キスキスキス
文字数 8,637文字
放課後、いつものように私は天文部の部室にいた。
そして、私の向かいの席には――同じくいつものように眠る大和 先輩の姿があった。
幽霊部員ばかりの天文部の部室にはいつだって私と大和先輩の二人。でも、だからこそよかった。こうやって大和先輩と二人きりの時間を過ごすことができるから――。
大和先輩と初めて出会ったのは、高校に入学してすぐにあった体験入部の時。どの部に入るか決まらなくて色々な部活を見学するうちに、私は真っ暗な部屋に迷い込んでいた。
何も見えないその部屋で、出口を探そうにも伸ばした手は何も触れることはなく宙を掴むばかり。
泣きそうになった私の耳に誰かの声が聞こえた。
「どうしたの?」
ほんの少し暗闇に慣れてきた目にうっすらと人影が映った。
その瞬間、カーテンを開けるような音がしたかと思うと、光が差し込んた。
声の主はどうやら先輩のようで、近付いてくると優しく私に尋ねた。
「入部希望?」
「ち、違います! 迷子になっちゃって……」
「迷子……」
私の言葉が意外だったのか、吹き出すようにして先輩は言うと教室のドアを開けた。どうすればいいか分からず立ち尽くしていると、不思議そうな顔をして先輩は言った。
「ほら、行くよ」
「行くって……」
「迷子なんでしょ? 教室まで連れて行ってあげるよ」
「あ、ありがとうございます!」
慌てて駆け寄ると、そんな私を先輩は可笑しそうに見ていた。
「あ、あの!」
「ん?」
「先輩は、何部ですか!?」
「……俺? 天文部だよ」
「天文部……」
あの教室には暗幕があって、映写機で星空を映し出すことができるのだという。
「入るのなら、歓迎するよ」
優しく微笑みながらそう言うものだから、私は必死に頷くことしか出来なかった。
「ここでいいかな」
「ありがとうございました!」
いつの間にかたどり着いていた一年生の教室の前で言うと、先輩はもと来た道を戻って行った。
去って行く先輩の背中を見つめながら、私はその場を動けずにいた。
その後、先輩を追いかけるように天文部に入った私に告げられたのは、数か月に一度、形だけのミーティングがあるだけで、それ以外は何もしていないという天文部の活動状況だった。
「そ、それじゃあ……」
ショックを受ける私に、慌てて部長は「荷物を置いたりお弁当を食べたりするのに部室を使っても大丈夫だからね! だから辞めるなんて言わないで!」と縋 るように言った。どうやらあと一人でも欠けると同好会に降格になってしまうらしく、部員の確保に必死なんだそうだ。
でも……。
「活動がないんじゃあ、大和先輩と会えないし……」
「大和? 何、あいつ目当て?」
「そ、そういうわけじゃあ……」
慌てて否定する私を見ながらニヤニヤすると、部長は私の耳元に顔を寄せた。
「あいつ、放課後いつもここで寝ているよ」
「え……?」
「天文部、辞めないよね?」
まるで交換条件のようなその言葉に必死に頷いた私を部長は満足そうに見ると、他の部員のところへと向かった。
翌日、部長に言われた言葉を信じて部室に向かった私は――誰もいない部室で、眠っている大和先輩の姿を見つけた。
気付かれないように向かいの席に座って、なんでもないふりをしながら鞄の中に入れてあった本を読み始める。
でも、話の内容なんて全く頭に入って来ない。文字を追うよりも、目の前の大和先輩の寝顔を見つめることに夢中だった。
どれぐらいの時間が経ったのか……下校のチャイムで目覚めた大和先輩は、私を見つけて一瞬驚いた顔をしたけれど「おはよう」と言ってふにゃっとした顔で笑った。
その日から私は、毎日部室に通った。
最初は来ない日もあった大和先輩だけれど、気付けば毎日のように部室に顔を出してくれるようになっていた。
他の部員は相変わらず来ることはなくて、大和先輩と私の二人きり。
そんな時間がくすぐったくて、甘酸っぱくて、嬉しかった。
私は読み終わった漫画を机の上に置くと、余韻に浸っていた。
今日のは友人から借りた恋愛漫画。片思いだった女の子が告白して両思いになってキスをする。そんなありきたりだけれど、ときめきの詰まった一冊だった。
いつか私も、あんなふうに好きな人と……キス、しちゃったり――。
「凜 ちゃん?」
「きゃっ……! や、大和先輩!」
「大丈夫? さっきから百面相してるけれど」
「だ、大丈夫です!」
なんとなく気恥ずかしくて慌てて机の上に置いた本を隠そうとするけれど、私よりも早く大和先輩はそれを手に取ってパラパラと中を覗いた。
「少女漫画? 凜ちゃんこういうのも読むんだね」
「友達から借りて……」
「ふーん?」
ラストまで流し読みしたのか、パタンと本を閉じると大和先輩はそれを私に手渡して、そして言った。
「俺さ、キスって嫌いなんだよね」
