第1話

文字数 16,705文字

 鮮やかに青々と生命を感じさせる新緑に囲まれているのに、銀色の建物に付いた煙突は無機質に、音もなく煙を吐き出し続けた。遥か奥には真っ黒な喪服に身を包んだ集団がいくつかまとまって、時々ハンカチで目をぬぐいながら荘厳な袈裟の僧侶と話をしているのが見えている。僕の目の前にいるふたりとは全く対照的な振る舞いと出で立ちである。僕の目の前にいる浅黒い肌をしたふたりは、僧侶と話すわけでもなければ真っ黒な喪服でいるわけでもなく、ひとりは真っ白なサリーと、ひとりは真っ白で小さなクルターを身にまとってベンチに座って並んでいて、奥の喪服集団が解さないであろう言語を使って話し続けている。「ガンジス河に帰してあげられない」と、夫を亡くした妻が小学生の息子に呟くヒンディー語に対して、僕はひたすら聞こえないふりをしていた。「もうすぐお骨が出るよ」と僕がふたりにヒンディー語で声をかけると、ふたりは首を独特な角度で曲げて頷いてみせ、そして立ち上がった。
 薄暗い火葬場の中で、僕たちは装飾もない薄い水色の骨壺を受け取った。ああ、カンナーさんはこんなに小さくなってしまった。骨壺はまだ暖かくて、この場を離れゆく魂がまだそこには残っている。ふたりにはカンナーさんをおさめる墓もないから、僕が彼女らとカンナーさんを、散骨する予定の千葉県九十九里浜まで車で送らなくてはならなかった。火葬場の駐車場に出ると、火葬場の煙は相変わらず真っ白で、何も言わない。言語も宗教も何もかも、僕たちを取り巻く面倒くさいもの全てが消えて、人間は皆同じになっていた。如何様にも形を変え、何処にでもいける煙に憧れて、人間は死へ向かうのかもしれない。

 通訳者は会話に介入しない透明人間。通訳者はそこには存在しない影。インド留学を終え、日本のコミュニティに暮らす在留インド人に対するヒンディー語の通訳を志してすぐ、僕はこうした通訳者としての理想を本で学んだ。在留外国人の中には、通訳者と生活アドバイザーとを混同し、電話番号を教えたとたんにひっきりなしに電話をかけてきたり、困窮した生活の中で金を借りようとしたりする人までいるらしいから、通訳者のプライバシーを守り、通訳の質を維持するためにも、その理想がすとんと腑に落ちるものであることは間違いなかった。しかし実際の通訳現場において、その理想を遵守するのは難しい。NPO法人に所属し、ヒンディー語通訳者として働き始めると、僕は通訳業務のたびに構築される人間関係を否定し続けることがなかなか出来なかった。日本において母国語で会話が出来る喜びが、通訳対象者の目を輝かせたとき、彼らから目を逸らすことすら困難になるのである。浅黒い肌に浮かんだ真っ黒く大きな目が僕を見つめた。カンナーさんだ。
 カンナーさんに出会ったのは、さいたま市の古びた病院の一室。インド料理屋の経営者として働く四十歳のインド人、カンナーさんは、日本によくあるネパール人経営のインド料理店とはまた趣向の異なる本格的なインド料理を提供する店を経営していたのだけれど、夕方、帰る間際に、その店で倒れてしまったようだった。従業員によってすぐに一一九番通報がなされたが、カンナーさんは英語を少し解しても日本語がほとんど話せないために僕が派遣され、医療通訳を行うことになったのだ。心電図の音が響く薄暗い病室のベッドの上にいるカンナーさんに僕がヒンディー語で話しかけると、彼は目を輝かせて、僕にヒンディー語で身の上話をまくし立てた。まだ幸い大事には至ってはいないが、近いうちに肝臓の精密検査を受ける必要があることを彼に伝え終えたら、その日僕がやるべき通訳者としての仕事は終わりなのだけれど、彼はひとつ話題が終わると間髪入れずに次の話題を見つけたから、僕は帰るタイミングを完全に逸していた。気が付けば僕たちは四十分ほど、もうだいぶ暗くなった病室にいて、ずっと話をしていた。 
 看護師がひとり病室に入ってきて、面会時間がとうに過ぎたことを伝えに来ると、カンナーさんは一通り名残惜しそうにして、机の上の小さなポーチから黒いスマートフォンを取り出し、僕に電話番号を聞いた。僕が何度断っても、カンナーさんは折れない。最後に「まだ相談したいことがあるから」とカンナーさんは言ったから、僕は彼に携帯電話の電話番号を教えた。病室を去ろうと扉を引いた僕の背中にカンナーさんは、「フィルミレーンゲー」と笑顔で言った。ヒンディー語で「また会いましょう」。通訳者としてはまったく好ましくない約束で、NPOの仲間には報告できないのだけれど、僕はそのとき、カンナーさんの輝く目に包まれてどこか嬉しく思っていた。

