豊洲パークホームそろそろと伺っておりますんで是非ウチでお願いします。豊洲は傍のキャナルホーム豊洲もやりましたし、社長の大盛も近くに住んでますから必ず上手くやれます」
「TGSさんは、時々やってくれるからなー」嫌味をこめて佐田がいう。
「いやいや、多摩川は特別だったんですよ」
「世田谷でもありましたよねー」
「いやいや、世田谷は特別だったんですよ」
「松木さん、それじゃどこでも特別じゃないの」
「いやーすいません」
「リフォームの方からも、注意するように言われてるんだよね」
「いやー佐田さん、以前佐田さんと荒木部長のドライバー、ダンロップのゼクシオを送らせて頂いたじゃないですか、この間ニューモデルが出て評判が良いんですよ。佐田さんも荒木部長もニューモデルが良いと思うんで今度ご自宅に届くように手配させて頂きますよ」
「ああ、あれ俺も気にはなってたんだよね。やっぱりニューモデルが良いよね」
「じゃあ、荒木部長にいいように話しておかない訳にはいかないな、一度大盛社長から荒木部長に電話してもらってくださいよ」
「ありがとうございます。社長の大盛より荒木部長に電話させます」
「今度ドライバーが届いたら千葉オーガスタにいきましょうよ。ありがとうございます。今後共宜しくお願いします」頭を下げながら言って応接室を松木が出た。
上階の業務フロアに戻って佐田が荒木に報告した。
「TGSの営業が来たので、大盛社長から部長に連絡するよう言ってあります。部長に電話が入りますんで、宜しくお願いします。それとダンロップゼクシオのニューモデルがご自宅に届くと思います」
東京メトロ三田線の芝公園前から日比谷で日比谷線を乗り継いで人形町の会社に戻った松木が社長室にいた。
「豊洲パークホームの件で長谷山コミュニティのフロントの佐田と会ってきたんですが、多摩川と世田谷の件で嫌味を言われましたが、大盛社長より荒木部長に電話してもらうように言われましたんで、コミュニティの荒木部長に電話してもらえますか」
「分かった電話するよ。お疲れさん」
 
 大盛が時計を見てハワイの時間を確認して岡林に電話した。
「岡林顧問、豊洲パークホーム七四〇戸なんですけど、元施工が長谷山で管理も長谷山がやっています。元請けのチャンピオン長谷山という事で打合せに行くんですがその下に入るとこは長谷山の指示の通りで良いでしょうか」
「大盛君、しかたないんじゃないの」
「承知いたしました」
会話は、終了した。
 TGSの大盛が長谷山コミュニティの荒木に電話した。
「荒木部長、TGSの大盛です。お世話になっております。豊洲パークホームの件で一度お打ち合わせをお願いしたいので芝刈りしながらでもお願いできないでしょうか」
「いいですね。いつにします」
「部長、来週の水曜日はいかがでしょうか」
「いいですよ」
「じゃあ九時半前後スタートを押さえますので千葉オーガスタにお出で頂けますか」
「了解です。リフォームの滝川と一次下請けにも来てもらうようにしておきますので宜しくお願いします」

 翌週水曜日の朝、千葉オーガスタゴルフクラブのレストランにTGSの大盛、長谷山コミュニティの荒木、長谷山リフォームの滝川、施工会社の亀山塗装の亀山の四人がテーブルについて朝食を食べていた。
「大盛さん、いよいよ豊洲パークホームが大規模修繕工事に向かって動き出しますのでどうかひとつ宜しくお願いしますよ」、滝川が言う。
「今日ここにこうしてご一緒できるということは、設計事務所はTGSということでお決め頂いたということで、精一杯やらせて頂きます」
「大盛社長、ウチこそ社長の手足になって動きますんで宜しくお願いします」亀山塗装の亀山が言う。
「ゴンドーラの小畑さんもTGSさんを推奨していましたし味方になってくれるでしょうから。私も管理会社として修繕委員会と理事会をコントロールしますし、マンション管理士も味方に取り込みますんで」と荒木が重ねた。
一番のティーグラウンド、「ナイッショー」大盛と亀山が叫んだ。
荒木の手に握られていたドライバーは、TGSが送ったダンロップのゼクシオのニューモデルだった。

長谷山コミュニティの佐田が、マンション管理士の近田に電話を入れた。
「近田さん、この間の要望を前向きに考えましたので打合せをお願いしますよ」
「ありがとうございます。どうしたら良いですか」
「申し訳ありませんが、また弊社に来て頂けますか」
「いつでしょう」
「明日の十三時どうでしょう」
「分かりました。明日の十三時、御社に佐田さんを訪ねて伺います」
翌日、港区芝の長谷山グループビルの四階の応接室に、近田と佐田の姿があった。
「近田さん、次回の修繕委員会で私が責任施工方式と設計監理方式の話をします。そして私が、『できれば責任施工方式で行わせてもらえないか』と話をしますから近田さんは、『いやいやそれじゃ利益相反の恐れがある』と設計監理方式の方が良いと修繕委員に言ってください」
「そうして近田さんは自分を売り込んでください。『自分は組合様の味方ですよアピール』をしっかりとやってください。そしてコンサルティングを行ってもらう設計事務所を公募しましょう」
「これだけ大きなマンションですからそれなりの規模の設計事務所を選出しなければならないので、と公募条件を配布してください」
そうして長谷山コミュニティが近田に見せた条件が
・改修設計が主たる業務の設計事務所であること
・設計から工事監理まで可能な体制で有資格者を明示できる
・法人の場合は資本金三千万円以上
・過去五年間に三百戸以上の設計監理実績十件以上
・直近三年間で赤字がないこと(実績表、決算書提出)
・資料提出先は、近田マンション管理士事務所
設計事務所をTGSに落とし込むべく考えられた公募条件だ。
「いいですか近田さん今回の大規模修繕工事の設計監理は、設計事務所のTGSで行きますから、TGSに落とし込むための条件です」少し凄んでいう。
「分かりました。佐田さんの指示に従います」
「それと修繕委員で小畑さんという方に修繕委員長になってもらっています。我々の味方ですから小畑さんの言うことにも話を合わせるようにお願いします」
「分かりました」、近田が返した。

 修繕委員会がマンション中央棟の一階ミーティングルームで行われていた。
参加者は管理会社の佐田、マンション管理士の近田、修繕委員小畑、その他は理事の任期を終えて輪番のように修繕委員となった七十代前半男性四名だ。
管理会社の佐田が「お集まり頂きありがとうございます。大規模修繕工事にむけて修繕委員会を設置して、こうしてお集まり頂きましたがまず委員長を決めて頂ければと思います」と言った。
「私が、修繕委員長になりますよ」小畑が言う。
他の委員は、ホッとした様子だ。
「小畑委員が修繕委員長ということで宜しいでしょうか、賛成頂けるかたは挙手をお願いします」佐田が確認する。
小畑は元気よく、他四名も「自分でなくて良かった」と喜んで手を挙げた。
「ありがとうございます。それでは修繕委員長は小畑様で決定しました」
「続きまして大規模修繕工事の進め方なんですが、責任施工方式と設計監理方式がありますがどちらでいくか協議をお願いします」続けて佐田が言う。「責任施工方式は管理会社の弊社にお任せ頂く方式です。設計監理方式は、第三者の設計事務所に設計監理をお願いする方式です。できれば管理会社として頑張ってきている自負もありますし、元施工が長谷山工務店でマンションを良く理解しておりますので長谷山グループの長谷山リフォームに責任施工方式でお任せ頂けないでしょうか」、佐田が言った。
「いやいや管理会社が修繕工事を行うことは、利益相反の可能性がありますので私は設計監理方式をお勧めします。いまの主流は設計監理方式ですよね」シナリオ通りに近田が口を開いた。
「そうなんですか、それじゃ設計監理方式で良いじゃないですか」、小畑がシナリオに合わせた。
「設計事務所を選ぶには公正を期すために公募で選定したほうが良いと思います。そこでこれだけ大きなマンションですからそれなりの大きさで実績がある設計事務所を選定する必要がありますので私の方で、公募の条件を考えてきましたのでご覧ください」、と言って近田が佐田がメールしてきたものをプリントして用意していたA4の公募要領を配布した。
しばらく委員全員が配布された書面を見ていた。小畑以外の委員は何をどう判断して良いのか分からない。それはそうだ。コンビニでの買い物とは違う。人生の中でマンションの大規模修繕工事の修繕委員になって設計事務所選びの機会がある人などまずいない。
「これで良いんじゃないですか」、小畑がいう。
「修繕委員長が良いというんだから良いか」と小畑以外の委員は思っていた。
「問題ないようですので、建設情報新聞という業界新聞が無料で公募を掲載してくれますので、出来るだけ早く東京版に掲載してもらえるように手配します」近田が言った、
「それでは今日の修繕委員会はこれで終了します」。修繕委員長になった小畑がいった。
「近田さん昨日はお疲れ様でした。なかなか良かったですよ、次回も宜しくお願いしますね」翌日の朝、佐田が近田に電話した、
「ありがとうございます。佐田さん約束は守ってくださいね」、近田が言った。
「大盛社長、豊洲パークホームの設計事務所の公募が十日後の建設情報新聞に掲載されますので手配をお願いします」TGSには荒木が電話を入れた、
「ありがとうございます。承知しました」。大盛が短く答えた。
大盛が、松木を呼んで言った。
「一週間後の建設情報新聞に豊洲パークホームの設計事務所募集の公募が掲載される。いつものメンバーに根回しをしておくように」
「了解しました。何社にしますか」、松木が訊いた。
「そうだな、物件が物件だからウチを入れて十社用意してくれ」
「分かりました」答えて松木は部屋を出て行った。
松木は、MDAのメンバー九社各社に電話を始めた。
「今度建設情報新聞に豊洲パークホームのコンサル募集の公募が掲載されますので応募をして頂きますようお願いします」
「了解しました」。と九社全て同じ返事で手配終了だ。
応募書類の提出先マンション管理士の近田の家に応募書類が届いた、十二社だ。
近田が管理会社の佐田に電話した。
「十二社の応募がありましたけど、どうしたら良いでしょうか」
「全てTGSの松木さん宛に送ってください」
松木に全応募会社の応募書類が届いた。
「豊洲パークホームの応募ですが、野党が二社来ました」松木が大盛に報告した。野党とは手配済でないイレギュラーのことだ。協力をお願いしているところは与党と呼ぶ。
「何処だ」
「鏑木設計とBOX設計です」
「両方廃棄。応募書類が届いていないことでいいだろう」
「分かりました。佐田さんには連絡しておきます」
二社は応募が無かったことで事が進められた。
TGSで十社の応募があったことにしてA3サイズ二枚の比較表が作成され近田にメールされた。
近田が佐田に電話した。
「TGSさんから設計事務所の比較表がとどいたんですが、十社しかないんですが」
「あとの二社は来てないことでお願いします」
「ええー、大丈夫なんですか」
「そこを上手くやってもらうのが近田さんの仕事ですよ」
「……わかりました」
「赤チェックが入っていない五社に見積り依頼するよう話を進めてください。私と修繕委員の小畑さんが近田さんをサポートするんで大丈夫ですよ」

修繕委員会が開催された。
「設計監理方式が前回の委員会で選ばれましたので、設計事務所の公募を行いました。今日は応募があった会社の中から見積りを依頼する会社の選定をお願いします」言いながら近田が十社の応募書類を机の上に置いた。
A3サイズ二枚の設計事務所の比較表が配布された。
「全部で十社の応募がありました。その比較表が今お配りした資料になります」近田が言う。
「十社もあったんですね」さも公正に応募がなされたように小畑が言う。
「赤くマーキングしてあるのが公募の条件を満たしていない欄になります」近田が説明する。
「それじゃ赤のマーキングが無い会社が良い訳ですよね。五社あるじゃないですか」と小畑が言う。
「そうですね。全てをクリアした会社が五社ありますので、この五社に見積り依頼することでどうでしょうか」近田が言う。
委員の一人が珍しく口を開いた。
「もう一社加えるのは、どうでしょうか」
「それは辞めた方が良いですね。『どうしてクリアしてない会社に見積り依頼したんだ。修繕委員とその会社は繋がっているんじゃないのか』とクレームが来たときに反論できませんから」と近田が言うと委員は何も言いようが無かった。
「それでは選定した五社には一次選定通過の連絡を選外の五社には選外の連絡を行います」と近田が言った。
長谷山、TGSのシナリオ通りにコンサルタントの一次選考は終了した。
翌日マンション管理士の近田が一次通過の五社に「一次通過」の連絡メールを行った。選外となった比較表の五社と鏑木設計とBOX設計の七社については、ほったらかしだ。

管理会社の佐田は、TGSの大盛に電話した。
「大盛社長、予定通りの五社で相見積りとなりましたので宜しくお願いします」
「承知しました。松木にも近田マンション管理士からメールが届いたようです」大盛が返した。
「予定通りの五社となったので、五社に挨拶をして見積り用紙を貰ってきてくれ」大盛が松木を呼んで言った。
「分かりました」松木が答えて事務所を出て行った。
松木が五社を回って用紙を持って帰って来た。
「豊洲パークホーム、予定通りの五社の見積りになったのでウチと五輪設計さんを三〇〇〇万円、あとはいつもの通り適当にバラけさせて作ってよ」若い女性職員に松木が指示した
「分かりました」、女性職員も心得たものだ。
三日後、出来上がった見積書を届けに松木が五社を回って言った。
「鑑と表紙は御社の物を付けて、宜しくお願いいたします」
「申し訳ありませんがヒアリング、お手伝いお願いします」とそのうちの一社の五輪設計には挨拶した。

一週間後には近田に五社の見積りが届いた。
TGSからメールで五社の見積り比較表も届いた。
 さらに一週間後、修繕委員会が開催された。
「今日は、前回選定した五社の見積りが届いておりますのでヒアリングに呼ぶ二社、もしくは三社を選定して頂きます」と近田が言いながらTGSより送られてきていた見積り比較表を配布した。
「TGSと五輪設計が他の三社と比べて低額ですので、この二社をヒアリングに呼んで一社に絞り込むことでいかがでしょうか」と続けて近田が言う。
「それで良いんじゃないですか。ねえ皆さん」、小畑が追従する。
他四名の委員は、黙っている。
「TGSと五輪設計の二社を二次選考通過ということに賛成の方は挙手をお願いします」近田が言った。
 小畑はハイと言わんばかりに、他の四人も挙手した。
「それではTGSと五輪設計にヒアリング参加への連絡を他の三社には選外の連絡を行います」。近田が言って設計事務所選定の二次選考が終了した。
翌日、佐田が大盛に電話した。
予定通り二社のヒアリングになりましたので手配をお願いします。
「承知しました」大盛が答えた。
電話を切ると続けてスマホをタップして五輪設計の社長大久保にかけた、「大久保さん、豊洲パークホームのヒアリング宜しくお願いします。金額については『ベストの金額で提出させて頂いておりますのでそのままの金額でお願いします』と答えてください」
「了解です。担当に良く伝えておきます」

二週間後、設計事務所選定の最終選考となるヒアリングが行われた。
一社目、五輪設計がプレゼンを行い質疑応答だ。
「見積り提出頂いておりますが、さらなる値引きはお願いできるでしょうか」、と近田が訊いた。
「ベストの金額で提出させて頂いておりますので、そのままの金額三〇〇〇万円でお願いします」と大盛が大久保にお願いした通りの回答があった。
続けて二社目、TGSのプレゼンが終了した。
「見積り提出頂いておりますが、さらなる値引きはお願いできるでしょうか」と近田が訊いた。
「ベストの金額で提出させて頂いておりますが、最終選考のヒアリングに呼んで頂きましたので、二百万円を引いた二八〇〇万円でお願いします」との回答があった。
二社のヒアリングが終了して近田が言った。
「TGSさんが二八〇〇万円、五輪設計さんが三〇〇〇万円、二百万円TGSさんが安くなりましたのでTGSさんで宜しいでしょうか」
「TGSさんしかないでしょう。五輪設計さんを選択する余地はないですね」と小畑が言う。
他の委員は何も言わない。
「それでは大規模修繕工事の設計事務所は、TGSさんを内定したということで理事会に上程します」。小畑が言った。