「え……? キス、ですか?」
ポケットから取り出した飴を口に放り込むと、唐突に大和先輩は言った。
「食べる?」と差し出されたそれを受け取りながら、言われた言葉の意味が分からずに聞き返した私に、大和先輩は続けた。
「そう。何が楽しくて口を付けるのかがわからない」
「そ、そうですか……」
「他人と口づけるなんて、気持ち悪くない?」
「それ、は……」
そう言われてしまうと、なんて言い返せばいいのかわからない。
そもそも、私はキスなんてしたことがない。そりゃあいつかは、なんて夢見てて、なんならその相手が大和先輩だったらいいな……なんて思ってたんだけど。
でも、そっか……。大和先輩はキス、嫌いなんだ……。
なんとなくショックを受けた私に、何を思ったのか大和先輩は言った。
「凜ちゃんは、好きなの?」
「え……?」
「だからさ、キス。好き?」
「え、えっと……あの……」
目の前の大和先輩は私の目を見つめると、真剣な表情でそう尋ねた。
そんなふうに見つめられたら、逃げられない。
私は覚悟を決めると、必死に口を開いた。
「好き、です」
「そう」
絞り出すように言った私に、大和先輩は「どういうところが?」ともう一度尋ねた。
どういうところ……。
そ、そんなこと言われても――。
なんて言えばいいか悩んだ私は、先程まで読んでいた少女漫画で主人公の女の子が言っていたセリフを思い出した。
たしか……。
「凜ちゃん?」
「っ……。す、好きな人とするキスは、気持ちがいいんです!」
「気持ちがいい?」
驚いたような表情を浮かべる大和先輩に、私は自分が口走った言葉が恥ずかしくなって、慌てて訂正をする。
「あ、じゃ、じゃなくて! 幸せになれます! 好きな人とキスをすると嬉しくて、それで胸がキューってなるんです!」
「ふーん?」
「きっと大和先輩は今まで本当に好きな人がいなかったんですよ! だから、キスが嫌いなんて言っちゃうんです。いつか本当に好きな人とキスをする時が来たらわかりますよ!」
本当は、キスなんてしたことないのに、まるで経験があるかのようにうそぶく私を、大和先輩は興味があるのかないのか分からないような顔で見ている。
その視線から逃げたいのに、何故か逃げることができない。
私は大和先輩と見つめあったまま、どうしたらいいか必死で考えていた。
すると……。
「じゃあ、してみよっか」
「え……?」
「キス」
今なんて……? キスって、言った……?
大和先輩の言った言葉が頭の中をぐるぐると回る。
なのに、何故だろう。私の口は勝手に動いていた。
「いいですよ」
そう言い終わるのが早いか、大和先輩の顔が私に近付いてくるのが見えた。
状況が呑み込めない私は、大和先輩が近付いてくるのをジッと見つめていた。
大和先輩ってまつ毛、長いな……。あんなところにほくろあったんだ……
そんな私に、吐息がかかりそうな距離で、大和先輩は言う。
「ねえ。目、閉じてよ」
「っ……」
その言葉に、反射的に目を閉じると――唇に柔らかな何かが触れたのがわかった。
ふわっと、ソーダの匂いがする。大和先輩が食べたのは、ソーダ味だったんだ。
それにしても唇って本当に柔らかいんだなあ……。こんなことならリップ塗っておけばよかった……。
ボーっとした頭でそんなことを考えていると、大和先輩の声が聞こえた。
「たしかに、ね」
その声に目を開けると、ニッコリと笑った大和先輩が立っていた。
まだどこか現実味のないままその場から動けずにいると、大和先輩は口を開いた。
「ね、凜ちゃん。どうだった?」
「え?」
「キス、気持ち良かった?」
「……は、い」
その答えに「そっか」と嬉しそうに言うと、大和先輩は机の横にかけてあったカバンを取ると、私の方を向いた。そして――。
「じゃ、またね」
「え……?」
そう言ったかと思うと、大和先輩は部室を出て行った。
「な、なんなの……」
大和先輩のいなくなった部室に、私は一人残されてしまった。
唇には、まだ触れられた感触が残っているというのに、その相手はもうこの部屋にはいない――。
「はじめて、だったのに……」
あんなふうに、ファーストキスが終わってしまうなんて……。
唇に残る感触を消そうと、私は何度も何度も手の甲で唇を拭 った。
でも、不思議なことに――消そうと思えば思うほど、リアルに思い出してしまう。
先輩の温度を、唇の優しさを。
そんな私をあざ笑うかのように、帰宅を促すやけに軽快なメロディーがスピーカーから鳴り響いていた。
***
翌日、恐る恐る部室に向かった私は、いつものように机に突っ伏して眠る大和先輩の姿を見つけて脱力した。
昨日のことなんてなかったかのようにすやすやと眠る横顔に、怒りさえ覚えてくる。
私は昨日のことが頭から離れなくて、夜も眠れなかったって言うのに!