 それから一週間ぐらいが経って、カンナーさんから、電話番号経由で友達登録されたチャットアプリでメッセージが入った。「息子のことで相談に乗ってほしいことがあるから、うちに来てほしい」という文面だ。
 完全に通訳者としての業務内容を逸脱していることは直感でわかった。息子の学校関係の相談であれば学校通訳が対応して学校と外国人生徒やその家族との橋渡しを行い、息子の手続き関係であれば行政通訳が役所と外国人家族との橋渡しを行うが、普通はそのどちらも学校や役所といった日本人側から要請があってはじめて、通訳者が派遣される。会議通訳と違って、コミュニティにおける通訳は私費で個人に雇われることがほとんどない。だからこの依頼が正式な依頼なのかもわからない。通訳者の理想に照らし合わせても、ここは完全無視、という鉄則。でも僕は何故か、カンナーさんのところに行くことにした。本当に何故かわからなかった。今思えば、カンナーさんの真っ黒く輝く目に、そして笑顔に、吸い寄せられたのかもしれなかった。

 次の日の昼過ぎに、埼玉県北部にあるカンナーさんのアパートに行くと、玄関でカンナーさんが僕を出迎え、後ろで彼の妻と息子が手を合わせて首を倒すようにして振っていた。インド人だけれどサリーやクルターを着ていたわけではなく、三人ともよれよれのTシャツにジーンズを履いている。カンナーさんの家族の部屋は、蔦が絡まる古びた二階建てアパート一階の端にあって、部屋の前には息子用の小さな自転車が止まっていたが、それもまた古びていて錆に覆われていた。「息子のために中古で買ったんだよ」とカンナーさんは胸を張る。「でも小さくなってきちゃったなあ」とカンナーさんが息子の方を向くと、息子は部屋の影にさっと隠れてしまった。
 部屋の壁には大きくて鮮やかなシヴァとパールヴァティーの絵が丁寧に貼られていて、部屋の端にある小さな机の上にはガネーシャの小さな木像が置かれていた。典型的なインド人の家だ。だが圧倒的に小さい。ワンルームに毛布とマットレスがうず高く積んであるのを見て、僕は胸が苦しくなった。外国人労働者の貧困とか待遇の悪さとか、そんな表面的な問題に対して感情が動いたからではなく、彼らの浮かべている笑顔と部屋の中に押し込められたインドのインテリアとを、ただ頭の中でつなげることが出来なかったからだ。
 ワンルームの中央にカンナーさんと座り、カンナーさんの妻が小さな紙コップでチャイを出したタイミングで、僕は彼に切り出した。
「それで?相談というのは?」
「ええーっと、特にはないんだけど、僕たちの家に来てほしかったから」
 カンナーさんはごにょごにょしながら恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに笑って言った。カンナーさんの妻と息子は積まれたマットレスにもたれながら相変わらずにこにこして僕を見ていた。僕はそのとき、今日だけ、今日だけは通訳者としてではなく、なんとなくカンナーさんの友達になってみようと思った。

 「ダシャーは近くの学校に通っているんだ、さっきまで勉強していたんだよ。ジャーパーニーも少しずつ、話せるようになってきたんだ。まだあんまり読めないけど」
 カンナーさんは息子を見ながらそう言った。ダシャーはノートに懸命に何かを書いているところだった。書いては消して、書いては消してを繰り返していて、彼が今勉強をしているのか、お絵かきをしているのか、僕にはわからなかった。僕はダシャーと少し話してみたくなって、彼に学校に好きな子がいるか尋ねたが、ダシャーはにやにやと笑うだけだった。
 僕は彼の消しゴムを手に取って、消しゴムに付いていたカバーを外そうとした。僕が小学生の頃は、好きな人の名前を消しゴムに書いておくと、その消しゴムを使い終えたとき、その人との恋が成就すると言われていたからだ。僕は彼の消しゴムに何も書いていなければ、そんなことをダシャーにも話してあげようと思っていた。
「あっ、やめて!」
 ダシャーがそう言ったが、僕は耳を貸さず、笑って消しゴムのケースを取って、本体を見た。そこには好きな子の名前など書かれてはいなかった。ただ青いボールペンで九州の図が書いてあって、県の名前が細かくぎっしり書かれていたのである。
「きのう、学校で九州の県の名前を書くテストがあったんだ。僕だけ日本語も全然わからないし、いつも零点ばかりだから、九州だけは百点がとりたかったんだ」
 ダシャーは下を向いて怒ったようにそう言った。僕はダシャーに悪いことをしたと思うと同時に、カンナーさんを見た。カンナーさんはダシャーのカンニングを怒りもせず、困ったように、どこか申し訳なさそうに笑ってダシャーを見つめるだけで、何も言わなかった。何も言えなかったのだろうか。
 否が応でも順応しなくてはいけない環境が、ダシャーにはずっしりと重くのしかかっていて、ダシャーを追い詰めていた。学習現場における異文化理解への寛容さはダシャーの能力評価に少しはゆとりを持たせるのかもしれないけれど、ダシャーの心にまでゆとりを作ってはくれないのだろう。子供は自分以外、誰も知らない。もしかしたら、ダシャーはその自分すらも見失ってしまうかもしれない。