翌日の夜開催された理事会では佐田が修繕委員会での選定過程を報告した。輪番で選ばれてことなかれ主義でなんとか任期の二年を不可なく過ごしたいと考えている理事が多い理事会だ、誰も何も言うことなくTGSが承認された。
翌日の朝、千葉オーガスタゴルフクラブにTGSの大盛と渋野、長谷山コミュニティの荒木、佐田、長谷山リフォームの滝川、施工会社亀山塗装の亀山、ゴンドーラの小畑、マンション管理士の近田の姿があった。
豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人だ。
「いやー、昨日はお疲れ様でした。これでガッチリ決まりましたんで今後共このメンバーで最後まで宜しくお願いいたします」佐田が言った。
一番ティーグラウンド「ナイッショー」大きな声が上がった。佐田の手にあったのは、TGSより送られたドライバーはダンロップのゼクシオのニューモデルだった。

 豊洲パークホーム、調査に渋野以下三〇名ほどの人員がミーティングルームに集まっていた。
「怪我や事故に十分注意して行ってください。それではお願いします」渋野が言った。
それぞれのチームがマンション内に散っていった。
長谷山リフォームの下請け会社の亀山塗装の桧山、シールメーカーのオオニシ、塗料メーカーのダイニチ、塩ビシートメーカーのトニロン、防水材メーカーのトシマルーフィングの面々だ。
調査とは名ばかりで各メーカーが数量を算出するのにマンション内を回っているのが実態だ。
大規模修繕の調査診断とか言うと、さも大事なことのように聞こえるが、戸建ての家でもペンキを塗った部分は色褪せてくると上塗りして綺麗にするようにマンション大規模修繕も塗替え貼替えを行うだけだ。

三日後のTGSの事務所、名ばかりの現地調査が終わり報告書の作成中に渋野が作業中の女子社員のパソコンを肩越しに見て言った。
「えー、もっと劣化度を上げないとダメだよ」
「そんなに悪くなっていないんですけど」女子社員が返す。
「ダメダメ! 悪くなっていない、なんてことになったら仕事が無くなっちゃうよ。もっと劣化度を上げて、組合が『修繕しないとダメだな』という報告書を作ってね」
「分かりました」女子社員は答えた。

修繕委員会が開催された。
渋野が報告書を修繕委員に配布して言った。
「建物を調査しましたが、大規模修繕の時期に来ています」
「やはりそうですか」と佐田が合わせるように言った。
「次のステップに行きましょう」と小畑も続いて言う
「施工会社の選定に移って行く必要があります。公募を行ってください」組合の味方を装って近田も言う。
それでは施工会社選定のスケジュールを簡単にご説明します。
「まず公正を期すために公募を行います。一次選考として応募がなされた会社を書類選考で五社程度に絞り込みます。次に絞り込んだ会社に見積りを依頼します。二次選考で見積り提出の会社を二社か三社に絞り込みます。三次選考で二社もしくは三社を呼んでヒアリングを行い、一社に内定する。スケジュールです」渋野が言った。
続けて渋野が口を開く。
「それで弊社で修繕を行った場合の概算金額を算出しましたのでご覧ください」そう言ってA3の縦に印刷された修繕予算金額を配布した。
「結論から申しますと裏面の右下の数値をご覧頂きたいのですが約一三億八〇〇〇万円になっております。この金額は若干の余裕をみておりますので入札しましたらこれから約十パーセント程度安い金額で落ち着くと予想されます。この金額の八五パーセントを切ってくるようであればダンピングと考えて良いでしょう。ダンピングとは、とにかく安い金額で受注してなんだかんだと追加工事を行う方式です」と説明した。
実際は一三億八千万円の九十パーセント一二億四千万円には、当然長谷山の下請けの亀山塗装の余裕のある利益、長谷山リフォームの余裕のある利益、長谷山コミュニティへのバックマージン、TGSへのバックマージン、ゴンドーラの利益、マンション管理士の近田への三〇〇万円、小畑の手数料も含まれているのだ。
「如何でしょうか。この数値を元に施工会社の選定に入って宜しいでしょうか」と渋野がいう。
「いいと思います」と小畑が合わせた。
他の委員は何も言わない。
「それでは次回は、施工会社選定にむけての公募の条件を考えて伺います」と渋野がいって修繕委員会は終了した。
 
翌日の昼TGSの事務所、渋野が大盛に施工会社選定の公募条件を見せながら言った。
「大盛さん、これでどうでしょうか」と渋野が訊いた。
・首都圏のいずれかに本店もしくは支店を持っていること
・建設業登録業者であること
・経営事項審査Y点が八〇〇点以上であること
・経営審査事項P点が一〇〇〇点以上であること
・直近三期で赤字がないこと
・ISO9001および14001を認証取得していること
・首都圏において直近三年間で分譲マンション大規模修繕工事の元請け実績が五〇〇〇万円以上が二〇件以上、一億円を超える工事が一〇件以上あることまた総戸数五百戸以上の実績があること
・次にあげる基準を全て満たす現場代理人を常駐配置できること
・一級建築士もしくは、一級建築施工管理技士の資格を有していること
・現場代理人として分譲マンション大規模修繕工事(元請け)五年以上・一〇件以上の実績を有すること
・現場代理人は、正社員であること。なお監理技術者は兼任して良い
・過去五年間において、公共工事、民間工事を問わず指名停止及び営業停止処分を受けていないこと
・会社更生法において更生手続きがなされていないこと、または民事再生法において再生手続きがなされていないこと
・提出先はTGS
・暴力団またはそれらの関係者と関係のないこと
事細かい条件がつけられていた。長谷山リフォームに受注させんがための条件だ。
「いいんじゃないですか。野党となりそうなのはIKKapロクシーですから、去年コロナ禍の影響で赤字が出ているので落とせますからこれでいきましょう」と大盛が言った。

前回の修繕委員会より一か月後の修繕委員会。
「それでは、これをご覧ください」と渋野が言いながらA4サイズの三枚セットを配布した。
「今お配りしましたのが施工会社選定の要領書です。施工会社の選定を公募方式にて行うべく公募条件を考えてきましたのでご覧になってください」続けて渋野が言った。
条件は渋野と大盛がIKKapロクシー対策で「直近三期で赤字がないこと」を入れたものだ。
「やはりこれだけのマンション様ですからこれくらいキッチリした条件が良いと思います」渋野が言った。
「いいんじゃないでしょうか」近田が合わせて言った。
「是非、それで公募してくださいよ」、小畑も合わせた。
「よろしいでしょうか。それでは建設情報新聞で直近で掲載できる日に公募を載せて頂きます」と渋野が締めて修繕委員会は終了した。
 
 翌日、港区芝の長谷山の事務所に、豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人が集まっていた。
「予定通りに進捗しております。与党の根回しを長谷山さんと亀山さんでお願いいたします」。大盛が言った。
「承知しました。ウチで手配しますが何社にしましょうか」、亀山が返した。
「そうですね、キャナルホーム豊洲が十三社ですから十二社でどうでしょうか」、渋野が言う。
「いいんじゃないですかね」、滝川も言った。
「大小のバランスはウチで考えて良いでしょうか」、亀山が確認した。
「お願いします」。大盛が返した。
「心配なのはIKKapロクシーなんですけど問題ないでしょうか」、亀山が訊く。
「はい、公募条件に【直近三年間に赤字が無いこと】を入れましたので排除できます」。渋野が返す。
「承知しました」。亀山が納得した。
 
二週間後の建設情報新聞に豊洲パークホームの大規模修繕工事、施工会社募集の公募が掲載されて応募書類がTGSに届いた。
「大盛社長、野党のIKKapロクシーが来ましたよ。どうしますか」、松木が聞いた。
「廃棄という訳には行かないな、親会社がIKKだからな、関係者が組合員で住んでたりすると後がやっかいなことになるからな。入れておいてくれ、条件で落とそう」
「了解です」。松木が返した。

前回の修繕委員会から一か月後、修繕委員会が開催された。
修繕委員と別に理事会からオブザーバーとして、広兼理事長、松川副理事長、中林理事、三名も参加している。
「公募を行いました結果、応募が十三社ありました。比較表を作成しましたので配布します」と言ってA3サイズ二枚の応募会社の比較表を渋野が配布した。
「赤のマーキングが、条件をクリアできていない部分になります」渋野が続けて言った。
「全部白が全てをクリアした会社ですね。五社ありますよね、この五社でいいんじゃないですか」と小畑が言う。
「そうですね、この五社以外に見積りを依頼すると『どうして条件クリアしてない会社に見積り依頼したんだ』とクレームが来ると困りますもんね」、近田が言う。
「宜しいでしょうか」、渋野が確認しようとしたとき。
「IKKapロクシーって、あのIKKと関係があるんですか?窓の会社でファスナーとか作ってて、昔沢村忠の頃のキックボクシングの中継のスポンサーだった」と一人の委員が言った。
渋野、小畑、佐田、近田、悪徳談合チームの面々が顔を見合わせた。
「そ、そうですけど」、渋野が応じた。
「それならなんで、去年赤字になるんでしょうかね、大きな会社でしょう」聞いた委員がさらに訊く。
「どうしてでしょうね。関連会社と言っても別の会社ですからね」渋野が返す。
「去年はコロナ禍だったんで、それでじゃないですか、他に何社かありますよね」と別の委員が言った。
「クリアできていない条件がそのひとつだけなら、IKKapロクシーにも見積り依頼して良くないですか、だって何億円もする工事なんだから五社より六社が良いでしょう」さらに別の委員も言う。
「赤いマーキングが、ひとつの会社はIKKapロクシーだけなんだからね」、とまた別の委員が言う。
「いやいや、辞められた方が良いですよ、五社が全てをクリアしている訳ですから五社で十分でしょう」と渋野が反論した。
「そうですよ、五社でいきましょうよ」、小畑が同意する。
「マンション管理士としてどうですか。近田さん」。最初に聞いた委員が訊いた。
「五社で行くべきですね」と言い切った。
「そうですよね。マンション管理士の近田さんがそう言うんであれば五社でいきましょう」。小畑が言う。
一瞬、会場が水を打ったように静まり返った。
「それでは五社には見積りの依頼を他の八社には選外の連絡を弊社より行います」。半ば強引に渋野が言って修繕委員会を終了した。
 
 翌日のTGSの事務所、渋野が大盛に報告を行っていた。
「いやー、昨日の豊洲パークホームの委員会、ヤバかったんですよ。一人の委員が『IKKapロクシーにも見積り依頼しよう』と言い出して、近田マンション管理士が納めてくれたんでなんとか排除できましたがハラハラでした」
「そうでしたか、ありがとうございました。お疲れ様でした」、大盛が返した。
「でも、これでしっかりレールに乗った感じですから良かったです」。渋野がホッとしたように言って部屋を出て行った。
「松木、豊洲パークホーム予定通りの長谷山がチャンピオンの五社の見積りになったので挨拶に行って用紙をもらって来て亀山さんに届けてくれよ」渋野が松木に言った。
「分かりました、すぐに行ってきます」
二週間で長谷山が最安、もう一社が長谷山に近い金額、他三社は高めの見積りが亀山塗装で作られてTGSに届られたのち、松木の配送で各社に届けられた。その後長谷山と他四社が自社の鑑、表紙を付けてTGSに宅配便で送った。
本当なら、マンション組合の理事長宛に一部と監事宛に一部の計二部を送るべきなのだが。
 
一週間後の日曜日、東京プライムハウスのミーティングルームで豊洲四丁目マンション連絡会が開催された。
各マンションの近況報告を行う。開催マンションの東京プライムハウスは保育園をスタディルームに改装をおこなって使用細則を検討中との報告を行った。参加者は理事長、理事、理事で修繕委員長の藤堂の三名だった。
キャナルホーム豊洲は理事長一名、理事二名の三名が参加だ。駐車場のチェーンゲートのリモコンが故障が多い上に交換費用が他マンションと比べて四倍の一万円の費用が掛かるのでETCを感知して開閉するシステムに更新することを計画しているとの報告を行った。
三つのマンションそれぞれ屋外で自走式駐車場棟を備えているが、マンション内に入る箇所数には違いがあり、キャナルホーム豊洲は四カ所の出入口が全てチェーンゲート方式で経年劣化もあるのだろう、時々故障が発生しているという話だった。
豊洲パークホームからは広兼理事長、松川副理事長、中林理事の三名が参加していた。アイスクリームの自動販売機を設置するかどうかで理事会の意見が二つに分かれているとの報告を行った後だった。松川副理事長が広兼理事長に耳打ちで話をした後で藤堂に向かって言った。
「藤堂さんは、一級建築士でマンション管理士のプロと伺いましたので、大規模修繕工事の件で、後程別個にご相談したいのですが宜しいでしょうか」
「大丈夫です」藤堂は答えた。
開催マンションの東京プライムハウスの理事長が「今日の連絡会はこのへんで終わりたいと思います」と閉会の言葉を発して閉会し、豊洲パークホームの三名と藤堂以外は踵を返した。

広兼理事長が言った。
「ゴルフのときは、お世話になりました。マンションのプロでいらしたんですね、色々教えてください」と藤堂に頭を下げた。
「藤堂さん、実は大規模修繕工事の施工会社選定中なのですが、ご相談したいことが」、と副理事長の松川が口を開いた。
「先日、修繕委員会にここにいる理事三名も参加して施工会社の選定で応募があった十三社から見積りを依頼する五社を選定したんですが、何か違和感があるんです」
「違和感を感じるところはどういう所ですか」と藤堂が訪ねると。
「長谷山を入れた五社を選定したんですが、何か形式的というか……」と松川副理事長が顔を曇らせながら呟くように言った。
「マンションの大規模修繕工事は談合がはびこってるとネットに多数出ていたのですがそうなんですか、談合を仕組まれてることって、分かるものなんですか?」、資料を鞄から出しながら話した。
テーブルの上に開かれた資料は応募があった十三社を比較した比較表だった。
「長谷山を入れた五社が条件を全てクリアしていて、『もう一社、IKKapロクシーを入れよう』という意見が出たのですが設計事務所のTGSの担当やマンション管理士が、『直近三年で赤字が無いことを条件のひとつにしていて、それを満たしていない会社を入れると後で問題になりかねない』と選外になったのですが、コロナ禍で他にも昨年赤字の会社はいくつもあるしIKKが親会社で倒産の心配は無いのに……、さっきも言いましたが何か形式的過ぎる気がしまして藤堂さん、どう思いますか?」、松川副理事長は、藤堂をじっと見ながら言った。
「ネットで検索したら、マンションの大規模修繕って談合やら不正やら悪徳設計事務所など出てくるんですが?どういうことなんですか」と中林が口を開いた。
藤堂が、マンションの大規模修繕の歴史から説明してさらに続けた。
「昔は概ね四割から五割の利益を管理会社が取って下請けに丸投げ、という方式が多かったようです。四割とか五割というのは取り過ぎですし、悪くなっていない所を修繕したりするのは問題ですが、管理会社はそういうビジネスですから、それはそれで有りだと私は思います」
「丸投げで四割や五割は、取り過ぎですよね」、興味津々の中林が言う。
「そもそも、組合の味方となるべき管理会社が利益を上げる工事を行うこと自体『利益相反』にあたるとして『管理会社が工事は行いません』という管理会社もあるんです」藤堂が言った。
「じゃあ、管理会社が長谷山で工事も長谷山ということ自体利益相反ということですよね」松川が言った。