「人の気も知らないで……」
なんとなく――いつも座る向かいじゃなくて、隣の席に座ると私は眠る大和先輩の頬を指で突 いた。
眉をしかめたかと思うと……大和先輩の目が明いた。
「……凜ちゃん?」
「は、はい……!」
「……おはよう」
「おはよう、ございます」
いつかのようにふにゃっとした顔で笑うと、もう一度目を閉じた。
「ビックリした……」
もう一度突いてみても、大和先輩はピクリともしない。
人の気も知らないで、すやすやと眠る大和先輩を見ていると腹が立つような悲しいような複雑な心境になる。
あんなふうにキスされて、ドキドキしているのは私だけなのかと思うと、切なくなる。
本当は大和先輩に聞きたい。「どうして、キスしたんですか?」って。
でも、聞けない。聞くのが怖い。
だって「意味なんてないよ」なんて言われたら、立ち直れない。
いつか好きな人とするキスは、幸せなものだとそう思っていた。
でも、今はこんなにも胸が痛くて苦しい……。
「大和先輩の、バカ……」
気持ちよさそうに眠っている大和先輩の隣で、決して私のものにはならないその寝顔を見つめていた。
***
「凜ちゃん……」
どこからか、私を呼ぶ大和先輩の声がする。
これは、夢……?
夢だとしたら醒めないでほしい。
「凜ちゃん……凜ちゃん?」
「ん……」
仕方なく目を開けると、そこには私を覗き込む大和先輩の姿があった。
「っ……!?」
「あ、やっと起きた。そろそろ帰る時間だよ」
「え……」
慌てて上半身を起こす。
どうやら私は、大和先輩の姿を見つめたまま、眠ってしまっていたようだった。
恥ずかしい……。
「すみません! 私……寝ちゃってたみたいで……」
「そうだね。……可愛かったよ」
「え?」
「凜ちゃんの、寝顔」
「なっ……!!」
慌てて顔を覆ったところで、もう遅い。
それでもなんとか隠したくて後ろを向いた私の背中に――あたたかい温もりを感じた。
「え……」
「なんで隠すの? 可愛かったっていってるのに」
「や、大和先輩……!?」
「ね、こっち向いて?」
後ろから抱きすくめられるようにして、耳元でそう囁かれると、まるで電流が走ったように動けなくなってしまう。
どうしてだろう。ダメだってわかっているのに、この声に逆らえない。これが惚れた弱みだというのだろうか。
「真っ赤だね」
「だ、だって……」
「凜ちゃん」
「あ……」
振り向いた私の顎を指先で掬い上げるようにして上を向かせると、大和先輩はそう言って――そして。
「ん……」
また、キスをした。
「可愛い」
「やま、と……せんぱ……」
「ね、今日も気持ちよかった?」
「は、い……」
「そっか。――じゃあ、凜ちゃん。また明日」
「え……」
満足そうに頷いた大和先輩は、縋るように伸ばした私の手をするりとかわすと……部室のドアを開けて出て行ってしまった。
私は、痛む胸を抑えながらその場にうずくまる。
大和先輩がどういうつもりなのか、わからない。
「っ……くっ……」
足元にはいつの間にか流れていた涙で、いくつもの水たまりができていた。
***
あの日から、何度も何度も大和先輩とキスをした。
部室で、偶然会った廊下の柱の陰で、中庭の自動販売機の裏で。大和先輩とのキスは、気持ち良くて、ドキドキして、嬉しくて、悲しくて、切ない。
何度も何度も言おうと思った。
こんなのダメだと、キスは付き合っている人が、好き合っている人がするものだと。
でも、言えなかったのは――言えばキスの相手が私じゃない誰かに変わってしまうんじゃないかと……そう思ったから。
誰かが大和先輩とこんなふうにキスをするところを想像したら、それだけで胸が張り裂けそうに痛い。
気持ちのないキスは嫌だけど……それで、大和先輩を繋ぎとめることができるのなら……。
そう思っていたのに――。
「んっ……」
もう何回目かも覚えていないキスをすると、大和先輩は部室から出て行った。
一人残された私は――なんとなく帰る気になれずに、いつも大和先輩が座っている椅子に座ると、机に頭をもたれさせた。
――何を間違えてしまったんだろう。
なんでこんなことになってしまったんだろう。
もっと早く大和先輩に告白していれば、こんなことにはならなかったんだろうか。
「っ……」
次から次へと、涙が溢れ出してくる。
物語の中の女の子たちは、みんな幸せそうにキスをしているのに、どうして私はそうじゃないんだろう。
好きな人とキスをしているはずなのに、どうしてこんなに辛くて悲しくて、胸が痛むんだろう。
涙で視界がぼやけていく。
見慣れた部室が、歪んで見える。
まるで私と大和先輩の関係のようで……。
涙の向こうに見えた大和先輩の姿も、歪んで見えた。
「え……?」
慌てて身体を起こして袖口で涙を拭うと……クリアになった視界の向こうに、大和先輩の姿があった。
「どうし……て……」
「どうしてって、それは俺のセリフだよ! 凜ちゃん、どうしたの? なんで泣いてるの? 何かあった? 誰かにいじめられた?」
「っ……」
何か、あっただなんて……そんなの……。
「そんなの、大和先輩のせいに決まってるじゃないですかぁ……」
「俺……?」
「そうですよ……。大和先輩が、キス、なんてするから……」
拭ったはずの涙が、次から次に溢れ出してくる。
それと同じく、一度口からこぼれ出た言葉も堰を切ったかのように次から次へと出てきて止まらない。
「なんであんなことしたんですか? どうして?」
「どうしてって……気持ちがいいって、凜ちゃんが言ったから」
「っ……! さいってー!」
そう叫ぶと、私は部室を飛び出した。
本当はちょっとだけ期待していた。私のことを好きだから、だからキスをしたんじゃないかって。
でも、そんなことなかった。
気持ちがいいからなんて……そんなの……気持ち良ければ誰が相手でもよかったって、そう言ってるとの同じじゃない……!