 しばらくして、僕とカンナーさんとダシャーは、近くのショッピングセンターに散歩をしに行くことになった。カンナーさんもダシャーも、まるでデートに行くみたいに、おめかしをするからと言って、襟がよれた白いポロシャツに着替えた。部屋の扉の前で僕たちを見送るカンナーさんの妻に大きく手を振る、ふたりの真っ直ぐさに、僕は目を奪われていた。
 近くのショッピングセンターの一階には大きな本屋があった。いくら品ぞろえが良くとも、ヒンディー語で書かれた本などそこには売っているはずがないから、僕とカンナーさんはその前を自然に通り過ぎようとしたが、ダシャーは一目散に児童書のコーナーに走っていった。
彼は周りにいる日本人の子供と同じように、仮面ライダーの本を手に取って、立ったまま読み始めた。僕とカンナーさんがその姿を見ていると、ダシャーはその本を読みながら突然大きな声で笑い出した。ページをめくるたびに大笑いするダシャーの声を聞いて、周りにいた子供たちもぎょっとして振り向いたまま、ダシャーをじろじろと見ていた。本はもちろん、日本語で書かれている。僕は彼が本の内容を理解できているのか疑問を感じながらも、大笑いを続ける彼を止めることは僕の仕事ではない気がして、何も言えず彼を見ることしかできなかった。
 すると、横にいたカンナーさんがダシャーのもとにゆっくり歩いて行って、「そんなに面白いのか。そんなに面白いんなら、買ってあげよう。お父さんにも読ませてね。お父さんがわからなかったら、内容を教えてね」と言った。ダシャーは嬉しそうにカンナーさんに頷いた。僕はそのとき、カンナーさんの父親としての優しさを見ていたのだ。「これ買って」が言えない息子。息子であるダシャーは、カンナーさんの家計にそれほど余裕がないことを薄々知っている。そしてそのこと自体も、加えて、ダシャーが本に書かれた日本語の内容を理解して大笑いしていたわけではないことも、カンナーさんは知っている。そこにいた日本人の中で、僕以外他の誰もが理解できない言語で構築された優しさがあたりを包み込んでいたのだが、周りにいる人はもちろん誰も気がつかない。ただ会計のカウンターに向けて歩を進める外国人親子を、奇妙な親子として見ているだけだ。

 カンナーさんの部屋に帰って、四人で他愛もない話をしていると、いつのまにか時間が経って、夜の八時になっていた。カンナーさんの妻がダシャーとシャワーを浴びに行ったから、ワンルームは僕とカンナーさんのふたりきりになった。インド人の多くは朝にシャワーを浴びるけれど、カンナーさん夫妻の仕事柄、家族は皆、夜にシャワーを浴びるそうだ。
「君はどこに留学していたんだい? ニューデリーかい? ムンバイ?」
 カンナーさんはチャイを入れようとキッチンに立ちながら言った。
「ニューデリー。グルガオンの近く」
「そうか。海外留学なんてさぞかしご両親は喜んだだろうな。君のことをきっと誇りに思っているだろう」
 カンナーさんはキッチンをガサゴソしながら、僕の方を見て優しく言った。今や日本の大学生にとって、海外留学は珍しいことではない。けれどもカンナーさんからそう言われると、僕は何だかとてもすごいことを成し遂げたような気分になった。
「僕もね、パンジャーブから日本に出るとき、皆に尊敬と期待をもって送り出されたんだぞ。僕と妻の親戚が集まって、壮大な送別会もしてもらえたんだ。な、そこで僕はジャパーニーズドリームを叶えてくるって高らかに宣言していたんだよ。今になると本当に恥ずかしいよなあ」
 カンナーさんは僕とカンナーさんのぶんのチャイをキッチンから持ってきて、ワンルームの中央に座った。湯気が立ち昇る小さな紙コップを挟んで僕を見ながらカンナーさんは笑っているけれど、僕は笑えない。
「ダシャーもそうだ。友達に日本で勉強するんだって言ったら、皆羨ましがったって。友達に送別会を開いてもらって、うちに帰って来たとき、ダシャーはすっかりヒーロー気取りだったんだよ。誕生日にかぶる大きい三角の帽子あるだろ。あれをかぶって両手にプレゼント抱えて帰ってきたんだぞ」
 カンナーさんは大きな身振りで僕に説明しながら、嬉しそうに目を細めた。だがすぐにカンナーさんは真顔に戻る。
「でもな、ダシャーはこっちの学校には馴染めていないようなんだ」
 カンナーさんはチャイを少し飲みながら言った。
「僕たちはヒンドゥー教徒で、みんなベジタリアンなんだよ。だからダシャーは学校では給食が食べられない。日本に来たとき、学校に、我が家がベジタリアンだって言ったら、嫌な顔をされたんだ。結局、渋々、学校はダシャーが弁当を持ち込むことを許してくれたんだけど、ダシャーの友達はみんなそれを嫌がるんだって。ずるいって思うんだろうな。あとダシャーはジャーパーニーがあんまり読めないし、話せないだろ。だから学校に学校通訳がいて、授業中とか授業後に内容を解説してくれるんだけど、常に大人が付いて回るダシャーを、友達はみんな赤ちゃんみたいだって笑うんだって。配慮をしてくれることはありがたいよ。でもやっぱりダシャーも、普通になりたいだろうなあ。いつか普通に、ダシャーが日本の子供たちと話したり、遊んだり、勉強したりできる日が来るのかな。そうなったら、ジャーパーニーがあんまり話せない僕や、妻を馬鹿にしちゃうのかな」
「ダシャーは優しい子だから、そんなことはしないよ。きっとカンナーさんに、ジャーパーニーを教えてくれるよ」
 僕はそう返したけれど、子供が日本語を覚えた瞬間に、日本語を話せない親を馬鹿にして、親子の立場が変わる事例をいくつも聞いたことがあったから、正直自信は無かった。それでもカンナーさんは、「そうか。そうだよな」と言って満足そうな顔をした。カンナーさんの言葉に出てきた普通という単語を反芻しながら僕は、異なるものを異ならざるものたらしめようとしているその行為自体が異なるものであることを強調してしまう不条理に唇をかみしめていた。異なるものから脱却するための壁が、あまりに高すぎる。
 カンナーさんは、もう僕のことを小林さん、と呼ぶのではなく、ヒンディー語で兄弟を意味するバーイーと呼んでいた。僕自身ももはや、この時からもうすでに、カンナーさん一家を、単なる通訳対象者としてのみ見ることはできなくなっていたような気がする。この一家がこの日本で何不自由なく暮らせるようにと、心の底から願っている自分が、そこにはいたからである。たとえ今は言語や宗教の壁に囲まれて身動きが取れなくなっていても、まだ吹き抜けの空まで閉ざされちゃいない。僕が吹き抜けから、カンナーさんたちに空を見せ続けられればいい。青く広がる空を思い浮かべてドアの方に目をやると、ダシャーがくるくるした髪を拭きながら水色の柔らかいタオル地のパジャマ姿で現れて、「何を話していたの?」と僕らに尋ねた。