「二〇〇〇年頃にそれまでは管理会社の下請けとして工事を行っていた施工会社が、『管理会社の下請けじゃ、美味しい所は管理会社に、持っていかれて、厳しい仕事をさせられるだけだ、なんとかマンション管理組合と直接契約できる方法が無いものか』、と考え出した方式が「設計監理方式」と言われているものなんですよ」藤堂が話した。
「そうなんですか」と広兼理事長が頷きながら言う。
「管理会社に、全てをお任せが、『責任施工方式』といわれている方式です。管理会社にお任せでは心配、設計事務所に第三者としてサポートをお願いする方式が『設計監理方式』という訳です」と藤堂が言う。 
「小さなマンションで、管理会社に問題が無いなら管理会社にお任せで良いかもしれないですけど、ウチみたいに大所帯になると管理会社に不満な者もけっこういるので責任施工方式は難しいですよね」と松川副理事長が言った。
「責任施工方式は管理会社が元請けとなる場合ですが『利益相反』となることもあり最近は管理会社が三社程度を用意して相見積りを取って一番安い会社に依頼するという方式もあります。受注する三社の順番は決まっていて、管理会社へのバックマージンも決まっているという方式も多いんです」と藤堂が言った。
「そういうやり方もあるんですね。素人には分からないですよね」中林が納得する。
「設計監理方式は設計事務所が設計・監理、施工会社の選定補助までをおこないますから安全ですという訳ですが、しかし裏は巧妙に仕組まれているのが実態なんです。まず『設計監理』はそもそもマンション大規模修繕工事には無いんです」と藤堂が言った。
「えっ、それってどういうことですか」不思議な顔をした広兼理事長が訪ねる。
「仮に、中林理事がネットで検索して出たマンション大規模修繕施工会社の十社に、『大規模修繕工事を考えているので見積り、工事お願いできますか?』と相談して『設計図が無いからできません』と断る会社は無いですよ。『喜んで見積り、仕事させて頂きます』との答えが全社より返ってくるはずです」と藤堂が言う。
「どういうことですか?」中林が尋ねる。
「どうしてか、それはペンキの塗替え、シートの貼替え、シールの打替え、塗ったり貼ったりが工事の内容で、シールであれば、シールとは、ドアや窓のサッシの廻りにゴムのような指で押すとプヨプヨする建材ですが塗装面はウレタン系、タイル面はポリサルファイド系、サッシ部は変性シリコン系など仕様も決まっているからです。ですから設計図が無くても見積りも仕事もできるんです」藤堂が説明した。
「うーん、そうかぁ」松川副理事長が呟く。
「そもそも設計とはあらゆる知識を引っ張り出して三次元の建造物を作って行く上で施主や作業員に分かるように、見積りや仕事ができるように二次元に落として図面を描いたりパースを描いたり模型を造ったりして準備を行うことです。図面通りの建物を造っていく上で必要なものが監理、皿監です。管理、竹管と言われるものは安全管理、品質管理、工程管理とありますが施工会社が行うものです。  
図面通りに建物を造ることは難しいもので外野のクレームや想定外の様々なことを解決する必要があります。仕上がってしまうと隠れてしまう部分の材種、金属であれば鉄なのかステンレスなのかアルミニュウムなのか銅なのか、木材であれば檜なのか松なのか杉なのか栂なのか国産なのか輸入材なのか、などを確認するのが監理なんです」藤堂が更に続けた。
藤堂の説明に三人は深く頷く。
「実際には無い『設計監理』をさもあるかの如く二十年をかけて世に浸透させたのが施工会社の談合チームと、その一味の設計事務所という訳です。一味の設計事務所は年老いた建築士の店仕舞い寸前の設計事務所を施工会社が買い取ったりして施工会社の設計部のような実態の設計事務所が多数存在しています」藤堂が言う。
三人がまたさらに深く頷く。
「私は、建設省にも問題があると思っています。建築基準法の『大規模の修繕』、となると階段の架け換えや構造の過半を修繕する場合なんですが、人命に関わりますから建築士でないと設計監理できないんです。マンションの『大規模修繕工事』は塗ったり貼ったりの工事で人命に関わりませんから建築士は不要なんですが、素人には区別がつかない。にもかかわらずそのままのネーミングを放置していますからね。有りもしない設計監理をさも有るかの如くの欺瞞を放置し、マンションサポートセンターまで『設計監理方式』で通している。素人が真に困っている点をサポートする、『コンサルタント方式』が正しいネーミングなんですよ。以前『大規模修繕工事』も『計画修繕工事』という名に変更の検討がなされたとも聞いたことがありますが施工業界と国に繋がりがあるのか放置されたままなんです」藤堂が言った。
「そうなんですね。素人は、一級建築士事務所、設計監理、という名称に惑わされているんですね。私もテレビCMなんかで飲料大手のヨントリーとかケリンとかがお金で買うような賞を『コンドセレクションを受賞しました!』、なんて言っているのを見ると、『なんだかなぁ』という感じがするんですけど知らない人の心には響くのと、同じでしょうね」、広兼理事長が言う。
「管理会社でもいままで管理会社の下で仕事をしていた施工会社が直接マンション管理組合と契約することを嫌ってできる限り管理会社自社で元請けとなることを望む会社もありますが、『下手に元請けとなりリスクを抱えるよりバックマージンを貰えるのであればそれも有りか』と施工会社と手を組む方に舵を切った管理会社も多数現れだしたのが実態なんです。ただしそういう管理会社はバックマージンを支払ってくれるチャンピオンと呼ばれる会社を選定してくれる馴染みの設計事務所をマンション管理組合に選んでもらわないといけない訳で、そこにまた仕込みや談合が発生しているんです」藤堂が言う。
「そうなんですね」三人が同時に呟いた。
「仕組みはこうです。一口に病院といっても、外科、内科、耳鼻科、歯科、小児科、眼科、等々があるように建築にも学校や病院、オフィスビル、住宅等々様々なものがあります。得て不得手が有る訳です。新築などの場合、条件としてそれぞれをどの程度設計した実績があるかなど設計事務所選定の条件とする場合もあるが、塗ったり貼ったりの設計監理の無いマンション大規模修繕工事のコンサルタントを選ぶのに、百戸以上のマンション大規模修繕工事の設計監理実績だったり、創業何年以上だの、一級建築士が何名以上在籍していることだの、さもありなんの条件を『これくらいの条件が必要ですよ』、などとマンションの理事や修繕委員に口八丁手八丁で話をして意中の設計事務所に落とし込む訳です」
「そうなんですね」、広兼理事長が呟く。
「マンションの理事は、立候補制ですが、多くの場合、立候補無しで輪番で選出、役職はアミダクジで決めるというのが、たいていですよね」
広兼理事長、松川副理事長、中林理事もそうだったのか、「私たちもそうですよね」、と三人が、深くうなずきながら言った。
「豊洲パークホームの場合は、管理会社が長谷山コミュニティで本来ならコンサルタントの設計事務所など入れずに、グループ会社の長谷山リフォームで工事ができるように、責任施工方式にしたかったんでしょうが、マンションが大きくて、そうはいかなかったので、TGSと組んだということでしょう。逆の場合も多くあります。設計事務所や施工会社が、仕事をもらうのに、営業をかけるのが管理会社なんです。情報を一番持っているのが管理会社なんで、そして管理会社から、『今度このマンション大規模修繕の時期ですよ』などの情報をもらうと、管理会社の担当をゴルフや釣り、夜の街等に接待するなどし、『是非ウチを、コンサル会社にお願いします』とお願いしてマンションに入り込むんです。生々しい話になりますが理事長に現金を渡して味方に引き入れる設計事務所などもあるんです」藤堂が言う。
「えー、そんなことまで」広兼理事長が言った。
「それくらいならまだしも大きな案件になると施工会社の関係者にマンションを購入、住ませて修繕委員や理事になってもらうような事すらしますよ」
「まー、そんなことまで」、さらに目を大きくした広兼理事長が言った。
「本来であれば塗装や防水工事より優先すべき窓の改善工事には目を瞑って、無意味な調査などを、管理組合の理事会や修繕委員会の方々に、『コンクリートの中性化は大丈夫です』、『シールが劣化してきていますので、予防保全で今回工事行いましょう』、『タイルや塗装の付着力は問題ありませんが。浮きや割れが散見されます』などのたもうて組合を騙して巨額を搾取する悪徳設計事務所が多いんです」藤堂が言う。
 三人が頷いた。
「コンクリートの中性化とは、鉄筋コンクリートのコンクリートが経年劣化でアルカリ性失われて中性化することをいうんですが、コンクリートが中性化しているマンションなど現実は皆無なんです。日本でコンクリートが中性化しているからアルカリ性に戻す工事を行ったマンションなどありません。何故ならマンションを建替える以上の費用がかかるからです。コンクリートに電流を流してアルカリ性に戻す。という方法なのですが費用がかかりすぎるために歴史的建造物や交通を止めることができない新幹線や高速道路の架橋などの修繕に選択される方法です。昭和七年に造られた大阪城が行ったそうです。しかし素人のマンションの理事や修繕委員にはそれがまた『しっかりやってくれている感』を醸し出す訳です」藤堂が説明した。
「そうだったんですね。窓の高断熱化なんて全く触れられていませんよ」松川が言う。
「新省エネ法で高断熱で無い建物は造れない時代ですし、単板ガラスは、あきらかに社会的劣化なんですが、そこに触れてしまうと工事自体が先延ばしになったり、塗装防水工事のボリュームが減ったりするからあえて触れていないんでしょう。そして改修設計なるものを行う訳ですが実態は塗料メーカー、塩ビシートメーカー、シールメーカー、屋上防水メーカー、タイル補修業者、が余裕を持って算出したものに、工事を仕切るチャンピオン会社が余裕の利益を載せて工事予算金額を出し、さらにコンサルタントのバックマージン、管理会社へのバックマージン、マンション内の協力者へのマージン等を加味した金額に一〇%程度を上乗せした金額をはじき出したものを設計予算と称して理事会や修繕委員会に提示します」藤堂が言う。
「じゃあ、今、TGSが予算として出している金額はその金額ということなんですか」中林が訊く。
「恐らくそうです。真に公平公正に競争入札した場合の金額と比較したら、かなりの差があるでしょう」藤堂が答えた。
「何も考えていなかったけど、確かに漠然と思っていた『設計』というのは無いですよね」中林が同意を求めるように言う。
「藤堂さん、『設計監理』の監理はどうなんですか」松川が訊いた。
「設計がないので実際は、監理は無いんです。安全管理、品質管理、工程管理は施工会社が行います。裏では繋がっている訳で『何もないとマズイんで、適度に指摘事項を残しといてくれよ』ぐらいの話ですよ」藤堂が言う。
「長谷山が元施工のマンションの大規模修繕工事で、竣工時の耐震スリットの施工不良を設計事務所と結託して隠ぺいしたのが組合にバレて裁判になったケースもありますよ。施工不良などが見つかった場合でも工事が止まってしまって面倒になる場合はスルーする場合もあるんです。数年前に青山で竣工直前のマンションの地下ピットで設備配管用のスリーブが多数の鉄筋を切断しているのが公になって建替えになった事がありましたよね。竣工時の施工不良を下手に発見されて問題が大きくなったりしないように、上手くやってくれる、懇意の設計事務所を選定してもらうようにする管理会社もある訳です」藤堂が続けて言った。
「闇は深いってことですね」中林が返した。
「臨時総会も十一月に予定されていて長谷山とTGSのレールにまんまと乗せられているってことですね」怒った口調の松川副理事長が言う。
「なんとかならないんですかね」、中林もつづける。
「先ほど見せて頂いた比較表の中から選定した五社の見積りは、長谷山が一番安く出てそれに近いところであと一社残りの三社は高めの見積りにして『低額の二社をヒアリングで面接して一社に決めましょう』という段取りだと思いますよ」藤堂が言う。
「シナリオは完成済みという訳ですね」広兼理事長が言った。
「長谷山は、二番手で見積りを出しておいてヒアリング時に『長谷山で造って長谷山で管理させて頂いている組合様ですから頑張らせて頂きます。くらいのことで一番札とするようなことがあるかもしれませんけど。いずれにしてもヒアリングに呼ばれた長谷山以外の会社は長谷山の協力者ですから程々にしかやりませんよ。場合によっては、わざと資料を間違ったりの茶番を演じるかもしれません」藤堂が言った。
「それじゃ、『設計監理方式』って詐欺じゃないですか!」 中林が大きな声で言う。

 三日後、IKKapロクシーの東京支店に藤堂の姿があった。
「高木さん、久しぶりですね」と藤堂が挨拶した。
「こちらこそご無沙汰しております」、高木が返す。
「高木さん、さっそくですが豊洲パークホームという物件は御存じですか」
「ちょっと確認してきます」と言って応接室を高木は出ていった。
三分ほどしてノートブックPCを開いた状態で左手に持ちながら高木が応接室に入って来た。
「応募していますが連絡はないですね」
「そうですか、今豊洲パークホームの理事数名と話させて頂いているんですが、御社は書類選考で選外とされたようです」藤堂が言った。
「そうですか何も連絡は来てないんですが、落選の連絡はないですから営業担当は応募書類を廃棄されたのかと思ってたんでしょうね。しょっちゅうあることですから」
「ハッキリと聞きますけど、こんな外され方をされるということは、御社は談合のチームには入っていないんですよね。元施工、管理会社は長谷山で設計事務所はTGSなんですが談合チームを作って動いていると考えているんですが」藤堂が訊いた。
「はい、藤堂さんもご存じの通りIKKapの看板をしょってますから、談合禁止は親会社から厳しく言われてます。まあ、ですからこんなイジメをされるんでしょうけど」
「『直近三年間で赤字がないこと』が公募条件の中にあったんですが、御社はこれに掛ったらしく、選外とされたようです」
「そうでしたか、去年はコロナ禍でウチだけじゃないはずなんですけどね」
「そうなんですよ、組合の中でも、『コロナ禍だということ、親会社がIKKapだということで御社にも見積り依頼した方が良いのでは』という意見もあったようなんです」
「そうでしたか」
「そこでなんですけど私が今、理事数名と話ができる状態にありますので、御社が適正価格で見積りを提出することができるようであれば、御社に見積り依頼するように話をしてみますけどいかがですか」
「それはありがたい話ですね、弊社は長谷山とTGSには全く繋がりありませんから是非そのようにお願いします。頑張らせてください」
「分かりました。組合の方に話してみます」と言って藤堂は事務所を出た。
 
藤堂の住むマンション東京プライムハウスのミーティングルームに、藤堂と豊洲パークホームの広兼理事長、松川副理事長、中林理事がいた。
「IKKapロクシーは談合のチームに入っていないようですから、再度理事会で協議して見積り依頼された方が良いですよ」と藤堂が言った。
「そうですか、分かりました。理事会で協議してそのようにします」広兼理事長が言った。

一週間後、理事会が開催された。
松川副理事長が口を開いた、「先日の修繕委員会で大規模修繕工事の見積りを五社に依頼することになっていましたが、もう一社IKKapロクシーを追加した方が良いと思います。理由は五社では少ないと思うことが大きな理由です。一次選考で選外とされた理由が公募条件の『直近三年間で赤字が無いこと』に掛ったとのことでしたがコロナ禍で応募があった会社で他にも数社あったということ、親会社がIKKapで倒産の心配がまず無いことで、選外としたことに問題があると判断したためです。如何でしょうか」
管理会社の佐田の顔が青ざめた。
「いやいや、急にそんなこと言われても修繕委員会で決めたことを勝手に変えるのは問題がありますんで」と慌てて否定するように佐田が言う。
「理事会は、決定機関で修繕委員会は諮問機関ですよね」と松川が言った。
「それはそうですが……、修繕委員会の方々を無視しての進め方は組合運営にしこりを残しますんで一度この話を修繕委員会でも協議された方が良いと思います」と佐田が言った。
広兼理事長が「一社追加するだけでしょ、良いんじゃないですか」と言った。
「ここは一旦、修繕委員会に預けるということでいかがでしょうか」と佐田が話す。
……全員が黙った。
「それでは一旦、修繕委員会でIKKapロクシーを見積り依頼会社に追加するかどうか、協議してもらうことで承認お願いできる方は挙手をお願いします」と佐田が言って採決した。
広兼、松川、中林は手を挙げなかったが、他の理事が手を挙げてIKKapロクシーへの見積り依頼を修繕委員会で協議することが決定した。
 
