理解

文字数 4,369文字

  木製の時計の音が静かに鳴り響く。それは黒幕を捕らえていた時と全く同じ音色なはずなのに、今では気まずさと静けさを強調する音色のように聞こえる。ずっと口論ばかりしている二人がこの大広間に残された上に、長期にわたる口論で二人とも疲弊しているため、どうしても気まずさと静寂は生まれてしまうのであった。しかし人間は気まずい空気感に耐えきれずそれを断ち切ろうとする生き物だ。それは不破も例外ではない。
  「──なぁ、お前の、将来の夢はなんだよ。」
  同時に、人間は突然予想だにしていなかった事が起こると驚いた後に固まってしまう。否笠もまた例外ではなく、えっ、と声を漏らした後固まってしまった。
  「いや、お前だけ無視されて言えなかった、だろ、さっき。」
  焦ってしどろもどろになる。なんとか焦りを表に出さないように取り繕うが、それが全く功を奏していない事を本人が知る由もない。
  「私の将来の夢ですか。私の将来の夢は一流企業に就職する事です。」
  しかし否笠は不破が焦っているなんてつゆ知らず、落ち着いた口調でサラリと答えた。焦っている事がバレてなさそうとわかって、不破もやっと平常心に戻ることが出来た。
  「なんか、夢って感じがしないな。」
  「それはあなたもでしょう。一人暮らしなんて、叶えようと思えばすぐ叶いそうじゃないですか。未村さんみたいな、大きな夢はないんですか。」
  「ない。俺はあいつよりも現実をわきまえてるつもりだから、叶うと思えない夢は追わないようにしてる。」
  「遠回しに未村さんのことを貶しましたね。それは道徳に反しますけど。」
  「今は道徳とか言うのやめろよ。また言い合いになって体力を消耗するだろ。もうお互いヘトヘトなんだから、穏便にいこう。」
  「たしかに、ここで無駄に体力を消耗するのは得策ではありませんね。すみません、気をつけます。」
  ここまで何かと口論を繰り返してきた二人だが、もう相手に噛み付く気力もないのか、初めて穏やかに会話が進んだ。少しの沈黙の後、不破が口を開く。
  「なぁ、否笠は俺が一人で何でも出来る人間だと思うか?」
  質問を口に出してから、自分が変なことを訊いている事に気がつき、すぐさま撤回しようとする。しかしその質問に対する答えは即座に返ってきた。
  「いいえ、一ミリも思いません。」
  あまりの即答に不破は驚きの声をあげてしまった。しかしすぐに否笠が続ける。
  「この世に存在する全人類は、一人でなんでも出来る完璧人間ではありません。断言します。……しかし、人間は集団を形成することで大きな力を生みます。だから人間は群れをなすのです。」
  ゆっくりと不破の元へ歩み寄り、否笠は穏やかに笑う。
  「どうか、一人で何でもやろうだなんて、思わないでください。」
  「──おせっかい。」
  「えっ。」
  「でもその言葉、頭の片隅には残しといてやるよ。」
  「不破さん…! 」
  お互い疲れていた。しかし疲れていたからこそ、ほんの少しだけお互いに穏やかになれた。それは照れ臭さも感じてむず痒くなったが、前よりは嫌な奴という印象はなくなったのであった。

  「ただいまー! 」
  未村お得意の元気な挨拶と共にバァンと無駄に勢いよく扉が開かれ、反射的に不破と否笠は互いに距離をとる。いい感じの雰囲気をぶち壊した未村は二人の様子を気に留めることなく否笠に話しかける。
  「否笠、コーヒー見つからなかったから、アイスと砂糖とミルクだけ入れてきたんだけど大丈夫? 」
  「大丈夫なわけないでしょう! アイスコーヒーを頼まれてコーヒーが無いってなったら、普通諦めるか代わりのものを持ってきますよね。」
  「あ、コーヒーの代わりにコーラ入れた方が良かった? じゃあここに入れてくるから待ってて! 」
  その手があったか、と未村は迷いなくアイスと砂糖とミルクが入ったコップを手に大広間を出ようとする。否笠はすぐに未村が何をしようとしているか悟りそれを阻止している。
  「しかもその中に入ってるの、氷じゃなくてアイスクリームじゃねぇか。お前アイスコーヒーを何だと思ってんだよ…。つか、非鈴はなんで止めなかったのさ。」
  「自分は常に多数派の味方。あの場には自分と未村しかいなかったから、必然的に未村の意見が通る。それだけ。」
  非鈴は比較的常識人だと思われていたが、そうでも無いことがここでハッキリと証明された。不破は明らかに面倒くさそうな顔をして頭を抱える。非鈴の発言を聞いた否笠が大声を上げる。
  「非鈴さん、どうしてあなたは自分の意思を持てないのですか。未村さんのこの言動が常識外れであることは分かりますよね。何故止めないんですか! 」
  「ちょっと否笠、そんな言い方しなくてもいいじゃん。」
  非鈴を責め立てる否笠の前に、未村が立ちはだかる。まるで悪から人々を守る正義のヒーローのような立ち姿だった。それを見た否笠はこれまで我慢していた不満を抑えきれなくなり、爆発させてしまった。
  「……未村さんも未村さんです。夢を見ることは大いに結構。しかし現実を見なくていいわけではありません!」
  同様に、ずっと仲裁に回ってきた未村も積もり積もった苛立ちが否笠の発言を火種に爆発してしまった。
  「何さ、否笠は思い込みが激しすぎるんだよ。道徳と倫理を重んじない奴は人間じゃないとか言ってたけど、人それぞれじゃん。」
  「言っとくけど未村も思い込み激しいから。さすがに正義のヒーローを本気で信るのは小学生まででしょ。」
  その横から非鈴も自分の感じていたことを素直にぶつける。しかしそれは喧嘩を激化させる炎にしかならなかった。
  「未村さんも非鈴さんも不破さんも皆思い込み激しいんです! 」
  「自分は思い込み激しくない! 」
  今まで喧嘩を仲裁してきた未村と非鈴も我を忘れて否笠に対する不満をぶちまけていく。その勢いと同じくらいに、否笠も皆に対する不満をぶちまけていく。