 カンナーさんのアパートに行ってから三ヶ月が経って、またカンナーさんがさいたま市の病院に入院することになったと、病院からもカンナーさんからも連絡が入った。次の日の昼に僕がカンナーさんの病室に行くと、カンナーさんは少しだけ痩せていたけれど、病室のドアが開いて僕が入るのを見ると、右手を胸の前に少し挙げ、首を横に倒しながら笑顔を見せて、ベッドから身を起こした。今日は通訳者としてカンナーさんと診療室に同行し、医師の言葉をカンナーさんに伝えなければならない。カンナーさんは前に倒れたときから肝臓が悪いから、その日も消化器内科に向かうことになる。
 消毒薬のような匂いに包まれたベージュの壁に囲まれた診療室にふたりで入って、医療通訳前の打ち合わせを僕と医師で行っていると、その医師は案外あっけらかんとしているように見えた。カンナーさん、また肝硬変気味なんだろうな。僕は咄嗟にそう思って、前に病室で告知した肝硬変のヒンディー語訳を思い浮かべていた。医師との打ち合わせが終わって、僕とカンナーさんに、医師が口を開く。
「カンナーさん、肝臓がんです」
「えっ、がんですか? 肝硬変ではなく?」 
 僕は思わず医師に聞き返してしまった。患者と医師との会話に参加してしまうことは、通訳者としては最悪である。
「ええ、肝臓がんです。肝硬変はもともと肝臓がんに移行しやすいんです。あのとき精密検査を受けてもらえていたら、もう少し発見が早かったと思うのですが。かなり進行が進んでいて、危ない状況です」
 医師はカンナーさんが悪いとでも言いたいような口調でそう言った。僕はあの時病室で確かに、カンナーさんに精密検査が必要であることを伝えたはずだ。思わず僕はカンナーさんに怒った。
「カンナーさん、精密検査行かなかったの?」
「仕事が忙しくて…行こうと思ってはいたんだけど、お店閉められないから。なんの病気だって?」
 カンナーさんはばつが悪そうに謝りながら僕に訊いた。カンナーさんが申し訳なさそうにすると、僕は彼にまっすぐ感情をぶつけることができなかった。
「がん。肝臓」
 僕はそれだけを言った。カンナーさんは一度目を見開いて、それからうなだれた。医師の方も、それからカンナーさんの方も見ることもはばかられて、僕は窓から外の方を見た。医師が今後の治療計画について話しているのがうっすら聞こえるけれど、水の中で声を聞いているかのようだった。僕は医師の言葉を素直に訳すことができない。だからカンナーさんも、医師が何を言っているのかわからない。窓の外に見える景色が蜃気楼でゆらゆらと歪んでいる。この病室で僕だけが、同じように歪んでいる。

 カンナーさんのがんには遠隔転移が認められていて、すでにステージⅣに達していたから、肝切除も肝移植もさほど効果がないようだったし、カンナーさん自身が何より手術や放射線による治療を望んでいないようだから、カンナーさんには抗がん剤を併用した在宅での緩和ケアが勧められた。緩和ケアは、カンナーさん自身の治療だけではなく、必要とあればカンナーさん一家の経済面や一家全員のメンタル面でのカウンセリングをすることも含んでいる。カンナーさんががんによって思うように働けなくなってしまっている中、どうにもならないときに、僕が医療通訳に入って専門家による家族のカウンセリングを行えば、カンナーさんの妻とダシャーの負担をも減らせるかもしれないという点で、緩和ケアには利点もあった。
 僕はカンナーさんに何度も確認したけれど、すでに火の車になりかけている家計に、積極的な治療を行う余裕はまったくないのだとカンナーさんは繰り返した。労働者ビザで日本に入国しているカンナーさんは国民健康保険には加入しているが、収入が妻の働きによるもののみにせざるを得ない今、高額療養費制度を利用できるとはいえ、家計には一時的に支払う3割の負担額と健康保険適用外費用が重くなってしまっている。僕は他に公的な借り入れが出来ないか役所に相談すべきだとカンナーさんに言ったが、カンナーさんは相手にされないと決め込んでいるようだった。カンナーさんは日本に来た時から、学校や、役所や、様々な場面で、日本人が抱く外国人に対する考えや制度に、幾度となく打ちのめされてきていたのである。