 翌日、佐田が小畑に連絡を入れた。
「小畑さん、昨日の理事会でIKKapロクシーを見積り依頼に加えようとの意見が出て危なかったんですよ。なんとか修繕委員会で協議してということで話をしたんですよ」
「誰がそんなことを言うんですか」
「広兼理事長と松川副理事長と中林理事です」
「どうして、そんなこと急に言い出したんですかね」
「おそらく豊洲四丁目マンション連絡会と言って、豊洲パークホーム、東京プライムハウス、キャナルホーム豊洲、長谷山が施工した近隣の三つのマンションの集まりがあるようで誰かが入れ知恵したんじゃないかと思うんです」と佐田が言った。
「みんなで集まって対策を考えた方が良くないですか」と小畑が言った。

港区芝の長谷山の事務所に、豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人が揃っていた。
「本日お集まり頂いたのは、問題が発生しましたので、対策を考えて頂きたいと思います」、佐田が言った。
「先日の理事会で広兼理事長、松川副理事長、中林理事という三人の理事が、『IKKapロクシーを見積り依頼会社に加えよう』と言い出しまして慌てて、一旦、修繕委員会で協議して」ということで理事会を納めたんです」と佐田が言った。
「どうして急にそんなこと言い始めたんですかね」亀山が訊いた。
「豊洲四丁目マンション連絡会という同時期に豊洲四丁目で長谷山施工のマンションが造られた理事や役員が月に一度集まって、相互に情報交換してるようなんですけど今回の我々の仕込みを指摘されたのかと思います」、佐田が答えた。
「藤堂だ! バックに藤堂がいる」、大盛が言う。
「藤堂だとやっかいですね、こっちの手の内を知り尽くしてますからね」、渋野が言った。
「誰ですか、その藤堂とか言うのは」、亀山が訊いた。
「以前ウチにいた男で、東京プライムハウスに住んでいるんですよ」、大盛が答えた。
「一級建築士でマンション管理士なんですよ」、渋野が続けた。
「理事の三名ぐらいが騒いだからと言って、なんとかできないんですか」、亀山が訊いた。
「修繕委員会は私がなんとかしますよ」、と小畑が言った。
「その藤堂という奴、静かにするように威勢のいい若いもんを使ってチョット脅しましょうか」、亀山が言った。
「昔と違って手荒なことはかえって危険だ」、滝川が言った。
「バレないように上手くやりますよ」、亀山が返す。
「いや、絶対にダメだ」。滝川が念を押して言う。
「……」、悔しそうな顔をして、亀山は黙った。歯ぎしりが聞こえてきそうだ。
「そうですね、下手に動くと良くないんで小畑さんに頑張ってもらいましょう」、荒木が言った。
「ウチで藤堂に話をします。長谷山さんには協力をお願いします。
長谷山さんのマンションのいくつかの仕事をエサにすれば、言うこと聞くでしょう」。大盛が言って打合せは終了した。。

日本橋の事務所に帰った大盛が、スマホを覗いて右手をスライドさせて塗料メーカーの佐野を画面に出してタップした。
「佐野さんですか、お久しぶりです。お願いがあるんですが……」

二〇二一年六月に入ってテレビのニュースが、「熱中症に注意!命を守る行動をとってください」と叫ぶような勢いで流れている暑さの中の東京日本橋人形町。江戸時代には娯楽のひとつだった人形劇の人形を作っていたから人形町と呼ぶようになったそうだが。
都営日比谷線人形駅のA5出口の急な螺旋階段のように感じる階段を上って藤堂は外に出た。A5出口は、人形町駅の北西の位置にある。出口を出てさらに日本橋方面となる西に向かって、「ひと雨夕立が来てくれると涼しくなるのにな」と思いながら歩きだした。焼けたアスファルトは、生卵を落とすと目玉焼きが出来そうなくらいに熱い。
夕方六時だというのにまだ高い位置から太陽が強烈な日差しを浴びせる。子供の頃国民放送で人形劇の『南総里見八犬伝』が放送されておりその人形を製作していた辻村ジュサブロー氏の、「ジュサブロー館」が入った建物を右側に見て、藤堂は指定された料理屋に向かった。
スマホのナビに目を落として、「この角か」と思いながら右に目をやると、白地に江戸文字で貴船と横書きで書いてあるスタンド看板が見えた。
「あれだな」、と三〇メートルほど歩くとその店だった。ビル自体は間口が四間ほど、六階建て二階から上は居住用の住戸のようだ、賃貸マンションという感じがする。まだ竣工後一〇年程度で外壁はオーソドックスなベージュ、茶、の二色、四五・二丁のタイルが貼ってあり一階は黒っぽい大理石張りだ。
指定された店はビルの一階右側、間口が二間程、和風の感じを出すために、いぶし銀の色をした、下端は一文字粘土瓦を葺いた軒を二尺ほど出してある。柱や垂木は本物の杉の木で垂木の小口には銅製の化粧小口が取付てあり、和風の感じをより出すために竹製でアールを付けてある飴色の犬矢来が設置してある小さな店だ。一見木製に見えるように木目柄のアルミシート貼りの千本格子戸を開けて中に入った。
暖色電球色の白熱球のダウンライトに照らされた店内。歳は七〇くらいで、着物に割烹着、髪は綺麗にアップに纏めた髪に小さな梅の着いたかんざしが刺してある、女将らしき女性が藤堂に向けて「いらっしゃいませ。奥にどうぞ」、と声を掛けてきた。
右側は、壁に付鴨居があり三〇センチ角ほどの椿の花の絵が白木の細目の額縁に入ってひとつ掛けてある。左側には柾目のきれいな木製カウンターに五つほどの席が見える、ガラスのショーケース、中に鮪なのか、赤身の魚の切り身やタコの足などが見える。さらに奥には白い襟付き半袖に調理帽子に白いシャツ、赤いネクタイを締めた恰好の男性が二人見える。二人に「いらっしゃいませ!」、と声を掛けられながら女将に言われた通りに歩いて行く。右の壁と左のカウンター用の椅子の間八〇センチ程を奥に向かって歩く。
戸襖が開いており部屋が見える。四〇センチほどの高さの小上がりの和室の床は茶色の縁の畳で足を入れることができるように掘りごたつふうに造ってある。天井は網代に見えるビニールクロス、壁は抹茶を濃くしたような色のじゅらくに似せたビニールクロスに付鴨居が廻してある。関東間の六畳ほどの窓の無い部屋だ。席は手前に二席奥に一席セッティングしてあるのが見えた。
手前に座って背中を見せている男が、「あちらに座ってください」と言って左に体を捻ってこちらを向きながら右手で奥の方をかざした。
髪が真っ白で以前と違っていたため一瞬誰か分からなかったが大盛だった。
「塗料メーカーの佐野さんから電話があって伺ったんですが」、藤堂が言う。
「私が藤堂さんに電話すると、出てもらえない気がしたんで佐野さんに電話してもらったんです。まあ座ってください」
藤堂が座ると先ほどの女将が白いハンドタオルのおしぼりを差し出してくれる。
「とりあえず泡の出るヤツ」と女将に向けて大盛が言う。
コロナ禍で世間ではアルコール禁止のはずだがやはりこういう店もあるのか。
お互い無言のままだったが襖を開けて女将がビールと小鉢を届けてくれた。
「暑かったでしょう。先ずは一杯」と大盛がビールを注いでくれる。
注ぎ返そうとビール瓶を取ろうとしたが、「大丈夫ですよ」と大盛が自分のグラスにビールを注いだ。
「お久しぶりです」、と言いながら大盛がグラスを差し上げたので藤堂もそれに合わせてグラスを上げて、ほとんど下戸に近い藤堂は一口だけビールを口にした。
しばらくは最近の酷暑といわれている暑さの件など営業マンのいう、「木戸にたてかけし衣食住」季節、道楽、ニュース、旅、天気、家庭、健康、衣、食、住、他愛もない話をお互いした。
魚は、何をお持ちしましょう。女将が戸襖を開けながら聞いてきた。
「何がありますか?」と大盛が尋ねた。
「鰯か鮎か太刀魚をご用意できますが」と女将が答えた。
「藤堂さん何にしますか」、と大盛が訊いてきた。
「鰯をお願いします」と女将に藤堂が答えた。
「同じで」と大盛も告げた。
女将が戸襖を閉めるか閉めないかのタイミングで大盛が口を開いた、「豊洲パークホームの件ですけど、ウチと長谷山でやってますから、ひとつ協力をお願いします。お礼については後程、長谷山の役員の滝川さんより電話が入りますから」、と切り出してきた。
「お客様、お着きになりました」、と女将が言って戸襖を開けると一人の男が部屋に入ってきた。渋野だ。
TGSの役員で大盛と同じ一九六五年生まれの五六歳だ。
「お久しぶりです」藤堂に向かって挨拶する。
「お元気でしたか」と藤堂も返した。
それからしばらくは、また木戸に立てかけし衣食住の話だった。
女将が、鰯をテーブルの上に置いたそのとき大盛の電話が鳴った。
「はい、大盛です」、と電話に出る大盛。
「長谷山の滝川さんです」、と言いながらスマホを藤堂に差し出した。
「藤堂さんですか、お久しぶりです。今後藤堂さんに仕事をお願いしたい組合がいくつかあるんですよ。豊洲パークホームはどうか協力をお願いします」
 以前、滝川と談合チームを組んで、アーベントハウス越谷、ハイホーム船堀、ザ・タワー・プライム池袋等大規模修繕を行ったことがあった。
「キャナルホーム豊洲はTGSへの義理もありましたし、組合さんからの相談が無かったので、私は目を瞑ってましたけど数年前からの付き合いの豊洲パークホームの理事さんからの相談ですし、私もゴルフに行ったりして親しい間柄になりますんで」と返事して藤堂はスマホを大盛に返した。
「藤堂さん、連絡会で理事会から相談を受けていることは承知の上なんです。なんとか協力お願いできませんか、長谷山グループと上手く付き合っていくのが今後の藤堂さんの為ですよ」と畳みかけるように渋野が話してきた。
「滝川さんにも言った通り、隣のマンションで五年ほど前からお互い懇意にしてきたマンションの理事から相談されていますので、キャナルホーム豊洲は組合の方からの相談がなかったので黙っていましたけど、今回は違いますから。それに以前行ったことを悔いてますんで、お詫び行脚して詫びてまわりたいくらいの気持ちなんですよ」と藤堂は返すにとどまりお茶を濁してその日は終了した。
「豊洲パークホームの件ご検討頂けましたでしょうか。何卒宜しくお願いいたします」大盛よりメールが届いていたが藤堂はスルーした。

 四日後、藤堂が外出先から自宅マンションにラピスブルーのインプレッサスポーツで帰って来た。自走式駐車場の六階にクルマを止めて外に出たとき二人の男が近づいてきた。歳は二十歳くらい、肌が浅黒い、東南アジア系か。
「トウドウサンデスカ」カタコトの日本語で藤堂から見て右の一人が尋ねてきた。
「そうですが何か」答えた瞬間に左側のもう一人がこん棒のようなもので殴りかかってきた。
左肩にかけていたトートバックでこん棒を受けた藤堂。カーン! とかん高い音がした、バックに入っていたタンブラーに当たったようだ。バックに付けてあった防犯ベルのヒモを引く。
「ジリリリリリリリリーーーーーン!」大きな音で防犯ベルが鳴り響いた。
数日前に結婚して出て行った、長女の部屋を片付けていたときに出てきた防犯ベルを何か胸騒ぎがしてクラッチバッグに付けていたのだ。
襲ってきた二人が驚いたとき、黒いボルボⅤ60が上がってきた。副修繕委員長の石谷さんだ。高校大学とラグビーをやっていて一〇〇キロを超える巨漢が降りてきた。まずいと思った二人組は慌てて階段を降りて運河沿いを走って逃げて行った。
「藤堂さん、大丈夫ですか、何ですかいまのは」
「嫌がらせですね。石谷さんに来てもらって助かりました」
「藤堂さん、気を付けてくださいね」
「ありがとうございます。また今度ゴルフご一緒してください」
防災センターで藤堂は警察官に事情を話して、被害届を出すことにした。
豊洲パークホームの理事に、この件を話した方が良いか考えたが、下手に心配かけたりしないように、止めておこうと決めた藤堂だった。
翌日、湾岸署の刑事二人が日本橋のTGSと芝の長谷山を訪問して聞き取りを行ったが、「何も知りません」とのことだったらしい。
その日の夜二〇時、港区芝の長谷山の事務所に長谷山リフォームの滝川、亀山、大盛がいた。
「亀山さん、手荒なことはするなと言ったよね」
「滝川さん、どうしたんですか」
「ウチとココに警察が来たんですよ」大盛が言った。
「藤堂が襲われたんだよ」滝川が語気を強めた。
「……すいません」亀山が詫びた。
「で、その襲った二人というのは?」、大盛が訊いた。
「下請けの、高田のところの東南アジアから来ている技能実習生ですから大丈夫です」
「いや、危ないな、どこから繋げられて手が延びるとも分からない。その二人は急いで遠くへやってくれ」、滝川がいう。
「分かりました」亀山が答えた。
「その二人に警察から話があったら、『ネットの闇サイトのバイトとしてやったと』口裏を合わせるようにしておいてください」大盛が言う。
「分かりました」、亀山が答えた。
「亀山さん、二度とやらないでくれよ。こんなことが表沙汰になったらオタクが潰れて済むようなことじゃなくなるぞ」、滝川が言った。

「本日、お集まり頂いたのは、問題が発生しましてその対策を考えて頂きたいと思います」、佐田が言った。
修繕委員会が開催されて、IKKapロクシーを見積り依頼会社に加えるか否かを協議した。
オブザーバーとして理事の広兼理事長、松川副理事長、中林理事が参加していた。
「勝手に理事会で、そんなことしようとしていたんですか。困るな絶対そんなことダメですよ、だって条件で直近三年間に赤字が無いことというのがあって全てクリアした会社を五社選定した訳ですから」、と怒りながら小畑が言う。
「そうですね、『IKKapロクシーをなんで入れたんだ』という意見が他組合員から出たときに困りますよね」と近田が言った。
「理事会で私が説明したんですよ」、副理事長の松川が言った。
「どんな説明したんだよ」。小畑が怒って言った。
「IKKapロクシーが直近三年間で赤字無しという条件に合わなかったということはあっても、去年コロナ禍で他にも去年赤字の会社が数社あったこと。親会社がIKKapということで簡単に倒産するような会社ではないこと、一〇億円を超えるような工事で見積りを依頼する会社が五社より六社で良いだろうと説明したんですよ」、松川が言った。
「松川さんIKKapロクシーと繫がっているんじゃないの」、小畑が言う。
「それ、どういう意味ですか」松川が返す。
「IKKapロクシーから金が貰えるからそんなこと言ってるんじゃないのかということだよ」、小畑が言い放つ。
「いやいや、小畑さんこそ選定した五社のなかのどれかと繫がっているんじゃないんですか。いやハッキリ言うと長谷山かな」、松川も負けていない。
「冗談言うんじゃねー」、むきになって小畑が言う。
「TGSさん、窓ガラスの劣化が調査診断報告にありませんが、どういうことか説明をお願いします」、中林が訊いた。
「……窓の工事は、建物の根幹を揺るがすようなものではありませんし……」しどろもどろに渋野が答える。
「それは答えになっていませんよ、窓サッシ、窓ガラスの調査をやったのかと聞いています」、中林がさらに言う。
「行っていません」、渋野が答えた。
「窓が共用部、窓ガラスも共用部だということ、分かっていないんですか。SDGs、地球温暖化防止、結露防止、健康促進いろんなメリットがあるから国や都が補助金を出しているの知ってるんですか」、中林が詰め寄るように言う。
「分かっていますが……」、途中で黙ってしまう渋野。
「分かっているのであれば、どうして調査しないんですか」、中林が訊いた。
「申し訳ありません。会社に持ち帰り検討して回答をお持ちいたします」
「それじゃあ、採決してくださいよ」中林が言った。
「IKKapロクシーを見積り依頼会社に加えることに賛成の方は挙手をお願いします」、と小畑が言った。
小畑以外の全員が挙手してIKKapロクシーに見積りを依頼することが決定した。

