第1話 センチュリーばばあ

文字数 1,785文字

「2028年に勃発した葡萄戦争が終結したのは、3年後の2031年11月のことであった。汎ユーラシア共同体と日本を含む環太平洋自由主義同盟並びにNATO連合軍の衝突から発生したこの大規模な軍事衝突はリガ講和会議を境に一旦の収束を見せた。だがしかし、戦時中に開発された技術・兵器群は”平和と安寧を希求する緩やかな連帯:PPC”をはじめとする多国籍組織・政治結社の手に渡り、依然として市井の人々の日常を脅かしていた。
 各国でそうした組織により同時多発的に発生する”暴力的行為を伴う政治的主張・表現”は数々の惨禍を生み、人々は既存の治安維持組織に依存しない防衛手段を手にしなければならなかった。
 幸か不幸か、彼らの需要を満たせるだけの軍事物資は戦後の闇市場(ブラックマーケット)に流入しており、入手は容易であった。
 誰もが武器を手にし、それに命を預けなければならない時代となったのである。そしてそれは、日本国民も例外ではなかった。 
 ”日本”という国体そのものは守られたものの日本海沿岸部・首都近郊を中心に戦禍の爪痕は深く、ガス・水道・電気・通信といったインフラ設備の復興も滞るなか、国民の不満は戦後の熊本臨時政府に向けられたが具体的な改善は図られなかった。
 それは、汎ユーラシア連合による首都蹂躙で多くの官僚をはじめとする実務担当者が死亡・行方不明となったためだ。
 国民の一部は武力による現状変更を望み行動を起こしたものもいたが、それらは中央より派遣された国交省慈安部隊によりことごとく鎮圧された。
 それ以降、治安の悪化した日本国内から国外へ逃れる者もいたようだが、世界各地で同様の事象が多発していたことが周知拡散されるようになると渡航者の数は激減した。
 そうした背景があり、現在日本国内では多数の火器が流通。人命の危機を伴う重犯罪発生件数は戦前の200倍以上に増加。オーストラリアに設置されたPTC...環太平洋通信技術委員会によって人工衛星を介した通信設備が提供されるなどの進展があったものの、その他のインフラについては今日に至っても復旧作業が続けられている状況だ...。
 そんな中、政府は内閣情報調査室、CIRO(サイロ)の一部と戦時中組織された民兵部隊JNDFの諜報部門を基にONIWAS(オニワ) Office of Nation Intelligence workaround system(国家情報局有事対策機構)を結成した。
 彼らは国内で発生するテロや暴動、時には一般の法執行機関が対応できない超常現象といった事象に対応する組織となった...。」

 そう言って、眼前の老婆は原稿用紙2枚分はあろうかという台詞を流暢にそらんじてみせた後、湯呑みに口をつけて音を立てながら茶を啜った。
 湯呑みを卓上に戻す手は小刻みに震えている。

 「えっと…このおばあちゃんは一体何なの?私達の事も知ってるみたいだし」
 老婆の対面に座る、がっしりとした体格の人物は横の男に問いかける。
 
 「ヤマダさん...資料読んでないんですか?この方は長田あぐりさん、御年95歳。出生時の過去と未来それぞれ100年の歴史を知る国内唯一のセンチュリーばばあです」
 応えた男が左手の親指と中指を眼鏡の縁に添え、クイっと上に上げる。
 「ええ〜カリヤちゃん、センチュリーばばあって何よ?過去と未来を知る?全然答えになってないじゃない?」

 ヤマダと呼ばれた人物はカリヤの額に人差し指の先をあて、グリグリと回した。
「ヤマダさん、不快なのでやめてください。あと任務中はわたくしの事は″カナリヤ″とお呼びください...。」
「分かってるわよ、カナリヤちゃん...。今回の任務は、このおばあちゃんの護送でしょ?急いで車に乗ってもらいましょ」
 ヤマダは腰を左右にゆっくり振りながら車のドアに向かう。
「急ぎましょう、ヤマダさん。丑寅の方角から何かが来ています」
「ウシトラって何?東?西?何処よもう!!分っっかりづらいわねぇ!!」
「丑寅、北東です」
 ヤマダが声を荒らげるとカリヤは瞬時に回答する。
「最初からそう言いなさいよ!!んもぅ!!...まぁ貴方がそう言うってコトは結構ヤバめのが来てるわね...。」
「おばあちゃん、はい、コッチよぉ〜」
 そう言ったヤマダは、カリヤと老婆を黒いSUVに押し込み、その場を足早に去っていった。

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