 僕はまたカンナーさんに招かれて、久しぶりにカンナーさんのアパートに赴いた。平日の昼間だったので、カンナーさんの妻もダシャーもそこにはいなかった。僕は少し安心した。ふたりがいつも浮かべていた笑顔に影が見える瞬間から、僕は目を背けたかったからだ。「体調がずいぶん最近は落ち着いているんだよ」と、僕には本当か嘘かわからないことをカンナーさんは言った。ずいぶん痩せたように見えるが、これはきっと気のせいではない。
「バーイー、僕はね、死ぬことを恐れてはいないぞ」
 僕にチャイを出しながらカンナーさんは少し微笑んで言った。そんなはずがない。カンナーさんのその微笑みに少し痛々しさを感じて、僕はカンナーさんから目を逸らす。
「バーイー、インド哲学を知っているかい。僕はヒンドゥー教徒だけど、ヒンドゥー教はインド哲学が基礎にあるんだ。そのインド哲学にはね、梵我一如っていう考え方があるんだよ。簡単に言えば宇宙であるブラフマンと僕たち個人であるアートマンが一体であることを知ることだ。宇宙は永遠にそこにあるだろ。だから一体である僕たちの魂もまた、永遠にこの世界に残り続けるんだよ。姿かたちは変わっても、僕の魂はここに残りつづける。月に上り、雨になり、植物になり、そしてまた僕は姿を変えてこの世界に舞い戻れるんだ。そう考えたら、死ぬこともまあ悪くないだろ」
 僕はカンナーさんがそう思い込もうとしているのではないかと思ったが、素直に頷いた。カンナーさんは続ける。
「バーイー、でも僕は来世で良い人間になれないだろうな、とも思うんだよ。インド哲学の輪廻は君たちが信仰する仏教の輪廻とはちょっと違うかもしれないな。来世どんな人間になるかというのは、現世で何を為したかによってのみ決まるんだ。僕は今、妻にも、息子にも、何も成し遂げてあげられていない。ふたりは今日も苦しんでいるんだ。妻は早朝からホテルの部屋の清掃だ。息子は学校でひとりぼっち。バーイー、それもこれも、僕が家族と一緒に日本に来ることになったからだ。インドでは稼げないお金を得ることを目指して、パンジャーブから日本に行くことにしたからだ。僕はふたりに謝らなくてはならないんだ。僕のせいで、ふたりとも大変なんだ。僕が死んでしまったら、ふたりはどうするだろう」
 カンナーさんは完全に下を向いてしまった。僕がカンナーさんにかけることのできる言葉は、とうに見つからなくなっている。それもこれも、カンナーさんのせいではまったくないと言えば嘘になるだろう。少し開いた窓から風鈴の音がする。風鈴の下に垂れ下がる紙にはダシャーが描いたのであろう絵が見える。あれはお父さんだろうか。
「バーイー、たしかに生きること自体が苦しみだ。その苦しみから解脱するために、皆宗教を信じるんだろう。輪廻から解脱できれば、生の苦しみを感じずに済むからな。でもバーイー、生きることが苦しいといっても、こんなに苦しむ必要があるのかな。日本人の家族はみんな、休みの日は海外に旅行に行ったり、友達と会ったり、親戚で集まったり、海に行ったり、子供と手をつないでディズニーランドで写真を撮ったりするじゃないか。苦しんでばかりではいないじゃないか。僕は、僕たちはなんでこんなに苦しむんだろう。君たち日本人のことを悪く言っているわけじゃないぞ。君のような日本人もたくさんいるんだろう。日本のことを悪く言っているわけでもない。僕が日本に来ることを選んだんだからな。でも僕はもっと、日本では、妻と息子の笑顔が見られる生活が広がっていくと思っていたんだよ、バーイー。他の日本人みたいに、たまの休みに家族でどこかに行って、おいしいご飯を食べる。少しずつ日本人の友達も出来てきて、その友達と集まって色んなお話をする。インドのことを集まった皆に教えてあげる。インドのお菓子と日本のお菓子を食べ比べしたりする。ダシャーを日本の海にも連れて行ってやる。ダシャーは海に行きたいってずっと言っていたんだ。三人で、ディズニーランドで目いっぱい遊んで、お土産をたくさん買って、ふたりの写真をとってやる。日本でそんな生活が広がっていくことをバーイー、僕は夢見ていたんだ。時々、こんなことなら日本に来るんじゃなかったって、今では、そう思ってしまうことがあるんだよ。もし日本に来なかったら、お金は今より稼げないだろうけど、それでも夫として、お父さんとして、もっとふたりに出来ることがあったんじゃないかって、そう思うんだよ」
 今や太陽はすっかり傾いて、カンナーさんのワンルームを真っ赤に照らしている。僕がすっかり飲んでしまったチャイの小さな紙コップの底は、完全に乾いてしまって濃い茶色を見せていた。日本で金をたくさん稼ぐことを夢見て日本に来る外国人はカンナーさんだけではもちろんない。たくさんいる。けれども日本で理想通りの生活を送っているのはほんの一握りだ。夢にも未来にも、大小で判断し得る価値はないし、そこには人種も宗教も関係ない。皆がそれぞれの夢を思い通りに叶えられたらどんなに幸せだろう。日本で言語や宗教の壁に囲まれていても、青く広がる空を見上げ続けたカンナーさんの吹き抜けは、今や閉じられようとしていた。吹き抜けが閉じてしまえば、三人は一生太陽を見ることが出来ない。