港区芝の長谷山の事務所に、豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人が、揃っていた。
「すいません。修繕委員会を上手く纏めることができませんでした。理事の三人が参加してきて、窓ガラスの件まで引き出されてしまって……」小畑が報告した。
「理事会に上程されたということでしょうか」、大盛が小畑に訊く
「そうですね、採決しましたんで、理事会に行って協議となります」佐田が言った。
「理事会で協議したらどうなる」、滝川が佐田に訊いた。
「何とも言えませんが、IKKapロクシーを見積り参加させるようになる可能性が高いですね」、佐田が答えた。
「まずいな」、滝川が呟いた。
「上程される前に、なんとかならないのか」、滝川が続けた。
「佐田、理事長を買収できないのか」、荒木が言った。
「ちょっと危険です」、佐田が答えた。
「理事長は、どんな人間だ」、滝川が訊く。
「六十代と思われる女性です」、佐田が答える。
「珍しいな」、滝川が言う。
「法的な名義はご主人なんですが、体が少し不自由で奥さんが理事会には、出てるんです」、佐田が説明する。
「理事長になった経緯は」、荒木が訊く。
「輪番制が回ってきて理事になって、任期二年半数入替制度の二年目でアミダクジで理事長になってます」、佐田が答えた。
「じゃあ当らず触らずのスタンスということか」、滝川が訊く。
「そうですね。ただ御主人が車椅子使うことが多く。マンション内にスロープを設置するように言ってます」、佐田が言った。
「スロープの設置は工事項目に入っているのか」、滝川が訊く。
「いえ、工事項目には入っていません」、渋野が答えた。
「良いじゃないか、バリアフリーの時代だ、スロープは設置し易いだろう、荒木、スロープの設置と一〇〇万で話をつけてこい」、滝川が命令した。
「し、しかし理事会で一度話が出てますんで理事長を味方に付けたからと言って理事会での決議を左右できるかどうか」、荒木が言う。
「理事会に上がる前になんとかするんだ。修繕委員長と理事長で協議して理事会に上げないようにするんだ」、滝川が言った。
「了解しました」、荒木が言った。
「窓ガラスの件は、どうしますか」、佐田が言う。
「それについては、弊社がどうにかします」、大盛が言った。

翌日午後七時半、広兼理事長宅のインターホンが鳴った。防災センターからだ。
「はい、広兼ですが」
「夜分に申し訳ありません。長谷山コミュニティの荒木と申します。理事会の件でお話がありまして、玄関先で少しお時間宜しいでしょうか」
「あ、はい」
「それでは、今から伺わせて頂きます」

再度インターホンが鳴って広兼理事長が玄関ドアを開けた。
「すみません」、と言いながら荒木が中に入った。
「理事長さんにお願いがありまして伺ったんですが、実は大規模修繕工事の施工会社選定で、IKKapロクシーという会社を見積り依頼先に追加するような騒ぎになっているんですが、ルールを破ってそういう事をやってしまうと混乱してしまいます。それで今回は、IKKapロクシーは選外として進めたいと思っておりますので、何卒広兼理事長様には協力お願いするべく伺ったんです」
「混乱するのは、困りますけど、だからと言って……」
「理事長、たしか車イス用のスロープ設置を望まれておいででしたよね」
「はい、主人が車椅子を使うときが多いもので」
「今回スロープは工事は計画に無いんですが、私共に協力して頂けるのであれば、スロープを設置できます。それとこれ」と言いながら一〇〇万円が入った袋を渡した。
広兼理事長が受取り中身を確認した。
「えっ!これ、こんなことされたら困ります」
「預かっといて頂ければいいんです」受け取ってもらうための常套句だ。
「…何をどうすればいいんですか」
「フロントの佐田が、都度お願いをします。宜しくお願いします。夜分に失礼しました」、と言って玄関ドアを荒木が閉めた。

翌日、佐田が広兼理事長に電話した。「広兼理事長、今晩、小畑修繕委員長と打合せをお願いできますか」
「分かりました」、広兼理事長が返した。
その日の夜ミーティングルーム。
「お二方とも、お集まり頂きありがとうございます。IKKapロクシーを見積り依頼会社に追加するよう松川副理事長と中林理事が騒いでいます。これが許されてしまうとルールが破れてしまい混乱が起きてしまいますので修繕委員長と理事長で協議の結果、見積り依頼は行わないことにしたということでお願いします」、佐田が言った。
「そうですよね、理事会も困りますよね、それで良いと思います」、小畑が言った。
「……そういうことでいいんですかね」、広兼理事長が呟いた。

理事会が開催されたがIKKapロクシーを見積り依頼会社に追加する件は協議されなかった。
「それでは今日の理事会は終了します」、広兼理事長が挨拶した。
「理事長! ちょっと待ってください。IKKapロクシーに見積りを依頼する件はどうなったんですか」、松川副理事長が大きな声で言った。
「はい、その件は当初決めたルール違反ですので、今回はIKKapロクシーには見積り依頼はしないことにしました」。広兼理事長が言った。
「いやいや、そんな勝手なことは出来ないですよ」。松川副理事長が言った。
「勝手じゃないですよ。だってルールを無視するようなことを言っているのは松川副理事長と中林さんだけでしょ」広兼理事長が言う。
「理事のみなさん、どうお考えですか前回の理事会で私が提案したIKKapロクシーを見積り依頼会社に追加することを修繕委員会で協議するのが良いという決議で、修繕委員会でも追加するように決議されて上程されているのに、この理事会で協議されるべきだと思いませんか」松川が食い下がる。
「理事長も前回の理事会では追加に賛成じゃなかったんですか」中林が言った。
「いやいや、そんなことはありませんよ」広兼理事長が言う。
「佐田さん管理会社の意見はどうなんですか」松川が訊いた。
「…」佐田は、黙ったままだ。
「松川さん、そんなにIKKapロクシーにこだわるということは、松川さんがIKKapロクシーと繫がっていてお金を頂くんじゃないかと思われてしまいますよ」広兼理事長が言った。
「……」松川も黙ったままだ。
「確かに前回『もう一社くらい加えても良くないか』みたいなことを理事長は言ってましたよね」一人の理事が言った。
「ハッキリ言いますけどこのままだと談合されて長谷山リフォームに決まってしまって金額は、五社の中では長谷山が一番安くても、本当は高い金額で」中林が言う。
「それは心外です」佐田が言う。
「だって、談合防止の策が修繕委員会で何ひとつ成されていないじゃないですか」松川が言う。
「どういうことでしょうか」と佐田が訊く。
「そもそも、公募の条件なんて長谷山リフォームが受注できるように取り決められたものじゃないんですか」中林が言う。
「そんな……」佐田は黙った。
「だいたい、施工会社の選定の委員会や理事会に管理会社の御社がずっと参加していること自体、情報漏れやステークホルダーとの関わりに問題があるし利益相反ではないんですか」松川も言った。
「修繕委員会に参加している近田マンション管理士は何をやってくれてるんですか。応募書類や見積りなど組合理事長と監事宛に一部ずつが談合防止措置じゃないんですか。設計事務所の応募書類はマンション管理士宛、見積りが設計事務所宛とかありえないんですけど」松川が言う。
「……」佐田は何も言えない。
「IKKapロクシーを見積り依頼会社に加えた方が良いと思う方は挙手をお願いします」中林が言った。
広兼理事長を除いた全員が手を挙げた。

翌日、松川が藤堂に電話した。
「IKKapロクシーに見積り依頼することになりました。ありがとうございました。ですけど広兼理事長が何故か長谷山の方に回ったようでして……」
「良かったですね。適正価格で見積りが出ると良いですね。広兼さんは買収されてしまいましたかね」藤堂が返した。

港区芝の長谷山の事務所に、豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人が、揃っていた。
「昨日の理事会でIKKapロクシーを見積り依頼会社に加えることになりました」佐田が報告した。
……全員が黙った。
「どうしますか、IKKapロクシーに見積り出されたらこれまでの作業が全て台無しですよ」マンション管理士の近田が口を開いた。
「談合が明るみにでたら、長谷山の名前にもキズがつくし困ったことになるな」荒木が言った。
「申し訳ありません、公募条件にもっと工夫が必要だったかもしれません」渋野がいった。
「私がIKKapロクシーに話に行ってみます」大盛が言った。
「私も同行します」亀山が言った。
翌日、中央区新橋のIKKapロクシーの東京支店の支店長高木を大盛と亀山が訪ねた。
「どういうお話でしょうか」高木が訊いた。
「豊洲パークホームというマンションの仕切りを弊社で行っているんですが、今回は長谷山リフォームさんの下でこちらの亀山塗装さんが仕事を行うことで進んでおりまして、つきましては御社に是非協力をお願いしたく伺わせて頂きました」大盛が言う。
「別の物件で御社をチャンピオンにして、私共も協力させて頂きますので何とか今回、協力お願いしたいと思いまして」亀山も続ける。
「せっかくお出で頂いたんですが、親会社IKKapの指示でそういったたぐいのことはできないんですよ」高木が言った。
……沈黙が続いた後
「なんとか検討して頂けないでしょうか」大盛が絞り出して言ったが、高木は何も答えなかった。
「藤堂さんTGSの大盛社長と亀山塗装の亀山さんがウチに来て長谷山に協力お願いできないかと言ってきましたが、断っておきましたから」と二人が帰って高木が電話した。
「そうですか、組合さんのために適正価格の見積りをお願いします」と言って藤堂は電話を切った。
数日後、千葉のIKKapロクシー本社の応接室に大盛と滝川の姿があった。
「お待たせしました」社長の黒澤が入って来た。
黒澤は親会社のIKKapより出向してきた社長で塗装・防水業界とは繋がりが無いため反談合にも適した人物だ。
名刺交換が終わり大盛が切り出した。
「お時間頂き誠にありがとうございます。今日はお願いがあって伺いました。豊洲パークホームというマンションの件でして」
「どういうことでしょうか」黒澤が返した。
「豊洲パークホームは長谷山の元施工で長谷山で管理しているマンションでして、今回大規模修繕工事ということで……」滝川が言葉に詰まった。
「『談合に加担して長谷山より高い見積りを提出してもらえないか』ということでしょうか」黒澤が訊いた。
「なんとかお願いできないでしょうか。業界のことを考えて頂きまして」大盛がお願いする。
「せっかくお出で頂きましたが、そういうご相談にはお答えできかねますのでお帰り頂けますか」黒澤が言った。

「先ほどTGSの大盛と長谷山リフォームの滝川が来て協力してくれとのことだったけど断っておいたよ」と黒澤が東京支店長の高木に電話した。
「本社にもTGSの大盛社長と長谷山の滝川が来て協力依頼があったそうですが、断っておいたということです」高木が藤堂に電話した。
「そうですか、ありがとうございます」藤堂が言って電話を切った。

大盛と滝川がIKKapロクシーの本社を訪ねた翌日、港区芝の長谷山の事務所に、豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人が、揃っていた。
「IKKapロクシーの親会社のIKKapの方からなんとかなりませんかね」大盛が言う。
「IKKap相手だと分が悪いな」滝川が言う。
「IKKapのサッシを使うことを条件に交渉するとか」亀山が言った。
「長谷山のマンションはIKKapのサッシを使ってないからな」荒木が言う。
「こうなったら、岡林顧問に相談するしかないな」大盛が言った。
「お願いします」亀山が言う。
大盛が腕時計を見てハワイの時間を確認して電話を掛けた。
事の成り行きを話した。
「しょうがないな。明後日ハワイを発つので、小暮に言って急いで、IKKap社長の身辺を調べておいてくれ」岡林が言った。
「承知しました」と大盛が言って電話は終わった。

JR神田駅の東口から五分程歩いた場所にいかにも昭和四十年代に建ったであろう外観の雑居ビルの三階にその事務所はあった。探偵事務所K、小暮が窓を背にして座っている。広さ二〇㎡程度の小さな事務所だ。机の前の椅子に大盛は座っていた。
「今度は何処のマンションですか」小暮が訊いた。
「グレさん今日は、理事長探しのお願いじゃないんだ」
「じゃあなんですか」また小暮が訊く
「IKKapの社長堀尾を調査して欲しいんだ」
「いつもと違うんですね、了解です」
「接触して頼みたいことがあるんで、身辺調査を頼むよ」

ハワイから羽田に付いた岡林が大盛の黒い小ベンツに乗り込んだ。「大盛君、長谷山コーポレーションの西川さんにアポ取ってるんで芝の長谷山の事務所に行こう」
長谷山の事務所にTGSの岡林と大盛、長谷山リフォームの滝川と長谷山の本家新築部門、長谷山コーポレーションの東京支店長西川の姿があった。
「岡林さん、遠くからご足労頂きありがとうございます」滝川が言った。
「いやいや、みんなが良い方向に行くように頑張りましょう」岡林が返す。
「岡林さん、お久しぶりです。お元気そうで」西川が挨拶した。
「西川さん、今回は本家新築部門のコーポレーションにも協力を頂かないと難しいですね。IKKapに協力してもらうには、やはり見返りが必要です。社長も部下やロクシーにそれなりの大義名分がないと説明がつきませんから。できる限りで良いんです、これから造るマンションでIKKapのサッシを使って頂けないでしょうか」岡林が言った。
「岡林さんには昔随分お世話になりましたしリフォームやコミュニティからも話は聞いてます。分かりました、東京支店の調整できる範囲でサッシは、IKKapのサッシを使うようにしましょう」西川が言った。

岡林が羽田に着いた朝、東京小金井の小金井オーガスタゴルフクラブに入って行く一台の白い旧型メルセデスベンツEクラスセダン、IKKap社長の堀尾が運転している。
後ろを付けていた小暮の黒いクラウンアスリートも中に入って行く。
午後三時、ゴルフ場を出る堀尾のベンツ、それに続く小暮のクラウンの二台は麻布に向かった。
港区麻布のメルセデスベンツのショールームで堀尾が新型Eクラスのステーションワゴンを観ていた。
「クラウンまでセダンじゃなくなるようなニュースをネットで見ましたけど、本当なんでしょうかね」堀尾が訊いた
「そのような話ですね。今ご覧になられているEクラスのステーションワゴンは、街乗りでも、荷物を多めに積んでの遠乗りでも大丈夫なクルマになります」とスタッフが答えていた。
そのシーンを通りの向こうで大盛に電話しながら視ている小暮がいた。