「凜ちゃん……!」
後ろから大和先輩の声が聞こえる。
追いつかれたくない。なのに、気が付くと私の腕は大和先輩に掴まれていた。
「なんで泣くのさ」
「っ……! 泣くに決まってるじゃないですか!」
「えー……?」
「私は、大和先輩のことが好きなんです! 大和先輩にとっては誰でもよかったかもしれないけど……私は、大和先輩だからキスしたんです!」
言ってしまった。
これでもう後戻りすることは出来ない。
明日から、あの部室へは行くことは出来ないだろう。
でも、それでもいい。
このまま気持ちのないキスを続けるより、よっぽど……。
「俺もだよ」
「え……?」
大和先輩の言葉に、私は顔を上げた。
そこにはふにゃっとした顔で笑う大和先輩がいた。
「今、なんて……」
「だから、俺も凜ちゃんが好きだよ。だから、キスしたんじゃないか」
「嘘つかないでください! 大和先輩が私のこと好きだなんて、そんなのあるはずがないです!」
「酷いなぁ」
言葉とは違って、可笑しそうに大和先輩は笑う。
「俺が凜ちゃんを好きだと変なの?」
「変です! だって、大和先輩はカッコよくて、優しくて、それに……キ、キスだってすっごく慣れてて! 私なんて、あれが初めてのキスだったのに……」
「俺もだよ?」
「え……?」
当たり前のように言うと、大和先輩は照れくさそうに笑った
「俺も、凜ちゃんがはじめてだよ」
「そ、そんなことあるわけ……」
「キスするの嫌いだって言ったでしょ? だから、今まで誰ともしたことなかったんだよね」
「ホントに……?」
「うん」
じゃあ、あれが――あの時のキスが正真正銘、大和先輩のファーストキスだというのだろうか。
私と同じようにあれが――。
「でも、なんで急に……」
「……凜ちゃんが言ったんじゃないか。「好きな人とするキスは気持ちいい」って」
「それは……」
それを確かめるために、大和先輩は私にキスをしたというのだろうか。
そう尋ねた私に「そうだよ」と大和先輩は事も無げに言う。
「で、でもすっごく慣れてたじゃないですか! ……いろんなところで何回も、何回も……」
「気持ち良くてハマっちゃった」
「なっ……」
「凜ちゃんのいう通り、凜ちゃんとするキスは気持ち良くて、ああもっとしたい何回もしたい、もっともっとって思ったら止まらなくなっちゃった」
「っ……」
大和先輩は、思わずその場に座り込んでしまった私を、不思議そうに見下ろしていた。
何か言い返したくて、でも何を言えばいいか分からなくて、結局恨みがましい一言を言うのが精一杯だった。
「言ってくれなきゃわかんないですよお……」
遊ばれているだけだと思っていたし、大和先輩が私のことを好きだなんてこれっぽっちも思わなかった。だって、私たちはどちらも告白なんてしていないのだから……。それなのに、気持ちいいと言われたからって試してみるなんて……。
せめて、あのキスにそんな意味があるというのなら、それを教えてほしかった。そうすればあんな思いをすることもなかったのに……。
私の言葉に「それもそっか」とバツが悪そうに、大和先輩は頭を掻いた。
「そうですよ! だから、私じゃなくてもいいんだってそう思って……」
「それで泣いてたの?」
「はい……」
「俺とキスするたびに? 今みたいに泣いてたの?」
「はい……」
「そっか、ごめんね」
困ったような嬉しさを隠しきれないような……そんな複雑な顔をしてもう一度「ごめんね」と言うと、大和先輩は真剣な表情で私を見つめた。
「凜ちゃん、好きだよ」
「っ……」
「だから、俺と付き合ってくれる?」
「は、い……!」
何度も、何度も頷く私を、大和先輩は嬉しそうに笑うと、ギュッと抱きしめた。
「ね、凜ちゃん。キス、してもいいかな」
「え……?」
「ファーストキス、やり直そうよ」
「はい……」
私の返事を聞くと、大和先輩は優しく私の唇にキスを落とした。
そっと大和先輩の唇が離れると、何故か私の目からは涙が流れた。
今までのキスとは違う、甘くて嬉しくて……幸せなキス。
こんなキスがあるなんて、知らなかった。
好きな人とするキスが、こんなにも幸せだなんて初めて知った……。
もしかしたら大和先輩は、この気持ち良さにハマってしまっていたというのだろうか。
だとしたら――。
「大和先輩」
「ん?」
「もう一回、してほしいです」
「え?」
「もう一回……キス、してください」
私の言葉に少し驚いたような表情を浮かべた後……大和先輩は嬉しそうに微笑むと、
「何度でも」
そう言って、何度も何度も、私に優しく口づけた。
そして、私の向かいの席には――同じくいつものように眠る