 ふいに大きな音がして、ドアが開き、ダシャーが帰ってきた。ダシャーはリュックサックを乱暴に下ろしながら、僕に前と同じような笑顔を見せてくれて、僕にとってはそれだけが救いだった。少し重々しく、暗くなったワンルームが、一瞬にして明るくなる。ダシャーは帰って来るやいなや、僕とカンナーさんに、「公園へ遊びに行こう」と言った。カンナーさんは激しい運動ができない。僕が代わりにダシャーと目いっぱい遊んであげようと思った。
 ダシャーはサッカーボールを腕に抱えて一目散に外に出ていった。カンナーさんはその後ろ姿に「危ないよ」と声をかけながら懸命に腕を振って駆けた。僕がその後ろに続く。カンナーさんがどんなに遅くたって、僕はカンナーさんを抜くことはしない。「待って、待って」と言いながらふたりの後ろ姿を見ている。時々カンナーさんの方を振り返りながら走り続けるダシャーと、ダシャーを追って、一生懸命腕を振るカンナーさんを、ずっと見ている。
 カンナーさんのアパートから五分くらい歩くと、空き地と言ってもいいほど何もない公園がある。ダシャーとカンナーさんと僕は、その中央に三角形になった。ダシャーが僕にサッカーボールを蹴りながら言った。
「ねえ、小林さん、オフサイドってなに?」
「うーん、難しいな。味方チームがボールを持って攻撃しているとき、相手チームのディフェンスを超えた位置でパスを待ち伏せしたらだめだよっていうルールのことだね。ダシャー、サッカー始めるの?」
 僕はサッカーボールをカンナーさんにパスした。
「ううん。今日休み時間に初めてサッカーに混ぜてもらえたんだよ。僕、ゴールをしてヒーローになりたくて、ゴールの前でパスをもらえるのを待ってたんだ。パス、パスって何回言っても誰もパスしてくれないから、僕皆に嫌われてるのかなって思ってたんだけど、途中でひとりの子が僕を指さしてオフサイドだよって言ったの。僕わからなかったから、そこからは頑張ってディフェンスしたんだ。多分皆褒めてくれたよ。僕たちのチームが勝ったんだ。楽しかった」
 カンナーさんがダシャーにしたパスが逸れて、ダシャーは「お父さん!」と言いながらボールを走って取りに行く。日本の子供は小さい頃から、当たり前のように皆がサッカーをして育つから、オフサイドもファールもクリヤーも、学校では皆に当たり前のように共有され、知らなければ馬鹿にされる知識になってきている。インドで幼少期を過ごしたダシャーは、学校にいる誰より、クリケットの知識があるだろう。それでも、この日本の、埼玉の学校では、そんな知識はまったく意味を為さない。カードゲームのきらきらしたカードも、どんな類のゲーム機も持っていない、サッカーも野球も水泳も体操も、何ひとつ習っていないダシャーはこの日本で、必死になって自分を形作ろうとしている。ダシャーは何のヒーローになるのだろう。カンナーさんはボールを取りに行くダシャーを優しい目をして見つめている。ダシャーがいつか何かのヒーローになるところを、カンナーさんは同じように見守ることが出来るのだろうか。僕はその時、そう考えざるを得なかった。