 一週間後、小金井オーガスタゴルフクラブのフロントにIKKap社長堀尾の姿があった。
「堀尾様、本日は岡林様という方とラウンドお願いできますでしょうか」フロントの女性が言った。
「承知しました」堀尾が答えた。
一番ホールで岡林が堀尾に挨拶する。
「今日は、一日宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」堀尾が返した。
岡林と堀尾は十八ホールをスルーで回った。
スコアは堀尾が八二、岡林が八五だった。その気であれば七十台前半で回れる岡林は程よく調整していた。
「ありがとうございました」岡林が言った。
「こちらこそ楽しいゴルフができました」堀尾が返した。
「今日はこれから用がありましてお食事もご一緒できませんが、またラウンドお願いします」と言って岡林がクラブハウスに戻って行った。
フロントの女性に岡林が袋を渡しながら「これ今日ご一緒した堀尾様に『お世話になったお礼』ということで渡してください」と言った。
堀尾がチェックアウトを行っているとフロントの女性が「これ今日ご一緒なされた岡林様が『お礼に渡してください』とのことでした」と言って岡林から預かった紙袋を渡した。
「……そうですか」と堀尾が受け取った。
堀尾が旧型メルセデスベンツEクラスセダンの運転席に座って、助手席に置いた岡林からの紙袋を開けた、ゴーディバチョコレートの包み紙の箱と封筒が入っていた。中の封書には岡林が長谷山コーポレーションの東京支店長と話をしてIKKapのサッシを使う用意があるということ、豊洲パークハウスの大規模修繕工事で子会社のIKKapロクシーに協力をお願したいこと。が記されていた。またもうひとつの封筒には百万円の帯が付いた札束が納められていた。
翌日堀尾が岡林に電話した。
「岡林さん、昨日は大変お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそお世話になりました」岡林が答えた。
「岡林さん、今度はいつラウンドご一緒願えますか」
「堀尾社長に、合わせます」
「じゃあ、来週の火曜日の九時でいかがでしょう」
「承知しました」
電話はそれだけで終わった。
 
 火曜日小金井オーガスタゴルフクラブ、ハーフを終えて岡林と堀尾が昼食をとっていた。
「堀尾社長、クルマEクラスにお乗りのようですが新型EクラスのSUVステーションワゴンが評判良いみたいですよ」
「そうなんですよ、この間私も観に行きましてね」堀尾が言う。
「この間お手紙でご相談した件如何でしょうか、御社にとっても悪い話じゃないと思います。どうかひとつ社長にはご協力頂いて、EクラスのSUVステーションワゴン、本日お持ちしておりますんで乗って帰って頂ければ幸いです」
「そうですか、承知しました。ロクシーの方には話をしておきます」
「ナイッショー」岡林の大きな声が十番ホールのティーグラウンドで響いた。午後四時、セレナイトグレーの新型メルセデスベンツEクラスSUVステーションワゴンでゴルフ場を上機嫌で出る堀尾の姿があった。

 翌日の午後、堀尾の部屋にIKKapロクシー社長の黒澤が呼び出しを受けていた。
「黒澤君、豊洲パークホームの見積り依頼が管理組合さんからあっていると思うが、今回は長谷山さんに協力するように頼むよ」
「……しかし、マンションの修繕が塗装防水ばかりの大規模修繕工事にCO2削減、地球温暖化防止になるサッシ改修に向かうべくロクシーを買った会社の理念に反するのではないですか」
「黒澤君、長谷山の今後のマンションのサッシにIKKapのサッシを使ってもらう条件なんだよ」
「……そうですか、社長がおっしゃるんであれば」黒澤は、そう言うしかなかった。
黒澤は、東京支店長の高木に電話した。
「高木君すまん。豊洲パークホームは長谷山に協力することが会社の方針で決まったよ」
「黒澤社長! どうしてですか」
「君には申し訳ないが、堀尾社長から直々に話があったんだ、なんでも長谷山のマンションにウチのサッシが使ってもらえるらしい」
「しかし……了解しました」高木が言った。
高木はなんとも言えない気持ちでいた。

「藤堂さん、申し訳ないんですが豊洲パークホームは、辞退させて頂きます」高木が電話した。
「急にどうしたんですか」藤堂が訊いた。
「上からの命令でどうしようもないんです」高木が返した。
「いや、それは困りますよ。高木さんが大丈夫と言うから御社を推薦した訳で、最初から御社が出来ないと言ってくれたなら他を推薦していたんですよ」
「申し訳ありません……」
「そうですか、分かりました」高木の判断でなく、上からの命令だということを察した藤堂は電話を切った。

三日後、羽田空港第三ターミナル、国際線、出発ロビーに岡林と大盛の姿があった。
「今回は申し訳ありませんでした。猛省しております」大盛が言う。
「今後は注意してくださいよ。これで大丈夫だと思います。決まったらみんなでハワイに来てください」岡林が言って出発ゲートへと歩きだした。

岡林がハワイに帰った日、松川副理事長が藤堂に電話を掛けてきた。
「藤堂さん、IKKapロクシーより辞退届けが届きました」
「そうですか残念です。IKKapロクシーは長谷山に取り込まれましたね」
「藤堂さん、アドバイスをお願いしたいので伺わせて頂いて良いでしょうか」
「どうぞ、いらしてください」藤堂は答えて電話を切った。
 翌日、東京プライムハウスのミーティングルームに藤堂、松川副理事長と理事の中林と石山と牧それに週刊ゴールドの記者の立元が打合せを行っていた。
「石山さんと牧さんは、先日の理事会に参加して長谷山らに疑問を持って、今日参加させて頂きました」中林理事が言う。
「石山です」
「牧です」
二人が藤堂に頭をさげながら挨拶した。
「今日は週刊ゴールドの立元さんに来て頂きました。立元さんは、不動産関係の担当をされています。長谷山の問題も担当されたことがあり参考になる話をお持ちです。聴いて頂けますか」藤堂が言った。
「週刊ゴールドの立元です。藤堂さんより概要は伺っておりますので私の経験が参考になればと思います」
「宜しくお願いします」豊洲パークホームの理事が口をそろえて言った。
「残念です。談合を防ぐことができたと思ってましたので」松川が言う。
「そうですね、私も残念です。申し訳ありません。IKKapロクシーは大丈夫かと思っていましたので、まさかIKKapロクシーが辞退するなど考えていませんでした」藤堂が頭を下げた。
「いえいえ、藤堂さんが謝ることはないんです」松川が言う。
「藤堂さん、これからどうしたら良いんでしょうか」中林が訊いた。
「まずは立元さんの話を聞きましょう」藤堂が言う。
「はい、では私が以前千葉の浦安のマンション管理組合の理事長様からの相談があって調査した件をお話します。長谷山工務店の元施工、管理も長谷山コミュニティというマンションの大規模修繕工事でコンサルタントに設計事務所を入れて施工会社選定を行ったら、長谷山リフォームが選定されて工事を行ったんですが、どうもおかしいということで別の設計事務所に相談して調査したら竣工時の施工不良を隠蔽して大規模修繕工事を行っていたことが発覚したんです。それで現在係争中のマンションがあるんです」と立元が説明した。
「そうなんですか」豊洲パークホームの理事全員が言った。
「それに設計事務所で長谷山リフォームを選定したのがTGSという設計事務所でして、豊洲パークホームの設計事務所もTGSだそうですね」立元が言うと。
「えええー、そうなんですか」豊洲パークホームの理事全員が驚きの表情を見せた。。
「藤堂さんから概ねを聴いたときに、長谷山のやりそうなことだなと思ったんですよ」立元が言った。
「うわー、ヤバイですよね」牧が言った。
「浦安のマンションで私に電話をくれた理事長さんも、最初は組合内で浮いてしまっていて『何言っているの、この人』とみんなに思われていたんですが、少しづつ長谷山の化けの皮が剥がれていったんですよ」立元が言った。
「そうなんですね」石山が言った。
「ウチのマンションも今そんな感じで、私たちが変人扱いなんですよ」中林が言う。
「人間不思議なものでスーパーで買い物するときには一円でも高いと目の色が変わるのに、一度手を離れた修繕積立金には他人任せで関心が無い人が殆どですからね」立元が言った。
「でも、こうして『何とか、しないと』と考えている方がいて少しでも良い方向にと頑張っていけば大丈夫ですよ」立元が言った。
「具体策を少しお話しますね。これから五社の見積りが提示されると思いますが、それにプレッシャーを与える策です」藤堂が言った。
「どうするんですか」牧が訊いた。
「ウチ、東京プライムハウスの金額を教えますので、参考にと理事会や修繕委員会で公開して少しでもプレッシャーをかけるんです」
「ありがとうございます」松川、中林、石山、牧、豊洲パークホームの全員が言った。
「東京プライムハウスは、五一三戸、マンション本体、駐車場棟、外構全てで六憶三二〇〇万円ですから一戸当たり一二三万円です。「現在、算出されている工事予算金額はいくらですか」藤堂が訊いた。
「十三億八〇〇〇万円です」中林が資料を見ながら言った。
「ということは、十三億八〇〇〇万円の九〇パーセントとなる十二億四〇〇〇万円程度で長谷山は受注するよう計画していると思われます」藤堂が言った。
「初めから受注金額をきめられているってことですか」牧が藤堂に訊いた。
「そうです。それが談合です。IKKapラクシーが適正価格で見積りを提出したならおそらく東京プライムハウスの一戸あたり一二三万円の七四〇戸をかけた九億一千万円程度で提示されたはずですから、このことを修繕委員会や理事会で話されたらいかがですか」藤堂が言う。
「分りましたそうします」松川が言った。
「もうひとつ工事説明会資料を見せて頂いたときにゴンドラ足場を使うように計画されていましたが、豊洲パークホームは一番高いところで十八階ですよね、ココ東京プライムハウスは二十階ですが枠組足場ですし、隣のキャナルホーム豊洲も一八階で枠組足場です。わざわざゴンドラを使う必要はないと思います」藤堂が言う。
「そうなんですね」牧が言った。
「ゴンドラ足場だと一〇メートル以上の風が吹くと動かせないし、作業員の移動や資材の運搬の効率が枠組足場に比べてはるかに劣るので工事金額が割高になるんです。ゴンドラ足場の関係者が修繕委員か理事にいるかもしれませんね」藤堂が言う。
「小畑だな」中林が言った。
「今回の施工会社選定を中止に追い込んで、長谷山やTGSや近田マンション管理士を排除してご自分達で再度施工会社選定を行うことを推奨します」立元が言った。
「あと、近田マンション管理士は、排除した方が良いでしょう。談合防止するということで組合に雇用されているにもかかわらず、買収されているのでしょう、長谷山に都合の良いことしかやってませんから」藤堂が言った。

設計事務所募集で落選とされた会社、実際は応募書類を廃棄された、鏑木設計の鏑木社長が知人の小川が住んでいるということで豊洲パークホームに来ていた。
小川は現理事だ。小川と鏑木が小川宅のリビングで談笑しているときに、鏑木が言った。
「大規模修繕工事の進捗はどうかな。ウチにはまだ連絡が来ないんだけどダメだったかな」
「えっ、応募してたの?」小川が訊いた。
「うん、応募してたんだけど何の連絡もなくて」
「あっそう確認しておくよ」小川が言った。
鏑木が帰るのを小川がエントランスまで送って行っている途中で修繕委員の西村に会った。
「あのーすいません。修繕委員会の方ですよね、私今季理事の小川と言いますが、この友人が大規模修繕工事の設計事務所の公募に応募したそうなんですが、連絡が来てないそうなんですが」と訊いた。
「そうですか、ちょっと待ってください、私の住まいそこなんでちょっと資料を取って来ますね」そう言って小走りに住戸に向かって行った。
「お待たせしました、ロビーのソファーに行きましょうか」帰ってきた西村が言った。
ソファーに腰かけた西村がファイルを開いて資料をめくる。
「あぁ、これだ」設計事務所の比較表を開いてテーブルの上に西村が置いた。
「鏑木設計が無い。どういうことだ?」、理事の小川が言った。

三日後、オブザーバーとして松川副理事長、中林理事、牧理事、石山理事が参加した修繕委員会が開催された。
「ここに、東京プライムハウスの大規模修繕工事の工事金額について資料があります。同時期に長谷山工務店が造ったマンションですからさほど大きな違いはないと思います」松川副理事長が言う。
「そんな他所のマンションのことなんか気にしてどうするんだ。参考になんかなるもんか」小畑が叫ぶように言った。
「いやいや、TGSさんが算出している金額が高すぎるんじゃないかと思っているんですよ」中林が言う。
「それに、窓ガラスの調査の件はどうなったんですか」石川も聞いた。
「……窓ガラスは、調査を行う方向です」TGSの渋野は絞り出すように言った。
「近田マンション管理士に、お伺いしたいんですが、施工会社の選定で『組合の役に立ちます』ということで組合と契約してもらっているということですが、何をどういう風に工夫をしたのか、またしているのか教えて頂けますか」牧理事が訊いた。
「この大きさのマンションに適した、設計事務所を選定しました」絞り出すように近田が言う。
「近田さん、鏑木設計という会社を御存じですか」中林が言った。
「いえ存じておりません」近田が返した。
「ふーん、小川理事のご友人の会社でここの公募に応募したそうなんですけど」中林が言った。
「……」近田の顔が、ハトが豆鉄砲食らったようになった。
「黙ってないで、納得のいく説明をしてくださいよ」中林が言った。
「……」近田は口が開かない。
「西村修繕委員が、応募会社の比較表を診てくれたらしいですけど、鏑木設計の名前は無かったそうですよ」中林が言った。
「……」近田は、放心状態だ。
「近田さん、あなたの処遇は理事会で協議させて頂きます」松川副理事長が言った。

 五社の工事見積り比較表が配布された。
「長谷山リフォームが最安値十二億八〇〇〇万円、二番がイチカワコーポレーションで十二億八八〇〇万円、三番が矢野工建で十三億六四〇〇万円、四番がスペース技研十四億円、五番が御陵工業十四億八〇〇〇万円となっております。一番の長谷山工務店と二番のイチカワコーポレーションが近いですが他の三社は離れていますので、長谷山リフォームとチカワコーポレーションを二次選定では選定していかがでしょうか」渋野が言った。
松川が資料を配布し言った。東京プライムハウスの工事金額だ。
「今お配りしたのが近隣で同時期に当マンションと同じ長谷山工務店で作られた東京プライムハウスの大規模修繕工事金額です。一住戸当たり一二三万円です。七四〇戸の当マンションで考えた場合約九億一〇〇〇万円程度になるんですが、最安値の長谷山リフォームの十二億八〇〇〇万円と三億七〇〇〇万円の差があるんですがどういうふうにお考えですか」
「……他所のマンションと、比較されても困ります」渋野が困り顔で答えた。
「そうだよ、同時期だの同じ長谷山工務店の施工だからって比べるのはおかしいよ」小畑が言う。
「いやいや、同じように主外壁はタイル、同じようにファミリー型で、駐車場棟がある訳で、違うのはウチが保育園棟があり、東京プライムハウスはエントランス棟とスタディルームの棟があるだけじゃないですか。違うマンションでも比較対象とできないことはないですよ」牧が言った。
「しかしながら、あくまでよそ様のマンションです当マンションを弊社が調査して積算した予算書ですから、弊社を信用して頂きまして進めさせて頂かないと進めることができません」渋野が言う。
「そうですね。他のマンションと比較するのは危険ですね」佐田が合わせた。
「佐田さんは長谷山のグループ会社だからそんなこと言うんじゃないですか。だいたい施工会社の選定に管理会社が参加していること自体が情報が洩れ放題、談合やり放題じゃないんですか」牧が言った。
「……」佐田は黙り込んだ。
「それともうひとつ、計画では、ゴンドラ足場を使うようになっていますが、どうしてですか」中林が訊いた。
「養生シートをずっと掛けておかなくて良いので、解放感が保たれるからです」渋野が答えた。
「近隣の、東京プライムハウスやキャナルホーム豊洲、両マンションは二〇階建て、一八階建てで枠組足場だと言うのにですか」
「……」渋野は黙り込んだ。
「いろいろと理事の方の意見もあると思いますが今日は二次選考でヒアリングに呼ぶ会社を選定しないといけませんので、長谷山リフォームとイチカワコーポレーションの二社ということで良いでしょうか」渋野が言った。
「賛成の方は挙手をお願いします」渋野が重ねて言う。
小畑が手を挙げると西村委員以外の委員は手を挙げた。
賛成多数で最終選考に長谷山リフォームとイチカワコーポレーションを呼ぶことが決まった。