  「うるさい! そもそもここにいる全員が思い込み激しいんだろ。」
  誰がこんな展開を予想しただろうか。いや、誰も予想していなかっただろう。今この場の争いを止めた本人でさえも予想していなかった。無意識だった。
  「……そう、全員がそうなんだよ。俺もそう。俺は一人でなんでも出来るって思い込んで、でも実際は一人じゃ何も出来なかった。一人じゃ、外に出る他の方法を見つけられなかった。」
  しかし不破の無意識の行動が、不破の中で"謎の答え"を見つけ出す糸口となっていく。
  「──俺の無自覚の罪ってさ、一人で何でも出来るって思い込んで、周りに迷惑をかけたことじゃねぇのかな。……俺、ここに閉じ込められてからの自分の行動を振り返った。俺は一人で何でも出来るからって皆と協力しようとせず、無意識的に皆に迷惑かけてた。……無意識のうちに、周りに迷惑をかける。これが『無自覚の罪』ってことなのかもしれない。」
  一つ一つ手に取って確認していくように、ポツポツと語られた。良くも悪くも威勢が良かった先程までの不破とは、正反対の様子だった。不破は罪の重さに気付き、罪悪感でいっぱいになっていた。無自覚の罪を自覚するということは苦しみを伴うことだということを、不破は身をもって感じた。
  「……皆は、何か思い当たる節、ないの。」
  だが、全員が無自覚の罪を自覚し告白するために協力をすると約束させられた。そして、その行為に誠心誠意は必要ないと否笠に言われた。ならば自覚すれば彼女らが苦しむだろうから、なんて優しさは必要ないだろう。よって不破は彼女らに容赦なく問うことにしたのだ。
  問われた彼女らは沈んだ表情で俯く。そして沈黙。少しの沈黙の間にも、時計は音を鳴らしてその場の雰囲気を助長する。しかし沈黙は非鈴によって破られた。
  「……ある、…多分。自分さ、考えるって動作がめんどくさくて嫌いだから、いつも人任せにしてた。人任せにすると必ず、周りは嫌そうな顔したり、困ったりしてた。今まで自分の行動が周りに迷惑かけてるっていう意識はなかった。でも不破の話を聞いて、もしかしたら自分も周りに迷惑かけてたのかなって思った……。」
  非鈴は少し自信なさげに自分の思ったことを伝えた。それを聞いた不破は自分が立てた仮説が的を得ているかもしれないことに少し安心していた。
  「不破っち、あのね。合ってるか分からないけど心当たりがないことはないんだ。さっき否笠に現実を見ろって言われたけどさ、同じような事を家族や友達にずっと言われてたんだよね。それでも夢を見続けて、正義のヒーローは実在するしなれるものだって語ってた。でも、現実はそうじゃないんだよね……? 」
  次に口を開いたのは未村だった。目に涙をためて、泣いてしまわないように必死で笑顔でごまかしている。きっと未村はここにいる誰よりも純粋で、現実を突きつけたら大きなショックを受けるだろう。しかし不破はそんなことお構い無しに容赦無く告げる。
  「少なくとも、漫画やアニメに出てくるような、皆にもてはやされるヒーローは実在しないと思う。」
  「うん、やっぱり、そうなんだね。私、ありもしない夢を現実だと思い込んでたんだね……。」
  不破の答えに未村はボロボロと涙を流す。それ以降、ずっと涙を流すだけで、何も話すことは無かった。少しの沈黙の後、ようやく否笠が言葉を発した。
  「やっとわかりました。私は、道徳や倫理を重んじるのは人として当たり前の事だと思ってましたが、その価値観を知らず知らずのうちに人に押し付けてしまっていたのですね……。皆さんは私に容赦なくその事実を突きつけてくれましたが、ここに閉じ込められる前は周りから何も言われませんでした。だから、無自覚のうちに周りに迷惑をかけていたんですね。」
  全員が確信した。全員が自覚した。罪を自覚して得たのは脱出への鍵という喜ばしいものだけではなく、罪悪感という重苦しいものもあった。それでも、外に出られるという喜びはたしかに感じられている。
  「皆さん、今は複雑な心境だと思います。きっとかなり苦しい思いをしているかと思います。しかし、我々は輝かしい人生を再び歩む権利を得たのです。だから、今は進みましょう。」
  立ち上がった否笠の目に曇りはない。しかし光もほんの僅かしかない。それでも否笠を奮い立たせ、皆に呼びかける気力をもたらすには十分だった。否笠に呼びかけられて他の面々も次々に立ち上がる。顔を曇らせている者は誰一人としていない。皆、覚悟を決めたようだ。
  「……さぁ、行きましょう。自分たちの罪を告白しに。」
  そして、それぞれの思いを胸に、歩き出していった。
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