 さいたま市にある浦和では、十二月十二日の夕方から夜にかけて、十二日町というお祭りが行われる。浦和駅の周辺をお好み焼きの香ばしい匂いやベビーカステラの甘い匂いが包んでいて、一年で一番の賑わいを形作る人々は熱気に満ち、肌寒い空気を忘れさせる。僕は十二日町が始まって賑わっている浦和駅を足早に通り過ぎて、入院しているカンナーさんに会いに、病院に向かおうとしていた。カンナーさんには最早新しい治療もなされてはおらず、機械的な処置ばかりになっていて、通訳は必要ないから、その日は通訳者としてではなく、カンナーさんの友人として面会をする予定であった。大きな通り沿いに並ぶ屋台を見て、卵も食べないベジタリアンであるカンナーさんに持っていけるものはりんご飴かチョコバナナくらいしかないなと思うが、手土産として好ましいかよくわからなかったので、買うことを躊躇した。この賑わいをカンナーさんの病室に持っていけたらどんなに良いだろうと思う。カンナーさんの余生はもうおそらく長くない。カンナーさんはもう喧騒を見ることがないかもしれない。真っ白い壁に囲まれた薄暗い病室は、いつも静かだ。
 僕が病室を訪れても、カンナーさんはもうベッドから身を起こさない。カンナーさんの姿はとても小さくなっている。目を開くことも話をすることも出来るけれど、かろうじて出来るといった様子だった。カンナーさんが口を開く。
「バーイー、来てくれたのか。ありがとう。骨に転移したからか最近は痛んで困る。死は恐くないが、痛みが明日も続くのは恐いよ。痛がる姿を妻にもダシャーに見せられないしな」
 カンナーさんの声は弱々しくて、少しかすれている。
「でも、痛みが続くのももう少しの辛抱だと僕は思う。僕はもうすぐ死んでしまうだろう。輪廻ってな、バーイー、この世で罰せられない人間を罰する仕組みなんだよ。この世で悪いことをしたら、来世で罰せられる。そうすれば、現世で頑張ろう、良いことをしようって思うだろ。神様はこの僕の痛みを、僕の現世の罰としてくれないかなあ。こんなに痛いんだから、結構な罰だ。これが僕の罰で、それで、僕が来世でまた罰を受けてもいい。代わりに、僕抜きのこの世にしばらく残る妻とダシャーに幸を。あと、バーイーにも」
 そう言ってカンナーさんは、右手の平を持ちあげて、僕の額の前に置いた。長い間右手をそのままにしておくことはできなくて、力が抜けた右腕はだらんと元々あった場所に戻っていった。カンナーさんはにっこりしている。僕からは「ありがとう」という言葉しか出ず、再び病室は静寂が包んだ。僕はひたすら座っているだけで、病室の扉の方を見ている。カンナーさんはにっこりしたまま、前だけを見ている。救急車のサイレンが余計に大きく聞こえた。
「バーイー、死ぬことは永遠の別れじゃない。輪廻のサイクルにいる以上、母なるガンジスに戻れなくても、僕は必ずこの世界に舞い戻る。雨かもしれないし、植物かもしれない。人間かもしれない。妻にもダシャーにも、そしてバーイーにも、絶対に会いに戻ってくる。そのときは気が付いてくれよ。注意深く世界を見るんだ」
 カンナーさんは途中で目を閉じて、カンナーさんにしては重々しい声でそう言った。僕がダシャーだったら、その場で泣いてしまっていただろう。この期に及んでまで、カンナーさんが家族や僕のことを気にするのを、僕は不思議に思った。死期が迫ったヒンドゥー教徒は皆、ガンジス河のほとり、ワーラーナシーに行きたがるというが、彼らはその悠々とした流れに身をゆだねたくなるのだろうか。カンナーさんは、何に身をゆだね、気持ちを落ち着かせていたのだろう。

 カンナーさんが亡くなったのは、それから五か月が経った五月のことだった。カンナーさんの妻とダシャーと共に九十九里の堤防に赴いて、カンナーさんの遺骨を海に散骨すると、ダシャーは涙を両手の甲で拭った。海に撒いた白い物体は瞬く間に水に溶けて、青と一緒になる。僕は堤防のアスファルトに膝をついて、ダシャーの肩に手を置いた。
「ダシャー、お父さんが僕に言ってたんだ。死んでしまうことは永遠のお別れじゃないって。お父さんはもうすぐ、どこかに現れるよ。どんな形かはわからないけれど、ダシャー、僕とお母さんと一緒に、お父さんを探してみよう。急に降る雨の一粒一粒かもしれないし、さっき僕たちが踏んでいた雑草かもしれない。今飛んで行ったかもめかもしれない。ダシャー、僕たちの周りにあるすべての物を、お父さんかもしれないと思って大切にしよう」
ダシャーは目に涙を浮かべながら僕に頷く。今度はカンナーさんの妻も目頭を拭っている。宗教も言語も関係なく、全ての人類に、動物に、植物に当てはまる教えを、カンナーさんは説いてくれたのかもしれない。

 カンナーさんがいなくなっても、ふたりは埼玉県北部にあるあのアパートに暮らし続けていくようだった。カンナーさんの妻は相変わらず早朝からホテルルームの清掃を続けていて、ダシャーは家ではひとりぼっちの時間が長くなってしまっていたから、僕は空いた時間や休みの日に、カンナーさんのアパートに出かけて行って、公園でダシャーと遊んだ。僕がサッカーや野球のルールを教えるにつれて、ダシャーには少しずつ友達が出来てきていたようで、学校の放課後には友達と遊びに行くことも増えてきていたので、ダシャーはすっかり明るくなってきたように見える。
「小林さん、僕夏休みにディズニーランドに行きたいんだ。行ったことないから」
 僕にサッカーボールを蹴って、パスを出しながらダシャーは言った。
「行ってみようか。お父さんもダシャーを連れていきたかったって、言ってたんだ」
 僕がパスをし返したボールを、ダシャーは両手で受け止めて抱えた。
「約束だよ!」
 ダシャーは踵を返して、ボールを僕たちふたりが決めたPKの場所へ持って行った。ディズニーランドで撮るダシャーと妻との写真に、カンナーさんは写ることが出来ない。けれど、カンナーさんだったらふたりと一緒に僕に行って欲しいと言うだろうと、僕は思った。