 港区芝の長谷山の事務所、豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人がいた。
「設計事務所の選定で二社応募書類を廃棄処分、応募が無かったことにして進めていたんですが鏑木設計の友人が理事で居住していたようで不正が発覚してしまったんですがどうしたら良いですかね」佐田が言った。
「どうして、そういうことをしたのかな」滝川が訊いた。
「TGSさんが、チーム外の二社は無かったことで比較表を作成されて……」近田が絞り出して言う。
「大盛さん、どういうことですか」滝川が訊いた。
「MDAで用意した会社以外の二社が残ってしまう可能性があったのでいっそ応募が無かったことにした方が良いかと考えまして……」
「まずかったな」滝川が言う。
「申し訳ありません」大盛が詫びた。
「こうしよう、次回の理事会で近田マンション管理士の処遇を検討することになってるのならば、平謝りでただのミスだったということで通したほうが良い。近田さん理事会では『うっかりして申し訳ありませんでした。帰って応募書類を確認したら鏑木設計さんの応募もありました』で通してください」滝川が言う。
「承知しました」近田が言った。
 
 理事会が開催された。近田が呼ばれていた。
「設計事務所会社選定においてマンション管理士の近田さんが選定の補助を行われたんですが、組合員で居住者の小川さんという方の友人の会社鏑木設計と言う会社が応募されていたにもかかわらず、応募が無かったかのように扱われていました。この場でみんなが納得いく説明をして頂きたいと思います」松川副理事長が言った。
「うっかりして申し訳ありませんでした。応募書類を確認しましたら、鏑木設計さんの応募書類が見つかりました。誠にもうし訳ありません」と近田が言う。
「うっかりじゃなく、故意にやったんじゃないですか。意中のコンサルタント、TGSに決定したいがために行ったことじゃないんですか」牧が言った。
「いえ、決してそのようなことはありません」近田が言った。
「まあまあ、近田さんも謝っておられるんで、その辺でいいんじゃないですか、理事の皆さんいかがですか」広兼理事長が言う。
「そういうことで良いんですか、理事長当マンションの何億円もの工事に関することですよ。大丈夫ですか」松川副理事長が訊く。
「いやいや、疑ったらきりがありませんよ」と広兼理事長が言って納められた感じで近田の処遇を協議するでもなく、進められた。
「大規模修繕工事の施工会社の選定は如何ですか」広兼理事長が言う。
「はい、長谷山リフォームとイチカワコーポレーションが低額で競って見積りが、提出されましたのでその二社を最終選考のヒアリングに呼ぶようにしています」佐田が言う。
「理事長、そんなにどんどん進めないでくださいよ、設計事務所の選定に不正まがいの選定が行われて、管理会社は施工会社の選定の委員会や理事会に常に立ち会って、情報はダダ漏れでいつ談合が行われてもおかしくない状態のままだし、いいんですか」牧が言った。
「そんなことを気にしているのは、あなたたちだけですよ」少し冷静に理事会進めませんか」広兼理事長が言った。
「良いんじゃないですか、長谷山は元施工で管理もやってもらっている訳ですから、当マンションを一番良く分かっていてくれているんじゃないですか。イチカワコーポレーションが金額を頑張って安くしてくれたならそれでも良い訳だし」広兼理事長が続けて言う。
「理事長! 横浜のマンションで建替えになったマンションは、元施工と管理会社が、同グループ会社で竣工時の施工不良を隠蔽していたものが、別の会社が入って明るみに出たもので、元施工が長谷山コーポレーション、大規模修繕も長谷山リフォームというのは問題があるんじゃないですか。TGSにしても多くの補助金が出る窓ガラスについては、一切触れていないなど問題ばかりなんですよ」松川が言った。
「長谷山の元施工で大規模修繕工事も長谷山で行って、後から竣工時の瑕疵を隠蔽していたことが発覚したマンションもあるんですよ」中林も言った。
「そういうデマみたいな話を信用できないですよ。後ろ向きの発言ばかりでは、前に進むことができません。ねえ皆さん。ヒアリングに長谷山リフォームとイチカワコーポレーションを呼ぶことに賛成の方は挙手をお願いします」広兼理事長が畳み掛けるように言った。
松川、中林、牧、石川、小川、他三名計八名は挙手しなかったが賛成多数で、承認された。

 港区芝の長谷山の事務所、豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人がいた。
「ようやく、ヒアリングにまでこぎつけました」佐田がいう。
「最後なんで、気を抜かずにお願いします。イチカワコーポレーションにはくれぐれも注意して、ヒアリングに来てもらうよう注意をお願いしてください」滝川が言った。
「承知しました。私が行ってお願いします」大盛が言った。
「あと、ヒアリングは公開にしたのかな」滝川が訊いた。
「そうなんです、松川副理事長が『できるだけ多くの方に参加して頂いて判断した方が良い』と言いまして」佐田が言う。
「金額はどうしますか」荒木が言う。
「松川副理事長が隣の東京プライムハウスの金額を知っていて『TGSさんの算出している金額は、おかしいんじゃないのか』と言ってます」佐田が言う。
「後で根掘り葉掘りしらべられても困るし、二社とも値引きをして東京プライムハウスに近づけて出そう」滝川が言った。
「どの程度にしますか」TGSの大盛が言う。
「三〇〇〇万程度を二社ともに『最終まで残して頂いたので頑張った』という体でどうかな」滝川が言った。
「……」亀山が渋い顔をしている。
「ちょっとキツイですね」亀山が言う。
「大丈夫だよ、松川副理事長あたりに分からないようにヒアリングの後で予備費を一〇パーセントにして追加工事で取るようにしますよ」荒木が言った。
「そうですか。宜しくお願いします」亀山が言った。
 
 二週間後にヒアリングが開催された。藤堂がアドバイスしたように公開とされ理事、修繕委員以外の組合員も参加していたがやはり興味の無い組合員がほとんどで、四十名ほどの参加にとどまっていた。
初めはイチカワコーポレーションだ。内容はどこも似たり寄ったりだ。会社概要を説明し、担当者の経歴、工事体制の説明、検査体制を説明し、サービスにサッシの固定鍵の無償提供、網戸保管用の袋の無償提供、防犯用監視カメラの設置だ。
「それでは最後に、ご提出頂いておりました見積り金額からさらなる値引きをお願いできますでしょうか」渋野が訊いた。
「こうして最終選考まで及び頂きましたので三〇〇〇万円を値引きいたしまして十二億五八〇〇万円でお願いできればと思います」イチカワコーポレーションの営業部長の山崎が答えた。
次に長谷山リフォームがプレゼンテーションを行った。プレゼン内容は、イチカワコーポレーションと同じ様なものだ。
「それでは最後に、提出頂いておりました見積り金額からさらなる値引きはお願いできますでしょうか」渋野が訊いた。
「こうして最終選考まで及び頂きましたので三〇〇〇万円をおねびきいたしまして十二億五〇〇〇万円でお願いできればと思います」長谷山リフォームの営業部長の有吉がと答えた。 
「ありがとうございました」それでは組合様で協議頂きまして結果は近日報告させて頂きます」渋野の挨拶でヒアリングは終了した。
「イチカワコーポレーションが十二億五千八百万円、長谷山リフォームが十二億五千万円となりました。プレゼンの内容は両社ともに差が無かったようです。イチカワコーポレーションさんが良いと思われる方は挙手をお願いいたします」渋野が訊いた。
挙手した者はいなかった。
「長谷山リフォームさんが良いと思われる方は挙手をお願いします」松川、中林、石山、牧、小川以外の参加者が手を挙げた。
「それでは長谷山リフォームを内定として連絡をします。またイチカワコーポレーションには選外となったことを連絡いたします」渋野が言った。
「それでは一月後を目安に施工会社は長谷山リフォーム工事金額十二億五千万円、予備費十パーセントで総会決議を頂いて、工事準備に進んで行きたいと思います」佐田の挨拶でヒアリング会は終了した。

港区芝の長谷山の事務所に、豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人がいた。
「これでひと安心ですね」佐田が言った。
「なんとかですね」渋野が言った。
「例の反対派の理事たちは大丈夫なのかな」滝川が言った。
「ここまで来たら手の出しようがないでしょう」近田が言う。
「それなら良いが」滝川が言う
「藤堂が後ろに付いてますから気は抜けませんが」大盛が言う。 
「まだ総会決議、契約が残ってますから最後まで宜しくお願いします」滝川が言って終わった。
 
 数日後。東京プライムハウスのミーティングルーム、藤堂と豊洲パークホームの松川副理事長と中林理事と石山理事と牧理事が打合せを行っていた。
「してやられました。理事会で近田マンション管理士を追求しようとしても広兼理事長が近田マンション管理士をかばう発言を連発するもんで、こちらがまた変人よばわりされてしまって」松川が言う。
「ヒアリングも、とってつけたような出来レースで見え見えだったんですが長谷山に決まってしまいました」中林が言った。
「万策尽きたという訳でしょうか」石山が藤堂に訊いた。
「そうでしたか、かなり難しくなりましたね」藤堂が返した。
「なんでもやりますから良い案があれば、教えてください」牧が訊いた。
「残された手は、あまりありません」
「そうですよね」全員納得の表情だ。
「総会は普通決議です。区分所有者及び議決権の過半数で決すると言っても、実際は、出席者が半数でそのまた過半数ですから四分の一でよい訳ですから、豊洲パークホームの場合住戸の大きさや一人で数戸を持っている人がいるなど一概には言えませんがおおむね七四〇戸の半分、三七一戸の過半数百八六の人が賛成すれば可決されます」藤堂が言った。
「そうなんですか。七四〇の過半数三七一戸じゃないんですね」全員が言った。
「総会の議案書は、事前に配布することが必須となっています」藤堂が言う。

【区分所有法第三十五条(抜粋)】総会の招集は通知は、会日より少なくとも一週間前に、会議の目的たる事項を示して発しなければならない。

「総会で可決されても度総会を開催してやり直すこともできないこもとないですが、現実的には難しいです」藤堂が言った。

【区分所有法第三十四条(抜粋)】区分所有者の五分の一以上で議決権の五分の一以上を有するものは、総会の招集を請求することができる。

「五分の一の署名を集めて、『前回の総会で決まったことは問題があるのでやり直そう』という臨時総会の開催に向けて頑張る方法ですが、契約されてしまうと、費用負担を請求されたりなど、出てきますので現実的には無理です」
「そうなんですね」松川が言った。
「今度の総会で否決になるように動くのが良いでしょう」藤堂が言う。
「どうしたら良いですかね」中林が訊く。
「総会議案書が配布されるのに合わせて、今議案に反対の書面を配布されてみてはいかがでしょうか」藤堂が言う。
「反対の書面」石山が訊く。
「松川さん、中林さん、石山さん、牧さん、が今悔しく思っておいでの気持ちを書いて関心の無い方に訴えてはいかがでしょうか」
「そうですよね」牧が言う。
「ほとんどの方は理事会や修繕委員会が何をしているのか興味が無い。議決書の賛成全てに丸を付けて提出するか、理事長に一任に〇を付けて提出ですから普通決議で議案にされると可決されます」
「マズイですよね」松川が言った。
「ですが議決書も提出しない無党派層のような方も多数います、書面を見て頂いて関心を持って頂き、否決に〇を付けてもらうように動いてどうでしょう」藤堂が言う。
「そうですよね」中林が言った。
四人で知恵を出して、反対書面を作りましょう。
「議案書の配布に合わせて配布しないと、早すぎると長谷山等が対策を打ってきますし遅すぎると組合員が議決書を提出してしまいますから議案書の配布に合わせてください」藤堂が言った。
「分かりました」松川ら全員が言った。
「工事の予備費で一〇パーセントというのは普通なんですか」牧が訊いた。
「いえいえ普通三パーセントか多くても五パーセントですよ」藤堂が言う。
「そうなんですか」石山が言う。
「この間のヒアリングの終わりがけに管理会社の佐田が予備費一〇パーセントで議案にすると言ったんです」中林が言った。
「そこまでやってきましたか。予備費で予算をとってしまえば、追加工事は出してもらうのを確約したようなもんですから、エアコン室外機の移動費や植栽の復旧費やバルコニーの荷物の処分費、下地補修費など素人には分かりにくい項目は、全て追加工事にして予備費から搾取するつもりなんでしょう」藤堂が言う。
「ヤバイじゃないですか」石山が言った。
「ちなみにウチは三パーセントを取っていたんですが、エアコン室外機の移動、植栽復旧等は工事項目に入れて、バルコニーの荷物の処分費は全て施工会社にサービスとしてもらいましたので、防災センターと清掃員控室の床、壁、天井のシートやクロスを貼替えした三百万円でしたよ。パーセントでいうと一パーセントにも満たないですよ」藤堂が言う。
「そうなんですね」牧が言った。
「そういうところも書面に書けばいいじゃないですか」藤堂が言う。
「いろいろとありがとうございました、最後までやってみます」松川副理事長が言って四人は帰って行った。

臨時総会の二週間前に大規模修繕工事の施工会社に長谷山リフォームを選出、工事金額は十二億五〇〇〇万円、予備費一億一五〇〇万円で工事契約を行う議案の、臨時総会議案書が配布された。
「今晩九時から四人で反対書面を配布しましょう」松川が中林、石山、牧にメールした。
「承知しました」中林が返した。
「了解です」石山が返した。
「分かりました」牧も返した。
反対書面を配り終えた四人がロビーで話をしていた。
「これで、どれくらいの人が関心を持ってくれますかね」牧が呟いた。
「四人の連名で出しているんで怪文書じゃないことは理解して貰えると思うし、連絡先に私のケイタイの番号も書いてありますので、それなりに効果はありますよ」松川が言った。
現地のコンシェルジュの女性より電話を受けた佐田が管理室に飛び込んで来た。
「これなんです」警備員の男性が書面を渡した。
「くそー、あいつらやりやがったな」佐田が言う。

港区芝の長谷山の事務所豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人がいた。 
「どうしますか」佐田が言う。
「反対の理由説明会を一週間後の日曜日に開催とありますが」大盛が訊いた。
「ミーティングルームを松川が予約してるんです」佐田が答えた。
「それは何とか阻止できないですかね」渋野が言った。
「どうやってやりますかね」佐田が言う。
「あくまで組合員の中の話ですから私たちは動きにくい。小畑さんと広兼さん、それにサポートで近田管理士が動くしかないですよね」渋野が言う。
「広兼理事長に、反対派の四人を呼び出してもらって『共同の利益に反する行為』ということで話をして中止するようにしてもらいましょう」荒木が言った。

【区分所有法第六条(抜粋)】区分所有者は、建物の保存に有害な行為その他建物の管理または使用に関し区分所有者の利益に反する行為をしてはならない。

ミーティングルームの奥側に広兼理事長、小畑修繕委員長、近田マンション管理士、対面して松川副理事長、中林理事、石山理事、牧理事が座っていた。
「みなさんが、行っている行為は、区分所有法の第六条に抵触します、辞めて頂けますか」マンション管理士の近田が言った。
「いやいや、そんなことはないですよ」松川が返す。
近田が「いやいや配布された書面には、特定の人物がさも不正を行っているような記載もありましたしかなり問題があります」と言う。
「それなら法的手段に打って出てくださいよ、こっちは話が大きくなった方がいいんだから」牧が言った。
「そう感情的にならずとも良いじゃないですか、なんか説明会を開催される計画しておられますが、それは止めて頂けませんか」広兼理事長が訊いた。
「どうしてでしょうか」松川が訊き返す。
「先ほどもマンション管理士からもありましたが、区分所有法に抵触するからです」広兼理事長が言った。
「いやいや、そんなことは無いですよ、不正を行っているのはそちらの方ですから」中林が言った。 
「それは心外ですね、区分所有法違反に加えて名誉棄損ですね。おたくらは」小畑が言った。
「だから、訴訟にしてもらって構わないと言っているでしょう。こっちは腹決めてやってるんだ」牧が言う
「とにかく今度の説明会なるものは、開催しないでもらいたい」そう言って広兼、小畑、近田の三人はミーティングルームを出て行った。
「あいつら後ろめたいことがあるもんで、慌てて中止に持ち込むつもりですね」石山が言った。
「まあ、こっちもできるだけのことをやるだけですね。頑張りましょう」松川が言った。