幽霊部員ばかりの天文部の部室にはいつだって私と大和先輩の二人。でも、だからこそよかった。こうやって大和先輩と二人きりの時間を過ごすことができるから――。
大和先輩と初めて出会ったのは、高校に入学してすぐにあった体験入部の時。どの部に入るか決まらなくて色々な部活を見学するうちに、私は真っ暗な部屋に迷い込んでいた。
何も見えないその部屋で、出口を探そうにも伸ばした手は何も触れることはなく宙を掴むばかり。
泣きそうになった私の耳に誰かの声が聞こえた。
「どうしたの?」
ほんの少し暗闇に慣れてきた目にうっすらと人影が映った。
その瞬間、カーテンを開けるような音がしたかと思うと、光が差し込んた。
声の主はどうやら先輩のようで、近付いてくると優しく私に尋ねた。
「入部希望?」
「ち、違います! 迷子になっちゃって……」
「迷子……」
私の言葉が意外だったのか、吹き出すようにして先輩は言うと教室のドアを開けた。どうすればいいか分からず立ち尽くしていると、不思議そうな顔をして先輩は言った。
「ほら、行くよ」
「行くって……」
「迷子なんでしょ? 教室まで連れて行ってあげるよ」
「あ、ありがとうございます!」
慌てて駆け寄ると、そんな私を先輩は可笑しそうに見ていた。
「あ、あの!」
「ん?」
「先輩は、何部ですか!?」
「……俺? 天文部だよ」
「天文部……」
あの教室には暗幕があって、映写機で星空を映し出すことができるのだという。
「入るのなら、歓迎するよ」
優しく微笑みながらそう言うものだから、私は必死に頷くことしか出来なかった。
「ここでいいかな」
「ありがとうございました!」
いつの間にかたどり着いていた一年生の教室の前で言うと、先輩はもと来た道を戻って行った。
去って行く先輩の背中を見つめながら、私はその場を動けずにいた。
その後、先輩を追いかけるように天文部に入った私に告げられたのは、数か月に一度、形だけのミーティングがあるだけで、それ以外は何もしていないという天文部の活動状況だった。
「そ、それじゃあ……」
ショックを受ける私に、慌てて部長は「荷物を置いたりお弁当を食べたりするのに部室を使っても大丈夫だからね! だから辞めるなんて言わないで!」と
でも……。
「活動がないんじゃあ、大和先輩と会えないし……」
「大和? 何、あいつ目当て?」
「そ、そういうわけじゃあ……」
慌てて否定する私を見ながらニヤニヤすると、部長は私の耳元に顔を寄せた。
「あいつ、放課後いつもここで寝ているよ」
「え……?」
「天文部、辞めないよね?」
まるで交換条件のようなその言葉に必死に頷いた私を部長は満足そうに見ると、他の部員のところへと向かった。
翌日、部長に言われた言葉を信じて部室に向かった私は――誰もいない部室で、眠っている大和先輩の姿を見つけた。
気付かれないように向かいの席に座って、なんでもないふりをしながら鞄の中に入れてあった本を読み始める。
でも、話の内容なんて全く頭に入って来ない。文字を追うよりも、目の前の大和先輩の寝顔を見つめることに夢中だった。
どれぐらいの時間が経ったのか……下校のチャイムで目覚めた大和先輩は、私を見つけて一瞬驚いた顔をしたけれど「おはよう」と言ってふにゃっとした顔で笑った。
その日から私は、毎日部室に通った。
最初は来ない日もあった大和先輩だけれど、気付けば毎日のように部室に顔を出してくれるようになっていた。
他の部員は相変わらず来ることはなくて、大和先輩と私の二人きり。
そんな時間がくすぐったくて、甘酸っぱくて、嬉しかった。
私は読み終わった漫画を机の上に置くと、余韻に浸っていた。
今日のは友人から借りた恋愛漫画。片思いだった女の子が告白して両思いになってキスをする。そんなありきたりだけれど、ときめきの詰まった一冊だった。
いつか私も、あんなふうに好きな人と……キス、しちゃったり――。
「
「きゃっ……! や、大和先輩!」
「大丈夫? さっきから百面相してるけれど」
「だ、大丈夫です!」
なんとなく気恥ずかしくて慌てて机の上に置いた本を隠そうとするけれど、私よりも早く大和先輩はそれを手に取ってパラパラと中を覗いた。
「少女漫画? 凜ちゃんこういうのも読むんだね」
「友達から借りて……」
「ふーん?」
ラストまで流し読みしたのか、パタンと本を閉じると大和先輩はそれを私に手渡して、そして言った。
「俺さ、キスって嫌いなんだよね」
「え……? キス、ですか?」
ポケットから取り出した飴を口に放り込むと、唐突に大和先輩は言った。
