深夜放送と初夏の朝

文字数 1,516文字

先日、車のなかでラジオを聴いていたら、落合恵子さんがゲストとして出演していた。
落合さんはエッジの利いた人生を歩んでおられる方と思うが、若かりし頃は文化放送のアイドル的なアナウンサーであった。

私が高校生になった1970年代初め頃からラジオの深夜放送を聞くのが流行り始めた。
当時名古屋の近郊に住んでいたので地元のラジオ局の深夜放送を聞いていたが、そのうち友人が「東京の深夜放送のほうが面白いぞ!」と教えてくれた 
昼間の時間帯では名古屋で東京のラジオ放送を聞くのは無理だけど、夜になると電離層のおかげで高性能のラジオがあれば、東京のAM放送を聞くことができる。
試しに聞いてみて私はすぐに感化されてしまった。

私はTBSの「那智チャコパック」が一番気に入っていたけれど、落合さんの「セイヤング」という番組も時々聞いていた。
彼女のセイヤングには「愛の伝言板」という今書いても少し気恥ずかしくなるようなタイトルのコーナーがあり、恋人や片思いの人などへのメッセージを決まった音楽に乗せて彼女が読み上げていた。
当時私にはガールフレンドがいなかったので、このコーナーはいつも「コンチクショウ」と思って聞いていた。
ただ、バックに流れていた「happy heart 」という曲がコーナーにピッタリあっていて「いい曲だなあ」と思っていた。
50年近く経った今でも川でパックラフトのパドルを漕ぐときなどに無意識にこの曲のメロディーを口ずさんでしまう。
YouTubeで検索するとアンディ・ウイリアムズなどが歌っているバージョンがupされているが、番組で流れていたのはもっとアップテンポなものであった。

高校2年の初夏、明日からゴールデンウィークが始まるという金曜日の午後、下校途中に買い物をして寄り道した。
当時私はアマチュア無線の免許を取得し、ラジオやオーディオセットを自作するなどいわゆる「電子オタク」であった。(女の子にもてないはず)
その日購入したのはトランジスタなどの部品類。ゴールデンウィーク中にメインアンプを作る計画であった。

金曜から土曜に日付が変わるころから作業開始。
落合さんのセイヤングを聞きながら部品にハンダ付けなどをしていた。
アンプの作製は思いのほか順調にすすみ、いつものように「happy heart 」が流れてきたころに終了した。
その後入念にチェックを行い、電源スイッチを入れて正常に作動することが確認できた。完成である。
つい先ほどまでバラバラな部品であったものが集まって、命を宿したかのように熱を帯びて佇んでいる。
赤く灯った電源ランプをしばらく眺めていたら外が明るくなってきた。

眠いけれど何となく寝るのが惜しいような気がして、半年前に迷い込んできて飼い犬になった子犬の「バッフィー」を連れて散歩に出た。
誰もいない小学校の校庭をバッフィーと一緒に全力疾走した。
この時なぜか感情が急に高揚したのを覚えている。
当時16歳、まさにちょうど人生の初夏の早朝に相当する時期。
「まだ何者でもなく何者にもなりうる」未完成の幸せをあのとき無意識に感じたのかなとも思うが、本当のところは未だによくわからない。

今や私も65歳になった。統計上は「高齢者」の仲間入りである。
自分では多摩川上流でダウンリバーを続けるなど「まだまだ」と強がっているけれど、
平均寿命的には人生の第4コーナーを既に通過している。
わが身を振り返ると、やるべきことをどこまでできたかについては忸怩たる思いもある。
伴侶と家族と友人には恵まれているが、これは僥倖というべきもので自らの努力の賜物とは言い難い。

今からこれまでとは全く違う「何者」かになる可能性は小さいが、何ができるのか少し考えてみたい。
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