大規模修繕工事臨時総会に、関する反対書面説明会が開催されようとして、ミーティングルーム前に人が集まっていた。
牧がキーを差し込んで回そうとしているが回らない。
「おかしいな、管理室に行って鍵を確認しましょう」石山が管理室に行って確認するも間違いないようだ。
「やりやがったな、管理会社が鍵を変えたんだ。長谷山コミュニティの佐田に電話するんだ」松川が言った。
「佐田所長は今日は何時に来るんだ」管理室に行って中林が叫んだ。
「今日はお休みです」七十代と思われる警備員が言った。
「松川さんダメです、佐田が休みで連絡がとれません」中林が言う。
「しょうがない、ロビーでやろう。牧さんは遅れて来られた方をロビーに案内するようここに残ってください」
「みなさん申し訳ありません。ミーティングルームが使えないのでロビーで開催しますので移動をお願します」松川が言った。
ロビーに場所を変えて説明会が開催された。
おおむね参加者には、今回の大規模修繕工事に関しての疑惑を分かって貰えた感じだったが、参加者は五十名程度だった。
「今日の参加者には、分かって貰えた感じですね」石山が言った。
「しかし、ミーティングルーム前から、帰られた方も大勢いましたね」牧が言う。
「長谷山、えげつないことしますね」中林が言う。
「敵も必死だな」松川が言った。
「今日のことも、再度書面に入れてもう一度書面を配布しよう」松川が言った。
四人が二度目の反対書面を配布した。

港区芝の長谷山の事務所に、豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人がいた。
「それでどうなんだ、議決書の具合は」滝川が訊く。
「それが、アイツらが書面を配布したりした効果があったのか否決の議決書がけっこう増えてます。「コンシェルジュの女性に『どういうことか』と詰め寄るヒトや防災センターに電話してくる組合員がけっこういるそうです」佐田が言った。
「採決に手を加えることは、できないんですか」亀山が言う。
「いや、それはできない。もしそれが表に出たりしたら建設省に業務停止をくらう上に会社に大きなキズが付く」荒木が言った。
「臨時総会のときは、できるだけ反対派に喋らせないようにして、採決しましょう」佐田が言った。

臨時総会の前日、総会防災センターに、松川、中林、石山、牧の姿があった。
「佐田さん議決権行使書の賛否を確認したいので今日までの賛否のデータを開示してください」松川が言う。
「賛成二三〇、反対二二二す」佐田がパソコンを見ながら言った。
「ということは明日八票をひっくり返せば良い訳ですね」中林が言った。
「明日の出席予定は何人ですか」牧が佐田に訊いた。
「五十人の予定です」佐田が言う。
「五十人か、それじゃ賛成が二十で反対が三十なら否決ということだな」松川が言った。
「十分チャンスありますよ、参加する人は関心を持ってる人ですからね」牧が言った。

翌日、臨時総会が開催された。参加者は五十名程度だ。受付で賛成の青いカードと反対の赤いカードが渡される。一人で二枚ずつを渡される者もいる。大きな住戸は二票を持っている。
「本総会は、参加総数五〇二、総会の成立条件を満たしており成立することを報告します」と佐田が言い総会が開始された。議決権行使書が四五〇程提出済ということだ。佐田は胃が痛いのか右手でときどきみぞおちをさすっている。
松川、中林、牧の三人は良く眠れなっかったのか、牧が言った。
「急に『勝てるかもしれない』と思うと興奮して目が冴えちゃって」
広兼理事長が議案を読み上げる。
「今回の大規模修繕工事に関して、修繕委員会を設置して設計監理方式の採用を理事会で決議し設計事務所のTGSを公正に選定しました。建物の調査診断を経て改修設計を行い、公正に公募を行い、施工会社の選定を行った結果、今回の大規模修繕工事を長谷山リフォームに決定しましたことについて審議お願いします」
間髪入れずに松川が立ちあがって大きな声で言った。
「本議案は、当初のコンサルタントの公募の時点より問題があります。『応募していた会社が故意に排除されていた』この件についてどのようにお考えでしょうか」
「問題があったとは考えておりません」広兼理事長が答えた。
中林が続いて立とうとしたとき。
チーン、時間を告げるベルが鳴った。
「理事長、定期総会で議案がたくさんあるならまだしも、臨時総会でひとつの議案しか審議しないのに、こんな短い時間で審議などできないですよ」中林が言った。
「いやいや、もう十分でしょう。本議案に賛同頂ける方は青いカードを上げてください」広兼理事長が採決を取った。
青いカードが上がった、二十枚だ。
「本議案に賛同できない方は赤いカードを上げてください」
松川、中林、石山、牧を含めた赤いカード三十枚が上がった。
会場だけの数は反対が勝った。昨日の賛成二三〇に二十を足して賛成二五〇、反対二二二に反対三十を足して二五二だ。
「やったー」、牧が叫んだ。
「よし」、中林も言った。
松川、中林、石山、牧は顔を見合わせた。
広兼、小畑、渋野、近田の顔は青ざめている。
佐田が、机の上で計算機をたたいて計算する。電卓を叩く音が松川達にまで聞こえる。
三分ほどの、沈黙が続いた。
「結果が出ました。賛成二六〇、反対二五四、賛成多数で本議案は可決されました」佐田が言った。
広兼、小畑、渋野、佐田はホッとした表情だ。
松川、中林、石山、牧は、驚いた顔だ。
「おかしくないですか、昨日確認した時点で八票の差で、この場で反対が十票ほど多かった訳だから否決でしょう」松川が叫んだ。
「いえ間違いありません。きのう松川副理事長達が帰られてからと今朝、議決権行使書が一二票とどけられて、賛成が十、反対が二でしたから」と佐田が説明した。
総会終了後、長谷山リフォームの滝川と広兼理事長が急いで契約を交わした。

 総会終了後、ロビーで松川、中林、石山、牧が話をしていた。
「だめでしたね、勝てたと思いましたけど」牧が言った。
「残念です」石山が言う。
「しょうがない」中林が呟く。
「やるだけやったさ」松川が言った。

臨時総会の一月後、ハワイのホノルルカントリーゴルフクラブのレストランで豊洲パークホーム第一回大規模修繕工事、悪徳談合チームの八人、それに岡林、大盛の愛人とおぼしき右足首に赤い薔薇の入れ墨の女が揃っていた。
「なんとかでした」滝川が言った。
「お疲れ様でした」亀山が言った。
「工事が終わるまで頑張ります」渋野が言う。
「あとは、ガッポリいかせてもらいましょう」大盛が笑いながら言う。
「間違ってもゴンドラだけは、外さないでくださいね」小畑が言う。
「今日はIKKapから祝儀を頂いてますんで楽しみましょう」岡林が言った。
「ナイッショー」大盛のティーショットに、メンバーからの大きな声が一番ホールのティーグラウンドで響いた。打ち出されたボールは一五〇ヤード先から力なくスライスしながら右の池へ落ちて水柱が上がった。何年やってもときどき一〇〇を切る程度だ。
 
 東京プライムハウスのロビーに藤堂と松川の姿があった。
「藤堂さん、たくさんのアドバイス頂いたんですが残念な結果になってしまいました」松川が言った。
「いやいやこちらこそ、お役にたてずに申し訳ありませんでした」藤堂が返した。
「管理会社、施工会社、設計事務所、マンション管理士、理事長に修繕委員長がグルだったんで難しかったです」松川が言う。
「そうですね、組合員がもう少し、関心を持ってくれると良いんですがね。ウチも次は、駐車場問題を抱えているんですよ」藤堂が言う。
「どういうことですか」松川が訊いた。
「総戸数が五一三戸で駐車場が五一三台分あるんですが、現在九十台程空きがあるんです。クルマ離れが進んで一年で十台程度空きが増えているんです。収入が減っている分管理費の値上げに繋がってくるんです。ウチだけでなくどこのマンションでも、駐車場の空きは問題になっているんです」藤堂が言った。
「ウチも空いてると聞いたな」松川が呟く。
「幅も昔の基準で造っているので、クルマのサイズが大きくなった現在狭くなって乗り降りしにくくなっているんです」藤堂が言う。
「ウチもそうです」松川が返す。
「駐車場の百台分程は幅を広くして、空きを外部に貸し出そうと考えているんです」と藤堂。
「そうなんですね」と松川。
「大きなテーマで、先日も住民説明会を開催したんですが、吊るし上げ状態だったんですよ。外部の人が駐車場だとて出入りするのにアレルギー的に反対する人だとかいますんで」藤堂が言った。
「そうなんですね」松川が返した。
「誰かが、リーダーシップを持ってやらないと上手くいかないと問題ですから、理事長になって取り組みたいと思っています」藤堂が言う。
「そうなんですね」松川が言う。
「藤堂さん、これからもアドバイス宜しくお願いします」
「はい、できるだけのことはします」
松川は藤堂に見送られて自宅マンションへ帰って行った。

 TGSは一億三〇〇〇万円
修繕委員長として動いた小畑は二四〇〇万円
理事長として動いた広兼は一〇〇万円、
長谷山リフォーム三億八〇〇〇万円
長谷山コミュニティは、一億三〇〇〇円
亀山塗装は、二憶四〇〇〇万円
 近田マンション管理士は、三〇〇万円
 全ての原資は組合員が毎月毎月コツコツと一五年ほどかけて蓄えた修繕積立金だ。
 
着工して一か月程度が過ぎたころゴンドラが落下して乗っていた作業員が怪我をして現場が停止するなどして当初の工程通りに進んでいないこと、予備費については外壁タイルの劣化具合が足場を掛けずに調査していた想定と大きく劣化が酷かったということで一〇パーセントを吐き出させられたこと、東京プライムハウスで評判が良かった木目調のバルコニー塩ビシートを要望したら、「共用部の変更に当たるので、総会で特別決議が必要になる」と無茶苦茶なことをTGSが言って希望を叶えてもらえなかったこと等が松川副理事長より豊洲四丁目マンション連絡会で報告があった。

広兼理事長は任期が終了し、理事長でなくなりただの組合員となったことを見透かされてスロープ工事は延期された。何度か荒木に電話を掛けて「約束が違うじゃないですか、スロープを設置するとの話はどうなったんですか」と言ってクレームを付けたが荒木は、「何のお話でしょう」としらばっくれるだけだった。

 週刊ゴールドの立元は、ジャーナリストの使命を全うするべく、大規模修繕工事の実態を調査し続けている。

 SDGsとなる省エネガラスについては、TGSにのらりくらりとはぐらかされて前に進むことはなかった。







終章 管理組合理事長

 二〇二二年一月、藤堂を襲った二人組は北海道の大規模修繕工事の現場で塗装工として働いていたところを逮捕された。東南アジアからの技能実習生だった。しかし「ネットの闇サイトで一人十万円で請け負った」との供述迄で依頼者が捕まることはなかった。

 二〇二二年三月、建設情報新聞で公募が掲載された。
TGSの社長大盛が住んでいる宇宙をイメージしたというマンションだ。豊洲三丁目のスタータワーズ・ザ・ツインの大規模修繕工事、設計監理を行う一級建築士事務所募集。細かい条件が付けられている。チャンピオンは、設計事務所、施工会社共に、決まっているのだろう。
応募書類の宛先が一部は「管理室気付 修繕委員長 大盛治宛」もう一部は「日本マンションサポートセンター宛」だ。
日本マンションサポートセンターいかにも公的機関のような名称だが中身は岡林や大盛が勤務していたサカキバラ時代からの大盛の友人で大盛と同様にマンション管理士でもなければ二級建築士ですらない吉田が社長を務めている会社だ。
総戸数一〇六三戸、四八階建てが二棟で工事費が概ね二〇億円近くにはなろうかというマンションだ。
シナリオは既に書きあがっているのだろう。また組合員がコツコツと貯めた修積金を狙って新たな談合が仕組まれ始めていた。
しかしこのような仕込みは豊洲だけでは無い、今このときも日本全国で行われている。

 建設情報新聞にスタータワーズ・ザ・ツインの公募が掲載された翌日、藤堂は十一歳になったアラシを連れて向かって右側は対岸が枝川の運河、左側はキャナルホーム豊洲の公開空地、堤防との空地には桜並木が植樹されている運河沿いを散歩していた。散歩から帰って来た感じの、イブちゃんペアがゆっくりと歩いて来た。
「お久しぶりです。イブちゃんも六歳ですね」
「アラシ君! 元気だった、相変わらずイケメンね」
「お父さんは、どうでしょう?」
「お父さんはこの間、大変そうでしたけど……。この間エントランスロビーで何されていたんですか」
「ああ、説明会ですね。見られていたんですね」
「立たされたアラシ君のお父さんが、座っている人達に怒られている感じでしたけど」
「カッコ悪いところ見られちゃいましたね」
「何だったんですか」
「駐車場の説明会だったんですよ」
「ああ、そうでしたね」
「もう数年前から、『駐車スペースの幅が狭いから、広くしてもらいたい』と意見もあったり、クルマ離れが進んで五百十三台のうち九十台ほど空きが出ていて、収入減となってこのまま行くと管理費の値上げとなったりする恐れがあるもんですから」
「そうだったんですね」
「『時期早尚だ!』とか『計画がずさんだ!』とか言いたい放題言われちゃって」
「あら、いやーねー」
「今度は、駐車場委員会を作って検討することになりましたから」
「そうなんですね」
「今度、理事長を務めることになりましたので。頑張ります」
「あらまあ大変、修繕委員長から今度は理事長さんなんですね」
「五年前にガラスを変えたときから修繕委員長をやってましたけど、修繕委員長は卒業して、今季からは理事長です」
「でも、プロでいらっしゃるから。でも本当にアラシ君のお父さんたちが頑張ってくれているから、マンション暮らしも快適でいられるんですね。本当にありがとうございます」
「そう言ってもらえると頑張り甲斐があります。ありがとうございます」
「マンションは『管理を診て買え』と言ますけど、管理会社の管理じゃなくて管理組合、住んでる人が関心を持ってマンションをしっかりと守って行っているかと言うことなんですよね」イブちゃんママが言う。
「イブちゃんのお母さん、『クロコダイルダンディ』と言う映画のヒロインのリンダ・コワルスキーに似ていると言われたことありませんか?」
「リンダ・コワルスキーご存じですか。大昔にお付き合いしていた彼に言われたことがあります。主人じゃないので内緒ですけど」 
風が吹いて薄いピンクの桜の花びらが舞った。
「アラシ君、またね」イブちゃんペアはマンションに帰って行った。

イブちゃん達と別れてアラシと散歩を続ける藤堂だった。
昔は入学式の頃満開だった桜が地球温暖化によりあきらかに早く咲くようになっている。もう日本に春と秋は無くなった。冬が終わるといきなり初夏だ。桜並木の桜は満開だ。このままでは冬も無くなり常夏いや灼熱の島国となるやもしれない。

【建築士法 第二条の二】 建築士は、常に品位を保持し、業務に関する法令及び実務に精通して、建築物の質の向上に寄与するように、公正かつ誠実にその業務を行わなければならない。

【マンション管理適正化法 第四〇条】 マンション管理士は、マンション管理士の信用を傷つけるような行為をしてはならない。

 終

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