「食べる?」と差し出されたそれを受け取りながら、言われた言葉の意味が分からずに聞き返した私に、大和先輩は続けた。
「そう。何が楽しくて口を付けるのかがわからない」
「そ、そうですか……」
「他人と口づけるなんて、気持ち悪くない?」
「それ、は……」
そう言われてしまうと、なんて言い返せばいいのかわからない。
そもそも、私はキスなんてしたことがない。そりゃあいつかは、なんて夢見てて、なんならその相手が大和先輩だったらいいな……なんて思ってたんだけど。
でも、そっか……。大和先輩はキス、嫌いなんだ……。
なんとなくショックを受けた私に、何を思ったのか大和先輩は言った。
「凜ちゃんは、好きなの?」
「え……?」
「だからさ、キス。好き?」
「え、えっと……あの……」
目の前の大和先輩は私の目を見つめると、真剣な表情でそう尋ねた。
そんなふうに見つめられたら、逃げられない。
私は覚悟を決めると、必死に口を開いた。
「好き、です」
「そう」
絞り出すように言った私に、大和先輩は「どういうところが?」ともう一度尋ねた。
どういうところ……。
そ、そんなこと言われても――。
なんて言えばいいか悩んだ私は、先程まで読んでいた少女漫画で主人公の女の子が言っていたセリフを思い出した。
たしか……。
「凜ちゃん?」
「っ……。す、好きな人とするキスは、気持ちがいいんです!」
「気持ちがいい?」
驚いたような表情を浮かべる大和先輩に、私は自分が口走った言葉が恥ずかしくなって、慌てて訂正をする。
「あ、じゃ、じゃなくて! 幸せになれます! 好きな人とキスをすると嬉しくて、それで胸がキューってなるんです!」
「ふーん?」
「きっと大和先輩は今まで本当に好きな人がいなかったんですよ! だから、キスが嫌いなんて言っちゃうんです。いつか本当に好きな人とキスをする時が来たらわかりますよ!」
本当は、キスなんてしたことないのに、まるで経験があるかのようにうそぶく私を、大和先輩は興味があるのかないのか分からないような顔で見ている。
その視線から逃げたいのに、何故か逃げることができない。
私は大和先輩と見つめあったまま、どうしたらいいか必死で考えていた。
すると……。
「じゃあ、してみよっか」
「え……?」
「キス」
今なんて……? キスって、言った……?
大和先輩の言った言葉が頭の中をぐるぐると回る。
なのに、何故だろう。私の口は勝手に動いていた。
「いいですよ」
そう言い終わるのが早いか、大和先輩の顔が私に近付いてくるのが見えた。
状況が呑み込めない私は、大和先輩が近付いてくるのをジッと見つめていた。
大和先輩ってまつ毛、長いな……。あんなところにほくろあったんだ……
そんな私に、吐息がかかりそうな距離で、大和先輩は言う。
「ねえ。目、閉じてよ」
「っ……」
その言葉に、反射的に目を閉じると――唇に柔らかな何かが触れたのがわかった。
ふわっと、ソーダの匂いがする。大和先輩が食べたのは、ソーダ味だったんだ。
それにしても唇って本当に柔らかいんだなあ……。こんなことならリップ塗っておけばよかった……。
ボーっとした頭でそんなことを考えていると、大和先輩の声が聞こえた。
「たしかに、ね」
その声に目を開けると、ニッコリと笑った大和先輩が立っていた。
まだどこか現実味のないままその場から動けずにいると、大和先輩は口を開いた。
「ね、凜ちゃん。どうだった?」
「え?」
「キス、気持ち良かった?」
「……は、い」
その答えに「そっか」と嬉しそうに言うと、大和先輩は机の横にかけてあったカバンを取ると、私の方を向いた。そして――。
「じゃ、またね」
「え……?」
そう言ったかと思うと、大和先輩は部室を出て行った。
「な、なんなの……」
大和先輩のいなくなった部室に、私は一人残されてしまった。
唇には、まだ触れられた感触が残っているというのに、その相手はもうこの部屋にはいない――。
「はじめて、だったのに……」
あんなふうに、ファーストキスが終わってしまうなんて……。
唇に残る感触を消そうと、私は何度も何度も手の甲で唇を
でも、不思議なことに――消そうと思えば思うほど、リアルに思い出してしまう。
先輩の温度を、唇の優しさを。
そんな私をあざ笑うかのように、帰宅を促すやけに軽快なメロディーがスピーカーから鳴り響いていた。
***
翌日、恐る恐る部室に向かった私は、いつものように机に突っ伏して眠る大和先輩の姿を見つけて脱力した。
昨日のことなんてなかったかのようにすやすやと眠る横顔に、怒りさえ覚えてくる。
私は昨日のことが頭から離れなくて、夜も眠れなかったって言うのに!