 ダシャーが夏休みになって、八月中旬に僕はカンナーさんの妻とダシャーと一緒に、ディズニーランドに行くことにした。ふたりともふたりなりの一張羅を身にまとって、意気揚々と舞浜駅に現れた。八月のディズニーランドはとにかく人が多くて、そして、まるでそれぞれがその場を支配する主役であるかのような主張を纏っているから、気温以上の熱気がある。ダシャーはそんな中でも負けずに、とびきり明るく、僕たちの手を引いた。ディズニーランドにあるお土産屋さんで、僕はダシャーにカウボーイハットを買ってあげた。カンナーさんと同じ浅黒い肌と真っ黒で大きな目が、カウボーイハットによく似合っている。両手を腰に当てて胸を張り、にんまりするダシャーの姿を、僕はカンナーさんに見せてあげたかった。入園してすぐに、カンナーさんの妻に買ってもらっていた海賊の剣を僕たちにかまえて、ダシャーはポーズをとった。
 空に見えていた入道雲がふわふわと広がっていく。しばらくすると空が暗くなって、ディズニーランドにゲリラ豪雨が降り始めた。そこにいた客はそれぞれが一目散に屋内に避難した。僕らも屋根のあるレストランの中に隠れて、外の様子をうかがっていた。雷がフラッシュのように瞬くと、雷鳴が遠くに聞こえ、灰色の水が目で追えない速度で落ちていた。すると、ダシャーが急に駆け出して、レストランの外に出た。ダシャーは数秒も断たないうちにびしょびしょになってしまった。
「ダシャー、戻ってきなさい!」
 カンナーさんの妻が大きな声でダシャーに言った。ダシャーは戻らない。大きな雨の音にかき消されて、彼女の声が通っていないのだろうか。僕もダシャーに叫んだ。
「ダシャー、濡れちゃうよ! 戻っておいで!」
 するとダシャーは僕たちに向かって叫んだ。泣いているのか、笑っているのか、わからない。
「お母さん、小林さん、お父さんだよ! お父さんと一緒にいるんだよ!」
 周りの日本人は、何を話しているのか理解できないから、今、外国人の子供がなぜ外にいるのかがわからない。でも、僕たちにはわかる。ダシャーは、お父さんが雨となって、楽しんでいる僕たちと一緒にいるのだと思っているのだろう。思い込みたいのかもしれない。楽しいこの時間を、お父さんとも共有していると思い込みたいのかもしれない。僕は泣きそうになったけれど、この三人でせめて僕だけは泣いてはいけないような気がした。
 カンナーさんの妻も、レストランの外にふらふらと出る。我が子を無理矢理連れ戻すためではない。レストランの外で雨に濡れながら、彼女はダシャーを抱きしめて、こちらを見た。僕はふたりにカメラを向けた。雨の音が激しく響き、雷鳴が轟く中で、カメラのシャッター音は聞こえない。けれど、ぼくのカメラの画面には、カンナーさんの妻も、ダシャーも、そして形を変えたカンナーさんの姿も映っている。見ている人は皆、僕たちのことを、豪雨の中で写真を撮るなんて変な集団だと思っただろう。それでもいい。僕たちだけに見える人が、そこにはいたのだから。

 ゲリラ豪雨が止んで、空は嘘みたいに晴れ渡り、虹が出ていた。雨が止んでも、僕たちは三人でいる気がしなかった。何処とも言えない場所で、何とも言えない姿で、カンナーさんは僕たちを見ている。僕たちがアトラクションに乗るのを待っているとき、カンナーさんもわくわくして、僕たちと待ち時間を共にしている。僕たちが笑いあっているとき、カンナーさんも大きな声で笑っている。僕たちが幸せそうにしていると、カンナーさんもまた、幸せそうにしているのだ。
 人は死ぬと、月に昇っていく。月で下の世界を見てから、雨となって下の世界に降り注ぐ。雨が植物に吸収されて、人の食べ物になる。人に食べ物として吸収されると、男性の精子に姿を変え、そしてまた新たな生命として生まれ変わる。それが輪廻だ。僕らが年老い、ダシャーが大人になるころ、カンナーさんはまた新たな生命となるのだろう。
 人は昔から、生きる苦しみから逃れるために、輪廻から解脱したがるのだという。でも今僕は、解脱なんてしなくていいし、むしろいつまでも、輪廻の中に身を置いていたいとさえ思っている。たしかに生きること自体は苦であるかもしれないけれど、生まれてきたときから、人種も宗教も言語も関係なく、僕らは皆、同じなのだ。夢を追いかけて、失敗して、壁にぶつかって、人にたくさん迷惑をかけて、苦しんで、それこそが僕らの人生で、どんなに辛くたって、それこそが僕らのあるべき姿だ。そこに意義をひとつでも残すことができたなら、その姿こそ最上の価値じゃないか。その姿こそが美しいんじゃないか。それが罪だと言われるのであれば、僕はどんな姿だろうがまた何度でも生まれ変わって、罪をまたたくさん重ねて、たくさん泣き、そしてたくさん笑ってやる。

 カンナーさんにはきっと素晴らしい来世が待っている。そうでなくては、カンナーさんが作り上げてきた、目の前に輝くダシャーの笑顔が嘘になる。ダシャーが今笑顔を作れていることが、カンナーさんが残した、かけがえのない人生の意義だからだ。
「小林さん、次はあっちのジェットコースターに乗るよ! 早く!」
 ダシャーが僕の手をぐいと引っ張る。僕は虹の出発点を、初めて見た。
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