「人の気も知らないで……」
なんとなく――いつも座る向かいじゃなくて、隣の席に座ると私は眠る大和先輩の頬を指で
眉をしかめたかと思うと……大和先輩の目が明いた。
「……凜ちゃん?」
「は、はい……!」
「……おはよう」
「おはよう、ございます」
いつかのようにふにゃっとした顔で笑うと、もう一度目を閉じた。
「ビックリした……」
もう一度突いてみても、大和先輩はピクリともしない。
人の気も知らないで、すやすやと眠る大和先輩を見ていると腹が立つような悲しいような複雑な心境になる。
あんなふうにキスされて、ドキドキしているのは私だけなのかと思うと、切なくなる。
本当は大和先輩に聞きたい。「どうして、キスしたんですか?」って。
でも、聞けない。聞くのが怖い。
だって「意味なんてないよ」なんて言われたら、立ち直れない。
いつか好きな人とするキスは、幸せなものだとそう思っていた。
でも、今はこんなにも胸が痛くて苦しい……。
「大和先輩の、バカ……」
気持ちよさそうに眠っている大和先輩の隣で、決して私のものにはならないその寝顔を見つめていた。
***
「凜ちゃん……」
どこからか、私を呼ぶ大和先輩の声がする。
これは、夢……?
夢だとしたら醒めないでほしい。
「凜ちゃん……凜ちゃん?」
「ん……」
仕方なく目を開けると、そこには私を覗き込む大和先輩の姿があった。
「っ……!?」
「あ、やっと起きた。そろそろ帰る時間だよ」
「え……」
慌てて上半身を起こす。
どうやら私は、大和先輩の姿を見つめたまま、眠ってしまっていたようだった。
恥ずかしい……。
「すみません! 私……寝ちゃってたみたいで……」
「そうだね。……可愛かったよ」
「え?」
「凜ちゃんの、寝顔」
「なっ……!!」
慌てて顔を覆ったところで、もう遅い。
それでもなんとか隠したくて後ろを向いた私の背中に――あたたかい温もりを感じた。
「え……」
「なんで隠すの? 可愛かったっていってるのに」
「や、大和先輩……!?」
「ね、こっち向いて?」
後ろから抱きすくめられるようにして、耳元でそう囁かれると、まるで電流が走ったように動けなくなってしまう。
どうしてだろう。ダメだってわかっているのに、この声に逆らえない。これが惚れた弱みだというのだろうか。
「真っ赤だね」
「だ、だって……」
「凜ちゃん」
「あ……」
振り向いた私の顎を指先で掬い上げるようにして上を向かせると、大和先輩はそう言って――そして。
「ん……」
また、キスをした。
「可愛い」
「やま、と……せんぱ……」
「ね、今日も気持ちよかった?」
「は、い……」
「そっか。――じゃあ、凜ちゃん。また明日」
「え……」
満足そうに頷いた大和先輩は、縋るように伸ばした私の手をするりとかわすと……部室のドアを開けて出て行ってしまった。
私は、痛む胸を抑えながらその場にうずくまる。
大和先輩がどういうつもりなのか、わからない。
「っ……くっ……」
足元にはいつの間にか流れていた涙で、いくつもの水たまりができていた。
***
あの日から、何度も何度も大和先輩とキスをした。
部室で、偶然会った廊下の柱の陰で、中庭の自動販売機の裏で。大和先輩とのキスは、気持ち良くて、ドキドキして、嬉しくて、悲しくて、切ない。
何度も何度も言おうと思った。
こんなのダメだと、キスは付き合っている人が、好き合っている人がするものだと。
でも、言えなかったのは――言えばキスの相手が私じゃない誰かに変わってしまうんじゃないかと……そう思ったから。
誰かが大和先輩とこんなふうにキスをするところを想像したら、それだけで胸が張り裂けそうに痛い。
気持ちのないキスは嫌だけど……それで、大和先輩を繋ぎとめることができるのなら……。
そう思っていたのに――。
「んっ……」
もう何回目かも覚えていないキスをすると、大和先輩は部室から出て行った。
一人残された私は――なんとなく帰る気になれずに、いつも大和先輩が座っている椅子に座ると、机に頭をもたれさせた。
――何を間違えてしまったんだろう。
なんでこんなことになってしまったんだろう。
もっと早く大和先輩に告白していれば、こんなことにはならなかったんだろうか。
「っ……」
次から次へと、涙が溢れ出してくる。
物語の中の女の子たちは、みんな幸せそうにキスをしているのに、どうして私はそうじゃないんだろう。
好きな人とキスをしているはずなのに、どうしてこんなに辛くて悲しくて、胸が痛むんだろう。
涙で視界がぼやけていく。
見慣れた部室が、歪んで見える。
まるで私と大和先輩の関係のようで……。
涙の向こうに見えた大和先輩の姿も、歪んで見えた。
「え……?」
慌てて身体を起こして袖口で涙を拭うと……クリアになった視界の向こうに、大和先輩の姿があった。
「どうし……て……」
「どうしてって、それは俺のセリフだよ! 凜ちゃん、どうしたの? なんで泣いてるの? 何かあった? 誰かにいじめられた?」
「っ……」
何か、あっただなんて……そんなの……。
「そんなの、大和先輩のせいに決まってるじゃないですかぁ……」
「俺……?」
「そうですよ……。大和先輩が、キス、なんてするから……」
拭ったはずの涙が、次から次に溢れ出してくる。
それと同じく、一度口からこぼれ出た言葉も堰を切ったかのように次から次へと出てきて止まらない。
「なんであんなことしたんですか? どうして?」
「どうしてって……気持ちがいいって、凜ちゃんが言ったから」
「っ……! さいってー!」
そう叫ぶと、私は部室を飛び出した。
本当はちょっとだけ期待していた。私のことを好きだから、だからキスをしたんじゃないかって。
でも、そんなことなかった。
気持ちがいいからなんて……そんなの……気持ち良ければ誰が相手でもよかったって、そう言ってるとの同じじゃない……!
「凜ちゃん……!」
後ろから大和先輩の声が聞こえる。
追いつかれたくない。なのに、気が付くと私の腕は大和先輩に掴まれていた。
「なんで泣くのさ」
「っ……! 泣くに決まってるじゃないですか!」
「えー……?」
「私は、大和先輩のことが好きなんです! 大和先輩にとっては誰でもよかったかもしれないけど……私は、大和先輩だからキスしたんです!」
言ってしまった。
これでもう後戻りすることは出来ない。
明日から、あの部室へは行くことは出来ないだろう。
でも、それでもいい。
このまま気持ちのないキスを続けるより、よっぽど……。
「俺もだよ」
「え……?」
大和先輩の言葉に、私は顔を上げた。
そこにはふにゃっとした顔で笑う大和先輩がいた。
「今、なんて……」
「だから、俺も凜ちゃんが好きだよ。だから、キスしたんじゃないか」
「嘘つかないでください! 大和先輩が私のこと好きだなんて、そんなのあるはずがないです!」
「酷いなぁ」
言葉とは違って、可笑しそうに大和先輩は笑う。
「俺が凜ちゃんを好きだと変なの?」
「変です! だって、大和先輩はカッコよくて、優しくて、それに……キ、キスだってすっごく慣れてて! 私なんて、あれが初めてのキスだったのに……」
「俺もだよ?」
「え……?」
当たり前のように言うと、大和先輩は照れくさそうに笑った
「俺も、凜ちゃんがはじめてだよ」
「そ、そんなことあるわけ……」
「キスするの嫌いだって言ったでしょ? だから、今まで誰ともしたことなかったんだよね」
「ホントに……?」
「うん」
じゃあ、あれが――あの時のキスが正真正銘、大和先輩のファーストキスだというのだろうか。
私と同じようにあれが――。
「でも、なんで急に……」
「……凜ちゃんが言ったんじゃないか。「好きな人とするキスは気持ちいい」って」
「それは……」
それを確かめるために、大和先輩は私にキスをしたというのだろうか。
そう尋ねた私に「そうだよ」と大和先輩は事も無げに言う。
「で、でもすっごく慣れてたじゃないですか! ……いろんなところで何回も、何回も……」
「気持ち良くてハマっちゃった」
「なっ……」
「凜ちゃんのいう通り、凜ちゃんとするキスは気持ち良くて、ああもっとしたい何回もしたい、もっともっとって思ったら止まらなくなっちゃった」
「っ……」
大和先輩は、思わずその場に座り込んでしまった私を、不思議そうに見下ろしていた。
何か言い返したくて、でも何を言えばいいか分からなくて、結局恨みがましい一言を言うのが精一杯だった。
「言ってくれなきゃわかんないですよお……」
遊ばれているだけだと思っていたし、大和先輩が私のことを好きだなんてこれっぽっちも思わなかった。だって、私たちはどちらも告白なんてしていないのだから……。それなのに、気持ちいいと言われたからって試してみるなんて……。
せめて、あのキスにそんな意味があるというのなら、それを教えてほしかった。そうすればあんな思いをすることもなかったのに……。
私の言葉に「それもそっか」とバツが悪そうに、大和先輩は頭を掻いた。
「そうですよ! だから、私じゃなくてもいいんだってそう思って……」
「それで泣いてたの?」
「はい……」
「俺とキスするたびに? 今みたいに泣いてたの?」
「はい……」
「そっか、ごめんね」
困ったような嬉しさを隠しきれないような……そんな複雑な顔をしてもう一度「ごめんね」と言うと、大和先輩は真剣な表情で私を見つめた。
「凜ちゃん、好きだよ」
「っ……」
「だから、俺と付き合ってくれる?」
「は、い……!」
何度も、何度も頷く私を、大和先輩は嬉しそうに笑うと、ギュッと抱きしめた。
「ね、凜ちゃん。キス、してもいいかな」
「え……?」
「ファーストキス、やり直そうよ」
「はい……」
私の返事を聞くと、大和先輩は優しく私の唇にキスを落とした。
そっと大和先輩の唇が離れると、何故か私の目からは涙が流れた。
今までのキスとは違う、甘くて嬉しくて……幸せなキス。
こんなキスがあるなんて、知らなかった。
好きな人とするキスが、こんなにも幸せだなんて初めて知った……。
もしかしたら大和先輩は、この気持ち良さにハマってしまっていたというのだろうか。
だとしたら――。
「大和先輩」
「ん?」
「もう一回、してほしいです」
「え?」
「もう一回……キス、してください」
私の言葉に少し驚いたような表情を浮かべた後……大和先輩は嬉しそうに微笑むと、
「何度でも」
そう言って、何度も何度も、私に優しく口づけた。